・今回は東室蘭教会の毎週月曜日恒例の「ロザリオ」と「聖書の分かち合い」の様子を
係りのシスターが報告します。

「ロザリオ」と「聖書の分かち合い」の集いで

---- シスターベルナルディン桜井利子 ----

 東室蘭教会のこの集いに2000年6月から出席させていただいています。
はじめてこの集いに伺った日は、ボーソレイ神父様はじめご婦人方が自己紹介して下さいました。
 神父様は、お忙しいのでロザリオにだけ出席され、分かち合いは私たちだけですることになりました。
あれからもうすぐ10年になり、月日の過ぎ行く早さに驚いています。

 今は主のみもとで、神父様はやさしい眼差しでこの集いをご覧になっていらっしゃることでしょう。
現在集う人数は、大体7〜8名で、私が参加する前から来られている方は4〜5名いらっしゃいます。

 ロザリオ一環、声を合わせて祈るのに大体30分から40分近くかかります。
今日は「喜び」。次週は「苦しみ」。などと「栄え」、「光」の順に、四旬節には毎週「苦しみ」など季節に応じて祈っています。

 祈る意向はそれぞれお持ちでしょう。
でも皆が知る方、ご病気、帰天された方がいらした時、ニュースで聞いた出来事など、その時、必要な事の為にも祈らせていただいています。

 主は聖書の中で祈りについて語られています。
その中のひとつ、「二人または三人がわたしの名によって集まるところには、私もその中にいるのである。」(マタイ十八・ニ十)と。
わたしたち、ひとりひとりの中に主はおられ、「わたしもいる。」と呼ばわっていられるようです。
大きな強いお声で。声を合わせて祈れる幸いを感じます。

 聖書の分かち合いは、ロザリオのあと2〜3人お帰りになり、残りの者で新約聖書の一つの章を読み、感じたこと、身近にあった事を話し、分かち合っています。

 主のみ心がつかめず頭でだけの時、ああそうなんだと気づかされ腑に落ち、心からの喜びをいただく時、分かっているが実行出来ない自分の弱さに、どうして、と自問自答する時などゝ。
でも、汲めどもつきない泉のような神様の大きな大きな愛の泉、神様の小指の先ほどを知らされた時の喜びを、大事に育ててゆけたらと思っています。

    神様を賛美できることを感謝しつつ。