民話 『三本の木』から Ⅰ

絵本大好き姉ちゃん

 

 聖ベネディクトが常に祈るように、勧めている祈りに「全てにおいて神が光栄を得んがために」というものがあります。
この祈りを黙想していて、「三本の木」というクリスマス民話が中井俊己さんの再話で掲載された記事を思い出しました。
ここに短くして引用してみます。
 昔、ある山の頂に三本の木が育っていました。
大きくなったら何になりたいか、三本の木にはそれぞれに夢がありました。
「私は宝石を入れる世界一美しい箱になりたい」
「僕は王様を乗せるような世界一大きく丈夫な船になりたい」
「私は山にいたい。人々が天に目を向けて、神様のことを考えて欲しいの。だから世界中で一番高い木になるつもりよ」と。
 しかし、ある日木こりがやって来て、三本の木は切り倒されます。
そうして、大工職人の元へと運ばれていきました。
 一番目の木は金や銀で飾られた宝箱になりたい と願いながら、実際は家畜の餌を入れる箱になりました。
二番目の木は、大きく丈夫な船になりたいと願いながら、実際はどこにでもあるような小さな漁船になりました。
三番目の木は木こりに切り倒された時点で、世界一高い木になる夢は途絶えました。
 何年も何年も経ちました。
家畜の餌を入れる飼い葉桶になった一番目の木は、ある日ベツレヘムという小さな村で赤ん坊を寝かせる箱として用いられました。
生まれたばかりのわが子を見て、旅姿の若い夫婦は喜びにあふれています。
その赤ん坊のもとに羊飼いや、遠国から博士たちが来て拝みました。
この時自分は世界で一番尊い宝物を入れているのだと一番目の木は知りました。
 中井氏は言うのです。
この木の生涯は、まるで私達の人生のようですと。
一番目の木はいつしか自分の夢が破れ、悶々とした生活を送っていました。
惨めで、情けなくて、悔しい思いを抱き自分の人生を悲観していました。
しかし、彼は神様から見捨てられていたのではなかったのです。
自分が考えていたとおりではなくても、人生に生き甲斐と喜びを見出す道が用意されていました。
 この物語をとおして、神様はおっしゃるかのようです。
「思い描いた夢が叶わなかったとしても、あなたの人生は失敗でも無駄でもない。あなたのいのちは私によって輝き、私の栄光を現すものとなる」と。
さて、二番目と三番目の木はどうなったのでしょう。
それは、次号のお楽しみに!

新しく始まる一年も「全てに、神の栄光があらわされる」よう祈りながら歩みたいものです。