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文治3年 1187年 | 建立 |
建保5年 1217年 | 現在の地に堂建つ(縁起) 勢栄 |
永徳3年 1383年 | 地蔵堂町並み建つ(棟札) |
寛正6年 1465年 | 地蔵堂建立(棟札) 祭礼は6月24日 |
正保3年 1646年 | 地蔵堂建立こけらふき(棟札) |
元禄13〜16年 1700〜1703年 |
(可念和尚の述懐)「間口5間、奥行5間半の堂宇建立 本殿完工後、数年を経て庫裡を建つ」 ※可念和尚は二度の災禍にも屈せず三度目に完成を遂げた |
元禄年間 1688〜1703年 |
地蔵尊、新町(現分水新町)に分祀 新町居屋敷が本町より分離 |
正徳2年(室町時代) 1712年 |
延命地蔵尊菩薩坐像修理(地蔵尊に裏書あり) |
享保8年 1723年 | 諏訪町居屋敷が本町より分離 |
享保10年1725年 | 地蔵尊、諏訪町に分祀(祭礼は6月24日) |
元文2年 1737年 | 内陣作事、屋根重修 頭領 島田善右門 岡本七右ヱ門(棟札) |
寛保2年 1742年 | 第一世堂守 可念没す(位牌) |
天保6〜8年 1835〜1837年 |
前の堂を道金(燕市)に譲り、新しく堂を建てる 〈現在の願王閣建物〉 (総工費およそ壱千参百両) 棟梁 高田 曽武川常工門清貞 棟梁脇 久保田清五郎元慶(棟札) 鋳物師 大久保 小熊常左工門 藤原信澄 天保7年 玄関の柱受け 〃 大窪 原伝右エ門 藤原信家 天保8年 〃 〃 〃 佐藤忠佐衛門工門 藤原信安 (擬宝珠) 彫刻 寺泊彫工 荒井友清 天保9年(奥殿袖裏) 〃 その他 高田の者数人(曽武川記録) 尚この準備に文政6年(1823年)より頼母子講あり (小川文書) |
天保8年 1837年 | 佐伯岸駒筆『金地著彩群鶴図二面奉納 大庄屋 富取家9代倉太正敬 分家(大庄屋格) 富取武七家4代良助(画号芳斎) |
天保10年頃 1839年頃 |
遍澄(へんちょう)、至誠庵に塾を開く (良寛と法弟遍澄 中川すみ江歌日記 天保11年) |
明治2年 1869年 | 願王閣は愛宕神社と僭称して神仏分離令による廃物毀釈を免れる |
明治9年 1876年 | 良寛に師事した遍澄没す |
明治41年1908年 | 新町延命地蔵尊の安置本堂が再建され遷座式を行う |
昭和2年 1927年 | 新潟毎日新聞社主催の東北六県遊覧地名勝選定投票に願王閣が当選する |
昭和22年1947年 | 至誠庵大修理 |
昭和23年1948年 | 至誠庵内に薬師壇新設 |
昭和28年1953年 | 冬囲い修理 門柱、石垣造築 |
昭和42年1967年 | 地蔵堂願王閣の障壁画(佐伯岸駒筆『金地着彩群鶴図二面』が新潟県文化財に指定される |
昭和43年1968年 | 地蔵堂願王閣の本殿及び拝殿が建造物として分水町文化財に指定される |
昭和44年1969年 | 奥殿の屋根及び至誠庵修理 |
昭和47年1972年 | 地蔵堂町部の祭りを統合して『分水祭り」とする(7月20〜22日) |
昭和54年1979年 | 拝殿、奥殿の屋根修理並びに拝殿の回廊、正面階段修築 至誠庵及び境内整備 |
以下増補 |
昭和55年1980年 | 昭和52年より堂守不在の為役員9人が1か月交代で登板を務める事となった |
〃 | 「地蔵堂願王閣記録抄」初版 発行 小川浩一氏編集 |
昭和57年1982年 | 盧元坊の歌碑「七夕」を境内に建立(西行法師歌に因んだもの) |
〃 | 薬師佛釈祭を11月8日から10月8日に変更(気候の関係で参詣者の便宜をはかったもの) |
昭和58年1983年 | 境内に水子地蔵尊建立 開眼 |
昭和62年1987年 | 至誠庵新築立替え |
昭和63年1988年 | 境内 阿弥陀如来立像 塗り替え |
平成2年 1990年 | 祭屋台3台(上組、中組、下組)を分水町に寄附 |
〃 | 収納庫(倉庫)新築工事 |
平成10年1998年 | 本堂屋根瓦修復工事 |
平成17年2005年 | 祭屋台 下組屋台を基に3台の部品を合わせて修復 ※下組屋台のみ文化財指定継続 |
平成18年2006年 | 市町村合併により分水町、吉田町、燕市が「燕市」となる |
〃 | 第35回分水祭りにて24年振りの屋台お披露目 「本町屋台」と称し良寛史料館新設展示場にて常設展示となる |
〃 | 分水祭り開催が7月第3土日に変更 ※本来の願王閣大祭は旧暦6月24日 |
平成19年2007年 ※修復記録増補 大正3年 1914年 昭和40年1965年 |
本堂障壁画 佐伯岸駒筆 「金地著彩群鶴図」二面 修復 新潟市下場本町 神尾萬正堂 ※「金地著彩群鶴図」修復履歴増補 ◎大正3年 1914年 装こう匠 日野長三郎 新潟市南多聞町 ◎昭和40年1965年 装こう匠 得水軒 遠藤新吉 杉山梅吉 於 東京国立博物館修理室 |
平成26年2014年 | 境内 阿弥陀如来立像土台修復工事 ※写真参照 |
平成27年2015年 | 額装「地蔵堂縁起」本堂床下納戸にて発見 傷み激しい |
平成28年2016年 | 奥殿後面及び正面右側の外壁修理 |
平成29年2017年 | 境内全域に砂利敷き詰め (次年の遷座八百年記念行事の一環として) |
〃 | 境内 水子地蔵尊 建立三十三年法要 |
〃 | 額装「地蔵堂縁起」(平成27年発見)を保存の為掛軸とす 燕市地蔵堂本町3 早川有恒堂 ※写真参照 |
〃 | 300年振り 燕市指定文化財「木造地蔵菩薩座像」修復依頼 本体、光背、台座 ※本体は解体せずに修復 仏師 松岡誠一氏 新潟県南蒲原郡田上町 |
〃 10/8 | 地蔵堂願王閣遷座八百年記念大法要 ※写真参照 修復「木造地蔵菩薩坐像」お披露目 ※解説 仏師松岡誠一氏 額装「地蔵堂縁起」お披露目 ※ 〃 前燕市分水良寛史料館長西海土寿郎氏 |
〃 | 「地蔵堂願王閣記録抄 増補版 ―遷座八百年記念―」発刊 ※国立国会図書館、新潟県立文書館、新潟県立図書館、新潟市立図書館、長岡市立図書館、三条市立図書館 弥彦村公民館図書室、燕市各図書館 新潟大学図書館 に献本 |
〃10/10 | 岸駒筆「金地著彩群鶴図」2面 燻蒸処理の為新潟県立歴史博物館燻蒸室に搬入 ※かねてより金箔等の傷みが進んでいた為、対応方法を燕市教育委員会へ相談。 新潟県文化財保護審議委員の現地調査が行なわれ虫食いが判明。 |
〃 | 岸駒筆「金地著彩群鶴図」二面 新潟県立歴史博物館に寄託 |
〃 | 上記精密複製画を作成 本堂にて展示 |
〃 | 本堂祭壇仏像「掌善童子・掌握童子」新潟県立歴史博物館にて燻蒸 |
令和元年 2019年 | 上記「掌善童子・掌握童子」簡易的修復 手足ぐらつき等 仏師松岡誠一氏 |
令和2年2020年 | 境内 阿弥陀如来立像塗装修復 |
〃 | 疫病新型コロナウィルス(コビッド19)が年明と共に全世界で大流行 願王閣恒例行事は中止、又は大幅縮小にて執り行う 7月の大祭、5月と10月の五香祭り共にお経のみ。露店や催事は無く寂しい限り 年の瀬を迎える頃も国内は第三波と思われる流行で未だ治まる気配が見えず 境内 枯れ枝等樹木伐採 松、銀杏、欅 ※写真参照 |
〃 | 新潟県立歴史博物館 「開館20周年記念特別公開」展にて当願王閣より寄託中の 岸駒筆「金地著彩群鶴図」二面 が公開される 期間:令和2年12/19〜令和3年2/28 |