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■20-6:戦争と国家・戦士と資質2■

20:戦争と国家・戦士と資質2◆初期のファイル:20-6/20-520-420-320-220-1

戦争」と「暗殺」。誘導する「対テロ」の言葉。

『戦争』

軍隊」と「諜報機関」。

のみ込まれる(日本の)現実。アメリカ、オバマ…アフガニスタン。

世界の中でこの日本が、日々どれだけ虐げられているのかという現実を目にする機会が増えている。今に始まったことではないことも多くの人々が認識しているはずである。
先ごろも、「輸入緩和」の問題において、世界中の国々が「日本はもっともっと輸入しろ!」という圧力を頭ごなしに投げ付けてくる始末。
世界各国を侵略し、破壊し続けてきたアングロサクソンという「超人種差別主義者」の存在が、この地球上の悲惨で残酷な「不幸の根元」であるという事実に到達することを容易にしてくれる。それらの不幸の原因はだれにも否定できない。最大の要因はそこにこそある。
ある意味において、今の状況はまるで太平洋戦争に突入させられた時の日本の状況に近いとも言えるほど、様々な方向から追い詰められている日本国民の存在がある。
戦前も戦中も戦後も、この国は「日本国民を守る」という意識が全くない。言われるがまま、やられるがままの状態にある。
911以降のアメリカやイギリスによる強硬なイラクへの戦争突入がデタラメであったことは全世界の人々が知るところとなっている。開戦数カ月後には、「CIAからのイラクにおける核物質に関する情報が大うそであった」ことが発表され、数年後には「911調査委員会などの公的機関から大量破壊兵器はなかった」という正式な発表があった。このことによって、『開戦そのものが大間違い』であったということを鬼畜国家アメリカ自らが認めたことになる。
アメリカ、イギリスに続き、「イラク戦争大賛成」とおたけびを上げた小泉君。その大間違いを指摘されても:「その時は正しかった」というメチャクチャな言動で逃げおおせた狂人(凶人)の頂点。そもそも国民の生命を犠牲にして、侵略戦争に突入した大罪は、戦前への回帰。
この小泉君や竹中君、その宣伝マンであり、先ごろ『虚偽書類提出』で騒がせている世耕君などは、第一級国賊と言える大罪を犯してきた極悪人である。が、相変わらずメディアに出演し、言いたいことだけを言い放ち、ゆうゆう自適に生活している。各テレビ局は、なぜ様々な責任を追及せずにのうのうと出演させているのか。
現在、全世界をみぞうの極限状態に追い詰めている「諸悪の根元」は、『市場原理主義・新自由主義』という魔物である。これらのものは遠く昔に発生したものの、その危険性から1度は消滅させられていたイカレタ搾取主義である。決して、「自由」という言葉にダマされてはならない。「人々をダマすために使われている」からにほかならないからである。
「市場競争(狂走・狂想)に『任せれば』すべてがうまくいく」といういい加減でデタラメな主張がその擁護発言として多用されていた。しかし、現実そのものが「その理由のウソを証明している」という明確な証拠によって、多くの人々の目を覚まさせている。
竹中君などは、「国会・テレビ番組・各メディア」で繰り返し繰り返しことあるごとに、こう発言していた。「大企業が(世界の大企業を相手に)競争力をつければ、輸出が増えて、日本の経済がよくなり、やがては必ず国民にもその恩恵がくる」と。
現実はどうか。国内の大企業だけが「大減税」と「消費税食いつぶし」によって、みぞうの大利益をむさぼっただけで終了している。企業戦士、働いている人々は、給料が上がることなど何もなかった。ただただ、いろいろな増税が襲い掛かり、医療や保険、社会保障などが粉々に破壊されただけである。プラスして、サービス残業という奴隷制度がまかり通る始末。そして、過労の末に殉死する人々。その死亡者には、「社員もアルバイトもない」という究極の状態にある。
いずれにしても、それらの発言に関する「責任の追及」をなぜ行わないのか。だれも「意に介さず」に、このままほったらかしなのか。
更には、ブッシュの(バター)犬である小泉君後に出現した、これまたどうしようもない極右思想の安倍君などの流れが、現在の「どこへでも自衛隊を出してしまえ!」というラインを形作っている。もちろん、『アメリカからの要望書』によってである。
現在、世界中の注目を「アフガニスタン」に置き換えようとしている忌まわしいアメリカ発信の流れの中で、この日本もそこに巻き込まれようとしている。これはEU諸国からも同様に発信されており、その流れがこの日本に向かっていることはもちろんのこととして言うまでもない。
そして、時期くそったれのアメリカ大統領に最も近いと思われる「オバマ」も、「イラク戦争反対」の方向から、「アフガニスタンへアメリカ軍を移す」ということについて明確に表明し始めている。今年の1月に「だれが大統領になろうとも何も変わりはしない」と指摘していたように、それが現実のものとなっている。アメリカとはそういう強固なシステムによって成り立っている。
また、『ここ数週間の中』で「オバマにアメリカ政府内部からの強力な接触があった」ことは否めない。その直後から言動に変化が見られたため、それが事実であることを証明している。と同時に、それを受け入れたオバマが暗殺される可能性は著しく低くなったと言える。だが、強硬に反対する差別主義者共の組織は数限りなく存在するため、「絶対に暗殺はない」とは言い切れない。また、現時点では「大統領になる」と決まった訳でもない。
どちらにしても、この日本との外交関係にいい兆候が見られることはないだろう。あったとしても、「見せかけのモノ」でしかないことは歴史が証明している。
アフガニスタンついでに…。せんだって、アフガニスタンでの従軍記などを出しているアメリカ陸軍第82空挺師団の大尉であった飯柴智亮君(34歳)が、「銃器部品・暗視用照準器」などの軍用品をアメリカ政府に無許可で日本国内へ輸出(密輸)していたとして訴追されている。真意は分からないが……恐らく、国内に巣くう一部のバカ傭兵連中が相手ではないかと考えられる。その一部のバカ傭兵から暴力団へという流れも存在している。
そもそも、この第82空挺師団にしろ、第101空挺師団にしろ、これらの「最前線使い捨て部隊」を『精鋭部隊』と呼ぶことなど言語道断である。単なる捨てごま部隊に過ぎない。日本人は手当たりしだいに「精鋭部隊」という言葉を使いたいだけなのだろう。実にバカげている。アメリカ国籍を取らせるという条件で、どこの国の人間であろうが、どのような犯罪歴があろうが、だれでも『兵士』になれる国である。そして、それらの「輩」が最前線で投入され、他国の兵士も一般市民も関係なく虐殺し、そして死んで逝くだけのクソのような存在でしかない。
社会情勢、各国が犯している凶悪な犯罪、軍や諜報機関の大罪…など何も知らぬ者達が「使い捨ての兵士」である。
以前から記述しているが、アメリカ陸軍グリーンベレーでさえ、「精鋭部隊」という言葉は簡単には使用されない。使用される時は、「最精鋭部隊」という言葉と「対テロ専用の特殊部隊」という孤高の存在が明確に引き出されている時である。
所詮、兵士は兵士。戦士とは全く次元が異なる生き物である。どこの国の兵士であろうとも、精鋭部隊と呼ぶことがあってはならない。冗談ではない。
対テロ部隊やその後に諜報部員になっている者でも、その全員が戦士と呼ばれる訳では決してない。本当に限られた者達が『本物の戦士』と呼ばれる。それらの者達に共通していることの1つとしては、「完全に何ものにも所属しない」という非常に深い意味がある。

「2008-07-29:追記」
暗殺(Assassination)、陰謀(Conspiracy)。

昨日、暗殺や陰謀(謀略)に関する質問が寄せられていたこともあり、本日はそれらのことについて少々記述したいと思う。
せんだっては、イギリス亡命中にロシアからの暗殺チームによって、暗殺(イギリスから見殺しに)された「アレクサンドル・リトビネンコ元中佐(以下、元中佐)」の遺族である夫人が、報道ステーションの番組において:「すべての人々が(暗殺の)事実について認識されることを願う」という内容のことを訴えていた。
ロシア現地での取材に同行していた地元の報道機関も、ロシア当局からの圧力によって、取材協力の姿勢から一転、「日本の報道機関は、この問題から手を引くべきだ」と態度を急転させたため、そのまま一気に取材は終了。ロシア国内でも、真実がどこにあるのかを感じ、求め続け、活動している一般市民も多く存在しているが、過度な行動は文字どおり「命取り」となるために、泣く泣く「圧制と暴政」に屈しているのが現状である。
それと共に、どのような問題であれ、「政府がそういうことをするはずがない」という範囲無制限の愚民が後を絶たない実態も全世界共通のままであることは否めない。目の前の現実が、有りのままに認識できない愚かな存在というものは、どこの国でも相変わらず健在の様子。
また、先月の6月20日くらいだったと思うが、2006年10月に暗殺された「女性記者アンナ・ポリトコフスカヤさん」の事件に関し、ロシア当局が容疑者3人(男)を起訴したと公表すると同時に、「殺害の実行犯は逃亡中」と発表しただけで、何と『捜査終了』を宣言している。更には、なぜか国内でもこの情報に関する記事が、ニュース関連などの某情報サイトにおいては、「1〜2日間」だけ掲載された後に、「情報そのものが『削除』された」という不可解なことも起きている。
それから、プーチンを非常に強く批判していた富豪レオニード・ロジェツキン氏(41歳)が3月16日の早朝にこつ然と失踪する事件などが相次いでいる。自宅や車から大量の血こんなどが発見されており、殺害されたと考えられる。また、プライベートジェット機は、事件発覚の2日後にスイスのジュネーブで発見されている。
報道番組においては、「約200名」のロシア報道関係者が死亡しており、そのうちの「18名」は明らかに「暗殺」されていると報道していた。また、これに関連する情報として「約223名」が死亡し、「25名」が暗殺されているという情報も届いている。
まず、「暗殺(Assassination)」について。日本人はその文字に使われている漢字のニュアンスからその言葉の意味を想像し、認識するというパターンが多い。しかし、その方法を使用してはならない場合もある。その1つがこの「暗殺」である。
多くの人々が、「暗に殺害する」→「秘密裏に殺害する」→「暗殺とは、その事実が発覚しないように殺害すること」のように頭の中で組み立て、それが「答え」だと思い込んでいるものと思う。
以前から「そうではない」ということについて記述している。そのことに関しても、目を通してもらった人々の記憶の中には残っているのではないかと思う。
どこかの識者という名の「無知者(馬の骨)」が各報道番組に意気揚々と出演し、「暗殺そのものやその世界のことを何も知らないど素人の一般市民」の分際で、事もあろうに「暗殺事件自体を否定する」という底無しのバカ言動を繰り返していることに、怒りの感情と危機感を抱き、「元中佐の暗殺事件」について記述することを決めたという思いや経緯があった。何よりも、巨大な悪しき組織と正面から闘い、そして殺されてしまった人々が持っていた『本物の勇気』と『計り知れない悔しさ』を埋もれさせないための記述である。
暗殺とは、大きく2種類に分けられる。1つは、「この地球上から、どこのだれにも察知されることなく(この場合「家族もろとも」というケースもある)、完全・完璧に跡形もなく消滅させる方法」及び「事故・病気・自殺などに見せかけて殺害する方法」。もう1つが、「ターゲットの周辺者や協力者などへの見せしめと恐怖を知らしめるための明らかなる殺害方法」である。
これまでにロシア政府が行い、そして事件が発覚しているケースの多くは、後者の方法を使用しているためであるということが最大の要因である。
また、「暗殺そのものは、『政治的、軍事的(諜報を含む)、宗教的』『国家間、企業間、組織対組織、組織対個人、個人対個人』などにおける様々な利害関係によって発生する」ものである。
よって、「秘密裏の殺害であるか」「公然とした殺害であるか」に関係なく、暗殺は暗殺として『確実』に存在している。
次に、「陰謀(Conspiracy)」について。これに関しても、多くの日本人が「陰謀?そういうことがあるわけないでしょう」というたぐいの感想を反射的に思い浮かべるのではないだろうか。暗殺という言葉と同様に、漢字の文字や言葉自体のニュアンスから「うさん臭い」などのイメージが先行していると言える。
実際には、暗殺よりもこの「陰謀『策略(Stratagem)』」のほうが人類にはなじみが深く、一般的にもすみずみまで浸透していると言っても過言ではない。
人類の歴史をたどれば「だれにでも」理解できると思うのだが…。人間が『初めて悪意を持った時』に、それと同時にその内面において自然発生したものが、この「策略という陰謀」である。
「利害関係…欲望…手に入れる」…言葉としては未完成とも言える「英語の言葉の中」でさえ、しっかりと別の言葉で「(悪意の上で)手に入れる」という言葉がある。
人間の世界は、『欲望と悪意』によって構築され、現在その中で我々人類は日々生きていると言える。知らないふりをしようが、分からないふりをしようが、その現実の「いまいましさ」によって、人々は生き地獄の中でのたうち回っている実態を打ち消すことはできない。
そういう地盤が『基本』にあるという現実を直視しない限り、目の前の事象について有りのまま正確にとらえ、認識することはできない。それは、日夜、社会情勢を明確かつ的確に知ることが必要であることと同じ意味を指し示す。
自分の国で何が行われてきたのか、何が行われているのか、何が行われようとしているのか。他国においても同様に…。その上で、国家間の外交であったり、他国での政治情勢であったり…いろいろなこと(本当の実態など)が見えてくる。そういうことの「積み重ね」によって、戦争や大小様々な事件の核心部分を分析することが可能となってくる。
愚かな「輩」は、身勝手な先入観や、こうあるべきと思い込んでいる常識的感覚、そのほかとして人間は過去に目にしたことがあるものだけを判断基準としていることに何ら疑問の1つですらその脳裏には浮かばないという本当の意味で低能な脳機能に問題があるために、現実を現実として正確に把握できないのである。こればかりは、他者にとって「どうしようもない」ことであり、切り捨てるしか方法はない。『人間の言葉が通用しないサル』を説得できる人間など存在しない。
暗殺は暗殺として行われ、陰謀(策略)は陰謀(策略)として行われている。しかも堂々と行われている。我々の目の前で。

「2008-08-10:追記」
無反省と無秩序。

多くの人間は、「かえりみる」ことを知らない。特に、欲望に突き動かされていたり、様々な欲望を追い求めている「輩」はその真っただ中にいる。
かえりみるという行為の中には、人間の成長に必要不可欠な要素が多分にある。例えば、自国ケースの1つとして過去のおぞましい戦争がある。
8月6日広島、8月9日長崎、人類の歴史にとって最も残虐な方法による史上最悪の大虐殺(Genocide)が行われた日。そして、その翌月の9月11日(くしくも9.11)にGHQ調査団が現地入り。
当時の最高無差別破壊兵器が使用されたこの両日は、全世界への日本人に対する公開処刑であったとも言える。もちろん、東京大空襲やそのほか数百とも数千ともいわれる無差別爆撃もこれに当たる。
戦争に勝った場合には、その間どのようなことを行ったとしても「とがめられる」ことは、まずほとんどない。それどころか、戦勝国や勝利サイドの国々で、歓喜の中にあふれるイカレタ満足感が支配する。これは確実に正常な精神状態ではない。
どちらにも『戦って死んで逝った兵士達』や『関係なく虐殺された一般市民』が多く存在する。その人々の犠牲を心から直視した場合、たとえ戦争に勝利したとしても、喜ぶことができる訳がない。それが本当の人間の心ではないのか。特にアングロサクソンの国々では、そういう深層部分における心の在り方が欠落していると言える。
戦争とは何か。なぜ戦争が継続されているのか。今もこの瞬間に、どこかの国で、名も知らぬ兵士が死に絶え、そしてだれかの家族が殺されている。
昨日の8月9日には、ロシアがグルジア南オセチア自治州へ軍事介入し、一気に一般市民の数千人が虐殺されている。
本日は、ほかの問題に関して長文を記する予定であったが、その思いが消え、過去の戦争で今も苦しんでいる人々の思いや、現在進行中の戦争への怒りについて端的にまとめることとした。

「2008-08-19:追記」
まかり通る「常任理事国」の凶行、そして国際連合と国際機関。

ロシアだけに限ったことではなく、また常任理事国に限ったことでもない。世界中に点在している大国(他意国)や狂国(凶国)は数限りない。
小国グルジアへ一方的に軍事介入し、その数日後には正式に撤退を表明していたはずの鬼畜国家ロシア。その後、二転三転した狂国(凶国)ならではのバカさ加減は、圧倒的なスピードで全世界へと伝わった。
封鎖された町などの近辺で取材をしていたジャーナリストの数名がロシア兵に撃たれたという情報も少なからず届いている。しかし、いまだにメディアではその情報が流されない。どうでもいい「クソまみれのオリンピック」の放送で忙しいらしい。世界中で何が行われようと『視聴率』しか能がない日本の各テレビ局はウジ虫だらけと言える。
超がつくほどの大国が弱小国へと軍事介入し、意のままにねじ伏せる光景は、この地球上で戦争が始まって以来、ずっと続いている。
しかし、近年でも国際連合はほとんどの場合において「見て見ぬふりを続ける」という実態は、相変わらずのままである。
世界中に正義などありはしない。そのようなものは存在などしていない。こういうことに関しても、また様々な注目すべき項目に関しても、当ウェブサイト上で数年前から記述してきたが、インターネット以外の場では20〜23年ほど前から指摘してきたことばかりである。
そして、何も変わりはしない。それどころか、ますます悪くなっていることは間違いない「事実・現実」として認識している。
世界中が戦争と貧困、犯罪と憎悪に満ちあふれても、全く改善されないのはなぜか。何よりも極端な2種類への分類が行われているこの世界が正常だと感じている者達は、気狂い(Madness)以外の何ものでもない。
貧困に追い込まれている各国に対する『表面上かつ一部だけの援助』を行っている国際機関。この不条理についても散々指摘してきた。限られた物質の提供だけで、それぞれの国に本当に必要な『知識や技術』は提供されない現実。そこにあるのは、本気でその国とその国の人々を救う気持ちや、国際機関としてのビジョンが全く存在しないからにほかならない。
数カ月前(1〜2カ月前)にその実態について、国際援助機関での活動が有名な日本のおばさんがメディアで「思わず口にしてしまった」ことが現実のすべてを物語っている。本人も「これまでにそのことを考えたこともなかった」と白状していた光景は、現実の恐ろしさを指し示している。

「2008-08-29:追記」
戦場での心理。

国内では相変わらずの「公金横領」という犯罪がまかり通っている。農相(脳小)の大田君やその秘書官による犯罪行為。しかし、暫定首相を始め閣僚共は「問題ない」というトンデモナイ言動がまん延。
本日はそういう国内の腐敗した問題に関することではなく、アフガニスタンで日本人が射殺されてしまったことに関して少々記述しておきたいと思う。
タリバンのグループによる犯行とされている今回の誘拐と射殺。戦場では、戦場以外の日常にある人間の精神状態は皆無と言える。
アフガニスタンなど、宗教や人種差別、民族問題などが根深く浸透し、更にアングロサクソンなどの侵略国が表面上では「対テロ」を御旗にしながら、目的は利権と実験で頭を満杯にして戦闘に参加し、誤爆という無差別虐殺を繰り返している。
そういう戦闘が日常の環境の中で、何らかの主張による戦闘集団が形成された場合、その精神状態は必然的に常時攻撃状態のものが基本となる。それは、「一般市民に対しても」という意味を含む。
それが集団となった場合には、更に深刻な事態になる。しかもテロ手段を常に使う戦闘集団はその極限の状態にある。
だからこそ、表ざたにならない「厳格な対テロ戦術」においては、逮捕ではなく「射殺」が唯一の対処方法となる。
狂気と化した戦闘集団は、24時間、相手を問わずに攻撃対象として、己のターゲットをむさぼり続ける。
今回の事件のように、経緯は判然としないが…戦闘集団が一般市民を誘拐した場合、何らかの目的があったはずなのだが、その目的の途中で政府機関側と戦闘状態になり、誘拐した2人のうちの1人に逃げ出され、味方の数名が捕らえられたり、あるいは射殺されたりという事態になると思考が更に狭くなる。
「足手まといになったため、射殺した」という証言が出ているようだが、それならば当初の目的が果たせないということであったなら、その場で解放すれば済むことである。
しかし、そういった事態の流れにおいて、命を命として認識せずに速射で終わらせるという手段を選択することに戦場の狂気そのものが存在する。
射殺された被害者(伊藤さん) は頭と足を撃たれた状態であったとされている。この場合、恐らく被害者が後方に倒され、そこを撃たれたために、とっさに両足を抱える形で身を守ろうと反射的に生きようとした結果だと考えられる。または、逃げ出そうとして後方から足を撃たれ、至近距離から頭を撃たれた可能性や、後方から足と頭を撃たれて絶命した可能性もある。
なぜ、射殺されなければならなかったのか。なぜ、底知れぬ狂気がまん延しているのか。戦闘とは何か。戦争とは何か。真剣に生きている人の命を奪うという理不尽さが、一体何を生み出すというのか。
国と国の戦争では、敗戦国が徹底的に打ちのめされ、戦勝国はどのような無差別虐殺をしようとも、信じ難い実験を繰り返そうとも、全く『問題なし』として触れられることもない。
そのような現実の中で、日本は、そして日本人は何をしているのか。
再び、日本人が射殺されたという事実をもってしても何も考えていない政治家共。政府与党は給油を続行することしか考えていない。サミット以前に『給油続行の約束をしていた』ことも発覚している暫定首相の福田君。パキスタンも給油艦(補給艦)を保有しているにもかかわらず、給油し続けていた日本。アメリカにはタダで差し出し、それが当たり前であるかのごとく振る舞っている政府与党、自・公連立。
国内で困窮している国民に対しては、切り捨て放題のやりたい放題。1日も早く、本気でこの国の腐り切った中枢部を破壊し、正常に機能する新たな機関を稼働させなければならない。

「2008-11-12:追記」
様々な現状の深刻な問題とジャーナリストの死。

日本、世界に乱立する問題は数え切れないほどあふれ、多岐にわたっている。
核兵器保有数では両輪の片方であるロシア。しかし、現在においても「核」そのものに対する「根本的技術」と「コントロール能力」は相変わらず低い。よって、事故が多発し、事後処理も他国の援助を必要としている。技術的な援助だけに限らず、資金面でも世界各国に迷惑をまき散らし、我々日本国民の税金も旧型の原子力潜水艦の解体に使用されている。
その一方で、新型の原潜を開発し続けており、せんだっての11月9日には「ロシア太平洋艦隊所属のアクラ(II)級原子力潜水艦『ネルパ:全長111メートル。巡航ミサイル(SLCM)、対艦ミサイル(SAN5)、対空ミサイル、魚雷などを装備』」と見られている艦内において、試験航行中に「事故」が発生し、乗組員計208人中の20名が死亡し、21名が入院している。
ロシア当局は「消化装置の誤作動」が原因としており、「死因はフロンガスの吸引と中毒症状」という方向性を表明している。この内容に関しては、「うのみ」にはできないが可能性としてはゼロではない…というところか。また、「放射能漏れはない」としているが、先のことと同様以上に「信用はできない」と言える。これは、これまでのアメリカ駐留軍の発表にも言えることである。そして、最も信用してはならない国、それはアメリカであり、更には日本という国の政府与党、自・公連立である。残念ながら、信用という言葉が使用できる国はないに等しい。
原潜の問題としては、今月の10日に「取り決めの『事前通報』ナシ」で、沖縄にアメリカ海軍原子力潜水艦「プロビデンス」が寄港している。過去にも「発覚している」だけで何度か問題になったことがある「無断寄港」である。
また、数日前には「珍しく」NHKで「アメリカによる核兵器持ち込み」に関する番組があった。これらの問題についても以前から記述しており、インターネット以外の活動の場では、少なくとも18年以上前からそのことについて指摘してきた問題でもある。一般市民以外では「公然の秘密」として認識されていたことの1つであるが、現在においても『日本政府が事実を隠ぺいしている』ことに疑う余地は全くない。
また、グアム移転問題にしても、アメリカ、日本両政府の発表が二転三転している。予定の2014年までに遅れると言ったり、遅れないと言ったり…。移転の費用にしても増えると言い出しており、この日本の負担も増加する可能性が高くなっている。そもそも、なぜこのように「日本人が負担しなければならないのか」という根本的かつ重要な問題の解決が以前として残されている。占領、支配国の存在と、奴隷国の存在。
天皇陛下は、この日本という国を「アメリカ、そして経団連と共に破壊した鬼畜トヨタのトップ奥田碩君(75歳)」に、最高位(最上位)とされる旭日大綬章を授与している場合ではない。天皇陛下の存在とは何か。改めて考えさせられた人々も多いのではないだろうか。現実の暗部を何も把握していない者が、何らかのトップに祭り上げられている現実。
世界では、イラクでも、ロシアでもテロが続くおぞましき世界が依然として存在している。更には、一向になくならない『アメリカによる誤爆』。今月もこれまでと同じく、アフガニスタンでは「結婚式参列者40人が死亡し、約30人が負傷した」という『事件』が発生している。これは「事故」ではなく、『事件』である。アメリカによる誤爆が続く現実。一般市民がその犠牲として死んでいる現実。人の人生の中で、最も喜びが大きい時でもある「結婚式」の最中に、その時を一緒に祝うために集まっている人々が『誤爆で殺される』という絶対にあってはならない悪夢が「戦場というエリア(国)」で繰り返し起きている。
『これがテロとの戦いなのか』、ブッシュよ。『これが世界貢献なのか』、狂人小泉君よ。
これまで、アメリカは世界中で「対テロ極秘作戦」を名目にして、様々な「破壊工作」を数十カ国で行ってきた。他国が了承していようがいまいが関係なく遂行してきた。その事実を、最近「ニューヨーク・タイムズ」なども取り上げている。「複数の政府高官の話」として伝えているようだ。これらの「作戦」は4年前に始まったこととして扱っているが、「作戦」ということであれば気の遠くなるような昔からずっと行われている。
そして、その手の作戦では『衛星で生中継されている』ことが多い。それらの「中継」は、作戦を指揮する軍本部やCIA本部で行われる。では、なぜ「誤爆」発生時に、それらの生中継が行われなかったのか。いや、「なぜ衛星で『確認』されないのか」という大きな疑問がある。確認しながら行われる的確な作戦、任務であれば、少なくとも現状の悲惨な誤爆の数は激減させることが可能となる。何よりも、誤爆の可能性があるにもかかわらず任務を遂行することに「尋常ならざる問題」がある。これは『プロ』の仕事ではない。
このような『誤爆』が「もしも先進国で発生したら」どうなるのか。もし日本であったとしたら。これが、アメリカ、イギリス、フランス、ロシア、ドイツ、イタリアなどで発生したとしたら…。1度でも起きようものなら、トンデモナイことに発展していることは間違いないこととして想像できる。もし、その「誤爆」が何度も何度も発生したとしたら、被害国はもちろんのこと、国際連合や国際機関も黙ってはいないだろう。これが、アングロサクソン類とそれ以外の人種国家への明確な差別の実態である。これこそが、我々人類が苦しみながら生きている現実の世界である。
アメリカでは、オバマが次期大統領として決まった。以前にも記述していたように、アメリカ国内で生活に苦しんでいる多くの人々に関しては、負担が軽減されるなどの「望ましいこと」が恩恵として得られるものと思う。が、対他国となると話が違ってくることが少なくともいくつかは考えられる。いずれ、明確になってくるだろう。
それから、数日前の7日にジャーナリストの筑紫哲也さんが肺ガンと転移したガンのために73歳で亡くなられた。
常に「国民の目線として」「ジャーナリストとして」、そして何よりも「人間として」の『心の目』を持ち続けた人物だったと思う。局や番組の事情などにもより、本来のジャーナリストの仕事から離れた仕事もあったものと思う。
しかし、本質的に「静かに燃え続ける信念を持った人物」であったと感じている。その姿勢は、ガンという病と闘っていた最後の最後まで変わることがなかったと思う。
戦争、核兵器、沖縄の人々、薬害被害者など…政治・行政の様々な問題を真剣に語り、静かに訴える姿勢は非常に貴重なものであった。
そういう意味でも本物のジャーナリストの1人であったと言える人物であると思う。この日本には、ほかに片手で事足りるほどのジャーナリストしか残っていない。
様々な問題を「真剣に見つめ」、そして「自分の意志と考えである種の答えを見つけ」、それを「自分自身の言葉として表現する」ことが望まれていることだと思う。これは、以前から何度も記述してきたことでもある。そういう考えと同じことを考えていた人物が、また1人亡くなられてしまったことは非常に残念である。
しかし、その人物の「精神」や「思い」、そして「心のこもった言葉」は、永遠に消えることはないと考える。生きている人、それぞれの心の中に生き続け、そしてその思いはまたほかの人へと伝わっていくものと思う。

Status:2008-07-23〜作成

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