こんにちは!はじめまして!僕がうえはらたかしです。
皆さんにお会いするのでちゃんと蝶ネクタイをして、正装しています。
僕は述章堂の4代目です。
お店は1887年、明治20年に上原鉄四という、ひいじいちゃんが創業しました。
当時ははんこの仕事があまり無かったので高崎だるまの顔を書く筆を作っていたらしいです。
ひいじいちゃんは最初に高崎ではんこ屋を始めた人らしいのですが、僕が生まれる前に亡くなったのでよくわかりません。
昔の写真が残っていたのでのっけておきます。
この家はぼくが小学4年生まで住んでいたので、良く覚えています。
店には修行に来ていた若い人がねていました。
当時は徒弟制度で、いろんなところから中学を卒業すると修行に来て、何年かして自分の故郷に帰ってお店を出していたそうです。
すごく大変そうだったけど、まさかその何年か後に、僕が修行にいって苦労するとはそのときは夢にも思いませんでした。
23才で大久保翠洞という書道家、篆刻家の大先生の所に内弟子として入りました。
翠洞先生は若いころ家のひいじいちゃんの所に修行に来たらしいです。
逆輸入と言われました。
先生は書を西川寧先生、篆刻を服部畊石先生、山田正平先生に習い、書、篆刻、刻字で一世を風靡した人です。
国内の代表的な作品は、日光輪王寺の「金堂」、奈良長谷寺の「大悲閣」など、海外ではニューヨーク国連本部に「独往」、ロンドン大使館に「心和政自平」などがあります。

現在の店は僕が35才になったときに造ったものです 。
え?お前はいったい、いくつなんだって?
若く見えると良く言われます。
新しい店は墨の黒、和紙の白、朱肉の赤、を基調にして21世紀に向けて新しい印鑑の未来を表現しました。
この店は高崎市の「風格大賞」2000年の「都市景観賞」を受賞しています。

創業当時、店がある本町は中山道のメイン通りだったので、
人通りも多くだいぶ栄えていたらしいです。
暮れの大売り出しなどは人が溢れ歩くのも大変だったと言われています。今は...ハハ、じっくりお店を見てもらえます。



このごろ自分自身の武者修行もかねて、海外の路上で篆刻を彫ってくることを、やっています。
日本の「印」の素晴しさをぜひ外国人にわかってもらいたいのと、
私をまったく知らないところで、自分の”うで”が通じるのかを試しています。
これが意外に大変で、かなりの勇気が必要です。
詳しいことはエッセイの中で話して行こうと思っていますが、
いつも新しいことに挑戦することが、四代続いてきた証なのだと思いこれからもがんばって行こうと思います。
今あるすべての力で、良いはんこを彫りあげますので、安心して御注文戴ければと思っています。

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