地蔵堂願王閣ご紹介 (じぞうどうがんのうかく)
【地蔵堂願王閣は檀家・住職の制度が無く
地域住民の方々により維持されています。】
●お知らせ
新潟県立歴史博物館 における
『開館20周年記念特別公開』展 にて
同館へ寄託中の
新潟県指定文化財 岸駒 筆「金地著彩群鶴図」
が初公開されました。
佐伯岸駒 筆 「金地著彩群鶴図」二面 |
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■地蔵堂願王閣遷座八百年祭(ご報告)
「遷座八百年祭」を
平成29年(2017年) 10月8日に開催致しました
建保5年(1217年)に現在の地に御堂が遷座されてから八百年を経ました。
遷座八百年を記念し、燕市長をお招きしての記念式典、及び八百年法要を執り行い、
近年では珍しくなった「餅投げ、菓子投げ」を行うなど賑やかな法要となりました。
■当日は次日程にて執り行われました
13:30 式典開始 ※冒頭、本堂前にて地蔵堂本町地区の方々の記念撮影あり
ご挨拶 願王閣代表役員
ご祝辞 燕市長鈴木力様
☆燕市指定文化財「木造地蔵菩薩坐像」三百年振りの修復 お披露目
※お地蔵様は解体しない状態での修復をお願いしました。
修復過程のご説明 仏師 松岡誠一氏
☆書「地蔵堂縁起」(本堂納戸にて発見)修復お披露目
前燕市分水良寛史料館館長 西海土寿郎氏により解説
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平成27年(2015)3月15日、本堂床下納戸より発見された書「地蔵堂縁起」
額装にて発見されたが傷みが激しかった為掛軸にし修復保存 |
14:10 八百年法要 「光明真言行堂」 6名の僧侶が本堂内を廻りながらの読経にて法要
当願王閣は特定の宗派・住職を持ちませんが古来よりお世話になっております
長岡市寺泊の万善寺様はじめ、6名の僧侶の皆様に法要をお願い致しました。
奉納太鼓 僧侶5名による荘厳な和太鼓演奏
餅まき・菓子まき(境内にて)
15:00 お開き
<当日のイベント>
11:00 五香祭り 至誠庵にて「五香湯」お飲み頂きました 小さなお子様には風船プレゼント
11:30 焼きそば、こんにゃく、いも串(秋の五香名物) 販売開始 (本町組協賛)
他、地元本町通り商店会のイベント協賛を頂きました
以上、大勢の皆様のご協力の元に八百年祭を開催する事が出来ました。
皆様には厚く御礼申し上げます。
■遷座八百年を記念して
「地蔵堂願王閣記録抄 増補版 −遷座八百年記念−」誌を刊行
昭和55年(1980)小川浩一氏編集の「地蔵堂願王閣記録抄」(初版)をスキャナーした上で
昭和55年以降の沿革を加え増補版を刊行しました。
願王閣の起源 沿革史 年中行事 町内の鎮守堂 歴代堂守 備品詳細 等が記されています。
良寛さまにお仕えした願王閣至誠庵守の偏澄(へんちょう)についての記述も増補し、
良寛さまの肖像画を残されたことや絵を富取芳斉に学んだこと、そして長善館鈴木文台や
タ軒との係わりも記されています。
また、後世に残すべく新たに願王閣各種行事や現在の町並みの写真多数を掲載致しました。
献本先図書館: 国立国会図書館 新潟県立図書館 新潟県立文書館 新潟市立図書館
新潟大学図書館 長岡市立図書館 三条市立図書館 弥彦村図書室 燕市立図書館
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初版本 昭和55年(1980)故小川浩一氏編集
A5版 全25頁 |
増補版 平成29年(2017)
A5版 全38頁
上記各図書館等へ献本 |
■地蔵堂願王閣について(本来の読み方は 「じぞうどうがんのうかく」 )
地蔵堂願王閣は一般寺院と異なり、住職・檀家の制度がなく町の鎮守堂として地域住民の方々により維持されています。
願王閣の歴史は文治3年(1187年)に始まります。再三の遷座の後、 建保5年(1217年)に現在地に堂が建立されました。
平成29年(2017年)
遷座800年 及び 御堂再建180年
金地着彩群鶴図:奉納180年(新潟県文化財指定50年)
総欅造り 建築様式は拝殿は仏閣風、奥殿は神社風の造り 燕市指定文化財(昭和43年2月8日指定)
■本堂に施された彫刻
■本堂内絵画
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五十嵐浚明(いからし しゅんめい) 画 「騎馬渡河の図」 |
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搜雲斉守一(そううんさい もりかず) 画 「田植の図」 |
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■願王閣(地蔵堂願王閣)の由来
地蔵堂願王閣は現在一般的には『願王閣』とも呼ばれております。
元々は「願王閣」は地蔵尊の御堂を顕す言葉であったと伝えられております。
御本尊、黄金の地蔵尊(勝軍地蔵)は「頼朝公の守り本尊であったものを西行法師に賜り、法師それを供養しながら諸国行脚の途、
狭(せば:地蔵堂町)の渡しに至り、文治3年(1187年)、ここを有縁の地と定めて川辺に草庵を造り尊像を移し奉ったと伝えられています。
その後再三遷座あり建保5年(1217年)現在の地に堂が建立されました。永徳3年(1383年)に町並みが出来たという記録から
地蔵堂町は地蔵堂の門前町として発展したものと言われています。
黄金の地蔵尊(勝軍地蔵尊)は奥殿に鎮座されます延命地蔵尊菩薩坐像の胎内仏と伝えられています。
奥殿 延命地蔵尊菩薩坐像 燕市指定文化財(平成3年3月25日指定)
■延命地蔵尊菩薩坐像を300年振りの修復
正徳2年(1712年)以来の保存修復を八百年祭に伴い
燕市ご協力の上実施致しました。
仏師 松岡誠一氏 (新潟県田上町)
※御仏像は解体せずに修復
木造 像高83.7p 台座高35.3p 御本体・光背・
台座は桧材に漆箔であり玉眼・百毫(びゃくごう)には水晶
が嵌入されており、掌に宝珠を捧げ、錫杖を斜めに立て桃
実三個を付けた円頭光背を背にしておられます。
御開帳 分水祭り期間中の2日間(毎年7月第3土日)
現在の堂宇は天保8年(1837年)に工費およそ1,300両(現代の大工建築費に換算すると約4億円【日本銀行金融研究所貨幣博物館資料参照】)で建て替えられました。建築様式は拝殿は仏閣風、奥殿は神社風の優美な堂宇であり、高田(現新潟県上越市)の宮大工曽武川常エ門清貞を棟梁として多数の名匠が工事に携わり、精巧な彫刻が施された総ケヤキ造りの御堂で燕市の文化財に指定されています。
■金地著彩群鶴図 天保8年(1837年)奉納 佐伯岸駒 作 新潟県指定文化財(昭和42年3月25日指定)
拝殿正面左右の壁面は新潟県文化財の佐伯岸駒作『金地著彩群鶴図』二面によって華麗に飾られています。
●ご案内
「金地著彩群鶴図」二面(佐伯岸駒筆)は定期的に保存の為に裏打ち等修復を
行って参りましたが近年傷みが進んで来た為、燕市教育委員会に調査を依頼し、
その結果、平成29年10月より 新潟県長岡市の新潟県立歴史博物館にて燻蒸処理
の上、同館収蔵庫におきまして厳密な管理保存戴いております。
尚、当本堂には精密な複製画を展示してございます。
複製画は夏祭りや五香祭りなどの年中行事の際にご覧頂けます。
新潟県指定文化財 二面 (佐伯岸駒 最晩年の作)
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『金地著彩群鶴図』は現在の堂宇再建に際し、大庄屋富取家9代倉田正敬、並びに分家(大庄屋格)富取武七家4代良助(画号芳斎)御両名により奉納されました。
この画は立鶴の群れを描いたもので当時の一般的な写実的画風に更に用途、形式等を考慮し装飾性も加えられ、鶴の姿態や羽毛の描写に岸駒独特の技法がみられる佐伯岸駒最晩年の大作であります。
款記(かんき)に一面には「天保八年丁酉六月吉祥日、願王富取倉太正敬、富取良助正敏」、もう一面には「朝散大夫岸駒(主朱文方印)願主名令前」とあり制作年代、製作意図が明らかであり地方史の上から重要な資料とされています。
佐伯岸駒(さえきがんく)
岸駒は石川県金沢に生まれ、のちに京都に登り鳥獣を得意な画題としてました。天明4年、有栖川宮家に召され近侍となり享和2年朝廷につかえ主殿大属に任じ文化6年越前介となり金沢城復興に際しその障壁画を描き、更に天保7年7年積年画時奉仕の功によって蔵人所衆、従五位下
(朝散大夫)越前守に任官し岸派の創始者となりました。(天保9年 1838年没)
願王閣は檀家・住職の制度が無く地域住民の方々により維持されています。
■名 称 地蔵堂願王閣
■御 本 尊 延命地蔵尊菩薩坐像の胎内仏黄金の勝軍地蔵尊と伝えられている
■現在地建立 建保5年(西暦1217年)縁起
■現本堂再建 天保8年(西暦1837年)
総欅造り 拝殿88平方米 奥殿29平方米
本殿 6尺5寸、8尺2寸、
拝殿 3間、4間1丈に3間の廊下あり
■大 祭 7月第3土日(延命地蔵尊菩薩坐像御開帳)
■所 在 地 新潟県燕市地蔵堂本町1丁目7‐5
■願王閣紋章 |
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■願王閣堂守第一世可念 第二世智雲 第三世林随 に関して
願王閣第一世堂守 可念 <生誕400年は 2033年> <没後300年は 2042年>
第二世堂守 智雲 <没後300年は 2062年>
第三世堂守 林随 <没後250年は 2041年>
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