【コ ラ ム】
No.42/2007.2

・・・ さようなら 山田 IT創立部長 ・・・


 美術振興協会会長の山田寧雄さんが昨年 11月30日、惜しまれつつ幽明境を異にした。私にとってはIT部立ち上げの際、同じ部会仲間として熱い論議を交わした頃の元気いっぱいの山田さんが目に浮かぶ。平成15年6月、「群暉」等既存の美術館情報メディアとは一味違うPRの開発を目的にIT部が設立された。その数年前から当時の森嶋館長の働きかけもありメンバーは集まったが、いざ具体的展望、作業手順となると未知の領域で戸惑う部員が多かった。
  山田さんは ITに関しての豊富な体験と思慮深い発言でとかく脱線しがちな私たちの軌道修正を図ってくれた。さらにIT関連の仕事に携わっていた長女、恭子さんに連絡し私たちのアイディアを最大限生かしたHPつくりの協力を取り付けていただき、翌年4月悲願のHP「どんざ丸」船出にこぎつけ、先行の紙面情報誌どんざ丸共々より新鮮、より多様な情報をより早く提供できるようになった。部会の礎を築いた山田さんに深く感謝すると共に今後の情報発信の一層の充実を期したいと思う。  

O.Y
No.42/2007.2

講 話   『 響 き あ う 個 性 た ち 』
〜しりべしミュージアムロードと荒井記念美術館の取り組み〜


  第 12回どんざ忌が12月15日当館第4展示室で行われ、荒井記念美術館の学芸員竹村資子さんの講話が参加者の共感を呼んだ。以下その要旨である。

(↓講話中の竹村資子氏)
  藤原正彦の近著「国家の品格」の中で天才を生む土壌として 三点 あげている。それは、1 )美の存在、2)ひざまずく心、3)文学や芸術等が有する精神性を尊ぶ風土 である。 岩内にはこの三つがあり、それが優れた画家を生み出す風土になっていると思う。具体的には、1)は岩内の自然、2)は町内にある多くのお寺・神社がぬかずく心を育て、3)は岩内祭を盛り上げる赤坂奴、商店や普通の住宅でも何気なく掛けている多くの絵、商店のシャッター毎に変化をつけたイメージキャラたらまる君の絵等だ。更にふるさと子ども展の活況、岩内高校美術部の活躍等まさしく岩内町には文化的な品格がある。

 東京の神田町生まれの荒井は出版会社を起こし成功、有島の「生れ出づる悩み」を読み人生の悩みを克服すれば道は開けることに感動し、木田の故郷岩内に美術館設立を思い立った。神田の所有地を売り 30億を投じて平成元年に1号館を建てた。当初は木田の作品展示を考えたのだが、町が独自に美術館建設の計画を進めていることを知り方向転換、「生れ出づる悩み」にちなんだ絵を12名の画家に依頼しその作品を展示した。更に国内随一の収集規模と言われるピカソの版画を併せて展示することにし平成4年に2号館を建て現在に至っている。 さて平成 7年に“しりべしミュージアムロード”が後志管内7館でスタートした。現在は5館だが、点を線にという構想は全国的な反響を招き、地方の小規模美術館のあり方に一石を投じた。作品展の企画、広報活動等の悩みや問題点など学芸員間の情報交換が大きなメリットだ。その中から年一回の作品の交換を主体にした共同企画展が生まれ年々充実、全国さきがけのこの試みは先見の明があったようだ。
ところで入館者数減少傾向に歯止めがかからないが、かつて荒井は「美術館は入館者数も大事だが 1000人の入館者より一人の感動が大事だ」とよく口にしていた。私はそのためにも毎年小さくとも新しいサービスをお客様に提供したいと思い、今は口コミ掲示板を用意し一言でも感想を記入してもらいそれを皆様に発信している。
 美術館は冬の時代を迎えているが、これからは地域の人と一緒に作っていく地方美術館こそ生き残れるのではないか。そのためにも“しりべしミュージアムロード”は日帰り圏内だから結びつきを深めこの冬の時代を乗り切らなければならない。木田美術館は絶対に冬期間休館してほしくない。民間の手法がお役に立つのであれば協力したい。岩内の文化の灯を消さないようにお互いがんばりましょう。
O.Y


 

 
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