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弘鴻に関して最もよく知られた逸話としては、四境戦争(1866年)の際の暦の献上があります。 幕府が二度にわたって長州征討を企てていたころ、長州藩は現代風に言えば経済封鎖を受けて、物資が領内に届かない状態が続いていました。 当時の暦は太陰太陽暦で、天文学の知識なしには作れないものでした。しかも、その流通は伊勢神宮の御師など定められた一握りに人たちに押さえられ、幕府に睨まれた長州藩では手に入れることのできないものになっていました。 長州藩、都濃宰判の天下御物送り番所に勤務する軽輩であった弘鴻は、それまでに学んだ天文学の知識を駆使して独自に暦を編纂し、上司である代官を通じて藩に献上しました。 この一件により、弘鴻は世に知られることになり、暦学、測量、国学、教育の分野でのその後の活躍につながっていきます。 ただし、弘鴻は生涯を周防の人として生きたので、全国的な活躍はしていません。数学史上に残るような発見もないようです。 詳しくは、2015年11月、『これは「種蒔の栞」 〜周防の和算家弘鴻の話』という冊子にまとめました。 将来的にはこの題材で幕末長州藩と明治の山口県を舞台にした、弘鴻が主人公の歴史物語を書きたいと思っています。 |
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