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9月25日(2001年)の話し合い以後、教区との話し合いは持たれずに年を越しました。忙しかったこともありますが、教区基推が各組を回っての"組巡回学習"に本格的に取り組み始め、その推移を見守ろうという気持ちもありました。「差別投書事件・対応テキスト」を教材に、差別の現実に軸足を置いて検証、学習を深めようという学習会が、3月末まで続いています。全組での実施が実現するかどうかは分りませんが――はじめから拒否している組もあるようなので――、これまでのような"アリバイ学習会"からは脱け出たように思われ、組=地域単位での変革が期待されます。
その事前学習会に招ばれた空知南組には多くの門徒さんが集まっており、感慨深いものがありました。本来お寺を支えているはずの門信徒が関心を持ち、意識が変わってくる中からしか、寺院・教区・教団の変革は生れないのではないかと感じられるからです。
部落解放同盟中央本部が、北海道の宗教各派を糾合しての人権学習の場作りを提案し、ウタリ協会本部にも賛同を求めています。協会理事会がどういう結論を出すかは分りませんし、東西本願寺以外の仏教各派から賛同を得るのは難しいと思われるので、実現するかどうか……。難しいんじゃないでしょうか。
ともあれ私たちは、3月以降、次の一歩を歩き出さなければなりません。再び、三度、伏魔殿本願寺に迫っていきましょう。
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8月27日、札幌別院での話し合いには教区から16名、『森』からは5名が参加。翌9月25日の話し合いには、教区から17名、『森』からは3名が参加しました。「差別投書事件・対応テキスト」に基づいての論議のなかで、'94年に落書き事件が起きて以来、教区(基推委)が遅ればせながらも様々な取り組みを通して変革しようとする、その節目節目に新たな差別事件が起きてくることの本質を検証しなければならないということが話されました。やはり"組"での問題や課題が非常に大きいと、認識は一致するのですが、なかなかその壁を崩すことができません。真宗の「法義」を含めて、我々自身の学習が必要です。
10月9日、別院での"協議会"の前に、部落解放同盟中央本部が事務所を来訪、現状と今後について話し合いました。なかなか"当事者"の立場を共有できないのが……。
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6月初め、「差別ハガキ事件」対応委員会がまとめた「対応要綱」が届けられました。また昨年5月の全国大会前に講師や『森』に誹謗・攻撃が向けられた差別ハガキについて、教区青年僧侶協議会が謝罪に来ました。いずれも、課題や障害を抱えながら、前に進むしかないということを確認しました。
その後「対応要綱」を教区内での学習に使うべく作成された「差別投書事件・対応テキスト」が届き、私たちも一連の差別事件について、改めて見直すことができました。
7月19日夜、札幌別院で久しぶりに話し合いがもたれました。新たな「差別ハガキ事件」に入る前に、私たちは「差別落書き事件・回答書」提出以降、教区において為されたことや明らかになった課題、問題点を点検しなければなりませんでした。基推の委員や組長など新しいメンバーも加わり、質疑を重ねるなかから見えてきたのは、16組それぞれの中にある牢固とした思想と封建的な人間関係、そして根強く残る偏見の存在でした。なまじっかな運動論や学習でこれを覆し、変革を進めるのは至難のわざでしょう。
折からの鈴木宗男、平沼赳夫の差別発言に対し、教区基推委からも抗議していくことが決議されましたが、彼らの確信犯的犯罪発言を許さないという態度は、教区・教団内のそれに対しても同時に立ち向かっていくことの表明です。組を中心とした閉塞的な状況を打開していくには、ここに集まった人びとの熱意によるしかないでしょう。回り道のような作業を積み重ねていかなければなりません。
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3月15日、札幌別院で教区基推委員会と話し合いを持ちました。3月一杯で委員会の任期が終了するので、現委員会と『ヤイユーカラの森』との今後へ向けての確認事項についての話し合いでした。
昨年6月の、教区「回答書」とそれについての話し合いに対する教区組長会の申し入れ書については、出席した組長会長から「撤回は出来ないが、回答書は認める」旨の不得要領な意志表明があり、参加した基推委員から反論が出されていました。とりあえずは、新年度以降の各組・組長会と教区基推委員会の連携を強化し、問題点の解明と打開に努めるという方向で了解しました。
また、昨年5月の新たな二通の差別ハガキについては、年度内に「対応要綱」を作成し、新基推委員会に対応を委ねていくという方針で論議を重ねていると報告され、基本的にはそれを了承しました。
最後に、懸案の『ヤイユーカラの森』と教区による"学習活動"についても、引き続き課題としていくことを確認しました。
委員会構成が新しくなった4月後半に、以上についての報告や今後の展望について話し合いの場を持つことを決めて、その夜は終了しました。
5年前を振り返ると、若手の人びとを中心に教区――基推委員会が主であるが――は変わってきた……というのが、話し合いを終える度の私たちの実感です。立場は異なっても、同じ問題を考えることができるようになってきた、と。
しかし教団(本山)は、頑なに変わろうとしていません。むしろ一頃よりも強く"開き直り"をさえ感じることが多くなってきました。その本山中枢部にトラブルが続き、執行部の政権交代も起きているようです。
伏魔殿に風穴をあけるには、門主が札幌別院で法要を行なうときに門前で"ビラまき"をとも考えたのですが、ちょうどその日程がサロベツ原野での山菜キャンプと重なってしまい、実現しませんでした。次の一手を考えなければなりません。
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6月27日の教区との話し合い(第16回)の後、7月10日、本山の基幹運動本部事務局部長宛に質問状を送りました。内容は「今回『森』が受け入れた教区基推委名による回答書は、教団基推委及び教団による回答として受取っていいのか?」という単純なものです。
私が南太平洋への長旅に出かける直前まで返信がなかったので、運動本部では埒があかないと判断し、教団の内閣の長にあたる(多分)宗務総長宛に同内容の質問状を送りました。8月29日のことでした。10月15日までは不在になるが、ご返信頂きたいと……。
帰り着いた晩秋の札幌に、返信は届いていませんでした。
10月31日、再度宗務総長宛に質問状を送りました。「前便にも書きましたが、私どもはT元基幹運動本部長が示された約束――教区と教団の対応委員会は一体であるという――は、今日も尚生きていると考えております。もし貴職がそのように認識していない、つまり同文書を反古にされるというお考えならば、その旨を私どもへ通知されるべきと考えますが、いかがでしょうか?」
そして文書による回答を11月10日までという期限をきって求めました。しかし今日まで、一切の回答はありません。しかもこの間、11月には「同朋運動」への取り組みを記念する法要を本山で行なったというのですから、開いた口がふさがりません。
私たちへの対応が無礼であるというだけでなく、差別行為の後始末もしないままで仏の教えを説き、人間平等の空念仏を唱える破廉恥教団と言われても仕方がないでしょう。
来年春には、門主が札幌別院での法要に来られるということですが、このままでは「どの面下げて北海道へ来れるんだ?」という指弾を受けざるを得ないでしょう。まさに慙愧に耐えない思いがします。
12月4日から6日まで、広島から小森龍邦さんを講師に招き、北海道教区の僧侶研修会が札幌・岩見沢でひらかれました。「真俗二諦」「業・宿業」「信心の社会性」の連続講座は、頭と心に沁み入りました。ごく表面とはいえ、教区は確かに変わってきているのですが……前途多難です。新しい年には新しい闘いを……。
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