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ヤイユーカラパーク 連載 食いものノート親父料理教室

VOL452003 12 287

ガイアコロッケ(前号で紹介)を作った方からファックスをいただいた。「美味しかった」と言う簡単な報告にまじって失敗例もあった。日本の小麦粉には強力粉と薄力粉がある。パンを焼くときは粘りの強い強力粉を、天ぷらの衣にはサラリとした薄力粉を使う。しかし、大手メーカーの小麦粉はいずれも輸入品で(我国の小麦自給率は10%)、米国などで輸出用小麦粉に直接混入されるポストハーベスト(カビ防止剤など)は表示されていない。そこで、拙者は生協の道産小麦粉をお勧めした。ところが現在、生協で扱っている道産小麦粉はすべて中力粉だった。クリームコロッケには必ず薄力粉を使う。買った中力粉は餃子の皮に使えるし、手打ちうどんには最適である。簡単なので今日の実習に加えておこう。

ところで、ファックスをくれたのが女性ばかりなので、拙者の気分はとても落ち込んでいる。料理はストレス解消にもなるし、女だけにやらせておくのはもったいない仕事だ。「親父料理術」も役立つ内容に努力していく。だから、女性にも伏してお願い申し上げる。愛した男が、自分で自分の飯(メシ)を作れなければ、別れる時に心残りになるだろう。

夫(おとこ)の自立に是非機会を与えて欲しい。

レシピ 12メインディシュVS主食

さて、気を取り直してスタートしよう。前回は、唐突に「ガイアコロッケ」が飛びだしてしまったが、料理の面白さは体験できただろう。料理には化学の実験や、陶芸の楽しみなどに通じる面白さがいっぱいあるからだ。今日は初心に帰って主食に挑戦してみたい。

一般の日本人が米を主食にできるようになったのは、歴史上ごく最近のことである。主食と副食の区別は、近代栄養学の台頭に負うところが大きい。粉食文化圏では、そもそも、ご飯(=主食)のおかず(=副食)という発想がない。「メインディッシュ」を「主食」と翻訳することはできない。

古くて苦い経験……。ある自動車会社の広告撮影で訪ねたポルトガル。昼食に立派なレストランに誘われた。別室で待っている間には地元の強い酒も振る舞われ、テーブルに着くと、すぐにサラダとパンとパスタが運ばれてきて食事を始める。パスタはかなりの量があったので拙者はパンには手をつけなかった。しばらくして皿が下げられ、ウェイターがコーヒーを運んできた。と、思ったら、それは大皿に美しく盛り付けられたお料理だった。けっこうお腹がいっぱいであったが、見たところ量は少なく、これはこの国のデザートのようなものだと思って平らげた。すると次に、皿は肉料理に入れ替わった。

……ここで、やっと気がついたのだ。「これが今日のメインディッシュなのだ」と。そう言えば、先ほどの皿は、魚の原形はとどめていなかったが確かに魚料理であった。当時の拙者にとってみれば、パンやスパゲティは「ご飯」代わりに食べる「主食」の位置にあった。いや、それは現在も変わらない。彼の国の人々が昼食にパンとパスタを一緒に食べるのは、わが国のラーメンライスのようなもの。と、みな暗黙のうちに納得していたのだ。食前酒から始まった昼食は二時間近くかかった。おかげで、我々もどうにか「メインディッシュ」を仕上げることができたのだが、その日の仕事がどう進んだのか、全く覚えていない。

レシピ 13お米の煮かた

「はじめチョロチョロ、なかパッパ、……赤子泣いてもフタ取るな」。ご飯の炊き方は子どもでも覚えられるように調子をつけた口承で伝えられていた。キャンプ場にも電気釜を持ち込む人がいる位だから、若い人は聞いたこともないだろう。拙者も圧力鍋でご飯を炊いているので「シュッ、シュッ、言って5分」で火を止める。口承も、真ん中あたりはウロおぼえである。電気釜は季節の炊き込みご飯を作るときに師匠が使っている。圧力鍋は対流がないので炊き込みご飯はうまく炊けないのだ。一度、赤飯を炊いた時は、小豆がすべて浮き上がって、その周りの米粒だけが小豆色に染まっている。炊き上がりを混ぜ合わせれば紅白のまだらご飯になって、これでは、めでたさも中ぐらいである。

残りご飯はよく雑炊にして食べるのだが、粥を作るときは生米から煮る。中華粥のように、一晩くらい煮て米の原形がなくなったものも美味しいが、拙者は米の五倍の水を加えて大きめの鍋で煮る。仕上げに塩味をつけ、梅干とカツオ節に醤油を少したらしたものをのせて食べるのが好きだ。吹きこぼれない火加減にしておけば、手を加えることはなにもない。酒を少々飲みすぎた翌日などに試すといい。風邪の時は、米と一緒に鶏肉をかたまりのまま入れて、これも水から煮る。鶏肉のダシが粥をとても美味しくしてくれる。茹で上がった鶏肉は別皿にとり、ほぐして醤油をかけておかずにする。

弥生式土器を作る文化とともに伝えられた米は、当初、焼き米(籾のまま火であぶる)として食べた。その後、土器の甑(こしき)で玄米を蒸す強飯(こわいい)に移り、平安朝になって、雑穀や根菜を一緒に煮た「粥」が食べられるようになる。硬粥(かたかゆ)は今日の「ご飯」の原型らしい。米飯を中心とした一汁一菜(ご飯、味噌汁、漬物)を近代日本食の始まりとすれば、それは鎌倉時代の武家から始まる。商人、町方一般の労働者に及んだのは江戸時代になってからだ。農民が米を食えるようになったのは、明治以降のこと。現実には、それもままならなかったことはわざわざ近代史をひも解くまでもない。

日本の米はジャポニカ種と呼ばれ、ふっくらと炊けたご飯は粘りがあって和食に合う。インドのパシミールあたりが原産地で、その地方で米をウルヒ(urchi)と呼ぶのが、日本語の「うるち(粳)米」の語源とされる。粳米は糯米(もち米)と対比され、もち米のような粘り気を持たない米の総称である。しかし、世界の米食文化の中心は、むしろ、もっと粘りの少ないインディカ種で、かつて、まずい米の代名詞だった「カリフォルニア米」も同じだ。現在カリフォルニアでは、日本への輸出も視野に入れたジャポニカ種が作られている。余談だが、米国産の「日本酒」はすべて純米酒である。

話を戻そう。我々は「ご飯」を炊くものだと思っているが、欧米人は、野菜やパスタ感覚で米を煮て食べている。アジア各国もインディカ種が主流だ。かつて、冷夏で緊急輸入されたタイ米は、「臭くてまずい」と不評だったが、タイ国が、古米を輸出した訳ではない。「香り米」という、彼の国では上等な米を提供してくれたのだ。あの年、タイでは米価が高騰して、タイ国の人々が困ったことを忘れてはいけないだろう。我々はお金の力で、隣人の食べものを横取りしてしまったのだから(近年、農村部にまで浸透した日本製の炊飯器のおかげで、若い人たちの間では、スティッキーな米が好まれるようになったという)。

実習の手引き その7/煮込みご飯、またの名はリゾット

では、平安朝と現代を結ぶ「煮込みご飯」を紹介しよう。拙者の作る料理の中で、師匠が一言の文句も言わずに、黙って受け入れてくれる稀少メニューのひとつである。本当はタイ米の名誉回復もしたいが、今となっては手に入れるのが困難になった。ジャポニカ種で我慢しよう。作り方は簡単で失敗はしない。

用意する道具

深さ五センチ以上で、底が平らな厚手鍋があれば、そのままテーブルに置ける。なければ、底の平らな鍋か大き目のフライパンを使って、出来上がりを皿に盛り付ける。

材料(二人分)

1カップ(米は水に漬けたり、洗ったりしないこと)
サラダ油約、大匙2(好みでバターを加えても、オリーブ油を使っても良い
タマネギ中 1/4個(みじん切り)
ダ  シ800cc(カツオだしは 実習の手引き・その3『味のもとの作り方』参照)
適量(最初に加えると米の粘りがでるので仕上げに入れる。)
香辛料は、胡椒(サフラン、カレー粉)などを好みで。パセリは彩りにもなる。

作り方

  • 鍋が温まってから油を入れるのはいつも同じ。

  • 同じく、油が温まってからタマネギを入れ、さっと炒める。

  • そこに、米を洗わないで直接入れて、もう一度炒める。

  • じきに、米が透き通って来るので、熱くしたダシを半分ほど加えて中火で煮る。(冷めたダシを加へたり、頻繁にかき混ぜると、べたついた仕上がりになる)。

  • しばらくして米がダシを吸い込んだら、火を少し弱め、残りのダシを2,3回に分けて加えながら15分〜20分ぐらい煮る(留意!フタをしないのがコツ)。

  • 最後のダシを加えてから塩で味を調える。わずかに芯を残す位(アルデンテ)に仕上げる。(水気が消えてもまだ米が硬いようなら、熱湯を少し加えて煮足す)。


ここまでが基本。ダシを、鶏でとった「ブロード」に代え、仕上げにパルメザンチーズをのせれば、イタリア人が好きな「白いリゾット」になる。拙者がよく作るのは、スライスしたニンニクを、タマネギと一緒に炒めておいて、仕上げの塩を加える直前に、ムール貝(漁師は獲らないので自由に獲れる)や、イカ、エビ等を入れるもの(魚介類は早く入れすぎると硬くなる)。トマトがあれば、湯剥きして潰したものを、ダシを加える直前に入れたりもする。これがまたとても美味しい。パンとサラダを添えてワインを飲めば、メインディシュ(?)はいらない。その他、自分の好きなものをぶち込めば、バリエーションはいくらでも広がる。

リゾットは「雑炊」である。この食べ方は米食文化圏ならどこにでもある。残り物の材料や、その日の気分に合わせてメキシコ風、タイ風などと、自由に楽しめば良い。鶏肉を入れれば味も濃厚になるし、米を炒めず、玄米か半搗き米に雑穀をあわせて根菜と一緒に煮れば、平安朝にタイムトリップできる。

実習の手引き その8/手打ちうどんと水餃子

さてさて、約束の手打ちうどんと水餃子である。これは簡単に作れる。一度食べればもちもちシコシコ感のとりこになって、すぐに、また作りたくなる一品である。

材料(うどん・四、五人分)

中力粉400グラム(強力粉でも可)
1カップ(=200cc)
小さじ2杯(海水ほどの濃度)
(留意!粉と水の量は正確に計量する)

材料( 餃子の皮 ・ 四十個分 )

中力粉300グラム
3/4カップ(=150cc)
無塩
(留意!粉と水の量は正確に計量する)

手打ちうどんの場合(麺つゆは 実習の手引きその3 を参照)

  • 冷蔵庫から出した団子を、粉を打った台の上にのばし、麺棒を使ってさらに薄く押しのばす(60cm角の厚めの合板を用意しておけば、ケーキ作りにも利用できる)。

  • 厚さ2,3ミリに均一になったら、軽く打ち粉をしながら三つ折りにたたむ。

  • それを、さらに2,3ミリの太さに切りそろえて出来上がり。(手打ちうどんは太めに作る人が多いが、丁寧に細めに作ると食べやすくて美味しい)

餃子の皮の場合

  • 団子にした粉を冷蔵庫から出し、まん中に指で穴を開けてドーナッツ状にする。その輪を広げるようにして直径2センチ位の太さになるまでのばす。

  • それを、粉を打ったまな板の上で4等分してから各10個に切る。

  • これを手のひらで軽く押し、麺棒で直径10センチくらいに押し延す。重ねたまま長時間置くとくっつくので、軽く粉を打っておく(よくのびるので大きくしない)。

餃子の具

豚挽き肉200グラム
ねぎ1/2本 (みじん切り)
しょうが親指大1個(みじん切り)
醤  油大さじ1
小さじ1/2
ゴマ油大さじ1
ニ  ラ1束(サイの目に刻んでおく)
白  菜300グラム
(大きめの葉なら4枚くらい。サイの目にきざみ、軽く塩をして少し置いてから、よく絞り水気を切っておく)。
* 豚肉が苦手な方は鶏肉で試してみて。
* 干し椎茸があれば、一度水で戻してから、刻んで加えればうま味がでる。
* 好みでニンニクも使えるが、山菜の季節ならキトピロ(ギョウジャニンク)が旨い。

これを上から順番にまぜあわせて、餃子の皮に包んで熱湯で茹でる。茹ですぎは旨味も逃げるので留意して、茹で上げをすぐに食べる。もちろん焼き餃子にしても美味い。その場合は、必ずフタをして、水を加えて蒸し焼きにする。あとは各自の好みでカラシ醤油や酢醤油などをつけて食べる。残った餃子は冷凍しておけば解凍せずにそのまま使える。


やっと実用性をともなってきた親父料理術だが、材料や、その分量は拙者の好みに合わせて便宜的に書いた。一度はこの通りに作っても、二度目からは自分の好みに変えるほうがいい。バリエーションを自由に広げるのが上達のコツだ…。

その意味でも、自分専用の「料理ノート」を作ることをお勧めする。

リゾットには飽きても、雑炊ならば、「平安人」のように食べ続けることができるだろう。飢饉の年にも、定年離婚を迫られた時にも強い。では、今日はこれまで……。