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ヤイユーカラパーク 連載 食いものノート親父料理教室

VOL402002 04 092

レシピ 03

さあ、実習に入ろう。「男の料理」。と、言えば、何故か突然、大きな肉の塊や、一匹丸ごと、立派な魚がまな板に上がる。もちろん、ここではそんなことはしない。では、親父料理術入門の、はじめの一歩は何か…。それは、後片付けである。「話が逆じゃないのか」。と、思われる方もいるかも知れないが、これで正解なのである。


私事で恐縮だが、拙者の親父も料理人である。もとは服職人だったのだが、徴兵され、「実家が代々続いた川魚料理の料亭だったので、食料班に回された」と、聞く。戦地では、服職人は何の役にも立たなかったのだろう。腕のいい職人だったことは、復員後、屋台から始めて食堂を開くまで、自分で仕立てた背広を、自分で裏返して着ていたことからも分かる。胸ポケットの左右が逆になったことを除けば、いつまでも「凛」とした背広であった。


話が大分それた。……晩年の親父は、独身寮の賄いを仕事とする。遊びにいくと、広い調理場を独りで切盛りして、いつも楽しそうである。そして言う、「料理が出来上がった時には、片付けも済んでいなければダメだ」、「料理を作るのは楽しい。しかし、片付けがたまっていれば、料理をするのも面倒になる」、と。

親父料理術は、年に一度のハレの料理を作る事を目的とはしていない。ケの料理。つまり、毎日のご飯である。面倒くさくなっては生きていけない。料理とは、食品を食べられるように「はかり、おさめる」ことである。これまでは、その大切なことを、すべて他人に委ねてきた。お袋であれ、女房であれ、はたまた飲み屋の親父であれ……。奥さんの外出中はメシを食わずに待っている。それはそれで自由なのだが、ずっと帰ってこなくなった時に、餓死するだけの覚悟があるかどうかは自問しておいた方がいい。

話を前向きに戻そう。洗いものは誰にでもできる。ちょっとしたコツは後述するが、何よりも、はじめて立つ台所で、家人に歓迎されること請け合いである。何事もはじめが肝心。家人は今後、受講者諸君の師匠になる。三歩下がって師の影を踏まず。まずは、洗いものに専念しよう。そうすれば、未知の場所にも慣れ、師匠の厨房の技術をしっかり見ることができる。「見て盗む」。それが技術習得の伝統である。

レシピ 04

男の料理」は総じて評判がよろしくない。すべてやりっぱなしで、その後の片付けが家人の負担になるからである。「親父料理術」は、「おやじ料理術」でも、「オヤジ料理術」でもない。……「なんの事だか、さっぱり意味が分からん」、人の為に、言葉の説明をしておく。

市販の辞書にはない。しかし、大切なポイントである。心して読むように。


[親 父] 正しくは「親仁」と書く。父親のこと。転じて老爺、親方、親分などの呼称。ヒグマの異称。親しみと敬愛が込められていて、軽蔑のニュアンスを一切含まない。

[おやじ] 絶滅危惧種の「親父」に代わり、近年その数を増す。辺りかまわず、大声でしゃべり、女、子どもを見れば、やたらと説教したがる習性を持つ。観察は比較的容易だが、一部、夜行性もいる。亜種、変種も多いが、おやじギャルは別種。

[オヤジ] 学名・ニセオヤジ。「おやじ」の亜種だが凶暴性は少ない。人には馴れるので、飼育もできる。しかし、全般的に餌代は高く、世話は大変。(以上)


さて、話をもどそう。親父料理術が、「言いっぱなしの、おやじ料理」でも,「やりっぱなしの、オヤジ料理」でもなく、「親しみと敬愛」に答えられる、全人的な行為でなければならない理由が、お分かりいただけたであろう。

実習の手引き その1

さて、さて、「はじめの一歩」。である。前述したように、これは誰にでもできる。

しかし、ちょっとしたコツがある。

まず、料理を始めたら、こまめに洗いものをして,流し台をいつも空にしておくように習慣付ける。仕事中に出る洗いものは、水をさっと流せばすむものが多い。これをいちいち流しに放置すると、すぐに物の置き場所がなくなる。料理は、ひとたび火にかければ、目が離せなくなることが多い。その時に、流し台が洗いものでつまっていれば、料理の手順もつまる。……すなわち、料理は失敗する。

野菜を洗ったボールやザルはその場で水洗いする。手を洗うついでに、計量に使っただけのカップや皿、鍋のフタなどを、さっと洗って水切りかごにあげる。これは、習慣にすれば何ら面倒な作業ではない。むしろ、いつもすっきりとしていて気分がいい。台所に、古新聞や、ボロ布を用意しておき、油汚れはすぐにふき取る。汚れのきついものは、水か、湯をさっと流し、手付きブラシで軽くこすっておいて、まとめて洗う。ただし、直接火にかけたフライパンなどは、熱いうちに少量の水を注ぎ(タワシの先がつかるくらいで十分)、その熱を利用してすぐに洗う。濡らすのを、利き手の指先だけにしておけば、次の作業にすぐ移れる。手つきブラシは両手を濡らさないで済むという意味で重宝する。野菜や、スパゲティーのゆで汁は、そのまま捨てず、油汚れに掛けて洗えばよく落ちる。中性洗剤は手を荒らし、川を汚し、海を殺す。拙者は必要に応じて粉石鹸を少量使う。婆の編んでくれたナイロンの毛糸を使うと粉石けんもあまり必要としない。

今月の、実習の手引きは以上である。しかし、まだ食後の片付けが残っている。これは拙者も、楽しいと思ったことはない。「生きることは、雑事の、無限の繰り返しである」。との諦観を、師匠と共有して、一緒にやっている。……では、また。

次回の講義までに、洗いもののコツをしっかり習得しておくように。

<次回へ続く>