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 iii) 名セリフ、名フレーズ
 
トールキンは、中世英語の研究者で、アイスランド語を好み、ファンタジーの創作も、言語的興味から始めたそうです。
すなわち、エルフ語(アイスランド語に似ていると言われる)を創作し、それが話される世界として、ミドルアースとその歴史、各物語を創作したそうです。
作品中にはエルフ語を始めとして、各種族の言語が登場し、また詩の記載も多く、それ以外の部分の記述も(私が読んだのは翻訳ですが)美しい言葉で書かれています。
日本語への翻訳者(瀬田貞二さんと田中明子さん)の腕も見事で、心惹かれる美しいセリフやフレーズが多々あります。
ここでは、私の好きなフレーズ、セリフをご紹介します。
(尚、選択基準は、独断と偏見です。また、順不同です。)
 
 
●フェアノオルのヴァリノオルからの逃亡後、マンウェの言葉
 これはヴァラアルと共に夜を徹したヴァンヤアルの語ったことであるが、マンウェの伝令使にフェアノオルが答えた言葉を、使者達が復命したところ、マンウェは落涙して面を伏せたという。しかしフェアノオルの最後の言葉、即ちノルドオル族はせめても永遠に歌に歌われる功業を成し遂げるであろうという言葉を聞いた時、マンウェは遠い声を聞く者のように、面を上げて言った。 
「そうあるであろう!歌は高価な犠牲によって購われるであろう。しかしよくぞ購ったと見なされよう。それだけの代価を払うしかないからである。」 
(この後に、”かくてまさにエルがわれらに言われた如く、以前には考えられたこともない美がエアにもたらされ、悪しきものもいつかはよくなるであろう。”というセリフが続きます。)
(シルマリルの物語(上) P158)
 
*コメント: トールキンワールドの特徴である、憐れみの情と他者の尊重、尊い(清い)志と努力、それらから生み出される美を愛でる心というようなものが良く出たセリフだと思います。
 

 
●指輪戦争後のホビット庄の豊かさの描写
 それは豊かさと生成の気であり、この中つ国をゆらゆらと束の間通りすぎていく夏の恵みを超えた美のきらめきでありました。
(指輪物語 第6巻 (王の帰還(下)) P260)
*コメント: 私はこの言葉で、トールキンワールドの言葉の美しさに気づきました。
陽炎の立ち昇る、豊かでのどかな田園風景がよくイメージされるフレーズだと思います。
 

 
●指輪戦争直後、戦争が終わり、味方が勝利したことをガンダルフから告げられたサム・ギャムジーのセリフ
「おらの気分がどうかといいなさるのかね?」かれは叫びました。「さて、何て言ったらいいかわからねえです。おら、おら−」−かれは両腕を空中で振り回しました。「冬のあとに春が来たような、葉っぱに日の光がさしているような、喇叭(ラッパ)と竪琴(ハープ)と、おらが今まで聞いた歌という歌をひっくるめたような気分ですだ!
(指輪物語 第6巻 (王の帰還(下)) P118)
コメント:サムどん、あんた詩人だわ(敬服)。

 
ベレンがシルマリル探索の為、アングバンド(モルゴスの居所)に向う際、ルーシアンと天空の光を称えて作った歌
さらばかぐわしい大地、北の空よ、
とこしえに祝福されてあれ、
月の下、太陽の下、この地に横たわり、
しなやかな四肢もてこの地を駆けし
ルーシアン・ティヌヴィエル、
定命の人間の言葉に尽せぬ美しさ、
この世のもの、すべて滅び、
すべて消えうせ、古の深淵に帰るとも、
この世の作られたるはよし、
黄昏と暁と、大地と海のありしゆえ、
ルーシアンのこの世にしばらくありしゆえ。

(シルマリルの物語(上) p.300)
 

Farewell sweet earth and nothern sky,
for ever blest, since here did lie
and here with lissom limbs did run
beneath the Moon, beneth the Sun,
Luthien Tinuviel
more fair than mortal tongue can tell,
Though all to ruin fell the world
and were dissolved and backward hurld
unmade into the old abyss,
yet were its making good for this-
the sun, the dawn, the earth, the sea-
that Luthien for a time shoud be.

(The Silmarillion (Paperback) p.214)
 

*コメント: ルーシアンへの賛歌というだけでなく、美しい大地と空の賛歌としても十分美しいと思います。殆ど成功と生還の可能性のない探索へ、一人で出発するベレンが作った歌です。

 
「ベレンとルシアンのこと」 始まりと終わり
<冒頭>
暗澹たるこの時代から今日に伝えられてきた数々の悲しみと滅びの物語の中にも、慟哭のさなかに喜びが、死の影の下に消えることなき一条の光明の存する物語もまたいくつかは存在するのである。
このような話の中で、今なおエルフ達の耳に何よりも美しく聞えるのは、ベレンとルーシアンの物語である。この二人の生涯を歌に歌ったのが、レイシアン(訳せば囚われの身よりの開放)の歌であり、太古の世を歌った歌を除けば、これより長い歌物語はない。しかしここではもっと手短かに、歌も省いて、話を語ることにした。

(シルマリルの物語(上) p.   )

<末尾>
後の運命をルーシアンは選択した。至福の地と、その地に住まう者の一族たる権利を全て放棄し、いかなる嘆きが待とうと、ベレンとルーシアンの運命を一つに合わせ、この世の境界のかなたに通じる道を二人で共に歩いてゆこうと言うのである。その結果、エルダリエの中でただ彼女のみが本当に死に、遠い昔にこの世を去ったのである。しかしながらかの女の選択によって二つの種族は結ばれ、かの女を祖とする多くの者の中に、全世界が変わってしまった今もなお、エルダアルはかれらが失った愛するルーシアンに生写しの者たちを見るのである。

(シルマリルの物語(上) p.   )

*コメント: この章は、物語中で最美であり、言葉も、”詩の形ではない”と断られているのに、散文として、”最も美しい”と言えるのではないかと思います。上の2者には、内容の詳細は一切書かれていません。にも関わらず、この美しさはどうでしょう。抑えた、控えめな美しさ、だと思います。


 
ベレンとルシアンの死
ある秋のことであった。夜も更けた頃、メネグロスの入り口に来て、激しく門を叩き、王に目通りを願う者があった。かれはオスシリアンドから急行してきた緑のエルフの貴族であった。門番はかれを自室に一人いるディオルの所に連れていった。かれは無言のまま王に宝石箱を手渡し、暇乞いをして去った。宝石箱の中には、シルマリルの填め込まれたドウォーフの頚飾りがあった。ディオルはこれを見て、ベレン・エアハミオンとルーシアン・ティヌーヴィエルが今度こそ本当に死んで、人間の種族がこの世のかなたの運命を見出すべく、赴くところに去ったことを知った。

(シルマリルの物語(上) p.   )
 
*コメント: シルマリルの探索後のベレンとルシアンについては、記載はかなり少なくなります。表現を、控えめにしているのではないかと思います。(これは、作品全体の、統一された雰囲気でもあるのだと思います。)死についても、上の通りです。千語、万語を連ねて、”悲しみ”を繰り返し訴えても、彼らを失った悲しみは、書き尽くせるものではない。むしろ、上のように事実のみを簡潔に書き、彼らの成したこと、遺したものを想う方がふさわしい。そんな気がします。

(以下継続)

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