シスターの介護日記

シスタープラチダ 芦川 まさ

 

第一日目
 この6月に一週間の休暇を頂き、芦別に住んでいる姉の家に家事手伝いの為に帰省しました。
札幌から更に富良野行きのバスに乗り2時間弱で芦別に着きました。
途中果てしなく続く、ゆったりとした田園風景や爽やかな佇まいの町並み、幼い頃母と見た風景と重なり、昔を懐かしく思い出しておりました。

第二日、三日目
 姉は農家に嫁いで3人の子供に恵まれ、その子供達も今は家庭を持ち札幌に住んでいます。
姉の主人は当時農協に勤務しており、水田は姉とお姑さんの仕事でした。
姉の主人は休みの日には田圃をトラクターで耕してくれました。
姉は畑仕事に追われ暗くなってから、家に入り電気をつけると、乳飲み子の長女は火がついたように泣き出すこともしばしばで、子供達の面倒をよく見てやれなかったとしみじみ話していました。
 長女が小学校に入る頃には弟達の面倒を見るようになり、その弟達も中高生になると母親の手伝いを良くしてくれ、助けられたようでした。
「田畑の労働力のために結婚したようなものね。」と言う私の言葉に「私はこのような星の下に生まれたと思っている。」と姉らしい言葉が返ってきました。
姉の人生のほんの一部分でしたが、じっくり聞けたひと時でした。

第四日、五日目
 今日は部屋の整理整頓。でも、家の中は足の踏み場がない程物が置かれていて、台所もどこから片付け始めようかと思う位雑然としていました。
しかし、驚いたことに庭と野菜畑は見事に、手入れが行き届き生き生きと眩しく輝いて見えました。
姉は通院しながらも頑張っていたようです。
農業をやめて今の家に移って来てから30年位経っていたでしょうか。
 私が台所に立ち先ず目に入ったのは、穴のあいたボールに石綿を詰めたもの、錆びた包丁に古いまな板でした。
「何故こんな古いものを置いてあるの。」との私の問いに「これは大切なもの。婆ちゃんが愛用していたもので、今も時々使っているよ。」とのこと。
私は言葉がありませんでした。
姉は主人のことで色々大変な思いをしたのですが、お姑さんに助けられての生活だったとのことです。
姉は多くを語りませんが、その後姿に頭が下がります。姉は今85歳です。

第六日目
 私が帰る前日、姉は体調が悪くなり一緒に病院へ行って来ました。
家の中の片付けは計画の半分も出来なかった一週間でした。
しかし、このような姉から修道生活をしている私は沢山のことを学びました。