大明寺は、5世紀中ごろの南北朝時代に建てられました。 鑑真和尚が日本に来るまで住職を勤めたお寺で、唐招提寺を模した鑑真紀念堂が建てられ、堂内には楠で作った鑑真座像が安置されています。
鑑真は、733年に日本から渡った遣唐使の僧たちに仏教の戒律を伝える僧を派遣してくれるように依頼された。ほかの僧たちが躊躇するなか鑑真は、日本へ行くことを承諾する。 しかし、日本への渡航は簡単ではなかった。5度目の航海で失敗し南方の海南島に漂着するが、鑑真は両目を失明してしまう。のちに10年目にして754年、ようやく平城京にて聖武上皇の歓迎を受けた。 来日してから10年目の763年に唐招提寺にて死去した。鑑真の死を惜しんだ弟子の忍基が造った鑑真の彫刻が、現在も唐招提寺にある。