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ヤイユーカラパーク 連載 食いものノート親父料理教室

VOL392002 02 101


「朝刊の時間」から「食いものノート」へ

唐突ですが「朝刊の時間」を終了します。年末に自転車で転んで腰を打ち、やむなく新聞配達をやめました。フルマラソンを完走するまでは続けようと思っていたので残念です。しかし、心やさしい編集長のお許しを得て、新たに「食いものノート」を連載させて頂くことになりました。

……自分のエネルギーのすべてが、お金を得るためだけの労働に奪われてしまうような暮らし方に疑問を感じていたころ、私はパートナーを通じて「共同保育」という「場」に出会いました。子どもを育てるという、ごく普通の生活の中で、私はとても大切なものに出会ったように思います。女性には、「何をいまさら」と思われるかも知れませんが、「食いもの」を中心に、そんな暮らし方についても考えてみたいと思います。

世の中は不況風が厳しいようですが、私たちが、身も心も生活も、健康的にダイエットする良い機会になるでしょう。無いのは現金だけ ( ? ) で、健康で気持ちのいい暮らしをしている人たちがたくさんいます。

なお、文中の一人称を「僕」から「拙者」に変えました。私の時代遅れな男の強がりを、この連載を通して乗り越えることができれば、まさに「拙者」の喜びとするところです。見守っていただければ幸いです。


レシピbP『師匠は料理の天才である』

拙者は調理師である。調理師免許を持ち、17年間にわたって自然派レストラン・キッチンほうれん草(閉店)の調理場に立ち,畏れ多くもお金を頂いて他人様に食べさせてきたのであるから、正真正銘、調理師である。

……料理はすべて師匠に教わった。師匠自身は料理学校に通ったこともなければ、母親に仕込まれたという経験もない。それなのに師匠の作るものはいつも美味しい。

師匠の味覚と臭覚はとても発達している。むしろ動物的でさえある。時として過敏に思えるその感覚は、傷んだ物を少しでも口にすれば、それこそ七転八倒の苦しみ方をする師匠にとって、生き延びるために必要不可欠のものであるらしい。拙者のように何を食べても大丈夫というわけにはいかないので。食べることに対する執着にはすごいものがある。仏陀は、あらゆる執着心を迷いの元として戒めておられるが、意に介する様子もない。

食いものに関する記憶力はもっとすごい。いつどこで何を食べ、その材料には何が使われていて、どんな味つけがしてあったか。それらを事細まやかに覚えている。昨日食べた晩飯のおかずも、すぐには思い出せない拙者には信じがたいことである。だが、師匠の天与の才能が花開くのはその記憶の再現力にあると思う。

……どこかで美味しいものをご馳走になる。そうすると、師匠は家に帰ってから嬉々として台所に立ち,同じものを作り始める。一度でうまくいくこともあれば、何度か繰り返すこともある。しかし、最後には必ず自分の味に仕上げてしまう。

……すなわち、拙者の師匠は料理の天才である。すべてのお話はここから始まる。


レシピbQ『自分の食うものぐらい……』

拙者の味覚はきわめて許容範囲が広い。それ故に、何を食べても美味しく食べられる。このタイプはおよそ調理師には向かない。客は不幸のどん底を味わうことになる。然るに、拙者は師匠が用意したレシピ通りに作っただけである。それ故、いまだに賄いが作れない。不思議に思う人もいるだろうが、調理学校出身の若い調理師さんにはけっこう同じような人がいる。本当は、「飯は炊けるし、味噌汁も作れる。納豆と豆腐と沢庵漬け、そこに干し魚の一匹でも加われば文句はない」。と、見得を切りたいのだが、そんな事を一言でも口に出したら、現在同居中の師匠は、拙者の分だけ、すぐにその通りにしてくれるので気をつけている。やはり拙者も美味しいものが食べたい。

師匠は現在、「燃え尽きちゃった症候群」状態にあり、ほとんど料理らしい料理はしない。それでも、拙者の作ったものだけでは日々やせ衰えていくばかりなので,自分で手早く一品を用意する。……これがまた美味しい。

同じ食べるならやはり美味しい方がいい。それも簡単にすばやく出来ればもっといい。そこで拙者はノートを取り出して、その作り方を聞いてメモをとる。

奥さんの外出中は何も食べずに待っている「ご主人」がいると聞く。それは、かなりつらい事ではないのだろうか。せめてコンビニ弁当でも買ってくれば良かろうと思うのだが、あの食品添加物の数々の表示を見るとさすがの拙者も手が出ない。ならば、自分で作ろう。奥さんだって、色々な事情で「ずっと」帰ってこなくなる事もあるだろう。女たちには「おまえ百まで、わしゃ九十九まで」、などという男の能天気な魂胆は、とっくに見破られている。自分で食べるものを、自分で作れれば、定年離婚だって恐れることはない。「やあ、永い間ありがとう、これからは自分でやっていくから、君も元気で……」。と、笑顔で迎えられる。

早速だが、次回から実習に入る。「親父による、親父のための、親父料理術入門」。

<次号に続く>