願王閣(がんおうかく)      新潟県燕市地蔵堂本町     

願王閣紹介


願王閣は一般寺院と異なり、住職・檀家の制度がなく町の鎮守堂として地域住民の方々により維持されています。

願王閣の歴史は文治3年(1187年)に始まります。再三の遷座の後、 建保5年(1217年)に現在地に堂が建立されました。       

    平成29年(2017年)に

    現在地建立800年 及び 御堂再建180年

  金地着彩群鶴図:奉納180年   新潟県文化財指定50年)  を迎えます。

















        総欅造り 建築様式は拝殿は仏閣風、奥殿は神社風の造り     燕市指定文化財(昭和43年2月8日指定)


 本堂に施された彫刻












■願王閣(地蔵堂願王閣)の由来

地蔵堂願王閣は現在一般的には『願王閣』とも呼ばれております。
元々は「願王閣」は地蔵尊の御堂を顕す言葉であったと伝えられております。

御本尊、黄金の地蔵尊(勝軍地蔵)は「頼朝公の守り本尊であったものを西行法師に賜り、法師それを供養しながら諸国行脚の途、
狭(せば:地蔵堂町)の渡しに至り、文治3年(1187年)、ここを有縁の地と定めて川辺に草庵を造り尊像を移し奉ったと伝えられています。

その後再三遷座あり建保5年(1217年)現在の地に堂が建立されました。永徳3年(1383年)に町並みが出来たという記録から
地蔵堂町は地蔵堂の門前町として発展したものと言われています。
黄金の地蔵尊(勝軍地蔵尊)は奥殿に鎮座されます延命地蔵尊菩薩坐像の胎内仏と伝えられています。

   奥殿 延命地蔵尊菩薩坐像   燕市指定文化財(平成3年3月25日指定)






 
     木造 像高83.7p 台座高35.3p 御本体・光背・
    台座は桧材に漆箔であり玉眼・百毫(びゃくごう)には水晶
    が嵌入されており、掌に宝珠を捧げ、錫杖を斜めに立て桃
    実三個を付けた円頭光背を背にしておられます。

 
    御開帳 分水祭り期間中の2日間(毎年7月第3土日)


現在の堂宇は天保8年(1837年)に工費およそ1,300両(現代の大工建築費に換算すると約4億円【日本銀行金融研究所貨幣博物館資料参照】)で建て替えられました。建築様式は拝殿は仏閣風、奥殿は神社風の優美な堂宇であり、高田(現新潟県上越市)の宮大工曽武川常エ門清貞を棟梁として多数の名匠が工事に携わり、精巧な彫刻が施された総ケヤキ造りの御堂で燕市の文化財に指定されています。


■金地著彩群鶴図  天保8年(1837年)奉納 佐伯岸駒 作  新潟県指定文化財(昭和42年3月25日指定) 

拝殿正面左右の壁面は新潟県文化財の佐伯岸駒筆『金地著彩群鶴図』二面によって華麗に飾られています。


            新潟県指定文化財 二面 (佐伯岸駒 最晩年の作)





『金地著彩群鶴図』は現在の堂宇再建に際し、大庄屋富取家9代倉田正敬、並びに分家(大庄屋格)富取武七家4代良助(画号芳斎)御両名により奉納されました。 

この画は立鶴の群れを描いたもので当時の一般的な写実的画風に更に用途、形式等を考慮し装飾性も加えられ、鶴の姿態や羽毛の描写に岸駒独特の技法がみられる佐伯岸駒最晩年の大作であります。

款記(かんき)に一面には「天保八年丁酉六月吉祥日、願王富取倉太正敬、富取良助正敏」、もう一面には「朝散大夫岸駒(主朱文方印)願主名令前」とあり制作年代、製作意図が明らかであり地方史の上から重要な資料とされています。

佐伯岸駒(さえきがんく)
岸駒は石川県金沢に生まれ、のちに京都に登り鳥獣を得意な画題としてました。天明4年、有栖川宮家に召され近侍となり享和2年朝廷につかえ主殿大属に任じ文化6年越前介となり金沢城復興に際しその障壁画を描き、更に天保7年7年積年画時奉仕の功によって蔵人所衆、従五位下
(朝散大夫)越前守に任官し岸派の創始者となりました。(天保9年 1838年没)

願王閣は檀家・住職の制度が無く地域住民の方々により維持されています。

■名         称    地蔵堂願王閣
■御   本   尊  延命地蔵尊菩薩坐像の胎内仏黄金の勝軍地蔵尊と伝えられている
■現在地建立 建保5年(西暦1217年)縁起
■現本堂再建 天保8年(西暦1837年)
       総欅造り 拝殿88平方米  奥殿29平方米
       本殿 6尺5寸、8尺2寸、
       拝殿 3間、4間1丈に3間の廊下あり
■大        祭  7月第3土日(延命地蔵尊菩薩坐像御開帳)
■所   在  地    新潟県燕市地蔵堂本町1丁目7‐5

願王閣紋章