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Vol47 2004.06.30
春のキャンプ その2
Vol46 2004.03.30
Vol45 2003.12.28
Vol44 2003.06.21
春のキャンプ その1
春のキャンプ その2
Vol42 2002.10.30
Vol41 2002.07.25
春のキャンプ その2
Vol40 2002.04.09
Vol38 2001.11.08
Vol37 2001.08.30
春のキャンプ その2
Vol36 2001.04.30
ヤイユーカラパーク 連載 キャンプ

VOL372001 08 302001春のキャンプその1

札幌周辺は例年よりも早かった桜の開花。好天に恵まれ、「日高の桜が見れるか……?」と走り始めたのですが、日高の海岸線に桜は見られませんでした。風がまだ冷たいのです。新冠・御料牧場(跡)二十間道路の桜並木も、つぼみは未だ硬いままでした。

有勢内生活館――台所の床が張り替えてあった!――に荷下ろし、掃除をしているうちに、参加メンバーが到着。久米悦子さんの案内で近くの山に入ります。

私と山下さんは、久米家の愛鶏5羽に昇天してもらい、羽根むしりにかかります。

やがて収穫した山菜をかかえて戻ってきたメンバーも加わって、羽根むしりと山菜の仕分けが終り、夕食準備、山菜づくしの夕食となりました。

夜にはバスで駆けつけた山下淑子さんも到着、新旧・大小合わせて26名の参加者が賑やかに第一夜を過ごしました。


二日目。朝食後、車を連ねて浦河へ。あつらえたような好天気でした。

いつもの花々の沢は、やはり春が遅いのか、雪不足で水が足りなかったのか、花々の伸びと咲き揃いが今ひとつもの足りない感じでしたが、(初めての人はとくに)のんびり散策やせっせと採取にと、沢中に広がって楽しむことができました。

カムイ橋へと移動して、川原での昼食。キッチン山下は大繁盛ですが、この店は客が増えるほど店主の持ち出しが増えるのです。それでも、ごきげんなマスターでした

午後、重いお腹を抱えて山奥へと入りました。智子さんの早目(?)で見つけたプクサ(ギョウジャニンニク)を採りに、数人の男たちが崖を伝い下り。結構な収穫でした。

下山して、夕食の準備と温泉。湯上り、冷たいビール、美味い鳥鍋、山菜料理……。あとは何もいらない、はずが、にぎやかなおしゃべりの夜が更けていきました。


三日目目。冷えていた夜半の温度が上がってくるにしたがって、ガスが湧き上がるような朝でした。

悦子さんの"干潮情報"が二転・三転しましたが、10時前には前浜に案内され潮干狩り。風のせいで潮が完全には引ききらず、お目当てのウニには出会えませんでしたが、教えられてフノリやホトケノミミなどの海藻を採ったり、貝を探したり、砂浜を散歩したり……。

さて、車の上からカヌーを下ろした山下さん。波打ち際沿いにカヌーで遊びはじめました。こりゃあいい、と交代で舟遊びです。ところが最後に乗った真記子さんと建史くんのところで、「沈」!……。見事にカヌーは転覆したのです。

その前から、内心では"ひっくり返らぬものか……"と期待していた人びと――私も含めて――は、やんやの喝采です。まったく、悪い奴ばかりです。それにしても、沈した後真記子さんを助け、「僕が悪いんです」と言い切った建史くんの潔さは見事でした。いい子に育ちました。ほんと。

館内の清掃を終え、久米家のために何人かで何羽かの廃鶏を処理し、それぞれの収穫を車に積んで、有勢内生活館をあとにした私たちでした。

日高 春のキャンプに参加して……

生駒 薫(釧路市)

とても、よく食べました。

どのお料理も、美味しかったです。

ただ、ニワトリの鍋は、切ない味がしました。

あまり、美味しい、と思えませんでした。

"のみこむ"という動作が辛くて、おわんに1杯頂くのがやっとのことでした。今度は、自分で殺して、美味しく食べられるようになりたいと思います。

山菜採りは初めてのことで、こんなにもたくさん山に食べられるものがあるのかと、驚きました。"草"としか言えなかった自分がアズキナ、モミジガサなど、その草の名前を少しでも言えるようになれてうれしかったです。植物図鑑は必需品だと思うので、山へ行く前に手に入れようと思いました。

3日間、皆さんと楽しい時を共有させて頂きまして、どうもありがとうございました。また、参加します。

岡本 匡代(釧路市)

現在進行中の私の仕事と、キャンプでの食材調達に共通しているのは「生きよく殺す」ということです。仕事では試薬や弾などを使用します。生物と私の間には距離があり「死」を触覚で感じることはありません。ニワトリを絞めた経験で、私はそれら道具を言い訳の手段にも利用していたことに気づきました。命を奪う行為を道具にやらせていたんですね。知らぬ振りをしていた自分が情けなくなりました。残さず食べる。無駄なく実験する。同じことですね。気づかせてくれたニワトリ達と卵に感謝します。忘れません。

『ヤイユーカラの森』からはいつも抱えきれないくらいのことを学ばせていただいているように思います。「よくはたらく」「よくあそぶ」「よくまなぶ」。乾いたところにすっと浸みていきます。とても心地よいです。枯渇に耐えられなくなった頃、いずれかのキャンプにまた参加します。たくさん笑わせてくれて、たくさん考えさせてくれて、ありがとう。心から、皆様へ。

小川 眞記子(美唄市)

今回は、初めて飛び込んだ世界でしたが、あまり緊張せずにありのままの自分で過ごすことができ、とても貴重な数日間でした。

そのような受け入れ方をして下さるこの会に、私なりにこれからもかかわらせていただけたらと思います。

ハプニングの多い数日でしたが、本当にありがとうございました。

河原田 眞弓(京都市)

キトピロ、あずき菜、ヤチブキ、コゴミ……最初は見分けのつかなかった葉っぱも、2日目には、目をこらして草原を見渡すと、目指す山菜が、周囲から浮かびあがっているように見えてきました。

山で海で日々の糧を収穫することの楽しさ。思わずカメラを落としてしまうほど、山菜採りに夢中になりました。

自然と共に生きてきた昔の人々の智恵を忘れて、不自然な形で変なものばかり食べている"現代人"。山菜を存分に味わいながら現代人のおろかさを改めて痛感

前回、夏のキャンプに参加して以来の念願だった山菜採りにやっと参加できて、大満足です。次はいつ参加できることかわかりませんが、また必ず参加したいと思います。

皆さん、お世話になりました!

鳥居 文子(江別市)

楽しかった ! おいしかった !

暖かな陽ざしの中で谷地を明るくしているのは"シェフ山下"否、えぞのりゅうきんかことやちぶきさん。紅紫のうつむきも可憐なあの人、この人、いえ、カタクリの花、花、花。きびしい冬をのりこえよくぞ咲いたと、声をかけたくなる。

智子さんに呼ばれて枯葉が重なってふくらみ加減のところに目をこらし、めくってみると、不思議なものがみつかった。枯葉と同系色だから普通は気がつかない。称して"あぶらこごみ"とか。まだ冬眠中? と思いながらも摘んでる自分が乱入者のようで、思わず「ゴメンネ」といいながらみるみる袋をいっぱいにした。

ヤイユーカラのキャンプのもうひとつの楽しみは、世代をこえての団欒があること。

だんだん世の中せせこましくなればこそ、こうしたチャンスが人生、貴重なオリエンテーション。『ヤイユーカラの森』で心身ともに調子を整え、元気をもらった。

参加の皆様に感謝!

西野 猛生(札幌市)

初めてのキャンプに参加させていただき、ありがとうございました。毎日忙しくしていた中に、このような時間を過ごせたことを感謝しています。

私たち人間がいかに自然とつながっていなければならないかを時間にしばられることなく考える機会を大切にできたことは、私にとって貴重なチャンスでした。このような催しにまた参加したいと思います。

食べものを自ら採取し、調理はしませんでしたが、おいしくいただけたことも忘れることのできない思い出となることでしょう。また、皆さんともゆっくりと話しができたことも大きな喜びでした。

気楽なひととき、気さくな人々、すべてありがとうございました。この催しを企画・実行して下さった方々の御苦労にも感謝したいと思います。

キッチン 山下(小樽市)

待ちに待った、連休。山菜採りキャンプ。三上さん、遠藤さん、そしてキャンプ道具達一式、のっけて静内へ。着いたら多分トリを何羽かしめて(アタリ)、夕食の用意じゃ。

夜おそく、ヨシコ先生が着きました。仕事が終わってからそのまま汽車で来るなんて、エライ!

二日目、山へ入って見て、アリャ、今年はちょっと細いぞと思いつつ、沢山採れたなァ。そして川原のランチ。自分勝手にどんどん作るが、追いつかない。食べる方が早いのだ。なんたって、あの岡本女史が来てくれて、手伝ってくれているのだ(注.食べるのを)。

採れたて山菜のテンプラ、サケのチャンチャン、シカ肉等、みんな重たいハラをかかえて、午後の山菜採りに山へ。残った数人で、まかないランチ。私はいつもの塩ラーメン。うん、安い、うまいゾ!

三日目、朝から海へ。取れるものもなく、車からカヌーをおろす。

三上、遠藤カップル……楽しそうに漕いでいる。何組か目に、沈したらしい。マキ子さんだ ?「カヌーというものはひっくり返るものだから、気をつけて」と言ってはいたが、実は沈するのを期待していたのです。(浅いから大丈夫)「大丈夫」と言う自分の顔は、笑っていた。ゴメンナサイ。これにこりず、また遊んでください

今年も楽しく、山菜採りキャンプ。みなさん、ありがとう。

古村 えり子(岩見沢市)

3Kgのダイエットも2日のてんぷらで元どおりになりそうな、おいしい3日間でした。

とも & パパ(岩見沢市)

二年ぶりの参加でしたが、天候に恵まれ、家族5人揃って山歩きが出来、とても楽しかったです。料理もおいしかったです。

山本 智史(岩見沢市・18才)

今回も楽しくやらせていただきました。よく見かけるおなじみのメンバーに新しい人々も加えた、3日間というみじかいキャンプでしたが、また来たいです。

山本 建史(岩見沢市・15才)

文では表せられないほどに楽しかった。

山本 のどか(札幌市・4才)

たのしかった。

しかのにくおいしかった。

みかんジュース。ともちゃん。たんぽぽ。

うみかわであそんだ。かいをさがした。

山本 晶代(札幌市)

札幌への帰りの車の中で、息子(10才)が言いました。「山下さんてカッコイイなぁ〜。何かすご〜くカッコイイと思うな、オレ!」

2年程前に、将来大人になったら何になりたいか? という話になって、息子は、「オレは"自然の人"に成りたい」と言った。

「何なの? その"自然の人"って?」

「山で山菜取って、川や海で魚を釣って、そうやって暮してみたい」

日本の大都会、大阪生れの父と、北海道の大都会、札幌生れの母は、目が"点"になってしまった。

車内に"?"マークが大量に発生した後、息子は"目からウロコが落ちた"ように、納得していた。

どういう理由か、息子は「アイヌの人は、今はもう居ない」と思い込んでしまっていたらしい。

「自然の人に成りたい」息子が、小学4年になって、学校で始めて北海道の歴史を学習する。

私達も、道立開拓記念館や白老のアイヌ民族博物館に行ったり、アイヌ民話を読み聞かせたりしてきた。登別時代村のように白老のアイヌの人々の踊りも、役者さんが扮装していると思ってたらしい。親の勉強不足である。

帰宅してから、息子の社会の資料『わたしたちの札幌』を見直すと……。


「昔と今のまちづくり」

 今ではおよそ182万人が住んでいる札幌の昔は、どのような様子だったのでしょう。

 大きな木がしげる原野の中を、くまやしかが歩き、秋には小さな川にもさけがあふれるように上ってきました。そしてあちこちの川辺の近くに、アイヌの人たちがくらしていたといいます。

 そんな札幌に和人がうつり住むようになり、原野を開き、家をたてて畑をつくりました。


それから [1] アイヌの文化.食べもの.着物.家.道具.くまおくり.ユーカラとおどりで、アイヌに関する記述は(昔の事で)終り。次のページは [2] 大友ぼりと創成川 になります。

現在につながる説明が、まったく無いのです。本当に、私達の勉強不足でした。反省! アイヌ民族が教科書の中の様に"昔"で消えてしまったのではなく、現在もしっかりと文化と智恵を伝えている事を教え、そして何よりも、「アイヌ民族である山下さんがカッコイイし、料理もめちゃめちゃウマイ!」と、感動を与えて下さったヤイユーカラのみなさまに、感謝!!

キャンプに参加させていただいて、本当に良かったと思います。


《番外編 1》

息子の教科書を見ている内に、想い出した事。今から30年も昔、昔の事。

私が丁度自分の息子と同じ年頃(10才)で、やはり社会科の授業中だったのだろう。新村君という日高町から転校してきた子が、席に立って話した。

「日高の方には、アイヌの人々がたくさん住んでいる。そして差別というものがある。とても悪い事で、イヤな事だけど、実際にはそういう事がある」

その時の担任の名前すらまったく記憶に無いのに、新村君と「差別がある」という言葉は、覚えている。

その「差別」が具体的にどういう事なのかはわからなかったが、新村君の心が痛そうなのが印象に残った。

あれから30年、新村君があると言った「差別」について、キチッと知るチャンスも、自ら知ろうという努力も無く来てしまった。

おまけに自分の息子が「アイヌの人は、昔にいなくなってしまった」と、とんでもない勘ちがいをしてしまう始末である。トホホホ………

30年前、新村君が「差別がある」と言った事は、30年たった現在、どうなっているのだろうか?

30年前、新村君は「差別」を自覚し、心を痛めていた。

30年後、「アイヌ民族はもういない」と思い込んでいるのは、日本中の小学生の中でうちの子だけかしら?

アイヌ民族の今を、どんどん発信して下さい。  <何から何まで勉強不足の親>


《番外編 2》 キハダのたね

計良夫人の作って下さった山菜料理は、本当に美味しかったです。ごちそう様でした。中でも、カボチャととら豆のペーストにクルミやキハダのたねの入ったお料理が印象深いです。

私は今、キハダの苗を育てています。たねから発芽させたもので、その他にも我家の近くの豊平川河畔林の木々のたねから育てた苗が、20種程あります。(自然の木)

この河畔林は細々とした林ですが、カタクリ、エンゴサク、エンレイソウ、ニリンソウ、ヒトリシズカ、オオウバユリ、シウリザクラ、コウライテンナンショウ、etc.……。

ウド、タラノメ、コクワ、ヤマブドウ、etc.……。なかなか楽しい林です。ニホンザリガニもいます。

3年前、この河畔林に隣接して大きな公園が造成される事になりました。そこで……

○ 現在公園予定地に植生している樹木を、そのまま残して欲しい。(わざわざ自然の樹木を切り倒し、造成し、サラ地にして、そこに外来種の木を植えるのは止めて欲しい)

○ 新しく植える木も、河畔林と同じ種類の木を使って欲しい。

○ 公園に接する河畔林の自然環境にインパクトの少ない工事を行なって欲しい。……と、市に要望しました。

そこから始まってすったもんだありまして、(町内会長からは「ばか者! 市のやる事に文句をつけるな! 作ってくれるという物は、何でも作ってもらえ!」と、どなりつけられるし……)最終的には、新しい公園内に河畔林に近い林を再生させるという計画の責任者になってしまいました。

河畔林のたくさんの種類の木々からたねを採集し、発芽させ、苗を作り、それを植えるのです。

いざ計画がスタートすると、今まで「藤野の自然を守ろう!」と大声で言っていた人々はたくさんいたのに、誰一人としてたねを持って来てくれる人はいないのです。次の年の10月(開園式)までに20種類以上の苗を、5本1組で、ビニールポットに移植して500個以上作らなければならないのです。発言したからには、責任を果さねば!

しかし、私一人ではなかなかたねを集めるのも進みません。幸いこの植林方法を研究・指導して下さった道工大の先生から、何種類かたねを分けていただいたのですが、それでもまだまだ足りません。

雪の上に落ちたアズキナシの小さな赤い実を必死で集めていると、まだ小さかった娘も小さな手でつまんで集めてくれるのです。「ああ、もっとたねが欲しい……」と心細い気持ちで林に入ると、まったく思いがけずたくさんのたねを見つける時もありました。「林の神様、木の神様、ありがとー!」と、心の中で感謝せずにはいられませんでした。

キハダも木は見つかるのですが、たねはなかなか見つけられない木でした。それでも何とか、開園式にはたくさんの人々に苗を植樹してもらう事ができました。

今年で2年目になりました。苗もそれぞれのスピードで、確実に成長しています。林らしい形になるまで20年、カタクリやエンゴサクが咲くようになるなるには100年かかりそうです。ハンノキ等はもう2m近くに成長しているのに、キハダはまだ15cm程なのです。その分寿命が長いそうです。

とにかく、たねの一粒もムダにせず、できるだけたくさん発芽しておくれ! と祈る気持ちで作業を続けていました。まさか、大切な木のたねを食べちゃうなんて、考えもつかない事でした。「ああ、これがあのキハダのたねの味なんだ!」深く心に浸みこませ、咬みしめて食べました。忘れられない味です。

今まで、食べた事のない味

  森の味

  大きなキハダの小枝のたねの味

  遠い昔から先人達が食べた味

  遠い未来に私が植えたキハダにもいつか実るたねの味

本当に、思いがけない出会いでした。とてもうれしい味でした。