千の昼        2005.11.29   満ちる

 九百九十九の昼をアップしたあと自治医大に行く。夫と敬は先に車ででかけた。わたしは電車と待合室でブレスヴォイスのメソッドを読んでいた。発声のレッスンは余分なものを削ぎ落としてゆく過程である。役者の壌さんは発声が変わると生き方が変わると言った。女優のマキムラさんは生き方を変えたら発声が変わったと言った。

 語りが生き方を変える.......わたしの場合は確かにそうだった。人生の波を越えることが語りを変えたかどうかはわからない。自分の語りを客観的に聴くことはできないからだ。語りは瞬間の芸、瞬間の橋渡しである。聞き手をこの世ならぬものに、この世ならぬ世界へ送る、場を変容せしむる。しかし橋は消える。聞き手も語り手もこの世に帰らなければならない。そこで’市がさけもうした’とか’どんとはれ’とか’めでたしめでたし’...とかいう結語が必要なのだ。ろうそくを消す、この世に聞き手を引き戻す......そして濃密な一瞬は煙のように消える。しかし なにかが変わる、なにかが残る。

 この三年間、ずいぶんと考えた。語ること、生きること、たいせつなこと。夫を失いそうになり、息子を失いそうになり、仕事のうえで闘いをつづけるなかで、道をさがしつづけた。きのう本町小の図書ボランティアの例会のあとでわたしはほんとうに驚いた。わたしのことばに心が撥ねるというおかあさんがいて 聞いているときっとうまくいくような気がするという若いおかあさんもいて........

 わたしはそんな人間ではなかった。ひとを明るくするどころか 途方にくれおろおろして 不平をこぼすことも泣くこともあった。それでも変わっていけるのだ。余分なものを降ろし削ぎ落としていけるのだ。ひとりでは生きていけない。ことばはひとの心をつなぐ、あたためる。それを信じて歩いてゆく。今日ひとつの願いの満ちた日、満願の日、長いこと待ち望んでいたのに涙がこぼれる。櫻井先生ありがとうございました。junさん、ネモさん、竹内さん、おにひめちゃん、Dさん、たくさんの方々 ほんとうにありがとう。

 

九百九十九の夜  2005.11.28  古神道

 11/18 夫の目が見えなくなった日、古本屋で背表紙が迫出したように見える二冊の本があった。思わず手にとったその一冊が「甦る古神道」もう一冊が「ホピ宇宙からの聖書」である。読み進めてゆくうちにホピの生命の道と古神道がシンクロしていることに気づく。ホピの神話が伝えるのは生命の道、しかし日本にも古来から伝えられた神惟(かんながら)の道がある。かんながらとは自然の神々....究極では造物主(宇宙意識)と我が一体化することである。

 神道というと国家神道=天皇という誤解があるようだ。一部の人間に神道が利用されたことははなはだ残念なことである。本来 まつりごと(政事=祭事)であった。天皇・スメラミコトの意味はスメル(統べる)ミコトとは神のことばを伝達するひとであった。

 すこし古神道について書いてみる。ひとことでいえば「自然のなかに神性を見るというのが古神道である」と著者はいう。万物のなかに霊魂がやどっている、このアニミズムは原始宗教としてかっては世界中のひとびとがそれぞれの国で信じていたのだと思う。もちろん語り手には馴染み深いケルトでも.......しかしキリスト教に席巻され、一部の土着の神々はカソリックにその名残を残すのみである。キリスト教の進出は基本的には自然の征服であった。

  仏教の伝来は古来からの神々にケルトの精霊たちの行末と同じような零落の運命を辿らせた。たとえばマモン・真物は最高格の精霊を意味していたのに魔物に貶められてしまった。アメノサグメのようなコトダマ神も天の邪鬼という物の怪にされてしまった。鬼も本来は祖霊神であったのに邪悪な存在とされてしまった。古神道にしても他のアニミズムの原始教、ホピの聖書ももともと口承で教義体系を持たないために下等な教えとみなされたのだが、果たしてそうだろうか。キリスト教も仏教もその教義はキリストや釈迦ご自身が書き残したものではない。死後弟子たちがそれぞれ書き残し、長い年月を経て体系化されたものなのだ。

  古神道とホピにつながるものはほかにもいろいろある。祭祀に共通点がある。ホピでは四色の人間がつくられたとあるが神道では五色の人間である。ホピのクモ女のひとりが日本に渡ったという説がある。三番目の世界の終わりに色白く髪の黒い兄が東に向けて旅立ったとある。第三の世界の滅亡は旧約聖書のノアの箱舟に似通っているが、日本のイザナギイザナミの国生みにも大洪水が読み取れる。

 わたしは語り手だから、古神道のコトタマ・タマフリ・タマシズメなどの意味に強く惹かれる。また行法としての古神道、呼吸法や真息吹のわざ、真手のわざにも惹かれる。古神道の流れを汲む禊教が世直しの教えであったこと、秩父事件や群馬事件に深く関わっていたことなどもっと調べてみたい。よりよく生きるために知ることがまだたくさんある。それはなんてどきどきすることだろう。

 水は汚れ、山々はゴミ捨て場となり、美しい日本の山野が昔日の輝きを失ったように見える今、光を取り戻すべくやることがあるとしたら、それを手を組んでできたらどんなに素敵なことだろう。それにはまず考えること、生き方を見直すことなのだろうと思う。

 


九百九十九の昼  2005.11.28   本町小にて

 このごろ小学校の子どもたちの前に立つことが、以前のように特別なゆるされた時間でなくなり、すこし日常化された手ずれのするものになってきたと感じてはいた。26日に嵐山に行って、方向性はわたしが目指しているのとはすこし違うのだが太田小のおかあさん方の熱意とひとりひとりがではなく、仲間同士手を組んで夢中で楽しいことに取り組んでいるようすに触れ眩しかった。

 朝 学校に入る前駐車場の車のなかで、祈った。今日子どもたちに会い語ることがゆるされたこの時間を感謝します。どうか実りある時間とさせていただけますように。子どもたちの魂に美しいことば、たいせつなことを届けられますように.........そのせいかどうか.......金子みすずさんの詩のときにすでにいくつかの瞳に魅せられたひたむきなまなざしを見た。たしかにこの子のなかにコトリとなにかが落ちたと信じられる一瞬.....もしかしたらこの子どもの一生になんらかの力と勇気、美しきものへの憧憬を響かせることができたかもしれないこの煌めく一瞬のために、わたしは学校で語ってきたのだ....と思い出した。

 おはなしが終ったあと今日はすぐ帰らないで、.....感想やクラスに貼り出すポスターを描いているこの時間もったいないね.....と声をかけてみる。即座に反応がかえってくる。それから図書のかたづけや清掃をしたあと、図書ボランティアの定例会で嵐山での感想を話す。前のメンバーから受け継いでただ同じようにつづけるだけでは、徐々にパワーがなくなってしまう......現実に図書ボランティアを中心になってやっているひとたちは一生懸命だし背負い込んで動きがとれない。

 みんなで一歩踏み出せればいい、子どもたちのためにつかうこの時間がもっともっとおかあさん方の心も輝かせる時間ともなりますように。活発な意見が出ていくつかのことが決まった。おはなし会のあと反省と情報交換をする、書記がノートに書きとめ図書担当の先生に見ていただく、ブックトークの練習、木曜グループとの交流、木曜日の図書室ライブに参加しよう、他校の図書室の見学に行こう。みんなの心が撥ねる、あたたまる。

 午後しごと FさんとAC決算の打ち合わせ、S銀行来社、A社と話し合いが12/1の5時となる。そのまえのデータの確認をする。F社と口銭3%の攻防、同床異夢なのだとしみじみわかる。向こうは機械を売りたい、うちに売ってもらいたいのだ。K先生見える。あすから幕張メッセの展示会に炭を出すことになったが、このパッケージでは無理だと思う。残念だがまずは外観、それさえも伝える努力である。作り直すとしてやることが多すぎる。このままでは時間がパンクする。


九百九十八の昼  2005.11.27   泥縄

 泥棒を捕まえてから縄を綯う。略して泥縄...これは父の口癖だった。わたしはこれが非常に多い。つまりは気は進まないがよることはやったと自分に納得させたいのだろう。

 今日はカタリカタリのおはなし会のちらしを数枚、手紙をつけて送付した。ぎりぎりになって招待の手紙がきたって皆忙しいのだから困ると思う。お客さまにおいでいただき聞いていただきたいのとどこか面倒なのとうらはらである。みんなの語りは聞いてもらいたいが自分のはいやなのか........こんなに練習したのはわたしにしてはめづらしいのだけど.......今までの語りと違う、相当に踏み込んだところがあるので不安なのだ。もしかすると、当日すこし内輪な表現にするかもしれない。自分にしても今までと違った意味で扉を開くところがある。それが聞き手に受け入れられるかなという漠とした不安。これでいいのかなというかそけき不安。

 それでも県立図書館の司書さんにもお渡しして、そのうえちらしを数枚置いていただいた。メンバーのひとたちのは本当に素敵だからぜひ聴いてほしい。聴かないと損だと思う。午後はリサちゃん、惣、ルイといっしょに越谷の結婚式場を見に行った。お式は70%のカップルが教会だそうだ。信仰していないのに.....儀式としてはなにか拠り所がほしいのか......新しい礼拝堂はわざわざ古色を出していた。ステンドグラス、パイプオルガン、入場のときは聖歌隊とソロ歌手が歌うのだそうだ。階段にフラワーシャワーの名残があってそうじのおばさんがせっせと片付けていた。

 披露宴の会場は5つくらいあって、好きなのを択ぶようになっている。可動式の屋根で開けると空が見えるのや、庭に出られるのや、1000万円のシャンデリヤが6台天井から下がっているベルサイユ風なのやさまざまである。惣はバーカウンターが隣にあるモダンな部屋が、リサちゃんはシャンデリヤの部屋が気に入ったらしい。

 わたしはきらきらしいがどこか作り物めいたこういう場所で時間に押されながら式をするのは今一乗り気ではない。だいたい今日のお式は7.8組あって、それにおなじくらいの数のカップルが下見に来ている。わたしは今日お式をしているお嫁さんに申し訳ない気がしたが、それほど気にしてはいないのかもしれない。一見したところ 初々しい花嫁、凛とした花嫁さんは見当たらなかった。新郎がコッカースパニエルを抱いてエレベーターに乗っていて思わず笑ってしまいそうになった。今の結婚は谷川を渡るような、新天地に手をたずさえていくようなものではなく、コンビニに行くような気軽な気持ちでするものなのかもしれない。


九百九十七の夜  2005.11.26   ホピの神話その参

「乾いた陸地がどこかにあるに違いない。ソックナングがわたしたちのために創造してくれた第四の世界が」ひとびとはたくさんの鳥を飛ばしたが みな疲れ果てて帰ってきた。そこでクモ女は葦で丸く平らな舟をつくるよう命じた。ひとびとは舟に乗り込み海と彼らを導いてくれる内なる声に任せた。幾つもの島を渡り長い長い旅ののち第四の世界、出現の地についた。

 みんな集まったところにソックナングが顕れた。「よろしい、みんな集まった。ここがあなた方に用意しておいた場所である。あなた方の来た道を見よ」 西と南に目をやると、自分たちの休んだ島々が見えた。「あれはあなた方の旅してきた跡である。わたしの滅ぼした第三の世界の高い山々の頂である、さあ、見よ」

 ひとびとの目の前で一番近い島が没した。まもなく次の島が没し、ついに島々はすべて沈み、見えるのは海ばかりとなった。「見よ」とソツクナングは云った。「わたしはあなた方の足跡さえ洗い流した。この海の底には、誇り高き都のすべて、空飛ぶパツボタ、悪に染まったこの世の富、山の上で創造主に讃歌を捧げることに時間を使わなかった者たちが眠っている。だがあなた方が出現の記憶と意味を忘れなければ、いつかこれらの足跡がまた浮かび上がり、真実を告げる時がくるだろう」
これが第三の世界クスクルザの終わりである。

 「別れるまえに云っておかなければならないことがある」ソツクナングは第四の世界の岸辺にたっているひとに向かっていった。「この世界はツワカキ、完全な世界である。その意味は今にわかるだろう。かっての世界ほど、美しくも楽でもない。高いところ、低いところ、熱と寒さ、美しいところ、荒れたところ、あなた方に選び取れるすべてのものがここにある。あなた方が何を択ぶかが、創造の計画を今度こそ遂行できるか、あるいはいつの日かふたたび世界を滅ぼすかを決定するのだ」

 「さあ、あなた方は別れて違った道を進み、地のすべてを創造主に代わって所有せよ。どの集団も星のあとに従うように。星が止った場所があなた方の住む場所である。行きなさい。あなた方は善き精霊から助けを得るだろう。あなた方の扉を開けたままにして、わたしが語ったことをいつも覚えておくように」ひとびとは集団に分かれて移民を始めた。
「また、会おう」 と彼らは互いに呼びかけあった。

 われらが第四の世界はこうして始まった。

 ホピ 宇宙からの聖書 フランク・ウオーターズ著 林陽訳 徳間書店
                      
 ホピの創造神話は以上である。抜粋してあるので 興味のある方はぜひ本を買ってください。ホピの神話によれば、わたしたちは今から一万年前はじまったとされる 第四の世界にいるわけだが、その第四の世界もあやうくなっている。第四の世界に関する予言は本によればこうである。やがて、第四世界も人類に邪心が蔓延することによって滅亡する日がくる。その日は大いなる清めの日と呼ばれる。それに先立ち幾つもの兆候がある。いくつか列挙すると

1 馬以外のものが引く数珠つなぎになった馬車を白人が発明するだろう
2 空に道ができるだろう
3 空中に蜘蛛の巣が張り巡らされるだろう

  最初の予言は鉄道が走り始めたとき はじめてその意味がわかった。第2の予言は航空路ができたときに成就した。第3の予言は電話線と電線、それにハイウェイができたときにその真意がわかった(と書いてあるのだが、この本の出版は1993年、2005年の今はみなさまもご存知のその名もネット.....まさにネットのことではあるまいかと思う)

 今世紀にはいってホピの単純にして不可解な予言がつぎつぎに成就したが、なかでもホピの長老を驚かしたのはとてつもない破壊力を持つ灰のつまったひょうたんが川を煮えたぎらせ、不治の奇病を起こし、大地を焼き尽くすという予言である。1945年夏、ヒロシマとナガサキにひょうたん型の原子爆弾が落とされ数十万人の命が一瞬にして奪われたとき、ホピの宗教的指導者たちは黙っていられなくなった。予言によれば大いなる清めの予兆が現れたならホピは予言と教えを世に知らしめる義務があった。

 そこで1948年 新たに予言を調べなおし、広報官としてトマス.パニヤッカ師を任命した。予言はこう告げていた。あなた方は東の海岸に立つ雲母の館に行くだろう。三回 拒まれたとき あなた方は故郷に帰りそこで大いなる清めの日を待つことになる。その館とは国連本部と解釈されたので、同年 ホピの代表者は国連総会に出席を求めたが却下された。二度目の1973年にも拒否され、三度目の1976年になってようやくパニヤッカ師は演説を許された。ホピの予言が注目を集めるようになったのはこれ以降である。




九百九十七の昼  2005.11.26  子ども読書活動交流集会2005

 武蔵嵐山の国立女性教育会館(ヌエック)に行く。きのう 間際になって県立図書館に「埼玉県子ども読書活動交流集会2005」に参加を申し込んだのだ。 カタリカタリのメンバーは三つの小学校から成る。今日はそのうちのひとつ太田小の発表がある。足がつらいので車ででかけた。菖蒲から鴻巣、ルート254を西へ?進む。荒川を渡るころ、比企丘陵の晩秋の景色に目を奪われる。ちょうど定刻につく。顔見知りの図書館員さんや庄司さんやカタリカタリのひとたちと挨拶を交わす。

 発表は対称的な二校だった。鶴ヶ島第二小の発表者は読み聞かせ担当の教諭と鶴ヶ島市立図書館の司書さんだった。なんと鶴ヶ島市では各小学校に専属の司書さんが2名つくとのこと、市立図書館が6館あり、各クラスに市立図書館から一ヶ月300冊借りられる図書カードが配布されているとのこと、会場から嘆息が洩れる。

 終ったあとで行政の支援体制、方針が変わったきっかけを訊いたら、12年前、前市長が市政の舵取りを始めてからとのことばに納得した。前市長はよほど見識のある方だったのだろう。わたしたちは子どもたちを育もうという強い意志を持つ首長が現れる千にひとつの僥倖を待つしかないのだろうか。パソコンを駆使し、パワーポイントでつくった画面をプロジェクタで写してのプレゼンテーションはわかりやすかった。

 久喜太田小の活動は、あまりに本がなく設備が貧弱な学校図書館を見かねて、まず図書の整理からはじまった。甲斐さんというひとりのおかあさんの想いから発したのだ。図書整理ボランティア、貸し出しボランティア、読み聞かせボランティアの3つのグループが活動している。発表は図書ボランティアのおかあさん9名ひとりずつ順番にした。ブックトークの実演もあった。発表の導入と最後につかった手袋人形とパネルシアターはカタリカタリの例会でつくったものだったのですこしうれしかった。読み聞かせをしているメンバーとそうでないメンバーでは説得力に大きな差があったが全体に見事な発表だったと思う。

 ふたつの発表を聞いて行政の手厚い手当てで恵まれた環境での活動とまさに草の根のなかで自発的に母親たちの手で切り開いてきた活動の違いを考えさせられた。同様にカタリカタリの活動について、ここしばらく悩んでいたことも浮き彫りになった。わたし自身は語りに特化した例会にしてしまおうか...と逡巡していた。...というのはカタリカタリのメンバーが語りの魅力に惹かれ語りが深くなってきたひとたち、カタリカタリで身につけたことを読み聞かせに生かそうとするひとたちに二極化してきたのにもよる。

 読み聞かせ中心のひとたちは参加する日数が少ないので毎回出席しているひとたちと比べて進度に差がついてしまうこともあり、ますます来にくくなる。ワークショップだけに参加する傾向もある。.しかし たとえ良いとこ取りだろうとそれが子どもたちのためになるのであればそれでもいいではないかと今日思った。午前の基調講演は聴けなかったが竹内セ氏のレジュメに図書館の役割は「人の自立を援助する」とあった。わたしは語りとはひとの生命を輝かせるものだと思う。生きる力を呼び起すものだと思う。それならば、語り手を育てるだけでなく、もっと裾野をひろげてもよい。ただ心配なのはそれだけの時間があるかどうかということだけだ。

 庄司さんを乗せて久喜に向った。庄司さんはひやひやしたと思うがとにかく送り届けられた。会社に行くと11/29の環境展にうちでつくった炭を出展することが決まっていた。A金属にTELして世田谷解体の話し合いをすることにした。さまざまなことが怒涛のように進んでいる。

 それにしても選書の段階でなにをたいせつにしているか、なにをめざしているかめざしていないか浮き彫りになる。鶴ヶ島第二小の読み聞かせリストを見ると圧倒的に創作の絵本が多かった。


 ホピの神話は朝までにUPしましょう...できるかな?



九百九十六の昼  2005.11.25  復活

 早朝 自治医大にむかう。敬の運転 助手席に夫、そしてわたし。考えてみれば親子三人の組み合わせは20年振りのことだ。幼かった敬と....まだ若かったわたしたち.......。視力検査、瞳孔を開かせるための点眼、そして診察。教授は手塚治虫の描くランプに似ていた。

 左目の視力はほぼ戻ったとのこと。右目の手術は1/24に決まった。それから板倉にまわった。となりの借りた建物のなかも炭がほしてあった。古河の田中さんが機械のエンジンをとりかえていた。きのう橋本さん、小出さんが見えたとのこと。工場の中は整然と片付けられ、いよいよ袋詰の準備に入る。そして遅れていた燃焼実験に入る。

 会社に戻り、わたしは春日部に行く。夜 会社の鍵を忘れ家に取りに戻ると かわいそうだから...と言ってついてきてくれる。会社の庭で樹木を眺める後姿に声をかけかねる静寂があった。それから惣のアパートに ルイの顔を見にゆく。かずみさんはルイを抱いてほおずりしあやす。こんなかずみさんを見たことがあったかしらと思う。強がりをいっても視力が戻るというのは、口には出せない歓びなのだろう。けれどもわたにはひしひしと背中を押すものがある、胸に迫るものがある。見えるようになったということは偶然ではない、契約の証なのだ。


九百九十五の昼  2005.11.24  おはなし会(ホピの神話その弐)

 年少さん今年はじめてのおはなし会、夕べから緊張して落ち着かない。もも組さんで子どもたちにに「赤頭巾ちゃん出ておいで!!」と呼んでもらって袋のなかをガサガサしていたら赤頭巾ちゃんを家においてきてしまったことにきづいた。「みんな、ごめんね、赤頭巾ちゃんは今日はおうちでお留守番みたい」まっさらになってしまったプログラムは子どもたちの顔を見ながら立てなおした。

 この年少さんは中央幼稚園でおはなし会をはじめてから第三期の子どもたちである。今までに無く3つのクラスに大きな差がなかった。子どもたちは実にすっとおはなしのなかにはいってきた。コカのカメもようやくわたしのかたちになって、「負けるもんか!コカのカメはあたまを出しました。手を出しました。足を出しました。それからしっぽを出しました。」...のところで子どもたちの目がキラキラ光る。

 ふだん お母さん方の読み聞かせを聞いているせいもあるのだろう。身を乗り出してびんびん集中してくる。終ったあと誰ということなく おはなしありがとう...という声。またきてねの声に送られて。25分×3クラスのおはなし会を終えて廊下に出ると年長さんたちが森さん、森さんと駆け寄ってくる。こんなとき ほんとうにしあわせだ。

ホピの神話その弐

 第三の世界 この世界で人類はふたたび増え広がり、生命の道の上を進み続けた。ひとびとは大都市や国々 大文明を築くほど急速に発展した。しかしひとびとは創造主の計画にしたがい創造主を賛美することを忘れ ますます自分たちの地上的な計画に取り込まれるようになった。かれらは創造の力を邪悪で破壊的な方向に向けた。パツボタをつくり空に舞い上がらせ これに乗ってたくさんのひとたちが他の都市を攻撃した。

 もちろんひとびとのなかにははじめに授けられた知恵を持っている者もいたが、今回はソックナングがクモ女のところにきてこう告げた。「今度は最後まで待つ必要はない。今すぐ手を打たないと心のなかで讃歌を歌っているものたちですら汚されて滅びてしまうだろう。ソックナングの指示とおり クモ女は葦を切り そのなかの空間に人びとを入れ、少量の水と食料を入れて封印した。ソックナングは地上の水の力を解いた。

 すると、山々よりも高い大波が陸地を襲い、陸という陸は破壊されて海中深く沈んだ。雨はなおも降り続き、波は荒れ狂った。中空の葦に封じ込められたひとたちは長いあいだ、いつ終るも知れぬほど長いあいだ、海の上を漂い続けた。見わたすと自分たちがかっての最高峰の山の峰にいることがわかった。第三の世界でただひとつ残された場所にかれらはいたのだ。

 


九百九十四の昼  2005.11.23  休日 (ホピの神話その壱)

 休日、今日は櫻井先生のコンサートだった。行きたいけれど右足が思うように動かないので無理だと思いつつ、なかなか諦められないで うずうずしていた。車にナビがあったら...行ける........知っているひとたちもきているだろう.....会いたいと思いながら 痛む足をいとい お風呂に入ってみる。 あまり練習はしない......ものがたりに馴れてしまい新鮮さを感じなくなってしまうと なぞってしまうから........だが先日のカタリカタリのみんなの語りを聞いたら、できあがったものを持っていかなくては恥ずかしい気がして お風呂のなかで語ってみる。夕食は早い時間にガストから運んでもらい なにもしないで娘たちとのどかに過ごした。

 ホピはもっとも古い北米のインディアンの部族である。ホピの神話は口承で伝えられた。

 最初の世界は無限宇宙だった。そこには創造主タイオアしかいなかった。始まりもなく終わりもなく、時も空間も生命もカタチもなかった。無の世界のみがあった。無限者・創造主はソックナングを創造し現しめ「わたしは無限宇宙のなかに生命を造る計画を遂げるためにおまえをつくった。さぁ 行って互いに調和して働くよう、宇宙を秩序正しく整えるがよい」と言った。

 ソックナングは九つの宇宙をつくり水と風をおいた。つぎに女を創造した。名をコクヤングティ(クモ女)という。クモ女は土から双子をつくった。右の者ポカングホヤは地球をくまなく旅して命じられたままに高い山を固めた。左の者パロンガウホヤは地球をくまなく旅して命じられたままに声を響き渡らせた。南極を貫く波動中枢のすべてが彼の呼び声に反響し全地は震え、宇宙は共鳴して揺れた。こうして彼は音を情報を伝えるためのそして万物の創造主への賛歌を響かせるための道具とした。

 ポカングホヤは北極にパロンガウホヤは南極に送られ世界を秩序ただしく回らせることになった。そこでクモ女は今度は赤・黄・白・黒という4つの色の土をつかって ソックナングそっくりの4人の人間をつくった。つぎに自分の姿に似せて4人の女をつくった。ところが最初の人間たちは話ができなかった。そこでバロンガウホヤは全宇宙に知らせた。われらの伯父ソックナングよすぐきてください。あなたが必要なのです。

 大風とともにソックナングは彼らの前に顕れた、「わたしはここにいる、いったいなにごとか」クモ女は頼んだ。「どうか最初の人間に話す力を与えてください」そこでソックナングは人間たちに互いの違いがわかるよう肌の色に従って違った言語を与えた。次にこのように告げた。「わたしは、あなた方が生き、しあわせになるためにこの世界を与えた。ただひとつあなた方に求めることがある。いついかなる時も創造主を尊ぶこと。それがあなた方が成長し、生きている限り忘れられることがないように」 こうして最初の人間たちはその赴くところに行き増え始めた。最初の人類は純粋でしあわせだった。彼らは肌の色も違い、ことばも違っていたが、ひとつのように感じ話さなくても互いに理解できた。

 だが、創造主を敬えというソックナングとクモ女の命令を忘れる者たちがしだいに増えてきた。彼らは創造主から与えられたものを地上的な目的のためにだけ使うようになり、創造の目的を遂行するという初めの目的を忘れ去った。そして 動物と人間との違い 肌の色とことばの違いを確信するようになり分裂と戦いが始まった。だがそのなかにも創造主の法則によって生きつづける僅かなひとたちがいた。かれらのもとにソックナングは大風の音ともにやって来て云った。

 「あまりにもひどいので、創造主はこの世界を滅ぼして新しい世界をつくることに決めた。あなた方はわたしの択んだ者たちである」択ばれたひとたちはソックナングの言いつけとおり昼は雲、夜は星に導かれ旅をした。多くの昼と夜をへてひとびとは集まり 彼らは違う民族であってもおなじ心を持っていることを知って喜び合った。ソックナングは顕れて云った。「全員 揃ったか。あなた方は世界を救うためにわたしが択んだひとたちである。ついてきなさい」彼らを地の底に隠すと創造主の命によりソックナングは世界を火によって滅ぼした。世界に火の雨が降った。すなわち火山の口を開いたのだ。火は下からも上からも噴出し地も水も風もすべて火の元素一色と化し神の子宮で生きているひとのほかは何も残らなくなった。第一の世界トクペラはこうして滅びた。

 長いことかかってついに第一の世界は冷えた。ソックナングはそれを清め第二の世界を創造し始めた。海のあったところは陸、陸のあったところは海にかえて地上のようすを一変させた。「わたしのつくった第二の世界にはいりなさい。前ほどは美しくないがそれでも美しい世界である。増え、しあわせに過ごしなさい。しかし 創造主とその掟を心にとめなさい。創造主に対する賛美の声が聞こえるうちはあなた方はわたしの子であり、わたしに近い」ひとは自分の仕事に励んだ。家を建て、村ができ、その間を結ぶ道路ができた。手でものをつくり、食料を集めた。つぎに交易をはじめ互いにものを売買しはじめた。

 問題が起きたのはこの頃である。必要なものはすべて第二の世界にあった。ところがひとびとはそれ以上のものを求め始めた。ひとびとは不幸なもののためにますます交易を進め 得れば得るほどますます物をほしがった。ひとびとは創造主へ賛美の歌を歌うことを忘れ、売り買いし蓄えた物を賛美しはじめた。やがてひとびとは争いはじめ村同士の戦いがはじまった。それでも どの村にも創造主の歌をうたいつづける僅かなひとたちが残っていた。

 ある日不意にソックナングが顕れた。「あなた方の糸が切れかかっているとクモ女が訴えてきた。悪しきことである。あなた方を地下に移して第二の世界を滅ぼすことにする。」こうしてソックナングは人々を安全なところに隠すと、北極と南極を守っているポカングホヤとパロンガウホヤに命じて持ち場を離れさせた。世界はバランスを失い、回転が狂って山々は大音響とともに海になだれ込み海と湖は地上に覆いかぶさった。そしてそれらが冷たい生命なき空間を巡るあいだに世界は厚い氷に閉ざされた。こうして第二の世界トクパは終わりを告げた。

 第二の世界を形成していた元素のすべては、長いこと生命の無い氷のなかに閉ざされたままであった。ついにソツクナングは双子に両極に戻るよう命じた。大きく身を震わせながら惑星はまた回転し始めた。地軸の周囲を滑らかに回転し宇宙の軌道に乗せると、氷はまた解け始めて温暖になった。ソツクナングは第三の世界の創造を開始した。大地と海を整え、山々と平原に樹木を繁らせ、あらゆる形の生命を生んだ。

 こうして地上にひとが住めるようになると、ソツクナングは大風とともに顕れこう云った。「扉を開けよ、あなた方が出てゆくときが来た」「わたしはあなた方がこの新しい第三の世界に生きるよう、あなた方を救った。だが、あなた方はふたつのことをいつも覚えておかなければならない。まず、わたしを尊び、お互いを尊ぶこと。そして第二に山々の上から調和に満ちた歌を歌うこと。創造主への讃歌が聞こえなくなったそのときは、あなた方がふたたび悪に陥った時である」

 こうしてひとびとは梯子を伝って第三の世界に出現した。
 



九百九十三の昼  2005.11.22  一歩二歩

 25日は幼稚園のおはなし会だ。でも朝から病院に行かなくては.....どうして語りのスケジュールが夫のことや仕事と重なるのだろう.......わたしはほんとうに語りをしていていいのだろうか.....ひんやりした危惧.....幼稚園にTELしたら快く24日に変えてくださった。

 明け方までカタリカタリの新しいちらしをつくっていたせいか、右足が痛くて歩くのがつらい。外回りの仕事をHさんに頼んでみる。セコム来社、10年前の古いシステムから最新のに変えても月の料金は変わらない、化かされた気分である。モデリング来社、壊れてしまった携帯をわざわざヴォーダフォンのお店に持っていって新しい機種ととりかえてくれた。新型はゲームもできればカラオケもできる、写真もデジカメくらいのが撮れる。財布になるのもあるそうだ。

 銀行の担当来社、そして4時、古河来社、機械販売の覚書を持ってくる。缶の収集、医療産業廃棄物の灰収集の話もくる、県のイベントの話も進む。先だっての答えが返ってきた。古河にとっても悪い話ではあるまい。パートナーになれるだろうか。大手に取り込まれないように気をつけながら慎重に進もう。

 販売管理費、借入金、等々の見直しを進める。ようやく新しいソフトで請求書が出せるようになる。損益が出せるようになれば、一気に加速する。管理部は経理の枠をもっと越えられる。わたしがどう会社を変えてゆきたいか、まだみなにはわかるまい。それには正しい損益を早く出すことが必要なのだ。これは冒険だ...と思う。成功するかどうかわからないが、仕事をするからには ただ昨日とおなじ道を行きたくはない。よりよく、高く、理想は果てしがない。

 夜 連絡会 2.3日まえ 現場で手指の粉砕骨折があった。1週間ほど前は首都高でもらい事故、安全は健全な経営のための三本の柱のひとつだ。大事故が起きる前に安全大会を開くことにした。入力は非常に精度があがった。Hさんはなにをしたらいいか気づきはじめたようだ。そうなのだ。すべてはそこにある。ヴォイスのレッスン、語り、仕事、生きること.....の一切はつきつめれば、気づくことのためにある。

 土木の動きがわるい。仕事が少ない。利益も少ない。古参の社員に、言うべきことは得意先にも下請けにもきちんと云わなければいけない。誰しもよい人だと思われたいが、相手の顔色をうかがい言いなりになるのは必ずしも相手のためにならないし なにしろみなさんはこの会社で生きているのだから、まず会社の存続のためにできることをしてください.....と話した。


九百九十二の昼  2005.11.21  プロじゃない

 今日は労務の支払日、そして老人会25周年で呼ばれている日、それから病院に行く日、とりあえず朝病院にTEL、老人会のわたしの出番を1時間半ほど早めてもらう。それから労務の振込みをする。

 11時半にふれあいセンター、式典が終ったところだった。ゲームをしてからおはなしのつもりだったが、会場の都合で先におはなし。手遊び、参加型、それから 朝、おはなしの組み立てを考えたとき、考えもしなかったのに 今日も芦刈にした。夫婦の話を語りたかったのだろう。
1/8拍くらい早い気がした。速度ではない。聞き手の反応を感じて次に進むタイミングがである。どこか気持ちが焦っていた。気持ちのうえではプロ同様でありたいと口にしているわりにはまだまだプロじゃないなぁと思った。しんとしたあとで みんなで輪になってゲームに興じる。最後に12/2カタリカタリおはなし会の紹介をする。それから車に乗って駅に、電車に飛び乗り自治医大に向う。先に息子にかずみさんを送ってもらっていたのだ。

 金曜の夜 夫の両の目が見えなくなった。土日は大学病院は休みでなんともしようがない。驚きはなかったが、炭化システムを軌道に乗せようという今 この時に!? 今 この時だからなのだと思った。最悪の場合を想定して、それでもやってゆけないことはないと腹をくくる。だが あまりに痛ましくて週末はそぞろだった。

 病院で若い先生から説明を聞く。担当医は結婚なさったそうで休診とのこと.....若い先生ばかりで心許ない感じもする。検査をしたところ、安静にして血液が流れてしまうのを待つか、手術で血の塊りをとるしかないとのこと。25日に教授の診察を受けて決まるとのこと。待つしかないということか。

 それでも、きのうおとといの状況よりはましである。わたしは自分にできることをしてみた。そして夜中、有難いことに夫の視力はテレビの字幕が読めるまで回復した。あと三日できるだけのことをする。

 老人会の方々に申し訳ない気持ちでいたが、評判はよかったとのこと、ほっとする。近いうちに時間をいただけるものならいただいて心の底からよかった、楽しかったと自分でも納得できるおはなしをしたい。



九百九十一の昼  2005.11.20  ひとつたなくとも日は暮れる

 たよりない冬の日ざしも 沈んでしまえば在り難さがわかる。あとはしんしんと冷え込むのみ、長い夜がくる。

 古浄瑠璃正本集が届いた。福島から大根、漬物、塩漬けにした茸が届いた。あすはなにを語るのか、考えもつかない自分がいる。

 目の前には細い道がひとすじあるだけだ。足もとだけはほのかに明るい。今は杖も棄てる。遠く近く聞こえていた足音もやがて絶えるだろう。オリジナリティの確立、深く深く、深いところから息を。伝えるものはここにある。手をのばすと降りてくるはず...。やがて地平にひとすじの白い光が朝(あした)を連れてくる。

 

九百九十の昼  2005.11.19    こぼれる冬の陽

 神保さんからきのうの”ラヴユーフォーエヴァー”についてメールをいただいた。うれしかった。そして安西さんから”私的大島弓子論”を読んで感じられたことを掲示板に書き込みいただいている。こんな賑やかなことはカタリカタリのささやかな歴史のなかでもあまりなかった。

  夜な夜なわたしはPCに向かい、どこのだれとも知らない方に向けてキーボードに指を走らせてきた。時おり芝居の方や漫画の方、またジャズをお好きだったり、ジャズ喫茶シャルマンを愛していた方々からメールをいただいたり、浦和物語を読まれた方から連絡をいただいたり、そんなときはとてもしあわせだった。ひとりではない気がして......

 以前、Oの会の代表渡辺さんと語りと朗読についてメールでお互いの意見を述べ合ったときもおもしろかった。論争のうちに見えてくるものがある。相手の立場、そして語り手としての自分のポジションが次第に明確になってくる。漫画についての安西さんとの掲示板でのやりとりのなかでも、どうしても交叉しないところも明らかになるが、同時に自分がどこにいてなにを目指しているか、過去に惹かれたもののいったいどこにひきつけられたのか気づかされて 驚いたりした。

 じつはものごころついてから、ずっとずうっと 求めるものは変わっていなかったのだろう。生きるということは自分の本来の姿、自分があるべきものにむかって行くということなのかもしれない。文学とどうよう漫画にもながいこと関わってきたのだけれど、そこで得たものが今の自分の語りのなかに根付いているとわかったのは愉快だった。

 わたしはほんとうは語りについて研究セミナーの仲間やほかの日本中の語り手たちともっと想いをぶつけあいたかった。たぶんわたしがここに書いていることに賛同なさる方は少ないのではないかしら、そうじゃない、わたしはこう考える ここはこうじゃないか....ってもっと意見を交わしたかった。鏡がほしい。変わってゆくためには自分を写す鏡がおたがいに必要だと思う。

 けれども ここにきてくださる方を立会人として わたしは自分と向かいあうことができた。千の昼は鏡ともなった。時間のゆるすかぎり 自分の語りを高めてゆこう。深いところから語る。息で変える。もっとあざやかに 芳醇に きめこまやかに 寄り添うところは寄り添い 俯瞰するところはそのように......。  柱のように立つ。



九百八十九の昼  2005.11.18   母と子

 リサちゃんが運転免許をとりにいくので ルイをあずかった。ひざしは
穏やかで 風もない。おぶって公園に行く。おばあちゃんの公園デビューである。緋や黄の枯れ葉が音もなく舞い落ちる。ルイに手白の猿をはなしはじめたら、近くの施設のひとたちが介護者と散歩に来た。あゆみちゃんというやさしそうなおねえさんがルイにさわりたそうにしていたので、だいじょうぶよ、手を出してみて と云う。ルイはこわばって不自由なあゆみちゃんのひとさしゆびをギュっとつかんだ。じっと見つめている。メグちゃんもきた。そう、たくさんのひとたちとふれあって生きてゆくんだよ。そのまま家まで歩いていったら 近所の方たちが寄ってくる。赤ちゃんて不思議な力があるね.....見ているだけで元気がでてくるね.....という。

 そのあと 道場に行く。わたしと惣とルイのものがたりをかんがえるまえにラヴユーフォーエヴァーについて、どうして違和感があるのか考えていた。美しいといえば美しいのだが、どこか変なのだ。夜中に息子の家の窓から入って成人した息子を抱く.....子別れできない母のおはなし....どうみても無理がある。そして 母のつれあいはどこにいる? 息子にも妻がいるはず.....なぜ息子の子どもは男の子でなく女の子なのか......このものがたりの視点はどうみても女の視点ではない。作者は男性だったかしら。母への愛慕にしては過ぎる気もする。男の深層意識におけるセクシュアルなおはなし.....わたしも神保さんの語りでは胸がつまったが、あの話で泣けてしまうのは.....ひとのどの部分なのだろう。  

 惣の自立は 母親のわたしに促されたのではない。リサちゃんの力である。もちろん必要なときに親としてサポートはしてきた。息子たちにガールフレンドができたことを知ったときから息子たちから手をひいた、すがりつかなかったことはひそかに誇れるかもしれない。わたしは母の轍を踏むまいとずっと思っていた。

 昔話にはさまざまなメッセージが織り込まれている......魔法のオレンジの木から考えているのは なぜ継母なのか である。生んだ母も 継母もおなじ母の二面性なのではないか.....子どもを守る 子どもから奪う 子どもに固着する 子どもを巣立たせる その役割をふたつの母に分けたのではないか......

 それから 手白の猿 手が白いとはすなわち人間の子を意味するのではないか  拾ったのは捨て子か迷子で それが実の子が生まれたので子守りをさせたあげく失敗したのをなじり苛めた  のではないか  おばあさんに赤ん坊が生まれるはずはないから 民話でおじいさん おばあさんというのはおとうさん おかあさん 働き盛りのふつうの男女をさしているのではないか   それではなまなましいからおじいさん、おばあさんになっていったではないか......そんなことを考えながら家に帰ったら たいへんなことが起きていた。

「月影や四門四宗もただ一つ」 

九百八十八の昼  2005.11.17   なぜ 語るの?

 カタリカタリの発表会のチラシと新しいお客さまに持ってゆくチップと炭化のチラシを印刷した。朝 会社に向う車のなかで 突然わかった。なぜ、語るのか......今日はカタリカタリの例会、おはなし会のプログラムを決める日だった。最初に音声にものがたりを乗せる、ものがたりになにをのせる?という話をした。本を伝えるのではない、物語をただ伝えるのではない、そのモノガタリに込められたなにかに自分の命のあたたかみも乗せて魂から出ずる肉声で伝えるのだ。

 それからおはなしを聴いた。Oさんのへびくん、かえるくん、Nさんの娘とやまんば Jさんの絵に書かれた娘 OHさんの沙羅の花、Hさんのいもをころがす OTさんの空中ブランコ乗りのキキ Sさんの星の銀貨 キキを聞いてもうこらえきれなくて涙が滲んだ。みんなほんものの語りだった。それぞれの持ち味がふわりと贈り物のように心に舞い降りる、滲みいる。二年でここまできた。カタリカタリをはじめてよかった。今日はこられなかったSSさんのべっかんこおにとわたしの朱雀門、九つのものがたり....とてもよいおはなし会になるだろう。

 終ったあとで なぜ 語るの?と訊いた。カタリカタリに来ると元気が出る、生きる力がわいてくる....というこたえが返ってきた。そうだよね、生きる力....生命に輝きが戻る、甦る感じがするよね.....わたしは語りを知って生きることが前より楽しくなった、元気になった。だから語ることをみんなに伝えたかった。.....それでね......子どもたちにも語るよろこびを伝えたい....地元で先生方に働きかけて。........ひとは生涯にどれだけのものをひとに届け、伝えられるか.が問われると聞いたことがある......どうかみなさん....学校でもっと語って.....子どもたちに伝えて....先生方の心を揺り動かして.....わたしたちの手でワークショップを開こう、語りを広めよう。生きる力が甦り 命がきらめくように。

 メンバーのSSさんは中学校で週一時間語りをはじめた。子どもたちは語りたくなって 幼稚園でちいさい子たちに語った。輪が広がる。かならずできる。カタリカタリは一歩踏み出す。どうか おはなし会にきてください。聞くひとも語るひともほんのり生命がかがやくような おはなし会になるでしょう。





九百八十七の昼  2005.11.16   子どもたち

 暁 息子を桶川に送る。真白の月が中空にあって行く先を照らしている。やがて東雲、かすかに地平が明るくなり、ぐんぐん明るさを増して、たなびく雲は朱に輝く、そして日輪の円環の端が雲から黄金の光を放つ。見る間に躍り出る日輪。朝(あした)が来た。 日の出を間近に見ることは少なくなったが、毎朝 頭上で荘重なドラマが繰り広げられているのだと不思議な気持ちがした。

 7時過ぎ、惣が会社にきていないとTEL、社員さんの話ではリサちゃんが実家に数日帰ったままだという。知らなかった。会社には向ったようだったのでほっとする。

 9時50分に見えたお客さまは奇妙な方だった。Jさんの紹介だったのでおそらく...とは思っていたが。ひとには格があり、相応なひとがまわりに集まる、これはビジネスを通してわたしが知ったことのひとつである。子どもたちのために福島に休暇村をつくりたいので、お金を出してくれまいかという。○○会社のだれそれ社長を知っているというような話が多い。

 娘の三社面談に川越までゆく。遅刻がおそらく学年一位とのこと! 国語の力が秀でている。進学クラスへ進む方向に行ったらどうかとのこと。帰り川越の大戸屋で娘と遅いお昼、九穀雑炊、胡麻のブリュレが美味しかった。成城石井で 発酵バター 今田のマヨネーズプリンスチャールズのプロデゥースしたショートブレッドなど買った。ショートブレッドは美味しかった。

 日本の皇室でもプリンセスマサコの英語レッスン とか美智子さまの子守唄とかプロデゥースしたらよろしいのにと思った。才能ある方々を鳥籠に押し込めるのは勿体無い。美智子妃も雅子妃も決して弱い方ではないのにノイローゼで苦しまれるのは皇室に人間的でないものが多々あるのではないか、自然な表現を阻害するものが.....と思ったりする。

 帰ると息子は車のところまで出てきて運転免許がとれたとのこと。途中で自動車学校にぱったり行かなくなったり、再入学して卒業したら 今度は桶川の免許センターに行かないはで....実に5年越しの免許取得である。夜、会社の帰り ルイはいるかしらとのぞいてみたら、リサちゃんと3人 しあわせそうにしていたのでよかった。忙しくても たまにルイの子守りをして すこし自由にしてあげないと煮詰まってしまう....と反省する。



九百八十六の昼  2005.11.15   まだ傷ついたりする

 早朝、会社で残りの給与5人分を送信、きのうはいそがしくて全員のファイル送信ができなかった。それからカッター車の後を追って122号の現場へ向う。6工区のうち5工区のカッターをうちのお得意さまが施工する。20cmから30cmの深切りである。その現場の写真をHPに載せたいので撮りに行ったのだ。銀行に行ったり来客と会ったり気ぜわしい一日だった。

 営業の実績グラフのことでもっとわかりやすく...と注文をつけたところ、これ以上はできないといわれた。自分で作ったほうがよっぽど早いがここは我慢、我慢。夜全体会議、社員だけで15人数えた。これだけの人間そして家族、他に常用や下請けさんがこの会社で食べている。10月の損益を見て感想をひとりひとり語ってもらう。

 11月の損益を見る。あきらかに仕事が足りない。正月前にこんな売り上げでどうするのといいたいところ。販売管理費をどうやって切り詰めるか。ひとを減らすというリストラは避けたいが 場合によっては仕方がない。F社の営業に機械設置完了の判を押すのはいいが、3%のことも書面にしてくれと話した。相手は傷ついた顔をした。ひとりの営業との口約束ではわからない。信用して結果として騙されるのはいやだから言うべきことはすべて言った。

 奥さんのひととなりがわかった....と言われた。ふ〜ん こんなことでわかるのか、わかってたまるかと思った。わたしは会社とここにいるひとたちを守るためならなんだってする。それならあなたのひととなりもわかった。機械を売るためならなんでもする。イヴェントに人も出す、金も出すという...それなのに忘れていた 3%のことは。
まだ傷ついたりする。


九百八十五の昼  2005.11.14   祭りのあと

 夜10時まで会社でホームページのコンテンツつくり 給与計算 など。8月のリース代 337万を300万に負けてもらう。粗利10%としてこれで370万の仕事と同じである。眠い。ルイの顔を見に寄った。可愛い!!天使だ....今のところは!!惣のところにあったホワイトフィールド(チビ猫)のカチューシャを強引にいただいた。「おかあさん 会社でこれをして仕事をしよう」と言ったら、....それはやめたほうがいいと思う.....と真顔で言われた。

 いつまでも ずうっと....を自分のものがたりにしてしまいましょう。わたしと惣とルイのものがたりに.....それからエリザベートに取り掛かりたい.....。からだのなかでエリザベートが息づいてきた。寝言がエリザベートだったそうだ。もうすこししたら さなぎから変容する.......最後のシーンが最初にできた......もうすぐテキストに起こせる。

 そうしたら次は神話と予言の世界へ.....そのまえに老人会で楽しく遊ぶプログラムをたてること。佐藤涼子さんが語った歌う悪霊は語り手心をくすぐるお話だ。前回 櫻井先生もなさったと会津の方から聞いた。語ってみたいけれど......いつかは..........ただ恐怖のものがたりにはしないで........カタルシスのある話にできる時がきたら.....。

昇る陽(ホテルの窓から)

懇談

有隣館(二胡の演奏)

 

九百八十四の昼  2005.11.13   坩堝(桐生語りの小祭二日目)

 朝食後有隣館に移動、館長の二胡の演奏に耳を傾けたあと味噌醤油蔵にて語りを聞く。昼食後解散、自転車を借り紹介していただいた水連という店を捜して、神保さん、大川さんと三人で出発。さすがは織物の町桐生、聞き手の若いお母さんが長めの羽織をコートのように羽織っていたのがなんとも粋で、思い立ったが吉日と出かけたのだ。

 目当ての店で神保さんは紅絹をみつけ、わたしは銘仙の羽織と男仕立ての袴を手にする。羽織はグリーンにピンクの薔薇だか芍薬だかを散らしたもの.....さて、帰りがたいへん、自転車を返す場所をようようみつけ、船橋に帰る大川さんをタクシーに見送り桐生駅に向う。レールをあいだに隣り合わせの電車とホームで缶のホットココアで乾杯、富山に帰る神保さんと別れた。

 小祭は語りの坩堝であった。思わず後姿に手を合わせたくなる素朴な語り手もいたし、新しい語り手もいた。そしてそのスタイルの多用なこと。この場は開かれた場所であるがここに書かれたことはわたし自身の思いである。わたしは自分の目指す語りを検証するためにのみ書いているということをお読みになられる方にはご理解いただきたい。

 さて、ひとは生涯において,語りでも歌でも芝居でも文学でも、そして生活すべてにおいて、どれだけのものをひとに届けられたが....問われるとわたしは思っている。数を問はれはしないだろう。むしろ質である。なにを届けるかさまざまであるが、ひとの命を輝かせるもの.....をと一応限定しよう。....それはひとことのことばであったり、一杯の水であったり美味しい食事であったり、時には幾ばくかのお金でさえあるかもしれない。

 そのなかでたとえば、わたしは櫻井先生の語りを聞いて、語りに惹かれ、生活のなかで語るうち 自分がなぜここにいるのか、なにをすべきか徐々に気付いた。これはものがたりが語られる4.5分のことではない。ひとりの人生の長きにわたってほのかに命を輝かせるのである。.......わたしはそういう語りがしたい。そのために自分の語りの質を高める、それは後述するが自分自身の人生の質を高めなければ成り立たない。そしてそのうえに、後につづく若いひとびとに贈り物を残せたら......

 語りは音声に物語を乗せるが、ものがたりを届けるのではない。語ることでモノ(霊的なるもの)....目に見えないメッセージを届けるのである。そのメッセージとは、おそらくその語り手がその物語に打たれ語ろうとした動機のなかにある。たとえばやさしさ....とか美しさとか..... 

 だから、そのものがたりを語ることが自分の癒しの範囲に留まっているとしたら、それはただ過程にすぎない。.......といってもそういう語りが小祭にあったわけではなく まさに祭であって楽しい語り、しみいるおはなし、怖ろしい話を堪能した。そこでスタイルに戻る。聞き手の魂に響かせる、命を生き生きさせる、これを物語性をぬきにして響きだけでできるひともいる....その優しい語り口だけで伝えてしまうひともいる.....

 そういうことができるとは思っていなかったのでそれはわたしに強い印象を残した。スタイルにしてもすでに自分のスタイルを持っているひとも、模索中のひともいるが、破天荒なところが強烈な印象を残すひともいて、技術やスタイルが心に届けることの決定的な要因ではないことも自明である。

 その場所で、わたしは幾つか、自分で語ってみたいものがたりに出あった。おにはうち...小雀の冒険......いついつまでもだいすきだよ....おわりのふたつは絵本も出ていて語るひとも多いが今までユメユメ語りたいとは思わなかった。が、いついつまでもでの神保さんのやはらかな語り口は息子の家のドアとルイの顔に重なっていった。窓から入るのだけは語れないけれど。最年少の早乙女さんの小雀はいとしかった。つくられたものでない......強さ。物語が語り手の魂とシンクロしているとき、語りは力を持つ。聞き手のそのときとシンクロするとき、もっと力が働く。

 かくして 自分の課題が明確になる。自分のスタイルのひとつとは物語性をつきつめ、でき得れば聞き手にものがたりのなかに生きていただき そのなかでなにかを受けとめていただくこと。そのための課題はいくつかある。それにもうひとつ現在幼稚園やデイケアでしている参加型、ゲームをとり入れた語りのスタイルをたとえば小祭りとかちいさなステージでできるか組み立ててみる。その3 生きている民話をやはらかく語る....ことを試みる....これは個人としてのこと。

 さらにひとつ 地元の幼稚園、小学校で子どもたちに向けた語りのワークショップができるよう、働きかけるカタチにしてゆく心つもりができた.。..
以上が小祭での収穫である。そしてそれにも増して数多の友人ができたこと.....語りを聞くとその方に寄り添う、近づいてゆける。なぜなら発する声は魂から出ずる。.いろあい もあたたかさも清明さも 志もしんと耳を清ませば聞き取れる。 みんな歩いている。日々のひそやかな歓び、絶望 希望と不安 それらが 語りを醸してゆく。 福島・会津で来年会える......あと一年のあいだにわたしは どこまで行けるだろうか。

 

九百八十三の昼  2005.11.12   桐生へ

 朝 モデリングの二人と会った。頼んであった会社のHPのTOPができたから、見てくれということだった。今日は会社は休みで事務所の中はひんやりしている。約束とおり9時ちょうどに来たふたりと11時頃まで話し合う。TOPはなかなかよくできている。

 急いで駅に向う。空はいつしか晴れている。小山での連絡が悪く少し送れたが、はじめの紙芝居から聞くことができた。小祭りは思ったより参加者が少なく(4.50人といったところか)味噌醤油蔵はしんしんと冷え込んでいたが語りは粒よりだった。聞き手のひとりとしては修善寺よりおもしろかった。また、語りは片岡先生がおっしゃったようにちいさな場所が相応しいのかもしれない。

 自分の番が近づいて衣装を忘れてきたことに気づいた。仕事のままのツイードのジャケットで平安の世界に誘うのははばかられ、黒のブラウスとオパールプリントのロングスカートに着替える。少し前 あぁいやだ、なんで語ることを引き受けたのだろう、逃げてしまいたい...と思うのはいつものこと。....芦刈...人前で語るのは久しぶりである。

 地のところがいつもより寄り添いすぎているかな.....二.三箇所滑る......が終ったあとほぅーっと嘆息が潮騒のように聞こえものがたりが、聞き手のみなさんのこころに届いたことを知った。ホテルにで懇親会、芸達者ばかりでおもしろかった。よく飲み且つ美味しい料理をいただく。そして夜語り、夜々語り、部屋は末吉さんと同室だった。夜明け近くまでひとりの語り手の軌跡を聴き感慨深かった。


九百八十ニの夜  2005.11.11  やすんでもいいから細く長く

 新しいシステムで請求書を出した。管理部のHさんに管理部の仕事、なかでも経理とはなにか、なにが求められているか 一生懸命説明した。請求書を出す、支払いをするのが真の目的ではないことをわかってほしかった。目的など知らせないでやらせたほうが早い、はじめは。 だが、仕事の真の目的がなにか知ってするのと知らないでするのとは先に行って大きな違いが出る。管理の仕事の最終的な目標はその仕事をしないですむようにすることではないかと思う。つまり自分で考え軌道修正できる人間に育て上げること。

 午後、中央幼稚園の年少の先生方からお呼びいただき、今後のお話会について打ち合わせをする。なぜ、おはなしをするか、これから社会に出てゆくこどもたち、荒波に立ち向かう子どもたちに失敗を恐れないでなんどもなんども知恵をしぼって挑戦すること、そうすればかならず乗り越えられるということをおはなしを通してなんどもなんども伝える。目に見えない美しい世界があること、大昔から口承で伝えられてきたたくさんのおはなしをやはらかな心に届けたい.....というようなことを話していくうちに、先生からも質問や提案がどんどんでてきた。

 毎日 おかあさん方や先生方がこどもたちに本を読んだり、おはなしをしたりしている。そのなかで森さんのおはなし会は子どもたちの心に残る特別なものにしたいということばを聞いて、わたしもずしりと責任の重さを感じた。そしてお母さん方もまじえてのおはなし会も企画された。保育園分園は別のプログラムを企画することも決まった。もう一歩踏み込んで語りを越えてなにができるか、もっと広く考えてゆくことになった。

 先生の方からすべてがこどもたちのためなのだから、おはなしをすることから踏み出して 子どもたちのためにしたいことを.....という今まで心の奥で望んでいた答えをいただいたのである。わたしの方からは、定期的に先生方と打ち合わせがしたいということ、場当たり的にでなく二年という長いサイトを踏まえ どのように子どもたちの成長をサポートしてゆけるかを考えながらおはなし会を展開したい旨 お願いした。 5人の先生と膝を交えて話し合えてほんとうによかった。ひとつドアが開いた。それから県立図書館で司書さんとお話した。

 夕方、ガロにパーマをかけに行く。小林君という若いインターンの子が「心をこめてシャンプーさせていただきます」といって洗ってくれた。杉山さんにワイルドにとお願いする。帰り古書の武蔵野書店に立ち寄る。三冊の本が目に飛び込んでくる。古神道について、ホピの予言、浄瑠璃集など。内容は目からウロコだった。古神道については後で書きたい。神道というと、つい国家神道とむすびついてしまい忌避しがちであるが、古神道は美しい世界である。ホピもまた。さぁ 細く ながぁく 途中でバリバリ休んでもいいから.......。

 口の悪い息子に「その髪型、ばあさん入っているよ」といわれ、めげる。明日は桐生、語りの小祭りである。


九百八十一の夜  2005.11.10   花の形見

 読み返してみると.....おー ここまで書くか....という感じの昨夜の日記。千に近づいてから もう恥も外聞もなく書きたいことを書いてしまふ。先生が御覧になっているとしたら「また、訳のわからないことを.....」 と思っていらっしゃるだろう。

 宝塚の宙組の和央ようかと花総まりの退団を聞いた。息のあった美しいコンビだった。ふたりともきれいな澄んだ声だった。愛惜の念やみ難いが こうして退団してしまうからいつまでも宝塚は新しくいられるのだろう。

 ヴォイストレーナーを捜していたら わたしが思っているのと重なる方がいたので申し込んでみた。とはツールにすぎません。そのうえにあなたが何を乗せるかということです。表現がなにかを知るひとが 自分の足りないところについて求めながらヴォイストレーニングをすると、声の面での表現を煮詰めていけるのです。そこで求められるのは完全無欠の演奏や発声ではありません、個性的にして普遍的ななにかが、醸しだされ、ひとの魂と邂逅することです。
 
日本の音声文化は、どんどん根っこがないものになってきています。日常の声そのものも、さらに説得力を持たない。個性を出さない、自分を主張しなくなり.......


 まず 伝えようとすること。




九百八十の夜  2005.11.9   五十年の孤独

 わたしは6歳から50歳まで 暇さえあれば本を読んでいた。多い日は一日に数冊読んだ。本屋に行くのは食事をとる、水を飲む、抱き合うとと同じくらいたいせつな基本的なことだった。新刊本のインクの匂い、古書店の埃と夕陽が混じりあった匂いにわたしは陶酔した。

 少女のころ、乾いた魂の渇きを充たすように本が必要だった。母はわたしの餓えを充たすため勤め先の高砂小の図書室から本を大量に借りてきてくれた。一方でわたしは埼玉県立図書館の児童室に12吋の自転車で通いつめた。父の書斎の旧仮名遣いの全集のなかから菊池寛、尾崎紅葉などなど、世界大観などのグラフ、暮らしの手帖、婦人公論までレミングみたいに食い尽くした。本の世界にいるとき、わたしは空腹も魂の飢えも感じなかった。音さえ聞こえず時間の感覚もなかった。

 外の世界は刺激に充ちて痛くチクチクとまだやはらかい肌を刺した。本を読んでさえいればザラザラする居心地の悪さを感じることもなく、突き通す視線や罵詈も聞かずにすんで わたしは夢とあこがれのなかにいられた。レ・ミゼラブルとマテオ・ファルコーネを読んだ10歳の頃からあこがれは矛盾と痛み、相対の地獄に徐々に堕し、30代.40代ともなると後ろに読んだ本の山が築かれるにつれ宝石のように思われる本当のことが記された透きとおるような本との出あいは減っていったのだが、それでも読まずにはいられなかった。ニコチンの血中量が減った煙草喫みがどの銘柄の煙草にも手を出すように。

 語りを知ってからわたしの読書量は漸減し激減した。月に数冊しか読まなくなり、本屋には行かなくなった。なぜかと問うてはこなかったが、必要がなくなったためである。なぜ、語ることはコップ一杯の透明な水のようにあるのか。未だわたしにはわからない。
 
 ただ語り手はそれぞれが(語りに)求めるものを確かに受け取ることができるのだと思う。わたしが求めるものは.....求めてきたものは自分の裡にある問いかけとあこがれ......孤独から救われること...である。愛するひと、家族とともにいてさえ、ひとは本源的な孤独から逃れることはできない。ただ目を逸らしているだけである。

 山下さんは芝居は最終的に監督も脚本も劇場もいらない。役者と観客がいれば成立するといった。そう、聞き手がいない語りは成立しないとわたしも思っていた。けれども渡良瀬で語るとき、目に見える聞き手はいはしない。それなのにこの透きとおった満ちたりた想いはなんだろうと思いを馳せたときわたしは........。

 空中に投げかける.....問いかけ。たとえば、深い渓谷から湧き出る海のような雲のような真っ白な霧、その合間からふと僥倖のように緑の谷の底近く 白い百合が見えるような、彗星を見に行った山中で厚い雲に覆われた隙間から忽然と星空が見えるような......刹那が語っているとき訪れることがある。

 見えるものは仕組みのようなもの ここに生かされていること わたしが透徹してわたし自身であるとき その一瞬 孤独に極まることから普遍なものへ収斂している ゆえに真に孤独でない許された存在として在っていいのだということが総身を抱くようにつつむ  この矛盾、罪と咎に彩られたように見える世界が実は精緻な均衡 揺るがせることなどさなきだに出来ない大いなる均衡によって成り立っているのだと知る....聖別された刹那があるためである。五十年の孤独、一千年の孤独さえ癒される刹那......

 名もいらない 成果もいらない それを得るためにすべてを賭けてもいいもいいと思える一瞬、しかしそれのみを求めてはいくら探しても行き着けない場所。そう....五年のあいだこのために語ってきた。数千冊の本もその極上の一部にカケラが記されているのみ その場所へ語りは刹那ではあるが一気に押し上げてくれるのだ。



九百八十の昼  2005.11.9   掌に溢るる......

 朝、わか菜を駅まで送って中落とし掘の川沿い、弓なりの道に車を走らせた。春は霞のような桜、夏は緑の樹影濃いこの道は、今、澄んだ秋の空に映えて紅葉、黄落が美しい。未だ世界はこんなに美しいのだ...と胸が迫って感謝でいっぱいになり そのまま祈った。

 給与計算を20分で了え、板倉の工場のとなりの傾きかけた廃工場を借りる契約に行く。お客さまを接待したあと、炭つくりに立ち会う。モノをつくるのはおもしろい。大の男が三人 嬉々として機械に取り組んでいる。配合比率をさまざまにして攪拌し押し出す。今日は径50ミリ、長く長く機械から押し出されてくる。カットして天日干しをする。

 おもしろくて後ろから茶々を入れたり、意見を出したりするうち日は傾いてきた。渡良瀬へ向かう。憧れがわたしの心臓を掴み手荒く揺さぶる。思わず歓喜の声をあげそうになる。   一番最初に来た時歩いてわたった橋を今日は車でわたる。一本の樹  ああ なんて美しい。車を停めて語ってみる。さわさわさわさわ 葦の風吹くなかで。

それから車を進める。これ以上進めない。停めて歩く。円形に木が立っている。中央に切り株がある。ひろびろした大地のむこうに葦のはらが広がる。沈み行く太陽、11月の光、謎を解く地図のように精緻に編まれた蜘蛛の糸、淡いみずいろの空、空を往く雲。 すべてわたしのものだった。一生忘れられない夢の時間........

 切り株に腰をおろしてふたつのものがたりを語った。風のなかで......落日の最後の黄金のカケラが雲間に消えるとき ちょうど ものがたりが終った。わたしはかすかな吐息とともに最上の語りのひとつをしたことに気づくともなく気づいた。朱雀門は....これから聞いていただくことで命をもってゆくだろう。けれど今日はこれでいい。



九百七十九の昼  2005.11.8  図書館にて

 美しい秋の日 蕎麦の実は穫り入れ間近、重みに地に倒れ伏している。ひよどりは梢に残った柿をついばみ 孤独な鷺の仔のか細いシルエットが生垣に伸びる。病院に向う夫と息子を駅に送る。ケヴィンをトリミングにと送る。

 午後図書館に行く。はじめて朱雀門を語る。あとで 友人が......よかったよ.....森さんのを聴いたあと、自分はいったい(語りで)なにをしてきたのだろうと思った.....という。法務局で改印しこれで本店移転が終る。

 夜 連絡会。わたしがこの会社でしようとしていることはひとつの賭けである。中小企業としては半端ならざる試みである。成否は社員ひとりひとりの覚醒、ひとりひとりが今の自分のあり方を越えられるか、変えられるかということにかかっている。

 カタリカタリも考えようによっては大いなる試みだ。静岡はほとんど一言一句病とのこと。自分のことばで語るという当たり前のことがとても遠い。カタリカタリのメンバーひとりひとりが枠を越え伸びてゆきますように 一方でわたしは一言一句限定されたことばで どれだけ異世界を眼前に呼び起こさせられるか 朗読ではなく語りでなくてはならぬ必然を証し得るかを朱雀門を語ることで試みている。

 後半 ことばはつまったが なにかが動いた。微かにゆびさきが震えてそこにわたしでないものがいた。もっと踏み込む。内に踏み込むことは踏み出すこと....まだ渚は現れていない。

 生協の日 ラム酒入りのチョコ ヴァニラアイスクリームがきた。


九百七十八の昼  2005.11.7  夜叉

 営業が「入金伝票は書きません」というので「大きなことをいうなら仕事をとってください」と答えた。低次元の会話である。「大きなことというのはなんのことか」というので「入金伝票を書くのが営業の仕事ではないというなら、未収売掛金の回収は本来経理の仕事ではない。自分のお客の回収をしてほしい、そして目標に近い仕事をとってください」といった。

 わたしは今日は300余万の未収売り掛けを回収すべく片端から電話をかけた。回収しないと20日に資金ショートになるので事務的に愛想良く的確に話を進める。半分は月半ばに片がつく。資金ショートも回避できそうだ。お客の質が営業の質に似通っているのは不思議である。自分に似たお客がつくのだろう。だらしない営業の客は支払いもよくない。

 長年のあいだ已む無く 焦げ付きの回収や処理をしてきた。営業の自覚が足りず頼りないためである。だがもうそのようなつまらぬことでたいせつな時間を費いたくはない。入り口でチェックすれば出口ではそう躓かない。営業の受注実績目標比較のグラフを貼ってきた。未回収グラフもつくってしまう。10年営業をして一ヶ月の目標1000万に対し100万の受注もないのは努力以前の問題だ。朝はこないし5時過ぎには帰る...では仕事がとれるはずがない。プライドがあれば頑張るだろう。

 そんなこともあって午後熱が上がった。N社のAさんのことが気になって携帯にTELしたら、昨日ご尊父が亡くなったとのこと、虫の知らせというものだろうか。

 夜叉とは悪鬼の意味でつかわれることが多いがもともとはインドの水の神でもあったという。わたしは時に鬼になってもよいと思っていた。会社を良くするためならば......。だがじっさいのところそんな絵に描いたようなことではなくて 宿怨といってもよい深淵がある。越えるに越えられない。今夜は息子相手にくだんの仇に向って悪態の限りをついた。それが自分を貶めることになってもかまいはしない。



九百七十七の昼  2005.11.6  雨

 どこにも出ないまま夕刻から雨。まりの焼いたピザが美味しかった。お芋をふかして、バタがきれていたのでクロテッドクリームをつけた。生クリームとバタの中間といった感じだが塩気がないのですこし物足りない。
ポット一杯の紅茶.......でやや不完全燃焼のまま 夜になる。

 ほんとうにやすらぎにみちた日などくるのかしら。この背中に負った荷の重さのなくなることがあるのだろうか。            

 音楽を聴いてみる。詩の本をひらく。手紙を書いてみる。あなたのことを思ってみる。むかしのことを思う 青草のたよりないやはらかさを踏んだズック靴、見知らぬ家のポーチにつづく踏み石 デージーのまろやかな影 やつでの裏で眼を光らせ息を殺して鬼がとおり過ぎるのを待ったときのトクトク心臓の音   鬼はたくさんいた 包丁を手に追いかけてきた内山のおばさん 宿題忘れの日の梅干先生 寄り道をして帰った日 竹やぶに眼を光らせていたのはだれ.....死んだはずなのに夕方通りを歩いていた近所のおじいちゃん 犬に吠え付かれて立ち往生していた少女を助けてくれた売れない魚屋のおばあちゃん 心臓のわるい徳橋医院の先生 いなくなった白いジェニファ ムムやチャコ たくさんの猫たち.....気がつけばみなこの世のものではない。

 この世とあの世はつながっている。いつかはわたしもわたる川......それまで幾日、幾夜 もどかしい日を充ちた日にかえてゆけるかしら  なにもよいことをしない日はただ地球を汚しただけのような気がして切なく夜がくる。


九百七十六の昼  2005.11.5  緋の山

 車のなかで末吉さんの再話した「仕事の嫌いなちいさいおばあさんのはなし」 をわたしバージョンにしてみた。会社にTELしてISOのマニュアルチェックを頼んだ。さみどりの衣笠山ならぬ 紅葉の高山を前に朱雀門.....テキストそのままでどれだけものがたりに命が吹き込めるか、朗読とは違う語りに果たしてできるか.....これも挑戦....がかなり厳しい。気がつけばこのごろかなり真面目である。先の月は杜松の木、魔法のオレンジの木、コカのカメ、ならなしとりをはじめて語った。ここ10日ばかり朱雀門、ちいさなおばあさん、エリザベート、エリザベート本を三冊持っていって付箋をつけ整理してみたが 全部バスの中に忘れてきてしまった。

  偶然の出あいが三つあった。浅田さん 膝は腰椎からくることが多いとのこと。骨はからだの幹、カルシウム不足が関連する病気は400種。糖尿も含まれる。日本の土壌にはもともとカルシウムが少ない。化学肥料の多用によって野菜などに含まれるカルシウム量は戦前より激減。しかしサプリメントでイオン化カルシウム(出回っているのはほとんどこれ)を採ると、骨の到達する前に内臓や筋肉に蓄積してしまいさまざまな障害をひきおこす。カルシウム値の低下、石灰化、結石等々、非イオン化カルシウムを摂取することでパーキンソン病の進行も止まったとのこと。さっそく非イオン化カルシムムをネットから頼んでみる。27日に青年会館で東洋医学のセミナーがあるとのこと、行ってみようか。寿命が尽きるその日まで元気でいられたら、迷惑をかけることもなく 最後までひととして生きることができよう。

 マルタさん 炭製品を量販店に紹介してくれるとのこと。わたしは周到に準備しているようだ。布石とも言えないが自分が逃げられないように、あちこちのポイントに釘を打っている。その方法のひとつは今の状況とわたしの目指すことを宣言してしまうこと。補佐と話す。地区で話す。会社で話す。例会で話す。HPで書いてゆく。語りの場を設定する。仕事の方針を決める。旗色を明確にする。昂然と首をあげる。まわりを見る。そうして自分のプライドにかける。もちろんそんなことをしたって逃げようと思えば逃げられるけど、その結果どうなるかはよく知っている。これはわたしとの戦いだ。

 山は緋に燃えていた。ほんとうはやりたくないが ひきさがるわけにはいかない。



九百七十五の昼  2005.11.4  兆し

 朝になって 熱はひいていた。長い夜だった。会社で本店移転のあと館林の法務局に出す書類をつくっていたら、法務局から印鑑が違っているというTEL。会社の実印が!!なぜ!? まぁ わたしのことだからなにがあっても不思議はない。改印することにした。モデリングのYさんが来社、HP作成の打ち合わせ。埼玉県に提出する申請書にとりかかる。午後、銀行回り 普通預金から当座に振り替えようとりそなに行ったら印鑑が違っていておろせない???2時半を廻ってしまったので週明けにくるしかない。借入金の引き落としの当日になってしまった。 

 それから二行銀行をまわった。税金を払った。あまり税金は払いたくない。が、お上には勝てない。せめて 無駄なくつかってください。お芋を宅急便で送った。そうしたら同じ店のクリーニングのほうで呼び止められ手渡されたのは長いこと探していたもの、それもどうしても今日必要なものだった。ジャケットについていたらしい。よい兆しだ。弛みなく前に進むこと。自分のしていることはわかる。果を求めてのことではないが はるかなビジョンをめざしてゆけば 到達する場所はあろう。巡りがどう思おうと誰かが見ている。
 

九百七十四の夜  2005.11.3  熱

 いけないことを考えたからバチがあたったのか 夕刻6時頃から突如ひどい熱、さきほどまで呻いていた。すこし落ち着いたのでスープを飲んだ。五体にしみとおる。熱に魘されながら朱雀門の世界を彷徨っていた。平安の京 爛熟の極み....焼け爛れた御所の址 暗く聳える朱雀門.....それから熱のさなかで語ってもいた。サガである。このおはなしどこでデビューさせようか....明日は高山に行けるだろうか たぶん今宵は暗く長い夜   薄明が障子に射し込む朝がくるまで.......



九百七十四の昼   2005.11.3  天に

 朝 かずみさんを事務所に送った、客を待ちながら庭で話した。「あなたは....長いこと好きなように 好きなことをしてきた。仕事だけを....夢を追って.......わたしはついてきた。あなたがこぼしたこと 穴をあけたところを 繕い 洗い あなたを支える仕組みをつくってきた。けれど あなたは.....わたしの方を見ない。必要なときに手をさしのべようともしない  わたしはあなたは身勝手だと思う」.......ここにいること......授かったこと 助けられたこと......それはわたしがしたのではない。 恵みや温情にたいしてその万分の一でも返そうとしなければ、それはひとではない。ひとにたいして過ぎるほど気配りをするあなたがなぜ 天にたいしてしないのか..... 

 わたし自信充分に変われないのにひとに言えるのかと思うけれど 言われなければわからない。言うのだって愛には違いない。でもことばより行いだけれど。今日 わたしはあなたになにができるだろう.......変わったといえば声が変わった。わずか一週間で......変わろうと変えようとすれば変わる。ヴォイストレーナーの心当たりを見つけた。今月中に行ってみる。なんでここまで....と思うのだけれど 語ることはわたしに与えられたこと.....授けられたこと 磨き ひとに聞いていただくこと で天におかえしできる。


九百七十三の昼   2005.11.2   勝負はこのひと月

 登記の申請が終った。管理部の打ち合わせをした。スマイルから自慢へのソフトのシフト。ただの経理部門から会社全体のコントロールをし方向をさだめる管理部への脱皮はなるだろうか。キャッシュフロー、安定した経営のための財務管理、より戦闘的な営業管理は可能だろうか??
わたしは板倉のシステム化と埼玉県に出す書類の作成、HPアップに向けてコンテンツの作成をする。日常の仕事がこれに重なる。ACの決算もだ。どうすればできる。

 午後道場へ行く。帰りメッツホテルの1Fに新しくできたデニーズでコーヒーを飲み 喧騒のなか赤いネオンの瞬くのを眺めながら朱雀門.を.....夕陽に朱に燃える朱雀門がはじめて見える。二抱えもある太い朱の柱は銅の帯でまかれていた。薄闇のなかから浮かび出る紙燭にほのかに照らされた 渚のしろい顔......細いゆびさきが見える。 遠雷の轟きが聞こえる。まだまだ....

 家に帰ると山下さんの手紙 わたしのメールをあけたとたんPCがフリーズ....すべてのファイルが取り出せなくなったとのこと 弟のように思っているという文面だけが見えたそうだ......山下さんとは 山下さんが演出した「夢の時間」を聞いたときにわたしの発した不用意なことば「これは語りではありません」で壊れてしまったと思っていた。 あたたかい文面にうれしかった。これからもなんでもいいたいことをいってくれ...と書いてあったが なんでも思うことを直情で言えばいいのではない。わたしはほんとうにおばかだ。でも毎日山下さんのことを考えていたからほっとした。PCがわたしの念力で壊れたのではありませんように.....まだ縁が続きそう....いい縁(えにし)でありますように。

 在り難いとは文字とおり 在ることがむつかしい で...在り難い
有り難い 有難い ありがとう 本来は天に向けたことばなのではなかろうか。ここにこうして 生をうけ 毎日 食べ 眠る場所があり こころを温めあえる家族や友がいる。....そう思えば苦労などなにほどのものか....と振るい立たせる  強くないわたしは天上を振り仰ぐ 神さま どうか力をお与えください 家族や会社のひとたちのためにわたしをおつかいください どうか聞くひとの魂にひびく語りをおゆるしください すべてのよけいな暗い思念からいっときでも解き放ってください。



九百七十ニの昼   2005.11.1   今日から

 別会社 の本店移転の申請に登記所に行ったが、別紙に間違いがあって出しなおしになった。語りで一言一句テキストとおりというけれど...申請で登記事項と違っていたのは 、と・ それから。だった。まぁ 仕方がない。あしたには出せるだろう。連絡会で営業の姿勢について述べる。この時勢だから 努力して仕事がとれないのは仕方がないが、月末 目標の半分にも満たないのに5時で上がってしまうのは......営業じゃあない。

 仕事はときに苦行である。逃げたい。だが、逃げられない。車で移動するとき、歌を歌う。ベルカントの発声を壊す。今まで積み上げてきたものを壊す。刈谷先生のところに行けなくなったのは、リサちゃんが切迫流産になってから...だけれど 忙しさからだけではなかった。このままでいいのか...ずっと考えていた。一点に当てる 発声 声はひとすじになる。クリヤーな...明るい声....わたしが出したいのはそういう声 翳りのない声ではない。倍音でもない。揺れ動いても底は安定している 細い糸がたくさん縒り合わさった声 あたたかく深く 変幻自在な....強弱 ピッチ 間 波のような....


九百七十一の昼   2005.10.31  夫婦

 10月晦日 24期法人税納付、支店移転登記申請書提出 支払い完了 これで、無意味の象徴だった福島支店ともお別れだ。明日から新しいはじまり....。住友KKの所長が来たので60余万のユンボの修理代のうち3万弱を負けてもらう。今日は朝からカリカリしている。かずみさんが頼んだ植木屋があまり下手で会社の築山に植えられた木々は見事に丸坊主にされてしまった。来年は石榴も柿もたぶん駄目だろう。

 わたしにはときどき 福島のこととか修理代のこととか、かずみさんのすることがわからなくなる。かずみさんには壮大な無駄と考えつかないようなアイデアとそれからひとに好かれるカリスマ性 子どもっぽさと大人(たいじん)の風格が同居している。 大体面倒なことはやってくれないし いやなことはひとに言わない。それでわたしはいつも損な役回りをしなくてはならない。笑顔でできることもあるが もううんざりだと思う日もある。

 わたしはもともとひとのしたことの片付けができるタイプではない。自分だけで手一杯、たぶんADHDである。会社の支払いはしっかりした事務員さんが常にいたから問題ないが個人的な支払いがなかなかできない。支払いだけでなく保険の請求や満期の受け取りそういうことが一切だめ、どうしたらいいかわからない。しなくてはならないことを先送りする。片付けができない。時間空間の感覚がおかしいので、遅刻するし迷子になる。順番を待つことが苦手である。

 だがADHDだということはマイナスの面だけではない。いつでも潜在意識とアクセスできる。イメージが豊かである。一気に奔る。半端ではない集中力  他人と自分を同化してしまう.....シンパシィが強い.....つまりとっても語り手向きなのだ。歴史上では竜馬やダビンチがADHDだったと言われる。しかし実生活においてはハンデが大きいし誤解されやすい。こんなわたしとかずみさん、破れかぶれのふたりがなぜ夫婦なのだろう。

 今日 「朱雀門」がたちあがった。どこかで語らせてもらえばおはなしになる。朱雀門の渚、クラリモンド、ディアドラ エリザベート なぜかわからないけれどわたしのレパートリーには類稀な美女が多い。あとは夫婦の愛の物語 カイアス王、芦刈、おとうちゃまのこと  雪女だって夫婦の物語でもあるのだ。エリザベートも然り そこで夫婦の相克、理解しようとしてもどうにもならない深い溝を語れたら....。わたしは実生活でもっとかずみさんを受けとめられるような気がする。

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九百七十の夜   2005.10.30  岡田史子さんのこと





 岡田史子さんが亡くなったのは4月3日のことだったそうだ。ここに見える方で岡田史子さんのことを知るひとはいないだろうと思う。岡田史子さんは幻の漫画家といわれた。手塚治虫が漫画に新たな地平を求めまた新人を育てようとして発刊したCOMに岡田史子さんは彗星のように登場した。1967年のことだった。手塚治虫さんに評価されたばかりでなく 詩のような繊細なきらめきを持つことばとそれを支える美しい絵で多くのひとの心を奪った。萩尾望都などに衝撃を与えそのことが結果として漫画の概念を大きくひろげたと思う。

 はじめのころの少女漫画は今の韓流ドラマに近いものだった。双子、記憶喪失、不治の病、いじめ、貧しさ そのなかからヒロインはさまざまな助けを得てしあわせになる。それらのキーワードで現されるのは一種の貴種流離譚(ここは居る場所ではない)であり 民話のタイプでいえば灰被りである。それからアメリカの少女小説や映画を土台にした(再話した)漫画の時代になる。しかしそれも踏襲したのはシンデレラストーリー 少女の永遠の夢である。そこに顕れたのが岡田さんだった。岡田さんは作品ごとにまるで語り口を変えるように..絵柄を変えた。...そんな漫画家はいなかった。

 
 岡田さんが漫画を書くようになったのは「人間はいつか死ぬのに、どうして生きていかなくちゃならないんだろう」という疑問に取り憑かれて、それを漫画にぶつけて、読者に問いかけたのだそうだ。その根底に12歳で母上をなくされた深い喪失感があったという。なぜ生きるか、なぜここにいなくてはならないか.....この不条理この不可解な世界を耐え忍ばなければいけないということ.....永遠の謎 .答のない命題を岡田さんはいともやすやすと漫画紙上にのせてしまった。もちろん それまでだって 試みをした漫画家はいたのだけれど 岡田さんはその象徴性 美 難解さにおいて神話そのものだったのだ。

 わたしは同じ世代だった。そしてわたしは岡田史子という漫画家を正視できなかった。その世界が美しすぎて 痛ましくて 答えがでないとわかりきっているのに.....夢に溺れている感じがして.....どこにも逃げる場所など在りはしないのだ 汚れたってここで生きるしかない......とどこかで思いつつ 羨ましかった。破滅さえも。途中までしか知らないがわたしの知っている岡田史子の作品にハッピーエンドはない。


 「喪失感を埋めてくれる人を探し求めて、漫画を発表していたのです。、だけども、誰もいなかった。わたしががそういう人を求めているということに気づいた人さえいなかったから。」岡田さんはのちにそう語っている。1990年岡田さんはペンを折った。そしてクリスチャンになって 4月3日亡くなった。晩年は穏やかな顔をなさっていた。求めていたものを 手にされたのだと思う。

 なぜここに岡田さんのことを書いたのかといえば....わたしは絵が書けなくてついには断念したのだけれど漫画家になることを夢みていた。.....あきらめたのち長いことかかってペンのかわりのものをみつけた。わたしが声に託して語りをしているのは、そういうわけなのである。なぜ生きているのか....なぜここにいなくてはならないのか......それをずっと問いかけたかった  わたしのものがたりを伝えたかった  語りをしているときは ここにいることを許されていると確かに感じとることができたから。

 そして今は .自分も他のすべてのひとびともここにいることに意味がある.....(どんなに悲惨な状況であったとしても) と信じている。そしてよきこと美しきことのためなにかを生すことができると信じてもいる。アートとか芸術をわたしはフェルメールやダヴィンチの...はるかな高みにある世界のことと思っていた。そうではなくてごくふつうのひとたちが自分を回復するための試みなのだと気付いたのはおとといの電車のなかだった   歌うこと 踊ること 弾くこと 奏でること  創ること 芝居をすること 描くこと  書くこと  わたしたちの語りもそういうものなのだ。自分を知ること  この世の秘儀を知ること 復活と甦りの試み。

 成熟とは受けとめること 逃げないこと この手に世界の闇の一部をひきうけなお あかりを灯そうとすること。しかしわたしは愛惜する。薄青い闇のなかでかすかな苦痛と予兆に眉根を寄せながらなおまどろんでいたあの頃 岡田史子という漫画家が光芒を放ち 夏樹が未だ生きていて 日本がまだ若く わたしたちの足音が建築さなかの新宿の地下通路に響いていたあの頃のこと。


九百七十の昼   2005.10.30  声

 緊張すると高い声が出ない。声とはとてもメンタルなものだ。発声は息遣いともいう。すなわち発声とは呼吸である。なぜ発声するか。ひとに働きかけるためである。ひとのこころになにかを呼び起こさせるためである。歌や物語や声がたいせつなのではない。なにを乗せるか なにを伝えるか。声とはそのひとの持つ精神性のあらわれである。他者の魂との出あいがある。極めてそのひと固有のものであるがそれはまた普遍的なものにつながってゆく。

 お仕着せではない、借り物ではないパターン化していない リアルな生き生きした声 固有の声 すなわち技術ではなく自然であること 日常のことばで語ること。 物語の流れと聞き手との交流、伝えようとする思いの深さで声の高低、大小 間 緩急 抑揚が自然に変わる。外側の発声のレベルで恣意的に変えてはならない。つくってはならない。だが声量のキャパでその表現(といっていいだろうか)の巾はかわってくる。ゆえに自分の発声の足らざるところを知り習得すること。それによって確実に伝わる深さ大きさ広がりが変わってゆく。けれど芯の質的なものは自分の魂を高めるしかなく、それは自分との戦いによってのみ磨かれる。声がそのひとの精神性をあらわす所以なのだ。


声・発声ものがたり→メッセージ

声のうえにものがたりがのり、ものがたりのうえにメッセージがのる

固有のもの普遍的なるもの固有のもの

固有のものであるゆえに強いベクトルを持つ。普遍的であるゆえに共有され 受けとめた魂に響き再び固有のものとなる。


  浄化 ・ 癒し ・ 覚醒 ・ 再生

これらのことは語りの共有によって 語り手聞き手双方の魂に起こりうる。 



 
九百六十九の昼   2005.10.29  声を放つ

 朝 板倉にかずみさんを送っていった。3ミリのペレットから8センチのペレットまで吸湿剤用やバーベキュー用やいろいろなサイズの炭ができていた。
  それから渡良瀬...  川べりにいた。ツィー ツィーと鳴いているのはなんという小鳥? 植物や鳥たちの名前がわかったらどんなに素敵だろう。

 思い切って声を解き放つ.....笑ってみる....歌ってみる....自由に  ことばを汲みだし リズムと音程をつける からだが弾ける こころが飛ぶ おもしろい.....いたちに歌う.....鳥に歌う......空に呼びかける 葦の原に呼びかける....こんなに自由だったんだ......とんでもない音量....高さ......わたし....こんな声だったの.....倍音は鼓の音に似ている....ニュアンスをコントロールできない。ベルカントは金管に似ている......音色をコントロールできない.......自分のふつうの声で語りたい......ヴォリュームがほしい.....川のような豊かな音....星がさざめくような声が出せないかなぁ......

 朱雀門に難儀している.....作者がいるおはなしはたいへんだ.......翻訳ではないから変えられない  なかなか自分のものにならない....自由にならない....というのはとっかかりがないせいもある.....長谷雄は公卿、貴公子....渚は絶世の美女...それも謎めいて性格がない.....ストーリー性だけだが....文章表現が肌にあわない。こんなにたいへんだったんだ....一言一句そのままで語るということは。でもここでないがしろにしてはエリザベートに進めない。わりと律儀な性格であるみたい。

 夜 弟が会社に来た。一年ぶりだった。最初ぎこちなかったが そのうち生き生きしてきた。なんだかほっとした。この一年ずいぶんと苦労した弟もわたしも....。離れたことでお互いにとてもたいせつなことを学んだのは間違いない。面と向って愛しているよ...と言えないけれど、わたしは弟の成長としあわせを心から願っている。そしてそう思えるようになった自分がうれしくもある。


九百六十八の昼   2005.10.28  お茶の水にて

 午前中仕事をして 午後御茶ノ水に向う。櫻井先生と駿河台下を歩いていたら かたりいずの上原さんとバッタリ、お茶をご一緒した。帰り道こんどは語りネットワークの佐藤涼子さんとバッタリ、語り手は磁石のように引合う。

 細い急な階段を上ると木の扉 磨り減った黒塗りの大きな木のテーブル 長いカウンタ 数百もありそうなカップの類 大きな甕にざっくり生けられた孔雀草  古瀬戸珈琲店には居心地のよさとともに折り目正しい雰囲気があって 木の椅子にも背を伸ばしてしまう。寛げるけれど崩れを許さない.....場の力がある。スターバックスなどの新興のカフェとはあきらかに違うのだ。歴史というものには抗えない力がある。ここで交わされたたくさんのことば たくさんの思いが醸されて時の流れのなかで芳醇に磨かれて空間に漂っているのかもしれない。

 今日は決算書の印鑑をもらいに会計事務所がくることになっていた。最後は社長の仕事でだからわたしはもういなくてもいいのだけれど ふつうなら会計事務所の又さんや事務のFさんの労をねぎらうべき日なのだった。けれども 10月のうちに先生とお会いしたかった。

 10月は忘れがたい月だった。今までの危機はいつも外にあって..かずみさんの入院とか...家族や社員や会社のために わたしは身を粉にしても苦にはならなかったし その最中にはどんなに辛くても冷たい風を切るような爽快感があった。叩かれたって自分が正しいと信じていれば昂然としていられた。しかし 自分のなかにある矛盾 自分自身への不信と見合ったとき ひとはどうするか たじろぐ 戸惑う 正視できずに逃げ場もなく 煩悶する。 自分と向き合う。それがこれほどのものとは思わなかった。渡良瀬や子どもたちやかずみさんや...そしてこのHPで書くこと のおかげでなんとか乗り越えられたのかと思う。

 三度新しくうまれかわろうと祈念をしている今をしおに わたしは先生にお会いしたかったのだと思う。語りに出会わなければわたしは生をこのように息づくものとおもわないで過ごしてしまった。先生はわたしの母とも思っている。品性において格段の違いがあるのでもったいないことだけれど。民話の語りと戦後のストーリーテリングそして文字のできる前からのカタリを結びつけるのは語り手たちの会しかないと思う。櫻井先生とすこしずついろあいは違ってもその考えに共鳴するひとたちが日本の全国津々浦々でひろげようとしていること、語っていることには深い意味がある。

 ちいさな種と見えても こどもたちのこころのなかで育ってゆく。ものがたりのなかの美しいもの ただしいもの 楽しいもの 命への肯定はきっと伝わる。 それがどのような花を咲かせるかわたしたちに見ることはできないけれど。 おとなに語ることのなかでも 生を肯定的にとらえ 自分をいとおしみ それがまわりのひとたちに波及してゆく 波紋が確実にひろがってゆくと思う。世代を越え国を越え 語りつぐべきことがある。わたしはそれを実感しているしこれからも自分のできることをひっそり続けてゆこうと思う。

 タカラズカとかとりとめのないおはなしとポットの紅茶とあたたかい時間は静かに過ぎていった。



九百六十七の昼   2005.10.27  光含む空

 一三さんを自治医大に送った。板倉から古河へそれから4号線で国分寺まで....空は雲っていたが 光を抱いて輝いていた。道すがら車であなたとわたしの想いはほんとうに交わることはないのね........たとえどんなに好きでもいっしょにいてもひとは孤独ね....とかつまらないことを話していた....かずみさんは、  また訳のわからぬことをとたぶん気にもとめなかったと思う。

 病院でおそい昼をひとりで食べながらテーブルに頬杖をついて わたしは なんであんなドラマみたいなことを言ったのだろうと考えていた。エリザベートとフランツ・ヨーゼフのことを追っていたから、それが引き金になったのだろうか。かずみさんは老いてまだ見果てぬ夢を追っている。わたしはかたわらにいながら同じ夢を見ているわけではない。あのひとは満身創痍で片目は見えず、わたしは杖をついて ようやくふたりでひとりぶん それでも考えていることは違う。ただわかっているのはふたりとも朽ちるまで闘い続けるということ.....人生はおもしろい 命は祭だ。

  これで、エリザベートが語れるかなぁ......引寄せてひきよせて......
「夢の時間」を聞きにいったことは少しばかり不幸な結果を招いたけれど、失ったものと等価なものは受け取った。わたしが目指す語りは外側にはない。裡に内にあって語られるのを待っている。夕焼けも風も海の匂いも焼けつくような苦も逡巡も 澄み透った水のような哀しみも みなすでに刻印されてある.....わたしは冷たい指先でそれを取り出せばいい......

 渡良瀬に行けば 風が待っている 草が聞いてくれる 石が頷く 流れる水が相槌を打つ もう このままでもいいんだ よくここまで歩いてきた

 会社で連絡会 だんだん悲愴な感じになってきた みんなも満身創痍 妻に逃げられたり 子どもが病気だったり 自分が具合悪かったり 家族や自分に心配のないひとは たぶん ひとりもいない ほんとうに今こうしてここに居られるってことがすごいことなんだと思う。だから語るのだ   生きることは苦渋と輝き  すこしの力を 受けとめて差し出す  「癒しでは差し引きゼロにしかならない」.....そうおっしゃった片岡先生 息災でいらっしゃるだろうか.....

 11月 すこし大きなおはなし会がふたつ  老人会で1時間 年少さんで1時間半  .桐生の語りの小祭りで 図書館で 小学校で トムの会で  カタリカタリで  堰を切ったようにたぶん語る....自分の立っているこの場所から......

 メモ 青い棘 ゾフィー・ショル最後の日々 



九百六十六の昼   2005.10.26  寒い日

 警備会社と板倉の件で打ち合わせ、セコムや総合警備保障など業界のことをいろいろ聞く。重機の盗難があいついでいるが ほとんどがイラク、中国へ運ばれているのだそうだ。港に停泊している船に運びこまれるともう治外法権で日本の司法の手は及ばないのだそうだ。うちでもユンボが盗まれたことがある。発信機がとりつけてあったので運び出す直前に捕まえた。しかしすでに分解されていた。

 板倉工場の日報作成、株主総会議事録作成 ヤマフジの舗装 最後の最後でとれなかった。一ヶ月追いかけていたHさんはがっかりしていた、かずみさんもわたしもがっかりした。設計させ図面から何度も起こし最後の最後まで引っ張っておいてはすこしひどいと思う。天秤にかけられたら自社の合材プラントを持っているところにはかなわない。ねぎらって 忘れて次に進もうというしかなかった。

 決算確定した。阪神は負けた。庭の松の手入れに職人さんに入ってもらった。見違えるばかり ほれぼれするような男ぶりの松だった。雄松だけでは寂しいだろうか。炭製品の試作が続々生み出されている。

 歌いたいなぁ......声を出したい......調律され整えられてゆく快感を思い出す。自在に声を出せるって空を飛ぶ感じに似ている。歌ってみる。硬い声でなく やはらかな 豊かな声が出せたら..... 地の底から 限りなく空へ問いかける 祈りのように。



九百六十五の昼   2005.10.25 白いタオル

 朝 会社に行く途中 会社のライン車とすれちがった。助手席に乗っていたのは息子だった。息子の華奢な白いタオルを巻きつけた少年のような横顔を見た一瞬 胸が痛かった。リサとルイのために働いている其の手がどんなに繊細かわたしは知りすぎるほど知っている。決して肉体労働にむくからだでないことも知っている。家族のために働く息子を誇らしいと思う反面 痛々しくも思う。ルイはただ可愛い。息子はいとおしい。この差はなんだろう。

  面接をした。36歳の男性だった。離婚して独り身だそうだ。パナックと打ち合わせ、理解してもらえたようだ....というよりこちらのペースに嵌めてしまった。しかし 気持ちよく帰った。銀行に行った。本店移転、支店移転の議事録作成、会計事務所に不良債権を一件落としてくれるようTELする。案の上 いい顔はしなかった。税金を払うのにやぶさかではないが 実際以上に払う気持ちはない。とても無駄に使われているように思う。きのうHPを頼んだひとは国立研究所の研究員だったそうだが、内情を聞くと税金を納めることがよいことなのかひじょうに疑わしい気持ちになる。

 連絡会は延期して宝塚の宙組公演を観にいった。世界の蜷川よりエリザベートより宝塚を観たあとのほうが心がやはらかになる。ほっとする。他愛もないといえば他愛のないストーリーなのだけれど しあわせになる、なぜだろう ? このことがいちばん問題なのだ。声だろうか。歌だろうか。わたしも聞くひとのこころがとけて ひろがって ほっとするような語りがしたい。

 芸術じゃあなくていい。サルヴァトーレを目指そう。吟遊詩人 シンガーストーリーテラー 生きるのは痛いことばかり 白い包帯を巻いても白いタオルを巻いても巻いても血が滲む  あまやかなものがたり こっけいなものがたり 歌って語る 語り手をめざそう 丸のまま暗記して語るなんて語りじゃない 語りってやはらかいものなのよ、生きて呼吸するのよ つくりもんじゃあない 綺麗な構築物なんかじゃない 壌さんも山下さんも芝居のことは知っているかもしれないが 語りのことはうわべだけしかご存じない。近代演劇の延長線上にある語りではなく、文字のない古代から連綿とつながってきた語りの伝統に思いを馳せていただけたら..........視覚化というのは 山や川や楼上 かっぱの甲羅.....を写真を見るように思い描くものじゃない その場に語り手はいるのだ.......否 語り手の裡にあるのだ.....イメージを外側から持ってきてくっつけようとするからおかしなものになる。似て非なるものになる  自分の内側をひろげる 根っこをたどって底へ降りてゆく 無限にひろがる そしてとびらをたたく 聞き手のとびらがひらく 聞き手もたどって降りてゆく 自分のうちがわへ 底へ......だから語り手は依り座になる 間違えてもヨリシロなんて言わないで モノではないのだから。指導するというのは無限の責任がある...語ることをそういうふうに覚えてしまったら いったん道を覚えてしまったらやり直すのはたいへんなのだ 心理学的にはいわゆる刷り込みである。

 下手でも未熟でもお仕着せではない わたしの語りをみつける。ひとから聞こう 簡単に手に入れようたって無理なのだ。 自分の感覚を信じていくしかない。 埼芸のカワムラさんが語りは演出するものじゃないって言っていたのが今はよくわかる。



九百六十四の昼   2005.10.24 胸騒ぎの日々

ルイ

光る川 日光連山 富士山も見えた

 深作造成 検査合格 Y社来社Y現場1900万受注あと一息 HP打ち合わせ あす代沢解体乗り込み代沢現場事前打ち合せ A社水質改善システムあと一歩 H社炭化システムあと一歩 25期決算確定 Y夫人の件 トイレならびに庭そうじ  明日パナック打ち合わせ 本社移転支店移転登記準備 カタリカタリ発表会演目連絡 赤頭巾ちゃん本町小バージョン 空中ブランコのりのキキ かえるくんへびくん  ワタシハマケナイ ワタシハマケナイ タトエナニガアッテモイワレテモ ジシンヲナクシウチノメサレテモ ワタシハマケナイ カイシャヲソダテ カタリテヲソダテ コドモヲソダテ ジブンヲソダテ タマシイノカタリテヲメザス ダキョウセズ ウシロハフリカエラズハシリツヅケル ドキドキシナガラハシリツヅケル ドウカカミサマ サイゴマデハシラセテクダサイ イツカミナモトへカエルソノヒマデ 
 


九百六十三の昼   2005.10.23 休日

 朝 板倉へ...かずみさんと静かな時間を過ごした。

渡良瀬にて

鷲宮神楽

午後 突然ルイをあずかることになった。若い夫婦は映画を観にいった

 ひとを生かす批評はむつかしい。時と場を得たひとことで一気に伸びるひともいるし、自分を守ろうとして後退してしまうひともいる。わたし自身、完膚なきまで叩きのめされた....と感じ泣いた日も一度や二度ではなく、負けるものか次こそは必ず....という気持ちがあったから続けてこられた。今はそのときのひとことをありがたいと思っているが 自尊心をこなごなにされたそのときの痛みは口では尽くせない。

 ほんものを....と望むその思いがかくあれ.....ということばになる。その人自身を批評するわけではないのだが、畢竟それは語りへの思い、そのひとのありよう. ときに行き方と蜜実なので 余計痛いし 批評する側も神経をつかう。....わたしは自分の旗の色を鮮明にしたいから、率直にいう。なぜならそのことばは返す刀となってわたし自身の語りへと跳ね返る。ひとに言うからにはそれだけの思いを持ち続け、ことばに値する語りを続けなくてはならない。それがわたし自身を前へ前へと押してくれるのだ。でもだれもがそう思っているわけではない。

 若いひとより 長年 その道を歩き 自負の念が強いひとほど 受け入れるのはむつかしいようだ。自分はそうはなるまいと思うが先のことはわからない。ともあれ前に進む。こころあるひととともに。



九百六十ニの昼   2005.10.22  夢の時間

 夕べは足が攣って、痛みのあまりケヴィンを蹴飛ばしたらしく はじめてケヴィンに親指を噛まれた。朝も膝が痛くて歩けないので 朱雀門のイメージを自分のなかに溶け込ませる試みをした。朱雀門は座の語りワークショップのテキストだったが、わたしにはついていけなかった。 役者をつかってのイメージレッスンでみな同じイメージを追うのは少し辛かった。それで自分のなかで一から追っていった。


 そのうちきのう妹がせっかく手渡してくれた天然酵母のパンを浦和に忘れてきたことに思いあたった。なんという耄碌加減...高校の土曜講座のわかなと待ち合わせして出かけた。駅についてカタリカタリのSさんにTELしたところ今日がぐるうぷAの発表会だという。地下鉄を乗りついで 神保町の学士会館に向う。

 すでにおはなしはふたつ終っていた。椅子に腰を下ろした途端 間違った場所に来たことに気付いた。(山下さん たとえいちばん後ろの席でも 第一声でわかるのです。立って一言発するだけでそのひとのありようや想いがわかる、あなたはそう教えてくださいました) 賢治のどんぐりと山猫もさねとうさんのかっぱのめだまも語りではなくひとり芝居だった。押し付けられたイメージは苦痛でしかない。聞き手との交流がまったくないのである。

 語りの豊穣.....語り手と聞き手がひとつになってたちあがるものがたりの世界.....は自分の表現、自分の芝居からは生まれない。むしろ自分を無とする、否、弦とする...のだ。風にまかせるのだ...空間と.聞き手となにかそこに降りてくるものにゆだねるのだ。.空しく時間が過ぎた。多くのひとが眠っていた。眠れるひとはしあわせである。なまじ語り手に個性があり技量もあるから 魂の抜けた豪邸 構築物のように見える。オドバルさんの最後の歌 草原に沈まぬ太陽...はよかった。救われた感じがした。

 一緒に聞いた佐々木さんも、櫻井先生の提唱なさっている語りとあまりに違う....聞いていて苦しかったと言っていた。ちかごろ 語りや芝居のことでさまざまなこととぶつかって、自分のめざす語りがより鮮明になってきたと思う。光まばゆいホール、空気の通わぬ密室より風や葉ずれの音や子どもたちの声が聞こえるところ、生活に近い、さりながら異空間.....そんなところみつけるのはたいへんかもしれないが...そういうところで語りたい。 自分の求めるものと違うところで無理はするまい。息が苦しくなる。切り捨ててもやむなしと思う。......久喜座や.トムの会と袂を別つことになるかもしれない。座にももう求めるものはない。ただなかまとの絆だけ。

 



九百六十一の昼   2005.10.21  贈り物

  朝、銀行の担当者来社融資の打ち合わせ、労務事務所来社、別の銀行来社、決算の最終打ち合わせ、思ったとおり事務を手伝ってくれるFさんは頼りになるひとだった。それからもうひとりのHさんに印刷を頼んで浦和に行く。いいスタッフ、仲間に恵まれて安心してでかけられる。

 グディーズカフェでスタジオ・プラネットのオーナー、ジュピターさんと会う。ジュピターさんをイメージするとクリスタルの塔、そしてスミレの花。短い時間だったが心を許せる友と語り合える、しあわせな時間だった。諸橋近代美術館(ダリ美術館)の図録を見せていただく。卵のオブジェがほしい。ジュピターさんの骨折りで会えた友人Dといっしょに美術館を訪ねることができたら.......いまごろ なにをしているだろう。

 グッディーズカフェは妹夫婦のカフェだ。帰りしなに試作の天然酵母のパンをいただいた。妹はとても安定している気配だった。風を切って人生に立ち向かっているようなすがすがしさがあった。2月、いっしょに平みちさんのステージを観にゆくのがたのしみだ。

 それから道場で偶然以前から気にかかっていたTさんと話すことになった。思ったとおり素敵なひとだった。気働き、機転のよさ、的確なことばと行動、そして きっぱりした無駄のないあたたかさ。意気投合するあいだに仕事の話になった。Tさんの家業は通信販売の卸なのだそうだ。世のためになるものを売りたいのだ...とTさんはいう。うちの炭とこれからつくるものの話をした。いいものができたらぜひ見てくださいとお願いするとぜひ見せてほしいと言ってくださった。

 杖をついていたせいか電車で席をゆずっていただいた。友人や妹と逢えてひとのぬくもりに心あたためてバッグを抱きしめて電車の窓に頬を寄せていた。うちに帰ると美味しい料理が待っている。カタリカタリの仲間にきのうの語りの寸評を送ったら、即返事が返ってきた。きのう語った杜松の木の話 すごかった、ことばも出なかったという。よかった。いい語りができたんだ.....神さま...わたしは今日もうなにもいただけないくらいしあわせです。櫻井先生のお顔が目にうかんでくる........


九百六十の昼   2005.10.20    グリムの日

 カタリ・カタリは実践的な集まりなので、例会はそのままおはなし会になる。二ヶ月ワークショップがつづき、おはなしを聞くのはひさしぶりだったが、ひとりひとりの語りに安定感がでてきたことに終ったあと気付いた.
ワークショップは血となり肉となったのだろうか。今日はグリムのなかから好きなおはなしを持ち寄った。

 Oさん 麦の穂の話  格調があった。ORさん 三人の糸紡ぎ女の話
OTさん 猫とねずみが仲のわるいわけ 独特の語り口に爆笑 神さん赤頭巾ちゃん本町小バージョン 神ワールド炸裂に爆笑 Hさん おかゆの話 Sさん作家の再話による星の銀貨 シンと沁み通る話 それからわたしの杜松の木の話。

 グリム童話は奥が深い、また展開の意外性もあり....人生だね...というひともいた。人間は2000年前とそう変わってはいないのだろう。本町小版赤頭巾ちゃんがリアルでおもしろかった。また、作家の再話による星の銀貨も新鮮だった。ものがたりの伝えるメッセージが変わらぬのなら再話するのもよいだろうと思う。

 12月2日に発表会をすることになった。それともうひとつ子どもたちのためのワークショップをするかどうかという提案については次回に決めることにした。

 知人の息子さんの訃報が届いた。明日お通夜とのこと、尋常な死ではなかったようだ。細い優しい子だった。たとえどんな苦しくても....最後まで..最後まで歩き通してほしかった。カタリカタリのOさんの姪御さんは幼稚園の先生をしている。彼女は面接のとき、伯母さんが子どものときわたしにいつも楽しいおはなしをしてくれたので、それで幼稚園の先生になりたいと思いました。...と言ったのだそうだ。その姪御さんもまっすぐな道ばかりを歩いてきた子ではなかったので、ことにうれしかった....とOさんは語った。

 アウシュビッツの収容所でのこと、おばあさんの夜毎のおはなしで生き延びたひとたちがいた.....おはなしを聞いて人生がかわる子もいる.....語り手はとても大きな力をそれと知らず授かっているのだ。そしてそれはわたしたち語り手にとっても、祝福....灯りでありしるべである。自分のなかの闇を見て呻吟するのはもうやめよう。闇は己のなかに、ひとのこころに、国に、世界につねにあるが、光もまたある。光をかかげて歩こう。




九百五十九の昼   2005.10.19  平和

 日ざしが心地よいのは冬がちかづいたからにちがいない。道路はまっすぐどこまでも白く輝き、セイタカワワダチソウの黄色が薄青の空にすっと刷かれて、遠い友人に会ったようななつかしい景色だ。

 たいてい見かける犬や猫たちの無残な死体も今日はなかった。車に轢かれてボロキレのように血に染まって転がっている動物が視界に入ると、わたしは思わず目を閉じたり、ブレーキを踏んだりしてしまう。こればかりはいつまでたっても慣れることがない。もしかしたらひとが死んでいるより悲しいんじゃないかと思うほどだ。

 (犬や猫たちは)なにも悪いことをしていないのに.....と思ってしまう。ひとは生きていれば悪いことのひとつやふたつは必ずしている。少なくとも生きているだけで命を食べている。わたしはひとが他の生き物の命を食らわずには生きておれないというその現実の前に眩暈がする。命をつなぐためだけならまだ許されるとして金やプライド、国家の威信のためにたくさんのひとを殺戮してきたということに吐き気を覚える。

 わたしたちの国日本ですらアメリカに迎合するために手を血で汚した。イラクの子どもたちの死には実はわたしたちひとりひとりが責任があることに気がつく人は少ないけれど。あとからくる国々、そして地球の環境にとっては....文明社会、先進国で暮らすひとたちは圧倒的に加害者である。これを乗り越えるにはひとりひとりの生活・考え方を変えるしかないのだ。

 真の平和主義とはセンチメンタリズムではない。平和と環境重視の考え方とはひとりひとりが豊かな暮らしを享楽することに歯止めをかけ、すこしの不自由をしのぐことにかかっている。なぜなら戦争の主たる原因は資源 主に原油であり、その原油ゆえにわたしたちはいながらにしてコーヒー紅茶チョコレートワインありとあらゆる世界の名産品を食することができる。スウィッチひとつで夏は涼しく、冬は半そででもいることができる。安価に衣類や必需品を手に入れることができる。一度手に入れた魔法の暮らしを手放すことができようか....たとえそのために世界が滅びに向かっているとしても。

 日本政府の考え方は貿易重視、世界的分業主義、すなわち食料は輸入、わが国はハイテク産業をめざすということなのか?このリスク、バランスの悪さ.....日本の食糧自給率を考えると目の前が暗くなる。(食料自給率日本は40%、アメリカは125%)食は命の基本である。その命綱を日本は外国に委ねている。今は日本に農産品を売ろうと躍起になっているがアメリカは自国のことしかほんとうは考えない国である。世界的な気候変動が起きたとき、日本人の多くが餓えるだろう。

 わたしたちは語り手として役者としてなにができるというのか。ひとの命はいともたやすく失われ その軽さは路傍の犬たちとさして変わりはない。ときどきわたしはなにをしても現実世界の流れは変わりなどしないと気持ちが萎えてしまうのだけれど、ただ楽しいための語りはするまいと思う。命の重さと輝かしさを伝える語りをすること。生と死を語ること、この世の美しさ、かりそめであるゆえの切なさを語ること.....それがわたしが生活者として為しうることのほかにできるひとつのことである。

 板倉の工場についてかずみさんがいちばんにするのは機械に点火することだ。ギギとシリンダーが動き出す。オーケストラの音あわせにとてもよく似た音がする。最初はおそるおそるあたりを憚るように...木管や金管がそのうち高らかに主張を始める。予感と歓びに震えるこの音を聴くのがとても好きだ。

 機械が動くまでのあいだに かずみさんが焼き芋を焼いてくれる、うちの肥料で育ったおいもをうちで廃材から拵えた炭で焼く。なんて美しい自給自足だ。灯油を使うのでさえなければ....老夫婦のように陽だまりに腰をおろして、ゆくゆくは畑付きの一軒家をさがして畑をたがやして暮らしたいねと夢のように話しあった。

 午後 病院まで診断書をとりに行く。ところが着いたら診断書の入った書類ケースがない。電車においてきてしまったのに違いない。あちこちにTELそて探したが 見つからなかった。



九百五十八の昼   2005.10.18  寂しい日

 朝 喧嘩しながらかずみさんを板倉まで送る。それから館林の登記所で本店移転、支店移転の手続きの確認をした。くるときは啓示のように登記所の前にいたのに 帰りは迷って高速道路から東洋大や板倉ニュータウンの広大な草原を彷徨っていた。

 ニュータウンは無国籍の小綺麗なレンガ貼りの家々が立ち並んでいる。館林や板倉の古びた手のぬくもりの感じられる家並みと比べると、そこだけどこからか切り取ってそこに置いたみたいだ。頭上に北川辺の道標をみつけてほっとする。OBで昼食をとってようやく一息ついた。クラシックよりジャズが好き...椅子に背を持たせかけて天井を振り仰ぐ。木のシーリングファンがゆっくりまわっている。

 午後は思いのほか 仕事がはかどった。銀行の担当者と打ち合わせ、県のイベントへの申込書作製、有給休暇の打ち直し、連絡会もうまくいった。受注工事一覧もつくった。以前 うちの会社で働いていたマッチがふらりと顔を見せた。「さびしいの ? 」と訊くと「さびしい 」と答えたので「みんな さびしいんだよ 」と言った。コーヒーを淹れてあげた。マッチは天邪鬼のように聞いたことばを繰り返す子だ。....でもやっぱりさびしい気がしたのだろう。この会社に戻りたい気持ちもあるのだろう。わたしも今日はなんとなくさびしい。

 エリザベートは.... 核は父と母と息子のものがたりとして そのうえにハプスブルグ家の黄昏を重ね合わせていけばできるかもしれない。





九百五十七の昼   2005.10.17  おはなし会

 中央幼稚園のおはなし会、手袋人形/ぶたがぶたれた、以下語り/コカのカメ、ならなしとり、魔法のオレンジの木を3クラス。すべてはじめてのおはなしだったので、さすがに4時に目が覚めてしまった。

 コカのカメは末吉さんの語りを一度、魔法のオレンジの木は櫻井先生の語りを一度聞かせていただいた。コカのカメでは手を打ち鳴らし、いっしょに歌う。コカのカメ!コカのカメ!カタイカタイコウラ!カタイカタイコウラ!のこぎりなんかへっちゃらさ ♪ こどもたちも本気でカメといっしょに戦っていた。少し変えたのはコカ村に帰らないで世界一周旅行を続けたこと。魔法のオレンジの木ではこどもたちが少しずつにじりよってきた。歌は最後の二回はいっしょに歌った。さまざまな家庭があり、二度目の母を持つ子もいるかもしれないので、継母は実は魔女だった...ことにした。こういう変更は理に合っているかはわからないけれど、そうしないと子どものまえでわたしは語れなかった。

 3つのクラスで同じおはなしをしても、反応は同じではない。ことにならなしとりはそうだった。それはわたし自身が試行錯誤しながら語ったこともあるし、懐の深いおはなしなので 命の吹き込み方で見違えるように変わってくる。最初のクラスは方言で語った。2つ目のクラスは標準語、婆さまだけ方言、3つ目のクラス ではじめて 子どもたちは息をつめ、目を瞠り全員がひとり残らず集中しておはなしについてくる。民話の底深い力を感じた。みんな傍観者でなく太郎や三郎に同化していたのだと思う。いけっちゃカサカサのときはみんな心持ちちいさくなって耳を傾けていた。太郎の影が沼に映った瞬間、しんとしずまっていた沼にざざざざざざと波が走ったと見る間にばしゃーーんと大蛇が踊りでて真っ赤な口をあけペロリと太郎を呑みこんでしまった。のときは目に恐怖の色が浮かび、ここでようやくものがたりの世界からスに帰る、どっぴんしゃんの意味がほんとうにわかったのである。

 中央幼稚園の語りの場がなければわたしは民話をまだ語れなかっただろう。手袋人形に手をだすこともパネルシアターもしなかっただろう。場をいただけるというのはありがたいことである。終ったあと、園長先生とおはなしした。太郎、二郎、三郎は三つの人格と考えるより、三度目の試みで達成できたと考えられること、民話をなんどもなんども肉声で子どもの耳に語りかけることで、苦境のとき必ず助けがくる、知恵と勇気で乗り越えてゆけると魂に刻んでゆくのだ....と先生から教えていただいたことをそのままにお話した。

 午後、求人誌のための写真合成をした。銀行に行って話を決め、HP作製を依頼し、そのほか幾つかの手を打った。さぁ 今週はぜったい前に進む。



九百五十六の昼   2005.10.16  光る道

 今日もかずみさんを送っていった。夜来の雨に舗装は濡れて、明るくなった空を映し道は白く輝いていた。帰り 引かれるように渡良瀬へ。..繁茂する植物、孤高の木、鳥や虫たちの饗宴.....生命満ち溢れる草原は死の影も宿している。狢の仔か...小動物の死骸、唐突に立てかけられた卒塔婆、黒い大鴉が低く飛ぶ。

 川の傍には釣り人の群れ、空き瓶やビニールが落ちている。ゴミの袋や粗大ゴミが打ち捨てられていたりする。悲しいというより憎しみさえ湧いてくる。なにも自分の手ではつくることはできないのに、美しいものを享楽しながら汚して返すなんて人間は不可思議な生き物だ。

 ひとの姿のない奥に入る。そして川辺に車を停める。雨上がりのキリンソウに黄の蝶が付いたり離れたり.....昨夜の雨を蝶はどこで凌いだのだろう。語ってみる。鳥や虫たち、花々のなかでは集中が途切れない。不思議だ...つぎからつぎへ二時間は語リ続けていたのだろう。

 釣り人の姿が見えたので退散し車を走らせた。橋を渡ったら古河へ出てしまい、それから伊奈へ向った。雑木林を抜けると懐かしい木の扉、ひさびさの「寧」は絵画展があってか、賑わっていた。雑木林を借景にニ方がガラス貼りのせいか、今日は会話の声や食器の音が耳障りに響いた。それとも耳が自然の音に馴染んでいたからかもしれない。

 いったい喫茶店になにしに行くかといえば、わたしはたいていひとりで考え事をするために行く。語りをまとめるには喫茶店が必要なのだ。いい時が2時間あると15分くらいのおはなしはまとまる。そう 卵から雛が孵るみたいに。暗記はいらないからあとは語りを重ねるだけだ。「おさだ伯母ちゃん」のように電車の中でのメモ書きから生まれることもある。

 ちかごろはいい店が少なくなった。ジャズ喫茶や名曲喫茶が都下にはまだあるのだろうが、郊外ではあまりない。音楽を聴くための店はおのずとおしゃべりが制限されるが、カフェに子どもを連れてくる客さえめづらしくなくなった。それはちょっと、と思う。喫茶店はおとなのための場所である。....

 ひとりでいられるには繁盛しすぎず、程よい回転率が望ましい。もちろん長く居る時はお替りを頼んだり片隅に座ったりそれなりに気をつかう。しかしとどのつまり、店の繁盛と客の居心地のよさは必ずしも一致しない。かくして居心地のいい喫茶店は消え去るのみ。寧は静かなよい店だった。お客が来るのはよいことだ。だが、わたしはどこか探さなくては。


椅子テーブルはヨーロッパのアンティーク

 エリザベートをどう語るか。あまりにも資料が多いのでどれを選択するかむつかしい。知れば知るほど、教養もあり近代人の抱える閉塞感や自己矛盾を抱えるエリザベートに親近感を感じるようになったのだが、語るとなるとまた別の問題がある。

 エリザベートは不幸だった。後年 自分をいため続け死を望んでいたとしか思えない。不幸なだけの人間を語れようか。悲惨のなかの栄光、苦闘のなかの至福がなかったら....エリザベートが人生を肯定していなければ語るに値するだろうか?

 ミュージカルのように死んでようやく黄泉の王に抱かれるという設定にしてしまうと真実のエリザベートから離れてしまう。語りとしても前人未踏のジャンルだ。西洋史の1ページ....且つ生と死.....ライフストーリーの一種であるが、エリザベート自身のことばで語られたものは詩以外にはなくその詩は諧謔に満ちているときている。

 エリザベート 造られた美しい物語か  エリーザベト 真実に近い物語。それとも、わたしのこころに映るわたしのエリザベートなら...



九百五十五の昼   2005.10.15   荒地

 朝 板倉まで かずみさんを送っていった。かずみさんは今運転ができないのだ。片目を手術したのだが もう一方がよくないのでバランスが悪いらしい。夏の終わりからふたりのあいだにはひんやりした風が流れていた。(どうやらそう思っていたのはわたしだけらしい)今日はかずみさんのあったかさがわたしのこころに流れこんでくるようでしあわせだった。もういちど かずみさんの夢のために力を尽くそうと思った。

 帰り 渡良瀬の荒地に車で踏み入った。胸が掴まれるような気がした。どうしてこんなに惹かれるのかと思う。アキノキリンソウやススキ、名前のわからない秋草が乱れ咲いている。虫すだく音、耳を清ませば たかくひくく たくさんのたくさんの虫の音色....風はそよとも吹かず 鉛色の雲が垂れ込めている........

 自分も含めて車で来るのは不遜だと思う。小動物が轢かれていると胸が痛むし弁当のカラが打ち棄てられているのを見ると情けない。....にもかかわらず渡良瀬は美しい。車の前の砂利道をスマートなセキレイがツイツイ後をついておいでおいでというように撥ねてゆく。車を停め 窓をあけ シートを倒して鳥の声に聞き入る。リンリン鈴のおとが聞こえる...だれかがススキの原の向こうの土手を歩いているらしい。

 語りはじめる。聞いているのは草ばかり、空ばかり......芦刈.......久女と直方の切ない戀.....ならなしとり、いけっちゃカサカサいぐなっちゃカサカサ......おとうちゃまのこと.....ほうすけ........渡良瀬の空気が織り込まれたせいかものがたりはすこしずつ変わっている.....オレンジの木は....幼稚園で語れるようにアレンジした.....ディアドラは強くなった.......こんなに語りたい...語りたい気持ちと渡良瀬を訪ねたい気持ちは似ている........荒々しい憧れに突き動かされるような 血のなかにあるものが沸々とするような 魂を掴まれるような......不思議だ。   

 医院でレントゲンを撮った。膝の骨がぶつかって痛いのだった。注射を打ったら目に見えて足の運びが楽になった。薬を買った。買出しに行った。寧には行かないでOBに行った。OBはチェーン店で店主が丹精込めて趣味を尽くしてつくった店ではない。そのせいか器や佇まいなど粗雑なところはいくつもある。 さまざまな人がいる。家族連れも年寄りもスポーツ紙もノートパソコンもカップルも来る。ジャズは有線、クリフォード・ブラウン......コルトレーン....音....会話の騒音.....それでも心地よい 大勢のなかにひとりでいる孤独。わたしは一人になりたかったのだと気がついた。

 



九百五十四の昼   2005.10.14   明日の風

 給与振込みが終る。10日の支払いもすんだし.あとは20日の労務支払い。来週パナップと保守料金の話し合い。20日締めから請求書をJIMANで出せそうだ。社会保険の調査書もほぼ全員集まった。大宮の造成も終盤にさしかかった。2500万の舗装が決まった。代田の解体工事が決まった。群馬の収集運搬の許可申請の書類も揃った。来週は支店登記とACの社名変更本店登記をすること。会社のHPはモデリングに頼んでブログでつくることにした。来週正式発注。今日支店長から融資したい旨話があった。来週返事をすること。

 敬は来週こそ免許がとれるだろうか。ルイにしばらく会っていない。

 今日桐生の語りの小祭りの振込みをした。それから手紙を書く。語る場所をみつけなくては......。エリザベートがすこしずつかたちをなし影も色濃くなって近づいてくる。まだ朧だけれど.いつかきっと語れる。そして月曜 コカのカメとならなしとりを幼稚園で語る。木曜はカタリカタリ、時間があったら、杜松の木を語る。なにもかも初めてだが今なら民話もきっと語れる。

 あしたは薬屋に行ってガスター10を買う。接骨医に行って膝をみてもらう。歯医者の予約をする。食料の買出しに行く。「寧」に行こう。明日の夕方から雨が降る。寧は夕暮れ時が美しい。青い闇に庭の明かりが溶け込むころを見計らってでかけよう。もしかしたら暖炉に火がくべられるかもしれない。ぼんやり夢みていよう。そして来週こそ、背筋を伸ばして歩きはじめる。できることをするために。



九百五十三の昼   2005.10.13   やっぱり

 期せずして日記に櫻井先生と同じおはなし「杜松の木の話」のことを書いていたことにわたしはすこし驚いた。17日 幼稚園のおはなし会ではたにし長者か ならなし取りを語ろうとも思っていた。

 あと15年間語りつづけなさいとおっしゃった。わたしはメトセラか八百比丘尼になってしまうような気がした。ようやく5年.....この5年はずっしり重くて熱くて、手にしたものもあれば喪ったものも多かった。千切れそうな苦しみと泉のように溢れる感謝の想いと たくさんの美しいことば 美しいもの...そして自分の裡にもみつけた目を背けたくなるもの.......

 あぁ これから15年ももたないな...その前に死んでしまうかもしれないしと思った。語るということは自分を凝視め続けることだ  。語ることでわたしのなかをとおってゆくおはなしにわたしの魂が映ってしまう。.......目を背けては心に響くおはなしにならない.。

 咲き誇る花はその内にすでに枯れはてた己を宿している。美しさの奥に目を背けたくなるものが潜んでいる。 光は闇があればこそ輝く  ひとの生は瞬く間に過ぎ去り 命の価値はあまりにもかるい.....だから切なくいとおしく美しいのだ。 そういうものを語ってゆく。語る場所を探しながら。

 語ることは....たいせつに生きる.ことにつながってゆく なぜなら語りは祈りそのものだから....。そして日々の暮らし..茶碗洗いやごみ出しや伝票整理やそうした一見卑小なことの奥にも祈りがある...どうかみんな健康でいて...現場で怪我をしないで.....給料が払えるように....仕事がくるように....学校で先輩とうまくやっていけるように  こどもの風邪がなおるように.....それはちいさなことのようで尊い祈りなのだ......自分とそして自分のまわりともうすこし それから視線をとばして とおくのひとたち.....同じように日々をしあわせにと念じながら生きているひとたちに.....

 こんなわたしでもできるだろうか。続けられるだろうかと逡巡しながらやっぱり歩きつづける。


九百五十ニの昼   2005.10.12   生と死

 朝 かずみさんを板倉まで送っていった。それから会社で あまり集中できなくて上の空で仕事をした。会社の窓の外は白い蕎麦の花のさかりで 白や黄の蝶がひらひらひらひら 事務所のなかに迷い込んでくるあわてんぼうもいる。昼食を買いにコンビニまで歩く。小春日和? 赤とんぼが群れなして飛んでいる。白い鳥が上空を横切る、空は青い。

 歌をうたいながら歩いた。

 オレンジの木 たぁかく たぁかく伸びろ 伸びろ 
たぁかく たぁかく伸びろ 
かぁさんはほんとのかぁさんじゃなーい 
 オレンジの実 たわわに たわわに実れ 実れ  
たわわに たわわに実れ 
かぁさんは ほんとのかぁさんじゃな-い

 <タヒチの民話「魔法のオレンジの木」のなかの歌 (歌詞はアレンジしてあります)>
継母に苛められた娘は亡き母の墓で泣いている。気がつくとスカートにちいさなオレンジの種、種を植えると緑の芽 うたをうたうとオレンジの木はぐんぐん育って 花が咲き見事な実をつける。継母にオレンジの木をとられそうになるが........

おかあさんに殺されて 
おとうさんに食べられて 
妹のちいさなマリーが残らず骨を拾い集め 
杜松の木の下に置いた
キウイー キウイー
ばくはきれいな小鳥でしょう

<グリム童話・杜松の木の話のなかの歌>

My mother has killed me,
My father is eating me,
My brothers and sisters sit under the table,
Picking up me bones,

<マザーグースから>

 むかしむかし金持ちの男と美しく信心深い妻が仲むつまじく暮らしていた。妻は朝に夕にこどもが授かるように祈っていた。ある冬の日妻は庭の杜松の木の下で指を切る。血がポトリと雪の上に落ちる。妻は 雪のように真っ白で血のように赤いこどもがひとりいあたらどんなにいいだろうと独り言を言う。祈りと杜松の実を食べたことによって望んでいた子どもが生まれるが、妻はすぐ死んでしまい杜松の木の下に葬られる。男は再婚し娘が生まれる。男の子が邪魔になった継母は林檎をあげようと騙して男の子を殺しスープにしてしまう。それを父親が食べ、妹が骨を絹のハンカチに包んで杜松の木の下に置く。すると白い靄が杜松の木からわき、真ん中に赤い火が燃えていてそのなかから美しい小鳥が飛び出す.......

 オレンジは生命と再生の象徴 杜松の木も生命の木のひとつとみなされ、死んだひとを根元に埋めると生き返るという伝承があったそうだ。病気と同様に悪霊を締め出すとも考えられていた。オレンジの木と杜松の木に共通するテーマは継子の虐待 亡き実母の助け 生命の木 継母の罪と罰と死 そして再生

 ふたつの話を語ってみて、これは単に継母の継子苛めの話なのだろうかと思った。ことに杜松の木の話。生命の実・杜松の実を食べた母親はこどもを産む。ここで再生。昔 食べることによって死者を再生させるという信仰があった。子供が父親に食べられ、親の体に帰ったことによる再生。男の子の骨が置かれた杜松の木から白い靄が立ち 小鳥がとび出す ここで再生、最後に 継母の上に石臼が落ち 白い靄の中から男の子が現れる ここで再生。信じられないことに 
杜松の実→男の子(赤ん坊) 男の子→父親 男の子の骨→小鳥 継母→男の子....とひとつのおはなしに4つの再生が示されている。

 因みに魂は鳥や蝶となって飛ぶと言われていた。杜松の木の話は昔、昔 いまから2000年前のこと...とはじまる。グリム童話の初稿は1800年ごろつまりキリスト以前なのだ。

 表面的に残虐なカニバリズム(人肉嗜好)と見られる恐れがあるが、この物語をそのような皮相な面から見るのは大きな間違いである。私見ではこの物語のテーマは生と死、再生転生復活にあるのではないか。この物語の経糸では男の子が杜松の実そしてふたりの母親のからだから再生する。母から見れば 杜松の実はいのちであるとともに死の象徴である。


赤子の誕生(母の死)
    ↓
小鳥への転生(男の子の死)
    

男の子の再生
(義母の死)

杜松の実→母の胎→男の子→父の胎→小鳥(魂)→男の子

冬(雪)→春(木々の緑 花々)→秋(杜松の実)

生と死はうらがえしである と色濃く伝えている。生命は輪廻を繰り返す。

なぜ 妹にはマリーという名があって男の子には民話の無名性が貫かれているのか

小鳥は金細工師の屋根で歌う 靴屋の屋根で歌う。
それから水車小屋の菩提樹のうえで歌う。

菩提樹は中世ヨーロッパでは自由 または正義の象徴でもあった。


これは菩提樹

そして林檎 林檎が生命を象徴する果物であることにも注目したい。その林檎による死   


つまりこの話には民話の特性である暗喩があちこちにちりばめられている。もっともっと深く読み解くこともできそうだ。万華鏡のようにめくるめく世界。........語るうえでこれほどおもしろい話はそうはない。

 きのう お話を語らせていただいたことで どうやらわたし自身も再生復活を果たしたようだ。仕事をしながら 営々と積み重ねてゆこう。女たちのいのちのものがたり おさだ伯母ちゃん 弥陀ヶ原心中 おとうちゃまのこと フランス窓から そしてこれから紡いでゆく 秩父事件 銭屋の娘     男たちのいのちのものがたり  父の思い出 カーロ・カルーソー  ある男の話 ....田中正造 

 そしてあえかな闇の帳の向こうのものがたり.....

水のおはなし 森のおはなし 星のおはなし....




九百五十一の昼   2005.10.11   わからない

 春日部の聞き手は語りなどあまり知らない方々だった。幼いお子さんがひとりいたので お母さんに殺されて...おとうさんに食べられて...のグリム童話、杜松の木の話は語らなかった。前後はゲームと参加型にして 雪女と弥陀ヶ原心中、最後に 詩。

 いくつかお話を用意して、突然雪女になったのは、朝 枕のそばに偶然「雪女のキス」という本があったからである。巻頭が小泉八雲の雪女だった。

 はじめて雪女を語って4年目だろうか...今日のお雪は魔性のときも最後のシーンも...わたしの知らないお雪だった....おひとりはタオルに顔を埋めて泣き伏してしまわれた。雪女のときは聞き手は7人しかいなかったが、こんなにみなさんが泣いてくださった雪女ははじめてである。おはなしは語るたびにいのちを持つ。当の語り手にもどこへ行くのかわからない。

 笑ったり泣いたり たった1時間のおはなし会に燃え尽きた感じがして小一時間ぼっーとしていた。すくなくとも 語りをしているときの私は生きてはいる。

 今 必要なのはレコードプレーヤー

 Waltz for Debby The Koln Concsrt  Cool Struttin' Blue Train
Left Alone   Last Date  Walk'n  


九百五十の昼   2005.10.11  声など

戸板研究所のサイトから抜粋(青字

人間この仮面なるもの

「個としての私」から解き放たれ、「空としての私」を受け入れた時初めて仮面−素顔の呪縛から逃れることができる。「個としての私」は必然的に実体的な私を要し、肉体的同一性と自己同一性との混同を生む。

 それでは私はどこにゐるのか。そんな私では、その都度変化する「私」のカオスしかなく、バラバラな私しかなくなってしまふ。さう考へるのは依然として「個としての私」の同一性に執はれてゐるからだ。空としての私は私の「私」意識などといふ共同幻想(文化コード)を超えた所で私の同一性を生みつづけてゐる。

 私はそこで絶えずコスモスにつなぎ止められ、個としてのあり方を放棄した私でありつづける。

 役者が役になる際の特殊な感覚は、実はこの人間の潜在的常態が顕在化したものであり、この感覚の中で私の「私」意識は個としてのあり方から解放され、作品のコスモスそのものに関はりつづけようとする。この運動に含まれる滅我あるいは無我、忘我の常態がある種の恍惚として体験され、それが演劇の有つ宇宙(コスモス)感覚として了解されるのである 中略 演劇のみが特権的に世界の解体と創造に与する。演劇のみが《今ここ》に私の「私」意識を引き寄せ、そこで自己同一性の滅亡=創造の危機を生み出し得るからである。他の芸術には、私が私自身として私を棄て去る運動は発生しない。この運動は演劇独自のものだ。


個人的考察

 芝居をするのは自分のうえになにかを付け加えるのとは全く別物である。つまり娼婦風にしたり令夫人風に外側や話し振りからするのではない。といってはだかになるのでもない。自分をあけわたし、なにかをそこに充たすという風でもあるし、隠れていたものを引っ張り出すようでもある。自分のキャラでしか勝負できないなら役者ではない.....もちろん、.これはわたしの考えである。役つくりというがつくるのではない。つくるだけではない。そこにエッセンス、霊感がなくては輝きがない。

 これは10/1の日記である。役になるということは自分をあけわたすこと、空にすることであることがまず最初にある。付け加えるのではない。それから思いもおよばないものが自分の底の底からでてくる。それは潜在意識に潜むなにかであり宇宙とつながっているなにか......ゆえに壌さんも山下さんも役者は依座だというのだ。

 ときに、私は聞き手を前に語っている時、なにかが私自身に降りてくる感じがすることがあります。語っているのは確かに私なのですが、私の口や身体をかりて 何かが踊り出ようとしているような気がするのです。それがなになのかはわかりません。そんな時本来の自分は、意識の渕に半ば沈んで、語る自分と聞き手をはっきり認識しています。

 これは4年前に書いたものだが、語りも無我、没我の時間(決してランナーズハイではない)を持つ。時間すら消え去るといってもいいかもしれない。私が私自身として私を棄て去る働き、しかしこれは演劇に固有の演劇のためだけのものだろうか。優れたエトワールはいう。.....踊っているとき、自分でなくなる。その一瞬のために肉体的な他の快楽を何十年棄てても後悔はないと....音楽家はどうか.....他のすべての芸術家は...ミケランジェロは.....アルテとは....神の定められたところに鑿を打つことだと言った.....芸術であってもなくてもそれに近いことはないだろうか......

 ただ、わたしたち語り手には、役者には、ことばがある..声がある...それは賜物である。肉体の練磨なく、芸の練磨がささやかなものであっても ことばが魂からわきいずるとき、コスモス(作品世界という小コスモスでなく)とつながっているとき その声はとよもす波となりひとつのものがたり世界を聞き手とともに構築し、魂を揺さぶることができるのだ。

舞台での4つの声

ヒントはT.S.Eliotの'three voices of poetry'
つまり
1) the voice of the poet talking to himself
2) the voice of the poet addressing an audience
3) voice of the poet when he attempts to create a dramatic character speaking in verse

1 地の声(現実の私の声:第一の部屋の声)
2 語り手の声(現実と虚構を橋渡しする声:第二の部屋の声) 3 役の声(舞台世界の一人称の声:第三の部屋の声) 4 詩の声(詩世界の非人称の声:虚空の声・世界の声): impersonality 個人的考察

◎  1の声はつねに見守る自分自身.....世阿弥のいう高見に近い
◎  2の声はものがたり世界と聞き手の橋渡しをする声だが、同時に     4の世界の声、超越者の声に収斂されていくようにわたしは思う。
◎  3の役の声は芝居上においても相手役だけでなく聴衆にも投げか    けられてはいないか?語りにおいては、間違いなく聞き手に向っているのだ。3年前 高校のPTAの総会で「つつじの娘」を語らせていただいたとき、語り手の声がかわるたびに 自分の気持ちが若者になったり娘になったりするのが不思議だったと校長先生が言ってくれたのはその証と思う。

 声をとおしてひとはつながってゆく。過去から未来に........師から生徒に....親から子に......友から友に......隣人に......見知らぬひとに......そこにいとおしむ心がなければ伝わらない。声が伝わるのではない。声に乗せたこころ、声に乗せた想い......限りなく愛に近いものが伝わってゆくのだ。

 ....想いはなんの技巧もなく伝わるはず...と考えていたが、決してそれだけではない。想いを声に乗せるのは、方法がないわけではないのだ。それは喩えていえば水道の栓をひねるのに似ている......と思う。



 このところの苦しさのひとつは自分の活動と組織の活動のはざまでもがいていたことからきていたのだ...とようやく気がついた。わたしはまっすぐ歩きたい。理想という高き峰は見えている。ぬかるみであろうとガレ場であろうとずんずん遮二無二進むサガである。

 しかし、わたしはトムの会や久喜座に所属していて、トムの会も久喜座も主催者や構成するひとびとにそれぞれの想いがある。会社やカタリカタリのように曲りなりにも自分の理想のように進むわけではない。それで自分の裡にアツレキが生じるのである。

 わたしは語りも芝居も自分なりに学んでいて前に進みたくているのだが、それを既存の場所に当てはめようとしても無理なことなのだ。自分の趣味に合わなかったり窮屈だったりする服を着ているようなものだ。それに時間的な制約もある。自分ひとりの語りの活動の場はこれはまさに実力である。ひとから求められなければなくなってしまう。それで良しとするなら、一度降りたほうがいいのかもしれない。もしかしたら今はその時なのかもしれない。

 ただ、反省すべきは 自分がなぜ稽古や例会に参加できないか、きちんと伝えてこなかったことだ。家族のこと、会社のことで物理的に無理であったが、それだけでなく現状への懐疑とまた愛着もあり、整理がつかない状態での葛藤があって、そのままきてしまったような気がする。

 わたしは組織のなかでやるためには我侭なのだろう。カタチとこころは組織のなかでいつも鬩ぎあうものであり、組織するものは現実との兼ね合いを持って前に進むしかない。では会社ではといえば、その理想が自分自身で組み立てたものであり、結果をも自分自身で受けとめなくてはならないから進むことができる。

 仕事をしたくないのではない。仕事はしなくてはならないものだから。語りや芝居をしたいのに、思うようにいかないから 逃げ出したい?それなりに努力する、もう潔く 風を切って歩き出す、さぁ どうする。

 
      
 

九百四十八の夜   2005.10.9  Fly me to the moon

 隣の部屋からシナトラの歌が流れてきる  胸がしめつけられるようだ。ディーン・マーティン......誰かが誰かを愛してる......

 夜中 テレビでク・ナウカの王女メデイアを観た。ク・ナウカの芝居は役者は声を出さない。からだを演じる者と声を出す者とふたりがかりでひとつの役を演じる。声を封じられた役者、動きを禁じられた役者......想いは滾るだろう 沸き立つだろう......
 そういえば天保十二年のシェークスピアで壌さんと吉田さん、関八州親分衆の台詞がないシーンで 顔の表情がそれは空前絶後に可笑しかった。観客は腹をかかえて笑った。

 マリがナットキングコールのモナリサをかけてくれた。ビロードのようになめらかで温かく、秋の雨のようにしみとおる声......

.....わたしはこの日記を逃げ場にしてはいないだろうか....こうして夜中に囁く声を封じられたら、語るしかない。語り手は語ってなんぼ..である。 まだなんの準備もしていないけれど.....11日......春日部の生協ふれあいプラザで1時間語る....杜松の木の話、弥陀ヶ原心中、おとうちゃまのこと.。それが終るまで日記は封印しよう。



九百四十八の昼   2005.10.9  日曜日

 あさ あき あめ .......かずみさんは芋ほりに行った。わたしはまっとうなことはなにひとつしなかった。あしがいたいのをいいことに ぼんやり過ごした。うちでは電化製品はつぎからつぎへと壊れる。CDプレーヤーもビデオも壊れているがだれもなおさない。

 パソコンにはわりといいスピーカーがついている。でもわたしはCDの音はあまり好きじゃあない。とくにジャズは針が音を刻む 昔ながらのレコードプレーヤーでないと匂いのない薔薇のように味気ない。とうぜん プレーヤーは壊れているので 毛布にくるまって 昔の音をこころで聴いていた。エヴァンス......キースのピアノ.....音の波に押し流される.....もうゐないひとの手がわたしにさしのべられる なんという日々だったことだろう .....

 .そのうちにM.J.Qやティモンズも聞こえてきた.....お酒のバトンを送ったりしたからかしら 過去へ想いは遡る.......あとで手にしたものの軽いこと.....もっともっと遡ったら わたしは青いちいさなガラス玉に収斂していって消えてしまいそうだ.....

  さぁ 立ち上がらなくては   まず 脚を直さなくては  



九百四十七の夜   2005.10.8  わたしは.....

 どこに行こうとしているのだろう。パフスリーブの白いワンピースを着た少女のように蹲っているよ......しあさってのおはなし会....どうするつもりなのだろう?.....なにもしたくない。

 雨が近いと膝も脛も痛い。頭痛もするし、音楽も聴きたくない....秋の病だ.....決算、支払い、給与計算、会議、書類作製、かたちのないものをかたちにする.....作業.....命をつなぐための仕事.....信用を営々と積み重ねて....こうしてつないでつないで.....無為とは思わない....だけど自由になりたい

 ....わたしの知っているたくさんの顔と名前.....ひとつずつの試み.....それは燃えているアルコホルランプの青い炎のようだ....周囲を温めるにはいたらないがすこし熱を発している......暗い闇のなかで燃えるたくさんの炎をわたしは眺めてゐる........あぁ なんてかなしい.......声をかけても届かない.......ほんのすこししか温まらない......ほんのすこししかかえられない

 雨が降ってゐる わたしはここにゐる  わたしがゐても居なくてもなにもかわらない  



九百四十七の昼   2005.10.8  中小企業

 以前につくったiタウンページを見たのでという問い合わせがおとつい、二件あった。成約すればこれほどうれしいことはない。これからの商売はウェッブ抜きでは考えられないものになるだろう。来週サイトの作製をどこに頼むか決めようと、見積もりと提案を依頼した二社と会う約束をした。

 昨日は学生援護会のフリーペーパーの営業ともあった。昨年のバイト募集ははじめてリクルート社他にフリーペーパーやネットの媒体で頼んだが散々だった。応募もなかったが営業がひどくてアフターがまったくないのである。それで一度は新聞の折込に戻した。一級、二級の施工管理技術者など、資格のある人はハローワーク(職安)からいい人材がくるが、ふつうのバイトでハローワークからくる応募者で当たったひとはいないのだ。掲載にお金がかかってもひとは集めなくてはならず、今の社員さんたちもそうして集まってきたひとが半分である。学卒できたひとはひとりもいない。
 その学生援護会の営業がおもしろい青年だった。うちの事業の話をすると興味を持ったらしく、いろいろな提案をしてくれた。今はニートとか、うちの息子もそうなのだが、ひとつところにとどまらず、週三くらいの働きで良しとする若いひとが多いのだという。ただ契約をとろうとするだけでない心意気と提案に惹かれて今回はここに広告を頼むことにした。

 つづいて商工会と埼玉県の商工課の方が見えた。新しい取り組みをしている中小企業に補助金を出したり、低利の融資をしてくれるという制度の説明に見えたのだ。しかしNYKの近藤先生や早稲田の先生に事業計画をつくってもらうというような安易な方法で事足りるものではなかった。経営者自らと県の担当者がやりとりしながら事業計画を練り上げてゆくというシステムなのだ。

 市町村任せから県がが一歩踏み出した。担当者自らが即、中小企業のオフィスに来るなどということは以前は考えられなかった。知事が民主党の若い人に代わった成果が出たのかもしれない。事業計画を根本からつくる、なにを目指しているか、そのためにどんなステップが必要か 阻害しているものはなにか それらを自らが書くこと、自身に問い詰めることでなにが問題なのか見えてくる。

 このサイトもわたしにとってそういうものだった。どれだけ先に進めたか計り知れないものがある。覚悟は決めた、応募しよう。そして銀行の支店長が勧めてくれた2006年2月の埼玉県の異業種交流のイベントにも出展しようかと思う。一歩踏み出す、二歩踏み出す ひとりではできないが まわりのひとたちの力をひとつに纏めて前に。そしてもうひとつ。

 

九百四十六の昼   2005.10.7  シニフィアン・シニフィエ(10/6つづき)

 シニフィアン、シニフィエとはなにか?

 シニフィアンは「意味するもの」「表すもの」を意味し、シニフィエは「意味されるもの」「表されるもの」を意味する。

 シニフィアンとは言語が持つ実体のことで、例えば海という言葉の「海」という文字や、「うみ」という表音のことを言い、シニフィアンによって意味されたり表される海のイメージや海という概念、意味内容がシニフィエということになる。ソシュールが創設したと言われる一般言語学においては、シニフィアンとシニフィエとが一体となったものをシーニュ(sign)、すなわち記号であるとしている.........
 ばらという音と響きがシニフィアン 薔薇のイメージ はシニフィエ?
ここに深紅の薔薇がある...「..ばら」と声に出したときばらという音と赤い薔薇は一致する。

 しかし 過去恋人からもらった赤い薔薇の花束を思って、「ばら」と声に出すとき、思考が表とすれば音はウラだから シニフィアンは単なるばらではない、戀 熱い想い いっしょに過ごした時間 歩いた夕暮れの公園を内包する豊かな音韻となる。

 語り手が聞き手に届けることばは単なる文字の表音、音声化であるはずがない。シニフィアン→シニフィエ は増幅する。さもなければ ものがたりは生まれないだろう。

 11日のおはなし会の練習をしなくては......




九百四十五の昼   2005.10.6   彼方へ 

 お気に入りを彷徨っていたら見つけた。シェイクスピア戸所研究室から

 今、一番おもしろいと感じているのが「声」のありようだ。まだ考えが熟していないので箇条書きにしてみた。インターネットや携帯電話のメールの日常化は我々から声を奪いつつある。文字は確かに素晴らしい発明だが、万能ではない。しかし、それにしても声の退潮が気に掛かる。TVドラマはいざ知らず、最後の砦の筈の舞台でなんと声のありようが貧弱であることか。特に蜷川演出の作品にはそれが顕著だ。観せることばかりに心を砕き聴かせることを忘れているからだ。

 「天保12年」では感じなかったがこれはわたしも蜷川作品を観るとき いつも感じることなのだ。そして 今 わたしが考えていることも声である。力といのちに満ちたことば 本来のことばを取り戻すには発声が大きな鍵なのだ。語りにしても60パーセントは発声の質とキャパで決まるような気がする。」

 物語を語り手が語る時、我々聴き手は物語と語り手を同一視しない。確かに物語は語り手から出てきたものではあるが、語り手そのものではない。落語家は話の中で泣く場合、決して涙を流さない。この抑制は、語り手は役者になってはいけないといふ、語りの世界の自律性を守らうとするルールから生まれる。かうして、語りの中で、語り手は絶えず物語と分離してゐる。
 聴き手は語り手のことばを語り手に同化させず、そのことばを語り手のかなたに送り、《かなたの世界》(語りの世界)で物語を展開させる。つまり、聴き手−語り手−物語世界といふ3つの世界が現れることになる。
→シニフィアン(意味するもの)とシニフィエ(意味されるもの)の場の差異

 このあたりも興味深い。語り手が泣いてはならないのは不文津であるし、トムの会での不幸なトラブルの原因であった台詞も語り手は役者として放り投げてはならないのだ。ただし この彼方の世界は聞き手の内的宇宙にあってそれは聞き手の根の部分で世界と繋がっている。また語り手は絶えず物語と分離しているというが 語り手の内にある核を透過してものがたりは聞き手に届けられるのだから 語り手のぬくもりや語り手のいのちもものがたりとひとつになる。こうして 語り手 聞き手 その日の空気 場所の力を借りて ただそのとき限りのものがたりは生まれるのだ。


九百四十四の昼   2005.10.5   カフェで

 朝早くからお昼過ぎまで仕事をするとたいそうはかどる。一日分ははかが行くような気がする。午後浦和に行く。帰り古本屋に行くと掘り出しものをみつけた。閑吟集、梁塵秘抄 宇治拾遺集など、さっそくカフェで読み出したら3時間たってしまった。

 ちょっと逃げに入っているな.....ただただ必死で生きているときは本を読む暇もないし、本を読みたいとも思わない。わたしは若い頃 本ばかり読んでいた。趣味は古本屋廻りで多いときは4.5冊読んだ。薄明の本の世界に耽溺して 好きな作家のものは読み漁った。

 それが 語りをはじめてからパタリと読まなくなった......読む必要がなくなったのだ。逃げ出したいものに向ってまっすぐ対峙してゆけるようになったから....この手ですこしずついつか変えてゆけると思えたから......

   君が愛せし綾藺傘 落ちにけり 落ちにけり

      加茂川に川中に それを求むと尋ねしほどに

   明けにけり 明けにけり さらさらさやけの秋の夜は



   仏はつねにいませども 現(うつつ)ならぬぞ あわれなる

      人の音せぬ暁に ほのかに夢に見えたまふ



   女人 五つの障りあり 無垢の浄土は疎けれど

      蓮華し濁りに開くれば 龍女も仏になりにけり



   仏も昔は人なりき われらも終(つい)には仏なり

      三身仏性具せる身と 知らざりけるほどあわれなれ


 
   遊びをせんとや生まれけむ 戯れせんとや生まれけむ

      遊ぶ子どもの声聞けば わが身さえこそ 揺るがるれ



 梁塵秘抄は今様...当時の..流行歌であったのか....梁塵とは中国古代の優れた歌手が歌った時 その声の響きで梁の上の塵が舞い上がった故事に因んだものだそうだ、

 目で見るより 口にすると 響きの美しさがえもいわれずうつくしい。
さぁ 今日も がんばってみる!?






九百四十三の昼   2005.10.4   旗のいろ

....... 今日のトムの会の発表会はとてもよかった。ダメ出しのところは格段によくなっていた。それぞれの語り手がよい語りをした。お客さまも楽しんでくださり満足して帰られた。みんなほっとした。

 ところが、ランチをいただいてあとの反省会で、きのうのわたしのダメ出しのことから 今日でおはなしはやめるというひとがいて、騒然、唖然となった。わたしの胸は心臓から飛び出しそうになるほど鼓動が強くなった。なぜ?  どうして?  個別に伝えることは伝え、台詞については声を無理にかえなくても気持ちが変われば自然についてくる、.わたしはそのほうが聞きやすいと思います....といった。....地の文と台詞のバランスはそれぞれひとの語りを聞いて自分で判断するのがいいのでは.....と言ったが 特定の個人にたいしてどうこうは言わなかった。

 まわりのひともみんなで誤解だといってくれたし、庄野先生もこういっている...という話になったのだが、先生に言われたことは聞くし受けとめるけれどなかまからは言われたくない...という。それでは合評もダメ出しもできない。

 わたしはみんなの話すのを聞きながら昔のことを考えていた。2000年、櫻井先生にお会いして、それからコスモス、トムの会にはいった。はじめての勉強会で雪女を語り、それを聞いた橋本さんが泣いてしまって櫻井先生の講座に参加したのだ。そのころはこの会は半分が本の読み聞かせと紙芝居、あと半分が素話だった。いまは語りがほとんどになったしトムの会の語りの質はそう低いものではない。がそのためにやめていったひともひとりふたりはいる.......

 この五年間さまざまなことがあった。 語りがなければ生きてこられなかったと思う。語りや語りを通しての友人たちとの交流があって今のわたしがある。だから テキストを暗記するのではない語りを伝えたかった。まだ理解されないとしても ....それでも前に進もう。あとには戻れない。旗印を鮮明に、つねに鮮明にせよ...その結果起こることはすべて受けとめること。




九百四十ニの昼   2005.10.3   月曜の朝は

 本町小のおはなし会 カタリカタリのOさんから素敵なプレゼントをいただいた。ピンクのぶたの手袋人形である。おまごさんにはなしてあげて....のメッセージ、チョコレートもはいっていて、うれしくて泣きそうでした。

 きのうのリハーサル、台詞の立てすぎが目立った。気持ちを代えれば声は自然にかわる。(修練によって声のキャパは差がでるが.)...声色を使いすぎると聞いていて疲れる、と思った。Yさんのアナンシが何度も聞いたはなしなのにおもしろかった。。鳩の奥さんのピンクの脚が見える。うさぎの奥さんもぱたぱたした耳が見える。そして語り手と聞き手の絶妙の呼吸の心地よさ、これはYさんがリードしている....というより自然な間、呼吸なのだろう。20年 まいにち子どもたちと接しているってこういうことなのだと思った。

 なかまたちはあたたかかった。ダメだしを少しさせてもらったが、明日の発表会は楽しみである。それにただ聞くだけってこんなに楽なのね...という感じ....とても客観的に見えるのだ。.自分は語らなくて、全体をプロデュースさせていただくのもいいなと思ったりした。

 しかし、月曜の朝は けっこう苦しいものである。わたしも...子どもたちも。


九百四十一の昼   2005.10.2  つづき

 きのうは朦朧と書いていたらしく あとで読んだらおかしなところがあって笑ってしまった。が、自分で書くだけならいいのだが、もし訪れてくれる方が読んでそれっきり来られなくなれば嘘を伝えてしまうことになる。気がつけば修正したり補ったりしているのだが、一期一会と思うとちょっと怖いのである。

 きのうのつづきで、自分を知ることは他者を知ることにつながってゆくのだろうか...というのが今日の命題。ところで 夕べOの会の山口さんとTELでおしゃべり、ふたりが所属していたおはなしの森のメンバーMさんとネモさんがハトコ同士と知って 世の中狭いものだと二人妙に納得した。ネモさんも偶然共通の知人だったのだ。わたしたちはお互い認め合っていていつかふたり会を...山口さんは朗読、わたしは語りで...ひらこうと誓いあっている。力量もだがそれ以上に朗読、語りへの熱い想いを抱いていることへの共感があるのだ。山口さんはOの会の代表渡辺さんの一途な信奉者で、わたしはとんでもないところ(朗読ろうどくさんのプログ)で渡辺さんと勝手にバトルしているので ぶつかったり解けたりしているのだが たいていわたしが朗読と語りは根底が違うのよといい山口さんがほらやっぱり同じじゃないのといって終わりになる。

 今日の午後 トムの会発表会のリハがある。もう何ヶ月も例会に参加していない.....というのはテキストをまるまる暗記するというトムの会のあり方に飽き足らないものがあってカタリカタリを立ち上げたのだが、ルイの誕生やかずみさんのことなどでトムの会に行く余裕がなくなってしまったのだ。...しばらく振りに聞くトムの会の語りをどのように感じるか、この数ヶ月わたしが自分自身を知るということに.....一歩踏み込めたとしたら.....以前より見えるはず聞こえるはず...さぁどうだろう?
ともかく仲間の語りをひさしぶりに聞くのは楽しみである。深い共感をもって聞かせていただけたらと思う。


九百四十の昼   2005.10.1   役者

 芝居をするのは自分のうえになにかを付け加えるのとは全く別物である。つまり娼婦風にしたり令夫人風に外側や話し振りからするのではない。といってはだかになるのでもない。自分をあけわたし、なにかをそこに充たすという風でもあるし、隠れていたものを引っ張り出すようでもある。自分のキャラでしか勝負できないなら役者ではない.....もちろん、.これはわたしの考えである。役つくりというがつくるのではない。つくるだけではない。そこにエッセンス、霊感がなくては輝きがない。

 junさんや壌さんや知りびとを観に会いに応援に行くというのは、これはまったくべつのことであるし、わたしは内野さんや井上さんだから観にゆくのではない。芝居を観たい。それは愉しみでもあるし突き詰めれば自分を見る。自分がみえるからでもある。触発されて芝居のなかにいて自分の知らざる自分が見えてくる。ふだんは隠され隠れているものがあらわになる。(裸(はだか)が裡に(うちに)と近いのはおもしろい。)

 ひととひとはつながってリンクして生きてゆく。されどもなにがおもしろいといって自分という小宇宙、なにもかも知り尽くしているはずなのに実はあまりいやほとんど知らない 肉体や魂....を知ろうとするほどおもしろいことはない。絵画や文学や芝居を観るとき、そしてそれ以上に聞き手のまえで語りをするとき、観客のまえで芝居をするとき、自分がひらき、はだかになり、充たされるときほど 慄くときはない。

 立場を変えれば、その慄きを与えられる役者ほど、わたしは好きだ。よい器になること、役者がめさすところはそこではあるまいか。見えるところと見えないところ、外側も内側も磨きぬくこと。当然ながら自分が目指すのもそうでなければなるまい。



九百三十九の昼   2005.9.30  長月晦日

 HP作製支援の会社と打ち合わせ、今後はタグでつくったHPのほうがヒットする確率が高くなるとのこと。午後振込み、オサワさんが血相変えて会社が携帯電話の負担を個人の責にすることに異義を申し立てたので丁寧に実情と真意を話した。さいごはこころよく納得してくれた。実際は会社のためにかかった電話代は立て替え金として支払うのだから そう変わりはないのだが 既得権というものを手放すのは誰しもいやなのだ。今回は社員の公平を期し自覚を促すためにいくつか変更を行った。

 また、下請負基本契約を協力業者と締結することにし、発注制度も変えた。しかし、建設業法に明記されているにもかかわらず、気持ちのうえで抵抗があるようだ。微妙である。今までは注文書の後ろに添付していたので実質は変わりはないのだが、お互いの権利義務を明確にするのがかほどに抵抗があるのは日本型曖昧もたれかかり社会の尻尾のようなものだ。

 心はバランスをとるにはこのうえないが、社会は進化している(退化ともいえる)ということ。阿吽の呼吸ではもう通用しない。欧米型黒白決着型に対応しなければ生き抜けない。

 夜 いよいよ土木課の今と未来のための会議。



九百三十八の昼   2005.9.29  走る

 会社を訪れた方々とよく語った。TELで月末の入金の確認をした。会議でいいにくいこともずいぶんと言った。わたしは会社を維持し発展させるためのことはなんでもする。それが必要なことであれば鬼にもなろう。

 7時半頃 リサちゃんからTEL おなかが痛くて歩けないという。とるものもとりあえずアパートに駆けつけ、病院にTELした。あいにく惣は夜勤である。家によってルイを娘たちに預けてから病院へ向う。ルイを出産した病院では異常はないという。それから119番にTELし病院をあたり、白岡中央総合病院に連れていった。痛みを忘れるように心配させないように話しつづけた。夜も9時を過ぎているのに 次から次とひとが来る。白髪の夫ががたがた震えている妻を連れてくる。脚を怪我したひともくる。CTスキャン、血液検査などをして結果が出ましたので、ご家族も一緒に先生から結果を聞いてください...と看護士さんから言われたときは、ドキっとしたが、特に切羽詰まった状況ではなく ほっとした。さきほどの震えていたご婦人も問題はなかったようで、患者たちが点滴を受けているあいだに 紙コップのコーヒーを飲みながら老いた人と話した。

 二人暮し、子は近寄らないという。朝ふたりで公園を散歩するのが楽しみということばに夫婦が寄り添って生きているようすが偲ばれた。そこに入院患者の老人も居て、このひとは妻を脳梗塞で喪ったあと、やはり子が近寄らず、天涯孤独という。「もう、妻のところにいつ行ってもいいんだ、早く行きたいよ」...「.おとうさん、そんなことをいうと あの世でおくさんに叱られますよ。わるいことばかりじゃない もうすこし がんばりましょうよ」

 ひとは誰も年を取る。これは20年後のわたしたちかもしれない。孤独とは老人が子どもがなくひとりぼっち、子どもが親がなくひとりぼっちのことだという。終のときまで寄り添って生きたいと思った。かずみさんやリサちゃんやまわりのひとたちをたいせつにしたい.....車のなかでリサちゃんを気遣いながら、そう思った。



九百三十七の昼   2005.9.28  薄・かるかや・女郎花

 化粧をして深紅のシャツブラウスを羽織って会社に行く。いつもどこでも素のままとこころがけてきたけれど、気持ちがのらない時は気分を纏ってでかけよう。 役者のはしくれならできるはず わたしはてきぱき仕事ができるきれる女...と暗示をかける。

 笑顔で片端からTELする。商工会のSさんが助成金の件ですぐ来るという。その場で県の担当者にTELをかけてくれる。7日に来社と決まる。Sさんはこの会社ならだいじょうぶと思いました...と言ってくれる。団体保険の勧誘に見えたとき、商工会の現状について歯に衣着せぬ問答をしたのだ。ささやかな勝利だ。

 観客に味方をつくること...と山下さんは教えてくれた。仕事でもそう、お得意様でも取引先でも社員さんでも 心で応援してくれる味方をつくることだと思う。....自分を通そうとではなく相手の気持ちを動かすことで目的の場所に到達すること。相手の方が生きやすいようによりよく動けるように願いを込めた...ことば、まなざし、行い 声のいろ 芝居をまなぶこともまた人生を学ぶことである。

 午後東京海上のTさんをお連れして板倉に行く。炭化プラントは動き始めた。機械からベルトコンベアに乗って炭が運ばれてくる ちらちらと火花が見える。山吹色のバケットには炭の山、炭色のほこりを薄く被った部屋を掃除し、支店登記のための写真を撮る。

 帰り道 渡良瀬へ、秋草の丈なす道を走る、リリリリリ ロロロロロ 虫の音と風の音 ここへきたかったのだ、と波のように想いが押し寄せる。この近くに住みたい。いつか 渡良瀬は変わってしまうだろう、いや刻々と変わっているのだろう....それでもここには 野生がある 荒々しく 豊かな自然の名残がある。山でも海でもない草原.....それがこんなにこころ彼方に広がる胸は苦しくなるほど懐かしい場所だったとは.....。







 安全施設課会議 机の上に\49.500の仕入れ伺い書一枚と一万円札5枚を置く。伝票や仕入れ伺いの数字が実は現金とおなじであることを示すためだ。取引先の営業さんも加わって 笑いもまじえての会議。

 夜 ルイのところへ 飛んでゆく ルイ ルイ 会いたかったよ ルイはころころ寝返りをうつ。そしてすこし立つと泣き出す。このまえ留守番したとき、リサちゃんに内緒で秘密の特訓をしたのだ。はじめてリサちゃんの手料理をいただく。リサちゃんは惣にお弁当をつくってくれている。すごいねリサちゃん ありがとう リサちゃん.....後ろ髪をひかれながら家に帰る。






九百三十六の昼   2005.9.27  雷鳴が轟く、そして慈雨

 時間がないので、帝劇「エリザベート」のあと、コクーンで「天平十二年のシェークスピア」のソワレ その合間にギュスターヴ・モロー展.......という信じられないようなスケジュールを組んだのだった。

 「エリザベート」ははじめてストーリーがつながった感じがした。皇帝フランツと皇妃エリザベートのすれ違いの愛。母エリザベートと皇太子ルドルフの.....皇帝と皇太后ゾフィーの....からまり空回りする想いを横糸にエリザベートの死への憧憬....黄泉の帝王トートに擬人化された死のエリザベートへの愛を経糸にものがたりは進む。背景に破滅に向うハプスブルグ家の落日と黄昏、そして葬送の曲。

 皇太子ルドルフ(マイヤーリンクの)と黄泉の王トートの歌う「闇が広がる.」 老いた皇帝と皇妃がうたう「夜のボート」が美しく痛ましい。トートと皇帝がWキャスト、皇太子ルドルフがトリプルキャストだから組み合わせとしては12通りか.......今日は決してわるくはなかった。いい芝居を観るとからだにくる、わたしは有楽町....そして渋谷への雑踏を呆然と歩いていた。回路が開いていたせいかモロー展ではエウロペの前でからだは痙攣するし涙も溢れてくる、放電しながら歩いているみたいだった。でもそれは幕開けに過ぎなかった。「天平十二年のシェークスピア」は半端じゃなくて わたしは口を半ばあけて4時間半座席にいたのじゃないかと思う。蜷川さんの芝居ってコケ脅かしのようであまり好きではないと思ってたからなおのこと。

 井上ひさしさんてすごい人だ。日本語がこんなに面白かっただなんて。

 役者は目を見るとわかる 芸達者をそろえたオールスターキャストだったが、なかでも目をひいたのは唐沢寿明、藤原竜也、夏木まり、白石加代子...狂気と紙一重、そしてその狂気を支えるのは練磨された強靭な肉体だ。夏木は50センチ座ったまま飛び上がった。藤原の足は他の役者の3倍のステップを踏む。そして唐沢ときたら アレグリアの世界だ、舞台の下手から上手へ回転しながら一瞬ですっ飛ぶ。

 ただ、それだけでない、唐沢の演じる小悪党みよじのたったひとことの台詞でわたしは泣いた。ひとことのなかにみよじの生きてきた何十年が見えたのだ。藤原の狂気と平静、放埓無頼と内省への瞬時の切り替え......エリザベートでもそうだったが、いい役者は刹那に感情の切り替えができる。憂愁から猥雑へ、懇願から嘲笑へ 疾走から静止へ万華鏡のように変わり 芝居小屋を支配する。

 このギアの切り替えは簡単なようで簡単ではない。息を変えなければできない。それが......瞬時に....わたしには魔法に思えた。なまじ齧っているからその難しさはよく知っている。車のギアをハイトップからロウへロウからハイトップに走りながら0.3秒で切り替えるようなものだ。そして声の豊穣.....慈雨のような雷鳴のような......それはもちろん声色ではない。感情の起伏によって自然に変わるのだ....艶と響き.....強弱と緩急そしてリズム.....間。

 これは同じ人間がしていることなのだ。足らずとも今 できることをしよう。肉体と声を鍛えること....観たひとが聞いたひとが生きててよかったと思えるような芝居、語りができたら.....すくなくとも こころだけではなくからだに響く語りができたら........。



九百三十五の昼   2005.9.26  潮目

 季節の変わり目は地に足がつかず ふわふわする。3月頃とはまた違ったとまどいがからだとこころの両方にあって、心ここにあらず、からだのほうも熱に浮かされたようで、早く冷静な自分を取り戻したい。

 その一方で今は潮目かもしれないという予感もある。わたしはなにをしたいのか....なにをすべきなのか....このサイトで綴ることはその確認作業でもあった。こうして夜毎、ただ夜の海に問いかけるように書き綴ってはきたが 答えは帰ってきはしない。この一ヶ月は櫻井先生やjunさんや朗読さんから反響がきたがこういうことは稀で、何ヶ月もなんの音沙汰もないこともある。それは覚悟していたことなのだ。期待するまいと決めてはいたのだ。受けとめていただくだけでありがたいとそう思っていた。

 自分自身のために書いてきた。語りとはなにか.....そして突き詰めると生きること.....すこしでもよりよく生きること。なぜなら それこそ語りの質を高めることに他ならないから。

 だが、しかし そろそろ 方向を変える時期なのかもしれない。いくら夜の海に向って叫んでも、波の音にかき消されるばかりかもしれない。能書きはもういいのかもしれない。

 道ばたでもどこでも 語りはじめる時かもしれない。実際に聞いてもらわなければわかりっこないし、わたしは今 たしかな手ごたえがほしい。間違ってはいなかったという確信がほしいのだ。 ......この気持ちは風邪のように通り過ぎてしまうだろうか。風がひんやり冷たくなって心許なく、ひと戀しくて、ただそれだけの訳ならば.....。



九百三十四の昼   2005.9.25  風が

 秋の風の音がする.......とうとう夏がいってしまった......
古浄瑠璃正本集...を注文した。日本の語りのルーツを辿ると古浄瑠璃に驚くべき宝庫があるようだ。中世、西洋でトゥルバトゥールやジョングルールが楽器を奏で物語を語っていたように、日本においても楽を伴うさまざまな語りのかたちがあった。 

 竹本義太夫と近松が組んで出世景清を上演してからのちを新浄瑠璃..といいそれまでを古浄瑠璃という。ことに上方では美太夫節を称して浄瑠璃と呼ぶようになったようだ。近松の実績、そののちの演劇に及ばした影響には計り知れないものがあり、そのひとつがニュースや史実を語り物にしたこと...たとえば曽根崎心中....と言われているのだが.、それは語りのもとのかたちのひとつ に近松が戻しただけに過ぎず そのことだけでも、今世間で流布している語りということばが実に範囲の狭められたものだということがわかる。語りは生ものなのである。....ん....ということはテレビで芸人やキャスターがしゃべり散らしているトーク、あれも語り?...いや違う...あれには芸術性、魂に響き、美しさや切なさを共有する働き、カタルシスはない...

 が、それはさておいて日本の芝居や文学の底には古浄瑠璃の世界がいはば森の奥の落ち葉の堆積、から新しい芽が萌え木々が枝を伸ばしてゆくように存在する....

 そして浄瑠璃ということばの起源が仏教において清浄、透明な瑠璃のこと 薬師如来の仏国土と知ってわたしは目を瞠り嘆息する、これは偶然だろうか。


九百三十三の昼   2005.9.24  道が

 ごがみさんの選挙で足を痛めて以来、一ヶ月過ぎようとしているのにいっこうによくならない。きのうは川越線の車中で足が攣ってしまい、今日は歩くのが困難だった。足の長さを比べてもらったら右のほうが2.5センチ短いというので、娘の勧めでヨガをしてみた。1センチ戻ったが痛みは変わらず、風邪もひいて頭痛もするし会社に行かねばと思うのだがぐずぐずWOWWOWの「予言」...三上博史は好きな役者である....をみてしまった。
 最後に帰ることが多く、会社の鍵を二本借りていたので、返しに行かなくては困るだろうと、夕刻会社に行った。行けば行ったでなにかと用事はある。そのうち土木のAさんが現場から戻ってきて、わたしは自分のやるべきことを思い出したのだ。社内においてなにを一番先にしなくてはならないのか........。

 家に戻り、むすめたちとダンスに行く。乙女先生は地域のご夫人たち30名に祭のためのダンス指導をしていた。演目はマツケンサンバと今はやりのマイアヒ?である。それからレッスン...足はどうなってもいいから甘やかすのをやめよう...なにか変だけど...ときのう見たダンスの感動を思い出しつつ、手足の先まで神経の行き届かせ、笑顔を忘れないで踊る、踊る.....あぁ 40年前に気づいていたら......これは禁句だけれど......もっともっとしたいこと....いのちを燃え立たせることがたくさんあったのにと思う。

 そんなことわたしには無理......笑われるかも......恥ずかしい......そういうためらいむづかしく言えば自己限定でずいぶんスタートが遅れてしまった。人生に遅すぎということはない、しかし肉体は老いてゆく、頭脳もすこしずつ...気力だけは萎えさせるまいと思う。わかなは「ギターで先輩を超える」と宣言した。ゆうべ実は「なぜ目標が先輩なの!?もっと上を目指しなさい」と罵倒したのだ。

 敬も惣もまりも自分に限界などつくってはいけない。それは自分が築いたまやかしの壁、本来..みんなの前には茫漠とした草原がひろがっているはず...夢をかかげ魂の導くまま歩いてゆきなさい。熱い想いを持ちつづけなさい。そうすればかならず出あいがあるはず...そして道は次第に見えてくる。


九百三十ニの昼   2005.9.23  ことば

 文化祭 軽音楽部に所属しているわかなのデビューの日である。この日のためにギターの練習に励み おかあさん きてね といわれては足が痛くてもいかないわけにはいかない。体育館のなかは蒸し暑かった。はじまる.....ギターやベースはともかく ヴォーカルが歯がゆかった。

 ことばが届かない。音、歌詞をなぞっているだけの歌唱。下手でもいい 伝えてよ おねがいだから.....と祈るように聞いていた。尾崎豊や元ちとせの歌が好きなのは青い海の底から樹は枝を伸ばし赤い花が沈黙のなかで真っ赤に燃えているのが見えるから.....枯れた噴水は音もなく歌を歌い....ドーナツショップに流れる音楽が聞こえ、ガソリンスタンドの壁紙は汚れ、どうしようもないやるせなさが伝わってくるから......音とことばがひとつになってまぎれもないひとつの景色、それを見ている痛いほどの心情が伝わってくる。ことばの力に気づかないのはもったいないと思う。

 終演後 なんとなく座っていたら次のダンス部がすごかった。日本一になり 世界大会でも優勝したとのアナウンスのとおり、ことに三年生の踊りが目を奪った。踊る歓びが伝わってくる...鍛えられた身体のキレのいい動き、リズム、一緒に踊っているような躍動感、最後のダンスでは涙がこぼれた。....仲間と最後のダンスを踊る、過ぎ去った三年間への思い......感謝、寂しさ、切なさ、不安、希望がダンスから伝わってきたのだ。ことばもなしに 波動のように。

 帰り、成城石井と伊勢丹で買い物、浦和の夜景を望みながら、杜松の木の話を語ってみる。ボーイさんが不審そうに見ている。



九百三十一の昼   2005.9.22   !

 そうか!! わたしが社員さんに伝えたいのは記号としてではない実態としてのことば、数字という記号ではない現金の感覚なのだ!語りと同じだ......ことばの響きだけでなく伝える....イメージで伝えてみよう...できるかも!!


九百三十一の昼   2005.9.22   ねこじゃらし揺れる

 近くのコンビニにおひるを買いに行ったら顔なじみのレジさんに「疲れきった顔をしてる」と言われたので車のなかで化粧をして修復。おにぎりや玉子焼きを食べて シートを倒し横になっていたら眠ってしまった。屠所に引かれる羊のようにいやいや会社に戻ったら、Fさんが甲斐甲斐しくそうじをしていた。「今日はそうじをして、気を取り直して、土曜日からがんばりましょう」

 それで事務所やトイレの掃除や駐車場の草取りに精を出した。ねこじゃらしの穂も黄ばんでいる。土木の置き場の裏は鬱蒼と草が茂っていてたちまちゴミ袋は三つも四つもいっぱいになった。土木の監督や部長にも声をかけ、半ば強引にてつだわせた。

 夕刻 収集運搬・リサイクルの会議を開く。.....受注を本社で一括して行う。ライン同様、配車は収集運搬で行う。行き先、日程などの効率化を図るためである。販売管理費について三年前から新規参入した運搬とリサイクルは前期までハンディをつけ他部門の1/2の賦課であったが、今期から板倉が発進するため、一人前として扱う。混合ゴミは従前とおり扱うが、残土、泥、生ゴミなどは入れないよう契約にうたい、判をもらう。バケットにも注意書きを貼る。 
その他 
1 時間を守る。朝の30分は夕刻の30分の3倍の価値がある。

2 発注時 伺い書を出すのはなぜか? 社員は会社の一員であり社長に業務を任され、仕事をし資材を発注する。しかしなにかあったとき責任をとるのは会社である。よって見積書には社長及び管理部の決裁印が必要であり、伺い書には上長、管理部の許可が必要なのである。今後伺い書のないものは支払いをしない。(...というわけにはいかないが)
 伺い書(発注書)はただの紙ではない。お金なのだ。40000円の発注書は一万円札 4枚と同じである。

3 伺い書がFAXされ請け書がくると、日報入力の数量金額が請求書とぴったり合うようになり、月初の請求書チェックが早まる。
 また、月の途中で正しい損益が出る。

4 なんのために日報入力をするか? 月の途中で正しい損益を出し、予算・目標に近づけるためである。いはば損益表は羅針盤の役目を果たす。入力がいい加減だと、現実の数値より甘くなりかえってマイナスになる。

5 土木、緑町の現場で多額の入力もれがあった。その一因は労務外注とガードマンの残業が入力されず、その額が50万円になったためである。イニシアティブは発注者である社員がとる。この日残業はあるか、それは何時間かこちらで指示すること・

6 自分の立ち位置を明確にする。元請や下請け 作業員の立場で考えることは大切だが、社員は自社の利益を常に考え、遠慮せずいうべきことはいうこと。言いなりになることが相手のためになることではない。

7 うちの営業は帰宅が早い。自分の受注目標と予定利益がクリアーできていれば5時にあがってもよいが、とれなければ他社の営業のように努力すること。時短は会社の目標のひとつであるが、休日が多い月はそれも考慮にいれ 売り上げや受注を達成するよう心がける。無駄やロスを省き一日の利益確保に努めることが時短につながる。

8 赤字を出すとはどういうことか? 50000円の赤字を埋めるためには純利10パーセントとして50万の工事を別にしなければならないということだ。赤字は会社を圧迫し 他部門、自部門の他のメンバーの迷惑になる。

 来週は矢継ぎ早に 土木、安全施設、カッターの打ち合わせ会議を開く。管理部もだった。コミュニケーションは集合体の要諦である。
さぁ 明日からがんばろう。


九百三十の昼   2005.9.21  決算前夜

 25期目の決算、四半世紀たったということはたいへんなことだ。曲りなりにも25年 続いてきた。それは神さまのご守護があり社員の努力があってのことである。しかしながら今期は四半世紀の節目に相応しく波乱万丈のなりゆきとなった。

 6月までの利益が7.8月で食われてしまったし、決算に至るまでの人間関係の紆余曲折は並大抵のものではなかった。今日はルビコン川をわたる日、関が原でもあった。それなのになぜ今までの努力が水泡に帰すとしても、どうなってもいいような凶暴な気分になっていたのかよくわからない。毎晩帰りが遅かったから疲れていたのもあるのだろう

 わたしの思い込みかもしれないが勝手に裏切られた気分に陥っていて手負いの獅子のようにもう誰を傷つけてもいいと思った。発注伺いを出さないで勝手に1000万もの発注をしてしまう現場の人間に対して、直接わたしに思っていることを言わずに陰でいうひとに対して、これは自分の仕事ではないというひとに対して 本業をさほど顧みず新たなことをつぎつぎに手がけてゆくかずみさんにたいして 営業成績が上がらなくても5時で帰る営業にたいして  朝 自転車で行かずにわたしに送らせる娘にたいして 中途半端な改革のまま立ちすくんでいる自分にたいして......ほんとうは自分自身を傷つけたかったのだろう。

 わたしが目指していた予測型の経理は根底から覆され、昔ながらのどんぶり勘定のぬかるみに落ち込んでしまった。いったいなんのための苦労....なんのためのこの一年....周知徹底していなかった..?....いや....わたしの甘さだ。悔しくて情けなくて......
 言うべきことはもっとはっきり伝えなくてはならない。責任を取るのはわたし以外にないのだから、あまり強く言っては傷つけるだろうとか斟酌する必要はない。ビジネスは戦いなのだ。敵の前にまず味方、社内を掌握すること。できないなら敗退あるのみ。情と理の相克を乗り越え、的確な処置を刻を過たずにすること。

 こんなことでどうする。 先に進むのだ。ひとに求めるでなく、自分を試す....手をつなぐ....でも 今は ただ眠いだけ。


 


九百二十九の昼   2005.9.20  なにをしたいか

 山下さんのワークショップはカタリカタリのメンバーに今までとは違ったインパクトを残してくれたようだ。...森さんがカタリは奥が深いと言ってたこと…私たちに伝えようとしてることがおぼろげながら、少しずつわかってきたような気がしますとSさん 読み聞かせでも語りでも自分の頭に浮かぶ情景や自分が伝えたい気持ちをただ持つんじゃなくて意識して持つ!ということですよね。そして人の言わんとすることを汲み取る!ですね。深いですね。とMさん。でもともかく楽しかったとのこと、それが一番だ。

 さぁ、これからだ。図書館から発信された本を読ませるためのストーリーテリングとは一線を画したい。日本古来からのカタリの歴史に思いを馳せ、ことだま...ことばの力を復活させること。それはいのちを熱く赤く高く燃やし、いのちと一切を感謝し、生きることを愉しむことにつながる。わたしはそのようなカタリをひろめてゆきたい。


九百二十八の昼   2005.9.19  杜松の木の話

 櫻井先生から「一度遊びにいらっしゃい」とお誘いを受けていたので、休日であるのをこれ幸いと吉祥寺の産経学園に行くことにした。新宿駅で中央線に飛び乗ると、青年が三人立っていた。白いシャツ、白いズボン、白いベルトが目に沁みるようだった。白い帽子に銀の帽章、少し不似合いな黒の革靴、白いシャツの上からも窺い知れる鍛え上げられた肉体には余分な肉は指の先ほどもない、若さだけからくるのではない倣岸さと微かだが見て取れる屈折から自衛隊の関係かと察せられた。

 よく見ると同じように真っ白に見えた制服にも 僅かな染みやほんの少しの黄ばみやプレスの違いがあって、それぞれの置かれた立場が浮かび上がってくる。不遜さ、鬱屈、野心、ライバル意識...そうしたものが手にとるように感じられて、懐かしいものを見たと思った。昔...の若者は多かれ少なかれそんな影を背負っていたように思う。

 日本中がまだ貧しかった時代だった。いつのまにか日本は豊かになり、若者たちに牙はなくなり、左翼も右翼も姿を消し、ソフィストケイトされ、ものわかりがよいというか....なにを考えているのかわからない層が増えてきたように思う。それもよいのだと思う。吉祥寺に着く間際、所属を聞いたら礼儀正しく防衛大学校ですと答えた。

 産経学園で読み聞かせの講座の見学を申し込む。案内されてドアをあけるとどこかで見たお顔ばかり.....そのなかにふたりホイットマンの群集その大海原の彼方からのように親しみのこもった目を見つけて あぁきっとと思った。帰りお話したら、やはりこのサイトに見えている方だった。不思議だ。私のほうはその方のことを知らないのに、このサイトに見える方はわたしが送っているばたばたした日常を知っている。なんだか恥ずかしくなった。櫻井先生はとてもお元気そうだった。ヘアスタイルも新しくされて若々しく、100歳どころか八百比丘尼の物語が浮かんだほどである。お元気なのがとてもうれしかった。

 「グリムのなかで好きなものがたりを各自ひとつあげなさい」先生の問いかけに..ラプンツェル、ブレーメン、三人のおばあさんの話とつぎつぎに出てくる。さぁ どうしようか  こどもの頃は薔薇紅と雪白だったが、今ならやはり杜松の木の話。....それからあらすじか語りをということになって、さぁたいへん 灰色の脳細胞の奥深く掘り起こして...妹の名前はなんだった?....歌の出だしは.?.....マレーンちゃん!!...♪おかあさんに殺されて、おとうさんに食べられて 妹のマレーンちゃんが骨をねずの木の下に埋めた...♪ キーウィ キーウィ ぼくは可愛い小鳥でしょ♪.....実はこの話はまだ一度も語ったことはない。結局時間がいっぱいになってしまって、ここでも語ることはなかったのだが、歌があたまの中で木魂している。杜松の木が枝をひろげ、木の葉がさわさわ呼びかける。おはなしが目を覚ましてしまった。

 国分寺に帰る須山さんに同道して西国分寺から武蔵野線に乗り換える。わたしの前に気取らない様子の東欧の家族が座っている。父親と6歳くらいの少年、ふくよかな母親が2歳くらいの男の子に乳首を含ませている、男の子の黒い巻き毛が母親の胸にひろがる。....むかし わたしもやむにやまれず電車のなかでそうしたことがある。わたしの意識が遡る。するとツンと痛みのような体の芯に引っ張られるような乳房を吸われる感覚が甦ってわたしは目を閉じた。それからおそるおそる両の腕を幼な子を抱くかたちにしてみる....なんともいえない安らかさがわたしを充たす。杜松の木の話の若い母親は亡くなるまえに子どもを抱いたであろう。

 今日は 自分自身にものや情景を注意深く見る、感じるというレッスンを課している。ことばに命を与え甦らすための一歩として。
 


九百二十七の昼   2005.9.18  一冊の本

 荒俣宏というひとは澁澤龍彦に似たようなひとかと思っていた。異端文学の翻訳や紹介のようなことをしているのだろうとそんな風に思っていたのである。おとつい 浦和の古本屋で荒俣宏の本町幻想文学云々という本をみつけて、それがなかなかのものだった。

 荒俣氏は言う。たとえば、「かたる」ということば自体からして、神の口を通して対座のひとびとに縁起を開陳する祭祀あるいは儀式そのものを意味したのである。神と巫女と聞き手と、この三種類の要素が揃ってはじめて、物語はその神通力を発揮したのだ。.....これらのことは受け売りではなく、私自身が語りをはじめたときから感じていたことだった。

......ときに、私は聞き手(それは5人のときも100人のときもあるのですが)を前に語っている時、なにかが私自身に降りてくる感じがすることがあります。語っているのは確かに私なのですが、私の口や身体をかりて 何かが踊り出ようとしているような気がするのです。それがなになのかはわかりません。そんな時本来の自分は、意識の渕に半ば沈んで、語る自分と聞き手をはっきり認識しています。そして語り終えたとき、ツキモノが落ちたような、語る前より浄められ軽くなったような感じがあるのです。語りとは、古来神事と深いかかわりがあり、ルーツをたどれば、巫女や口寄せにつながるのかもしれません。また芸能はもとは神に奉納されたいわれをもつのですから、舞台に立つとき神がかりになることもあるかもしれません。ともあれこうしたことは、すべての語り手が経験することなのでしょうか。どこか言うに憚るところがあって、たずねたことはないのですが。.....

 これは平成13年語りを知って一年目、語り手たちの会研究セミナーにに提出したレポートの一部でこのサイトにものせてある。語るとき、また芝居をするときも、自分は入れ物に過ぎず、わたしの口や体を借りてなにかが聞き手に伝えようとしている感じは、いい仕事をしているときほどあったのだ。だが今はそれを横において先に話を進めよう。

 荒俣氏はこうも書いている。「力学的にいえばことばの力が、昔に比べて大幅に落ちたということだろうね。実はことばというのはたんなる記号ではないのだ。たとえば7.、8世紀の日本人は、花が咲いた、ということばを聞いただけで、突如自分が花畑に立っているような共感覚を持てたのだと思う。香りだって嗅げたはずだ。つまり、ハナという音や文字が、実際の花が持つ色や香りや香りと密接な関係を保っていたのだ。ある地方では黄色い菜の花であったかもしれないし、ある地方では赤い椿であったかもしれんが、とにかく具体的だった。だから今ならさしづめ、....強烈な赤い椿が燃えるように力強く咲き誇っていた....というところを、昔は単に 花が咲いた...といえば同じ感動が伝わった

 ゆえに 櫻井先生がイメージを伝えなさいといい、山下さんが視覚化、と音のひびきで 目の前にあるように そのものや情景を聞き手に伝える...というのは、まさにことばの復権、ことだまとしての力のあることばに復活せしめよ...ということではなかろうか。......もうひとつ 気にかかることがあるのだが、それは後日に譲ろう。

 本もまた出あいである。.....わたしがかたるべきものがたりがどこにあるのか、そのみちすじが見えたように思う。荒俣氏はもともと少女漫画家になりたかったそうで、今でもその望みを棄てたわけではないらしい。氏がとつ国の幻想文学の探訪から、また資料探しから本邦の故事にたどり着いたように わたしもよりオリジナルに近づいてゆきたい。妖しく幽けき美しい界に降りてゆこう。

 11日におはなし会に呼ばれた。うれしい。40分 おとなのためになにを語ろう。

 

九百二十六の昼     2005.9.17  怖かった



 夕方 会社に寄ったあと、渡良瀬 に行った。満月に近く 月がとてもきれいだったので県道沿いに車を停めたところが、すぐそばに小さな赤い鳥居があった。 すみませんとわびながら 鳥居を迂回して土手にのぼり 月の写真を3.4枚撮った。それから土手を廻りエントランスから出るとき 草のあいだから月の写真を撮った。上の写真がその一枚である。オレンジ色の小さな円が月。 さて、家に帰ってCFカードからPCに取り込んでみたら、土手の上鳥居の上でで撮った写真が一枚も記録されていない???確かにシャッターを切ったしフラッシュもたいた??! 慌てて渡良瀬 小さい鳥居で検索したら、それはゴミの不法投棄を防ぐために置かれた鳥居らしい。けれどもなにか異様な感じがしたのだ。鳥居は神界と俗界との境、いはば門である。鳥居のかたちだけで結界をつくってしまうのか...それともゴミが棄てて置かれる場所に鳥居を置いたそうだからもともと不浄の場所であったのかなんだか妙に怖かった。



 そんなこととは知らぬまま 帰り ログの喫茶店OBに行った。ジャズが流れている。いい感じだ。いちごフロートが金魚鉢みたいなガラス器に入ってでてきた。あまりのデカさに娘たちは呆然としていた。アイスクリームもバニラとストロベリーのてんこ盛り.....恋人同士ならストロー二本でなかよく飲むところ、そういえば店内は若いカップルが多い。お味は? なかなか美味でした。



九百二十五の昼     2005.9.16  透けてみえる

 

 ルイ..? なにを見てるの.....まっすぐな目....
おもしろがっている目 なんだろう なにかな
あなたはだあれ.....ぼくはだあれ......


 そのひとの生き方が透けてみえるって山下さんは言った。みんなの前で雲というそれだけで.....。
 語るということは自分を開かなくてはできない。芝居もそう...できなくはないが、ひとの魂には響かない。よく見せたいとか、わたしは上手....とか...なにかを纏ったりとか.....そういう余分なものを脱ぎ捨てる.....それが大前提だ。だから、そのひとの語りが好きってことはそのひとが好きなんだってことなんだ。...でも見えるっていうより 透けてみえる...というほうが美しい。

 ルイはそのままだね。隠すものもない。誇示するものもない。だからきれい。やはらかくてあたたかくていい匂いがする。そばにいるだけで、こうして思うだけで やさしくなれる。

 あなたはこれから美しいもの、楽しいことにたくさんであうよ、ドキドキするね。 だけど痛いことや悲しいことにもであう。たくさんであう。美しいと感じるこころは痛いと感じるこころとつながっているから、やはらかくてやさしいひとは痛い思いをたくさんするでしょう。そうしたらルイ..?痛くないように....隠れたり、なにか被ったり、コブシをふりあげたりするでしょう。

 ルイ.....おばあちゃんはあなたにおはなしをたくさんしてあげよう。隠れてもいい、毛布の下にもぐり込んでもいい.....けれども少したったらそこから出てもういちど歩きはじめられるように  おはなしをしてあげよう   秘密を教えてあげる.....おはなしのなかには魔法の粒が隠されているの........夢や希望の小さな粒、絶望から立ち上がる元気の小さな粒が......ルイの胸のなかで必要なときに ポンとはじけてでてくる魔法の粒だよ。



九百二十四の昼     2005.9.15  彼方に



 今日は演出家の山下さんを招いて はなみずき会館の大ホールでカタリカタリのワークショップをひらいた。いままで 久喜でいくつかの語りの講座やワークショップを開いたが、語り手以外の方を呼んだのははじめてである。わたしは山下さんに技術を指導してもらいたいとは露ほども思わなかった。カタリカタリのメンバーにひとに伝えるということ、その心組みとアプローチの仕方のひとつを 示してほしかった。

 語りや歌や芝居をおずおずと学びながら 5年間きたのだけれど、どれにしたところで根底にあるのは生き方であるというあたりまえのことに わたしは気づかされた。語りだけを学んでも 時間をかければ行けるところには行ける。電車に乗って、バスを乗り継いで 飛行機に乗って旅をするうちに しだいに目的地が見えてくる。しかし 最初から目的地を知っていれば......飛べるのだということを知っていれば。電車やバスに乗る必要もない。

 まして わたしたちはプロではない、これはいい加減にやればいいという意味ではない、ひとを相手に語る以上、そのときそのときをひたむきに全身全霊で取り組むのはあたりまえのことである。ただ ひとのこころに響くのは技術ではないのだから 仕事や家事のあいまの自分のわずかな時間をなにに費やすかといえば 自明のことである。

 そして その生活のなかにこそカギがあるような気がする。日々生活するなかで 注意深く 見つめる、愛しむ。 自然、季節のうつろいを見過ごさないで 耳をかたむけ 目でいとおしむ 五官に沁み込ませる。 そしてひとのこころの動きを見逃さないで 寄り添い手をさしのべ 自分のこころの声にも耳を澄ますこと.......そうした積み重ねこそが語るもとなのだ。

 ゲストも入れて15人のメンバーが順々に前に出て雲をイメージして...雨雲とか飛行機雲とか.....みんなの前で声に出す。残ったひとはそれがなんの雲だったか当てるゲーム。カタリカタリのメンバーの正答率は高かった。14回のうち11回とか12回をあててしまう。たしか役者のたまごたちの時も、響きはともかくイメージの方はこんなに高い正答率ではなかった。カタリカタリのメンバーはいい耳を持っている。

 山下さんはこうも言った、わたしたち語り手や役者....表現しようとする者は入れ物である。たいせつなものを宿らせるヨリシロである。.....神さまということばを口にしたように思う。   芝居をするということは観客1000人のこころにひとつの絵、すこしずつちがうけれど おなじような絵....イメージが浮かんでいることだ....ぼくはそれに気づいたとき うれしくて 犬のように転がりまわりそうになりました。これらのことこそわたしもまた感じ、畏れ 語りや芝居をつづけてゆきたいと願う、いのちの真中に燃える火である。

 山下さんは時間がきても終えようとはしなかった。実に時間を1時間もオーバーしてしまったのだが、別役さんのキキのものがたりをテキストになんどもエクササイズを続ける。交流 視覚化(イメージ) 課題(聞き手になにを感じさせたいか、伝えたいか)  山下さんの横顔、まなざしにこれだけは伝えようという気迫を、横にいたわたしは感じて 胸が熱くなった。おわったあと みんなの目もきらきらしていた。 山下さんのいう目、焦点を結ぶ目...はいのちの窓でもあるのだろう。

 わたしはといえば 雲のゲームは最低点だった。なぜだろう...と考えていたら.....わたしはこのごろ 相手になんとかして 伝えようとするばかりで 聞く耳を持っていなかった。伺い書を出すのはどういう意味があるの?....毎日仕事に出るからお金になるのではない。頭をつかうのよ、予算に合わせていくってそういう意味なの...日報をただ打てばいいんじゃないんだよ.....

 人間というシステムはなんと精妙なものだろう.....わたしは焦っていた......仕事という修羅場のなかでうつくしい あえかなものがたりを語ることなどできようか。ささくれだったこころでこの世と見えない世界をつなぐ、ひとのこころところをつなぐということができようか。仕事という現実から一時でも逃れ バランスをとるために時間を縫って芝居を見にいったりもしたのだが、そんなことよりほかにすることはあるのだ。語るこころが枯渇する心配などはない。わたしの立っている場所が間違っていなければ。


見送りのまえ





九百二十三の昼     2005.9.14  空に

 空がたかい。白い雲がレースのようにふわり 空にかかっている。声.....をだしたくて 宵闇の群青の空にむかって イタリアの歌曲をうたってみる。からだをひらいて のどをひらいて こころをひらくと 声はたかくたかく昇ってゆく。ひとと会って、愛して仕事をして溜まったものを.....てのひらから紡ぎだすように 綾なして織りなして 声で描いてゆきたい。でも、夜 会社の外でアリアをMAXで歌うのは客観的に見ればただの変人だ。

 内野聖陽さんて....すごかった。.山祐(本名は忘れた)の安定した分厚い歌唱力もいいのだが、内野さんの不安定さ...揺らぎ...がたまらない。役者が台詞を封印されたらどうする。...歌は氷のよう 熱く燃えているよう....そのまなざしは鋭く...ときにビロードで包み込むよう.....ゆびさきは愛撫するものを求める生き物のようだ。しなやかな動作は音楽のように美しい。

 一路のエリザベートは単純に過ぎる....なにかが足りない。たとえばビビアン・リーのスカーレットはどんな汚い禁断の手を使おうがエゴイスティックであろうが計算高かろうが女として思わず肩入れしてしまう。が、一路のエリザベートは可愛くない。...だからなぜトートが惹かれるのかよくわからなくて、ふたりのシーンも切なさが今ひとつ。...しかしルドルフ皇太子と黄泉の王トートの「闇がひろがる」の場面はスリリング且つ官能的。

 天王寺美術館でフェルメールの青いターバンの少女と出合った時以来の戦慄が駆け抜けた。この世ならぬものがそこにいる。



..
  会社の門の前で


九百二十ニの昼   2005.9.13   朝は...

 朝 早く会社に行くと仕事がはかどる。ずんずん 音がするほどに。名刺を裏表150枚印刷する。色をかえて発注伺い書兼注文書兼請け書をつくった。桜色が外注 若草色が機械、車両、消耗工具 クリーム色が材料で 白がリ−ス とその他。これで駆け込み発注、見込み発注、無許可の発注が消えるはず........。

 午後からリサと約束したようにルイの子守りに行った。アパートから出ることもないリサを数時間、自由にしてあげるのだ。さぁ ママはいってしまったよ、ルイ。ルイはおしゃべりをする、一生懸命話しかける。ときおり笑う。ルイのおしゃべりに応えようとしてもわたしはねむくてねむくて....ルイ ごめん...あなたはどこからきたの? 生まれるまえ いたところを覚えているの? もしかしたら 神さまや天のおつかいにお会いしたことがあるのだろうか。おしえて ルイ ?




 夕刻 白い半月が中空にかかっていた。夜 会社で連絡会。かずみさんのひとことがつきささって 仕事が前に進まない。 「ふたりは一生懸命やっているじゃないか!?」って....そう一生懸命やっている。自分のやり方で。けれども現場監督として赤字を出してはどうしようもない。途中の原価管理ができていなくて、ふたをあけたら赤字とは...どんぶり勘定以外のなにものでもない。一度、二度ではない。そして営業は仕事をとれなければどうしようもない。いつも同じ過ちだ。

 わたしにどうしろというのか? あなたの夢を支えてゆくためには そして会社を維持してゆくためにはそれぞれの部門がそれぞれの食い扶持、少なくともそれだけは稼いでもらわなくてはならない。おんぶにだっこはない。それを経理として要求してはいけないなら.....わたしにどうしろというのか......



九百二十一の昼   2005.9.12   声

 ずっと考えていた。仕事に集中できたのは夕方になってからだった。  声の不思議....やはらかくも固くも、冷たくも温かくもなる  涼やかにも炎のようにもなる 声の不思議..... きのう北村和夫さんの台詞を聞いて、曽我兄弟の父が矢で射殺された日の澄み渡った美しい空が見えた.....祐経が兄弟に母のもとへ急げ馬をやろうと言ったとき、つやつやと黒光りする駿馬が.....目を剥き嘶いていた。イメージが浮かぶ声。心象が痛いほど伝わってくる声がある。  ただことばが聞こえる、文字が見えるだけの声もある。

 エリザベートのCDを聞いていた  '夜のボート'と'闇がひろがる'、そして'私が踊るとき' くりかえし、くりかえし......
 圧倒的な声量それだけが心を掴むのではない、歌でも台詞でも、声の音色が変わったとき、その瞬間......刈谷先生は息を変えると言ったその瞬間.....ときに.躓きそうになる....裏返りそうになる....その瞬間

 太陽が昇る....鳥が大空に飛び立ち 天地が俯瞰され 空がひろがる 海がひろがる......それすら声は伝える。

 チケットをもう一枚とった。あと一度聞きたい。

 夜 事務所に一本のTEL もしかしたら 会社の将来を変えるかもしれないTEL けれどもわたしは、声のことを考えていた。

 わたしに なにが できるだろう 透きとおるように哀しかった。

 

九百二十の昼   2005.9.11    曽我会稽山

 ヨーグルトに凍ったラズベリーを入れる。ルビーのようなラズベリの紅がヨーグルトに滲む。赤いトマトを小さく切ってオリーブグリーンのバジリコドレッシングをかける。こんがり焼けたトーストに金色のバタ....日曜の朝食は素敵だ。時間はゆっくり流れる。

 花束に赤いリボンを結んでもらって母とjunさんの舞台を観にいった。紀伊国屋ホール、千秋楽は満員だった。出し物は近松の曽我会稽山、曽我兄弟が父の仇を討って本懐を遂げるおはなし....junさんが演じるのは兄弟の仇 祐経の妻、と情婦の二役だった。妍高い妻より情婦のjunさんがゆらめいて魅力的だった。彼女はどうやら曽我兄弟を助けるために祐経のもとに潜入したのだ。それでも祐経に情がまったく移らなかったはずはない.....と思ってみていたら junさんの身のこなしにはっとした。人間を越えた動き。..東映動画の傑作 白蛇伝を思い出した。

 近松の台詞はひとによってこんなに...と思うほど違う。テンポ、口跡によっては聞いているだけで官能的といっていいほど心地よい。ざらざらぎくしゃくしているひともいる。登場人物。男たちは建前と本音、オモテとウラに縛られている。おもしろいのはあとでことこまかに実はほんとうはこういう気持ちだったのだと説明がはいることで、近松は観客の理解力をあまり信頼していなかったのかなと思ったりした。本音で生きてる小四郎や梶原景高が生き生きしているように思え、悪い奴なのに感情移入してしまう。

 女には建前と本音など許されていない。まるまるそのままである。
....それとも。後半 祐経・北村和夫が出てから舞台は一気に締まった。それと頼朝がよかった。台詞の向こうにたしかに人間がいるという感じだ。芝居は観るより出た方がいい。たとえどんな端役でも。

 帰り 母と中村屋でパフェ 年老いた姉妹のようにわるい足を労わりあって帰った。


九百十九の昼の2   2005.9.10  エリーザベト

 今日はハプスブルグ家の美貌の皇妃エリーザベトが無政府主義者ルキーニに殺された日である。たぶん119年前のことだ。息子ルドルフがマイヤーリンクで失意の情死をしたあと エリーザベトは自責の念からか黒い服しか身につけなかったと言われる。 これは暗殺されたとき 着ていた服 終生 体型を維持するのに情熱を傾けたエリザベートの驚異的なウェスト 50cm!けれどもエリーザベトが情熱を傾けたのはそれだけではない。エリーザベトは詩人ハイネを崇拝し 自らも膨大な詩を残した。

私はカモメ、
どこの陸地から来たのでもなく
どの浜辺にも、私の故郷はない
いかなる土地への絆もなく
ただ波から波へと、私は飛び続ける



自分の居場所を探し続けたエリーザベト、しかし彼女はただ逃避していただけではなかったはず.....ハンガリーを愛しハンガリー問題に意欲を持って取り組んだ。.末娘のマリー・ヴァレリーだけは皇太后に渡さず、手元で愛しんで育てた。マリー・ヴァレリーは資産の乏しいトスカーナ大公と愛によって結ばれあたたかい家庭をつくり領民に愛され、その葬儀には4万人ものひとが参列したという。





 エリーザベトが今も多くのひとの心をひきつけるのは、 写真や遺品や周囲のひとたちの証言など彼女の生きた確かな証があること。そして従弟・狂王ルートヴィヒの死など万華鏡のような世紀末・時代の変わり目を彩るたくさんの悲劇ばかりでなく 自由と束縛 嫁姑 夫婦の諍いと愛 子ども などの普遍的なテーマに苦渋し呻吟するエリーザベト 拒食症、無理なダイエットな励むエリーザベトにおなじように居場所がないと感じているわたしたちの心が時代を超えてつながっているからではないだろうか.....エリーザベトは時代のすこし先を歩いていたのかもしれない。


九百十九の昼   2005.9.10  限界と....

 巷間 男の子たちにサギだと言われている「恋するブラ」それぞれのサイズと色あいを択んで三人の娘のために包んでもらった。わたしのサイズはあいにくなかった。もう戀の必要はないということか。実際着用したところを観るとびっくりするほど見事な胸になる。二女はロックバンドを結成したらしく 貸しスタジオを借りて今日はじめての顔合わせとのこと、前期テストの慰労もかねてロッカーに相応しい、フリルとプリントが垂れ下がった派手なGジャンをプレゼントした。

 帰り 車のなかで「エリザベート」のチケットを探していたらテープレコーダーをみつけた。 スウィッチを入れると....わたしの語る「カール・カルーソー」が流れてきて 思わず立体駐車場の中で聞き入ってしまった。一年以上前の録音だ。が、思ったほど悪くはない。今のわたしにこれほど温かく語れるか自信はない。しかし 余情があり過ぎる。溢れすぎる。寄り添うところと透明に客観的に語るところとメリハリをつけたほうがすっきりして格も上がる、もっと削ぎ落としていい。歌はあまり下手なので聞くことができなかった。不世出の歌手が歌うのだから伽耶の数え歌やほうすけやディアドラの歌のようではダメなのだ。歌はカットしよう。

 語りたい....?  語りたい.。....風の震えるように 水の流れるように 繊細に 大胆に 透明に ときに野太く ものがたりを綾なしたい。なにを語る...?  そう 夏樹のことも語りたいけれど この世のものではないものがたりを 妖しく美しいかりそめの、鏡の向こうの絢爛...けれども裏を返せばそれこそ真実....そんなものがたり......聞き手のこころの奥深く隠された秘めごと、たいせつな小暗きなにかに光が射しこむような、眩暈と惑乱とそして覚醒を呼び起こすような。できるだろうか...?...でも、どうせ語るなら一度一敗地にまみれてもいい、自分の限界と格闘してみたい。


九百十八の昼   2005.9.9  菊の佳節

 26年前の今日、仁伯母が亡くなった。美しいひとだった。鼻梁が細く目蓋が深く 色白で白系露西亜人のようだった。五人の息子と二人の娘を持った。娘のひとりは生さぬ仲で苦労したらしいが、妹のおさだおばちゃんや姪(お一伯母さんの娘)のかつえさんに手伝いを頼みながら、教育者でのち浦和の商工会の会頭もつとめた夫によく仕えた。

 おさだおばちゃんは よく腹を抱えて笑っていたが、お仁伯母さんが心底笑うのはそう見たことはない。おさだおばちゃんの狭い長屋に遊びにきたときだけはそりゃあ 楽しそうだったけれど。お仁おばさんは余計な口は利かなかった。ことに晩年はいつもなにか痛みに耐えているように見えた。わたしたちの結婚式のあと青葉の実家に場所をかえてこちらの身内だけ集まったときも、おばさんは懐に右手を差し入れ痛みを堪えている風だった。今 思えば おばさんの死病 胃癌が進行していたのだろう。おばさんは6月3日のわたしたちの結婚式のあと すこしして息子の米雄さんが勤めていた病院に入院しふた月あまり病んで亡くなった。結婚式のとき着ていた納戸色のきれいな着物が死に装束だった。

 お仁伯母さんはおさだおばちゃんに「おさだはいいなぁ 気兼ねがなくて」と言ったそうだ。生活保護をうけながらひとり暮らしをしていたおさだおばちゃん....好きなように生き、好きなものを食べ好きなことをして我侭を通したおさだおばちゃんを、地位ある夫に仕え医者や教育者や石油会社の経営陣に登りつめた息子たちを育てあげ名流夫人といってもいいお仁おばさんが羨んだのだ。

 お仁おばさんは友治伯父が亡くなったあと、長男夫婦が迎え入れようとはしなかったから いくら可愛がっていた末息子がひきとったとはいえ さみしい想いをしただろうと思う。和服に割烹着姿でくるくる立ち働きながら しかも端然としていたお仁伯母さんを思い出す。そういえば畏れ多いけれど美智子皇后の亡くなられた母君に面影がにているような気がする。

 伯母は明治の...気骨のあるひとだった。わたしは若すぎて伯母と本音で話す機会もなかった。それが半年ほど前夢を見た。古びたしもたやでお仁伯母さんと二言三言話を交わしたのだ。それは洗濯物を取り込んでおいておくれ...とかいう他愛もない会話だったけれど妙に心に沁みた。たぶん生前、自分の居場所のなかったお仁伯母さんが あの世で居場所を見つけられたような気がしたのだ。伯母さんはひとりで暮らしているようだったが さみしそうでもなく 清々とした風だった。

 伯母さん、わたしもずっと 自分の居場所が見つからなかったの。ここに居ることが夢のようで 仕事をしたり子どもを育てたりしている自分がほんとうの自分ではないような気がしていた。どこか別の場所があるに違いない、そんな気がしていた。このごろようやくここが今の自分の居場所と納得できたみたいなの。

 それは、どうすれば まわりのひとたちを生かせるか 考えられるようにすこしはなったからもしれない。あしたはまた迷うかもしれない。逃げたくなるかもしれない。でも今はね がんばってみる。 お仁伯母さん いつかわたしが向こう岸に呼ばれるときがきたら そのときはおとうさんやおさだおばちゃんといっしょに迎えにきてくださいね。そのときはいろいろなことがおはなしできるでしょう。それとも なにも話さずともすべてわかってしまうのかもしれません。


九百十七の昼   2005.9.8  がっかりしたりして

 きのうのお礼の電話をそこここに入れる。10日の支払い手続きを済ませた。経理のFさんがそばにいてくれるとひとりの時より支払いが何倍も早く終る。わたしは経理に向く頭の持ち主ではないとしみじみ思う。経理をするひとは100パーセントをめざす。わたしは95%ぐらいでもまあまあと思ってしまう。

 数字は美しい。貸し借り勘定はピタリとあうはずなのだ.....9/10の支払いは7月の仕入れ分である。それが1000万以上だったので、当初半信半疑ながら黒字だと思っていたのが赤だった。そう、黒字のはずがない。羽生の現場で250位の売り上げが元請の都合であげさせてもらえず出来高も上げていない。費用はでているからそれだけだって黒字になるはずはないのだ。でも やはり がっかりしたりして......

 社外との折衝より社内や家庭内、そして自分と折り合いをつけるのが一番むつかしい。今日はきのうよりずっと疲れた。 

 あしたは あしたは きっと いいことがある。



九百十六の昼   2005.9.7  開所式
 
 今日は父の誕生日だった。父は会社を大切に思い、守ってくれていたから 生きていれば84歳になった父は今日の開所式をどんなにか喜んでくれたことだろう。父が亡くなってしばらくして わたしは父が銀行で「わたしの目の黒いうちは決して会社を潰しません」と言っていたことを知ったのだ。

 その銀行の支店長さんも来賓に招いて 今日は炭化プラントの開所式。式の直前 橋本さんがテープカットのリボンを作製、紅白のリボンで5人でカットするように豪華な花結びを5つつくる。引き出物とお菓子の袋詰をする。白装束 浅黄の袴、烏帽子をつけた長良神社の宮司さんが祭壇をつくる。

 急遽 わたしが司会をすることになった。工場のなかはエアコンがないし 台風の影響で蒸し風呂のような暑さだ。突風が吹き荒れるのでシャッターをあげることもできない。 修祓  降神の儀  献饌  祝詞奏上  切麻散米  玉串奉奠(10名)  撒饌  昇神の儀 とつづく神事は興味深く厳粛だった。途中地震で揺れた。 社長挨拶   来賓祝辞  この人選と紹介が気の遣いどころである。協力会社の会代表挨拶  古河産機システムズ挨拶   そしてテープカット 機械起動 火入れ式 乾杯  そして直礼。 最後に宮司というべきところを ご住職と いってしまった。

 直礼(なおらい  飲んだり 食べたり)のあいまに お客さまや協力業者さんと話す。パートナーのYNKの近藤先生と話す。今後のことを古河のひとたちと打ち合わせできた。生花を取り分けてお客さまに持って行っていただく。橋本さんや美子さんに手伝ってもらわなければ たった一日の準備でこれだけのことはできなかっただろう。なかでも橋本さんは痒いところに手が届くように寄り添うように必要なことをしてくれる。果を求めない。ひとのためにすることが即彼女自身の喜びなのだ。そういうひとでありたいと思う。

 帰り 台風一過の空が火と燃えていた。澄んだ藍の空に三日月と金星が輝いている。ひさびさにルイのもとへ急ぐ。ルイは目覚めなかったが隣で横になっているとなんともいえない安らかさだ。リサちゃんが「おかあさん....」とわたしにプレゼントをくれた。きれいな布のポーチだった。

 いよいよこれからはじまる。



九百十五の昼   2005.9.6  釈迦力

 決算打ち合わせ、又さんは今期の利益が腑に落ちないようだった。わたしでさえそうだもの、無理のないことだ。売り上げは10パーセント以上ダウンしたのに利益は出たのだから内心小躍りしそうである。今までしてきたことがすこしずつ実を結びつつあるのだ。前年より社員ひとりひとりの原価管理意識が強くなったし、一日の仕事の密度が濃くなった。もっともこの利益も機械の特別償却や回収の見込みのない不良債権処理であらかた消えてしまう。それでも、それでもうれしい。今期はもっと変わる、きっと良くなる。

 開所式の出席者確認、神主さんの出張依頼 引き出物 生花 飲み物 料理の手配などをした。お客さまは最大で30名を越える。前日にこんな段取りをする会社なんて聞いたことないが、強力な助っ人も頼んだのでなんとかなるだろう。台風がひどくなければ いいのだが。どうかおいでになる方々に事故などありませんように。今日は美子ちゃんが決算準備で、夕方康子さんが明日の手伝いにきてくれた。ありがたいことだ。

 6:30 18年度初めての全体会議、新年度予算を披露してもらう。しかし3部門は作製してこなかった。営業は予算が出た。年度始めなので厳しいことを言った。基本を守る。会社のルールを守りやるべきことをきちんとする。すなわち受注報告、仕入れ.外注伺い書の提出 見積書の添付、不正は決してしない。不正があったときはしかるべき処置をとる。一方で 会社は社員ひとりひとりの努力には必ず報いる。

 ほんとうのことをいうと、ドキドキしていた。高鳴る鼓動を抑えながらわたしは言うに苦いことばも明確にした。これは今後会社がより堅固になるには必要不可欠のことだ。そしてこれらのことを口にするということはわたし自身の退路を断つことでもあるのだ。個人の目標も立ててもらった。わたしも皆の前で目標を述べた。いつもできるだけ笑顔でいる、みなが安心して働けるよう会社の財務内容がよりよくなるように努める。あたらしい事業の行く手は決して生易しいものではない。

 家のガレージについて わたしは思わず顔を手で覆った。ここまで来た、どうにかここまで.......毎晩夜中に帰ってきた長男 しるべ無く暗い目をしていた次男、ふたりの息子は曲りなりにも会社で働いているではないか。 明るい顔で家族のために自分のために。 二度の入院をくぐってかずみさんは元気だし どん底にいたAさんもTさんも...一生懸命働いている.......冬 は死にそうだった。内容は決してよくはなかった。わたしは半ば駄目かも知れないと覚悟を決めていたのだ。それが、1800万円の売り上げでも純利益が出るように会社の体質が変わってきた 社員ひとりひとりが前より明確な目的意識を持っている.....退社したひとも手伝ってくれる  望んだことがカタチになってゆく。.これはわたしの力ではない。見守ってくださる方がいる.....支えてくれるひとがいる。

 これからがほんとうの勝負だ。みんなの力がでるように働きかけてゆけたら.....家族も社員のみんなもそれぞれがそれぞれの場で輝けたら.....不可能も可能になる。



九百十四の昼   2005.9.5  不調

 朝 本町小のおはなし会には行ったのだが、からだが痛くて重くて会社に行けなかった。娘にこのあいだ末吉さんから聞いたコカのカメとへびばあちゃんを語ってみたら、娘はおもしろがっていたのでこれは収穫だった。10月の幼稚園のおはなし会に持ってゆけるかな。本家のとは相当違うけれど語ってゆくうちに子どもたちが豊かにしてくれるだろう。

 夕方ようやく会社に行く。きのう気づいたことが気になって確認したらやはり前身は古河鉱業だった。なんという因縁だろう。どう考えればいいのだろう。 現在も足尾で水質改善の努力や植林の努力を続けているとのことだから、過去は過去として、新しい試みを谷中のすぐそばですることに意味はあるのだろうけれど、地元のひと、なかでも谷中の出のひとたちはどう思うだろう。ひとのこころは100年で変わるだろうか。怨念は洗い流されるだろうか。

 開所式を7日に控えて、お客さまは思ったより多く25から30名になりそうで、明日は準備に忙しいだろう、会計事務所の又さんも来る。今日昼間休んだのが悔やまれた。


九百十三の昼   2005.9.4  風の音

 板倉に行こうとかずみさんに誘われてケヴィンも一緒に出かけた日曜日のお午まえ、工場の隣が蕎麦屋でこれがなかなか出会えないほど 美味しい蕎麦なのだ。それから帰る道すがら、渡良瀬流域の探索.をする。工事車両以外通行を勧めないというやんわりした拒絶を無視して叢の中へ入ると何ヘクタールもあろうかという丈なす大草原、湿地帯だった。群生する葭や葛と見えるのは薄青の空だけ。かずみさんが「ずいぶんここでひとが死んでるだろうな」とポツリ。それに思わず頷いてしまう。ここでケヴィンを放したら、一目散になにかの死骸のところに奔んでいきそうな気がほんとうにした。

 車止めの太い鉄のポールが二本立っている。車幅の広い4WDでは通り抜けられない。だがどうやら そのさきは橋なのだ。わたしはどうしても先へ行きたくて橋を渡りたくて車を降りて歩き出した。ポールや鉄板で工事用に造られた橋を渡ると下は幅80mはあろうか 滔々と茶色に濁った水が流れている。渡良瀬川本流か...千切れた草の葉がついたり離れたりして漂ってゆく。橋の半ばでわたしはギョッとした。40cmはある血まみれの魚が捻れたように転がっている。腹から下は食い裂かれて白い骨が剥き出しになっている。目玉はない。狢やいたちが食ったのだろうか。

 早足で橋を渡り、石ころ道をピンクのやはらかな靴で歩く。土埃にくるまってトカゲが死んでいる。わたしの背の倍もある葦が空をくっきりわけている。さっきまで聞こえていた虫の声も橋のほとりで聞いたセミの声ももう聞こえない。右手から葦をゆする風の音さわさわ、左手から葦をゆする風の音さわさわ.....もう車も見えない。風と空と葦の原と.......わたし...さわさわ....さわさわ

 ふと ディアドラはアルパの荒涼の野でこの風の音を聞いたのだと思った。東北に下る途中、義経も訣れた静も背中で聞いたであろうと思った。ヤマトタケルのミコトが草薙の剣を手にして炎と対峙したときも、芦刈の歌のひさめが難波の浦で直方と会ってのちも、聞いたであろう。さわさわ...さわさわ...わたしもいつまでも聞いていたかった。やがて道は突き当たり二つに別れる。遙か彼方に土手が見える。あきらめて戻った。

 谷中村共同慰霊碑は車の忙しなく往来する県道の傍にあった。谷中村が水没することになり藤岡町に2000名余の村民が移り住んだとき。先祖の墓が合祀されたのだ。慰霊碑は4本の多面体の石の柱に支えられた巨大な石の枠の下にあって青草が繁茂していた。ぐるりを古びた墓石が取り囲んでいて、わたしは訳もなく怖くてなかに入れなかった。10Mほど離れて工事の殉職者の慰霊碑と誰かの石のモニュメントがあって、このように記されていた。

血ヲナガス北方 ココイラ グングン 密度ノ深クナル
北方 ドコカラモ離レテ 荒涼タル ウルトラマリンノ底ノ方ヘ

 鉱毒を撒き散らした古河鉱業と古河機械とはもとは同じ会社だろうか。わたしたちはそこと手を組んで仕事をするのか.....


九百十ニの昼   2005.9.3   25時間  

 夜行バスの25時間の旅から帰った。峠は越したとはいえまだ日中は灼けるような暑さだ。けれど木々の梢にはところどころ朱に染まった葉が散見され、秋はすぐそこにいるとときめく想いだ。燃える夏がきらいな訳ではないが、少々疲れてきたというのが実感である。

 どこを通って帰路についているのか知らぬまま、眠りこんでいたのだが、ある気配に目が覚めた。もしかしたら安曇野? しばらく行くと松本の標識がとおり過ぎてその感覚が確かだったと気がつかされた。そうだ、以前にも同じようなことがあった。

 安曇野のあたりの風景には独特のものがあるように思う。フェルメールの風景画が他の風景画と異なるのは、そこに光の一刷毛が加えられた、そんな感じがあるからなのだが、安曇野の風景、山々や野や空にもそれに似た、肌理の細かい、繊細な手が加えられているようななにかがあるような気がする。そしてそれは波動となって懐かしさと憧れがわたしを充たす。

 ミシシッピーの死者一万人を超すという大災害、スマトラ沖地震の死者22万人、地球は明らかにおかしくなっている。アメリカが京都議定書に批准しないわけは自国の利益に反するといういつもの身勝手な大国の論理に根ざすものだが、もうひとつ、二酸化炭素の排出と地球温暖化に必ずしも相関関係はないという証拠を握っているからだとも言われている。

 地球史のうえでこれまででも地球の温度は周期的に変化しているが、、それは太陽の活動と地軸の変化、太陽の周りを回る地球の軌道などの天文学的な変動からきたものと説明されてきた。今がまさにそのときだというのだ。大水、地震、高温はそのためだというのだ。このような時に生まれ合わせたのを喜ぶべきか、悲しむべきかわからない。

 民族と民族の対立、無差別テロの続発、......さまざまな大きな闇のなかでわたしたちの燈すちいさな灯火....やさしさとかちいさなことをいとおしむこととか、語ることばでつなぐこと、暖めあうこととか ほんとうに ほんとうに意味があるのか....気が遠くなりそうになるけれど、文明とはそうしたちいさなひとびとのいとなみのひとすじひとすじで綾なされ織りなされ、歴史はかたちづくられてゆくのだと信じよう。

 
九百十一の昼   2005.9.2    有情

 余すところあと90日で1000日のピリオド、日記をweb上で書き始めてもうすぐ5年になる。書いているうちに、これはわたしの生涯の一部分の実況放送、まだ完成されてないライフストーリーなのだと気づいた。

 ふしぎだ。わたしは前より私自身に近く、また遠い。最近ではwebで生まれたわたし、客観的に観ることのできるわたしが別にいるような気がする。そのわたしは確固として迷いがなく、己の信じる道に向ってひたすら歩いてゆく。曖昧さやいいかげんさも相当好きだったわたしはいったいどこに行ってしまったのだろう。

 わたしが語りにおいて櫻井先生の継承者のひとりであるとするなら、それは書かれたものを暗記して語ることは本来の語りではないと言い切れるから、それだけである。わたしには先生の持っていらっしゃるにじみ出る品のよさ、古今東西の語りについての深い造詣はまったくない。

 語りはいのちそのものであること、生きることそのものであること、たとえ民話や過ぎ去ったものがたりを語っていても、それは今、血のしたたるみずみずしい今のいのちと蜜実でなければ、聞くひとのこころに響きはしないのだと知って、かなわぬまでもそのような語りをしたいという火に衝き動かされてここまで来たのだけれど、語らずとも日々 己を燃やしきれば それもいいかと虫の音に聞き入っている。



九百十の昼   2005.9.1  虫の声

 ここを先途とすだく虫の声、もうないよ、時間がないよと飲みもせず、食うこともせず、あるかぎりの命を声に変えて我とわが身を燃やし尽くそうとするかのようだ。

 午前中、現場保険、車両保険の年間契約、労災の件、板倉の開所式の案内の段取り、午後かずみさんと浦和に行った。かずみさんの運転はギクシャクして少々怖かった。めがねが合わないようだ。人間の目は遠いところも近いところも良く見えるように調節してくれるが人口のレンズではそうは行かない。高速に乗って板倉に帰りたい、高速のほうが安全だというので浦和で別れた。

 伊勢丹で和洋食器のバーゲンをしていた。スポードの白いサラダボールの優美な曲線を見ていたら彩りよく季節のサラダを盛ってみたくなった。レノマのグレーの薔薇模様のコーヒーカップのセット、山中塗りの大きな鉢、白い湯のみ茶碗のセット、有田の客用飯茶碗、施された精緻なレース模様に惹かされてボヘミヤグラス、ティースプーンは10本、急須に雲のもようのお皿、蕎麦猪口とつぎつぎにカウンターに運び送ってもらうことにした。申し訳ないほどの値だった。まりは毎晩美味しくて美しく盛り付けらた夕食を拵えてくれるのだが、後家さんの食器ばかりでは腕の振るいようもなかろうと思う。

 秋黄昏て..の舞台に立ってちょうど三年、あれ以来わたしの台所は秩序を欠いたままである。きちんと日常生活をしながら芝居をなさっている方もいるのだろうが、芝居はある種狂気の沙汰なので、わたしが万一女優にでもなっていたら、普通の暮らしはできなかっただろう。今でもできているとは言いがたいけれども。

 舞台が終ったあとも、次から次と押寄せるさまざまなことの立ち向かっているうちに我が家はすっかり荒廃してしまった。決められた時間のなかでのことだから眠る時間を削っても、とりあえず必要でないことは贄となる。ダイニングの椅子の革張りの破れからはスポンジがはみ出ているし、食洗機は壊れたまま、お客さまに供する湯飲み茶碗もティーカップも五客揃ったセットはひとつもない。いくら今はアソートで出せるからといって、ティースプーンまでばらばらというわけにも行かないのでお客も呼べず、急須がないから、しばらく家でお茶すら飲んでいなかった。ルカさんの家にいってみたいわ...という先生のお声を聞いても目を伏せるしかなかったのだ。

 惣が結婚して、リサのご両親も家に見えるだろう、友人も招いて楽しいひとときを過ごしひとなみの暮らしをしてみたくなった。いつになったらできるかわからないが、強く念じることがあって、それがよきことのためであるのならすこしずつでもいつかかならず成就してゆくものだ。祈りの本質はそんなものではないかしら。今夜高山に立つ。
 








 

2005.5.1から2005.8.31  (赫い昼789から909)

2004.11.1から2005.4.30 (赫い昼616から788)


2003.4.1から2003.7.21  (赫い昼64から172)

番外 赫い昼、青い夜(2003.2.3から5.17)