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よもやま昔話  ひろこちゃんのぼうけん

目次

第1話 幼なじみ 第2話 サンタクロースがくれた乳母車 
第3話 遠足の日の遭難  第4話 飛び出し 
第5話 (未定) 第6話 (未定)

第1話 幼なじみ

まだふつうの家にはカラーテレビがなく、車を運転できない大人がたくさんいたころのお話です。

その日、ひろこちゃんは2歳の誕生日を迎えました。
新しいお人形を買ってもらうために、おかあさんと街のデパートにやってきました。

ちょうど一年前の初めての誕生日には、大きな布の人形を買ってもらいました。ひろこちゃんは「たんこちゃん」と名付けて、かわいがっていました(誕生日にもらったから、誕子ちゃんです)。でも、かわいがりすぎて、ご飯やおやつを食べさせようとしましたから、たんこちゃんの口のまわりにはカビが生えてしまいました。

おかあさんはキューピーの売り場にひろこちゃんを連れて行きました。表面がつるりとしたキューピーなら、ご飯を食べさせても、口のまわりを拭いておけばだいじょうぶです。

そのフロアーに足を踏み入れたとたん、ひろこちゃんの目にその子の姿が飛びこんできました。売り場に山積みにされたたくさんのキューピーの中で、たった一つの人形が浮かび上がって見えました。新しい友達になるのはこの子だと、ひろこちゃんにはすぐ分かりました。
「あ、ここにいたのね」
ひろこちゃんは言いました(声に出さずにそう思ったのかもしれません)。
「うん」
と、その人形がうなずきました。実際に首を動かしたのではないでしょうが、ひろこちゃんは返事を受け取ったように感じました。
ひろこちゃんはその子を取って、しっかりと抱きしめました。

おかあさんはひろこちゃんが一つのキューピーを抱いたまま離さないので、それが気に入ったのだと言うことが分かりました。
そこで、お金を払って買って家に帰りました。

その子の背中には小さい穴があって、お腹を押さえると背中の穴に埋め込まれた笛がキュッ、キュッと音をたてました。そこから、名前は「きゅっこ」に決まりました。

きゅっこちゃんと出会ったときのことが、ひろこちゃんが覚えている中で、日付まではっきりしている一番古い記憶です。

きゅっこちゃんは今もひろこちゃんの部屋に同居しています。
10年以上前から肌の色が黄色っぽくなってきましたが、幼なじみなので、たとえぼろぼろになっても手放すことはないでしょう。

第2話 サンタクロースがくれた乳母車

ある年の夏か秋ごろのことです。ひろこちゃんは夜中に目を覚ましました。目の前に、幌のついたみごとな乳母車がぼうっと浮かんで見えました。
幌の色は濃い青で、全体に薄い色の大きな花(薔薇?)の模様が散らしてあります。
それは現実にある物にしてはぼんやりしていましたから、ひろこちゃんは幻を見ているのだと自分でわかりました。でも、見たとたんに「これがほしい」と思いました。

ひろこちゃんはあまり物をねだらない子どもでした。欲しい物をもらうのは誕生日かクリスマスと決まっていました。誕生日はもう過ぎていましたから、次のクリスマスはこれをサンタクロースに頼もう、とひろこちゃんは心に決めました(そして、また寝たのだと思います)。

さて、クリスマスが近づいたころ、ひろこちゃんは決めたとおりに、乳母車のおもちゃが欲しいとおかあさんに伝えました。
おとうさんとおかあさんは困りました。サンタクロースのおじいさんのところに、「乳母車のおもちゃ」なんて変わった物があるでしょうか。

おとうさんはサンタクロースに電話をかけてみました。
「もしもし、サンタクロースのおじいさんですか」
「はい、そうです」
「おじいさんのところには乳母車のおもちゃがありますか」
「はい、ありますよ」
サンタクロースのところにはちゃんと乳母車がありました。

ひろこちゃんはおとうさんがサンタクロースと電話で話したということを、おかあさんに教えてもらいました。
「おじいさんのところには乳母車があるって。よかったね」
ひろこちゃんは白いひげのおじいさんが赤い受話器を持って話をしているところを思い浮かべました(なぜ赤い受話器かというと、ひろこちゃんが持っていた電話のおもちゃが赤だったからでしょう)。
夏に見たあのすてきな乳母車がもらえるのだと、ひろこちゃんは楽しみにしました。

さて、クリスマスの朝になりました。ひろこちゃんが目を覚ますと、乳母車のおもちゃが置いてありました。
「え、これが乳母車……」
ひろこちゃんは絶句しました。小さいのでまだ「絶句」ということばは知りませんでしたが、そういう状態になりました。
それはどう見ても手押し荷車でした。布張りの台の周りを安っぽい黄緑色のプラスチックの籠が囲っており、低い位置から棒が2本上に向かって伸びて、それに木の取っ手がついています。立派な幌なんか、影も形もありません。
乳母車のおもちゃをほしがる子どもはとても珍しいので、さすがのサンタクロースもこんな物しか見つけることができなかったのでしょう。
「よかったねえ、乳母車よ」
おかあさんが言いました。
ひろこちゃんはがっかりした気持ちを抑えて手押し荷車で遊びました。せっかくサンタクロースのおじいさんが贈ってくれたのだから。

この手押し車には、結局ひろこちゃんの妹が乗ることになりました。赤ちゃんをちょっと座らせておくとき、便利だったのです。
妹はひろこちゃんが4歳の冬に生まれていますから、このクリスマスはたぶん5歳のときのできごとだったのだろうと思います。もしかしたら4歳のときのことだったかもしれません。赤ちゃんが生まれた(生まれる)ことで、ひろこちゃんは乳母車に興味を持つようになったのでしょう。

第3話 遠足の日の遭難

さて、今回は冒険らしい冒険のお話です。

当時ひろこちゃんが住んでいた街(防府市)には、桑の山という低い山があります。
ひろこちゃんが通う幼稚園の遠足では、小さい組の子がその山の途中まで、大きい組の子がてっぺんまで登ることになっていました。

大きい組になったひろこちゃんは、レオちゃん(ジャングル大帝)の絵がポケットに描かれたリュックサックを背負って、幼稚園のみんなと遠足に出かけました。

無事にてっぺんに登り、お弁当を食べて、さて、帰るときのことです。
途中まで降りたところで、ちょっと広い、広場のようなところがありました。
どういう訳か、ひろこちゃんはここでもたもたしてしまい、気がついたときには同じひかり組のみんなの姿が見えなくなっていました。
みんなはどこへいったのでしょう。
山から下りていたのだから、低い方に行ったことは間違いありません。
でも、どの方向へ行ったらいいのでしょう。

ひろこちゃんは適当な方向に下り始めました。
それはまともな道ではありませんでした。
途中から、とても下れないと思うところに出てしまいました。ひろこちゃんは崖のようなところにはいつくばって、足を下に垂らしていました。はるか下の方には、どこかの家の屋根が見えます。このまま無理に下りようとしたら危険です。

ひろこちゃんは元の広場に戻ることにしました。
下りたところをもう一度上るのは大変でした。
ひろこちゃんは「今、こんな困った状態にいる」という自分のことを、半分くらいは現実ではないことのように感じていました。
今となっては分かりませんが、もしかしたら、このときひろこちゃんはほんとうに命の危険にさらされていたのかも知れません。
ひろこちゃんは両手両足を使ってよじ登りました。すねの皮がすりむけましたが、かまっていられません。一生懸命に上って、やっともとの広場のようなところに戻りました。
それからしばらくの間、ひろこちゃんはそこをうろうろしていました。

ありがたいことに、よそのクラスの一行が遅れて上から下りてきました。知らない先生に知らない子どもたちです。
ひろこちゃんは飛び抜けて恥ずかしがり屋の知らない人とは口もきけない子でしたが、ここは助けを求めなくてはならない場面だというのが分かりました。
そこで、知らない先生の前に姿を現しました。

先生にちゃんと説明したのでしょうか。黙って立っていたのでしょうか。聞かれてうなずくだけうなずいたのでしょうか。
ともかく、その先生はそのクラスの子どもたちに混ぜて、ひろこちゃんを連れて帰ってくれました。
今度はぐれたらもう大変です。ひろこちゃんは一生懸命ついていきました。
下り坂なので、急なところでは早い子と遅い子に差がつきます。知らない男の子が、とくに急な斜面で「おっ、これは……おっとっと」などと言いながらつんのめるように下りていきました。ひろこちゃんは自分だけがとろいのではないとわかって安心しました。

麓に下りると、同じクラスの人たちが整列してひろこちゃんを待っていました。ひろこちゃんは何もなかったかのように、その列に加わりました。
たぶん、先生同士では、何か説明されたのでしょう。

家に帰ってから、ひろこちゃんは「崖にぶら下がっていた」(ちょっと大げさ)ときのことを思い浮かべました。あのときはあれが現実だったのに、今はここにこうしているんだな、と(そういう意味のことを、幼児のことばで)ふりかえって感慨深く考えました。
迷子になったことは、おかあさんに黙っていました。

第4話 飛び出し

小学校の3年生か4年生のころのことです。
その日、図工の時間に描きかけた絵を家で仕上げてくることになり、みんなは画用紙を持って帰りました。
ひろこちゃんは同じ方向に帰る友達といっしょにいました。ひろこちゃんの通学路はほとんどが国道沿いです。国道といっても片側1車線の交通量もそれほど多くない国道ですが、それなりに車は行き交い、人通りもあるところです。

ところで、ひろこちゃんが小学生になった当時は「交通戦争」などということばも使われるようになり、小学生の死亡事故がかなりありました。子どもたちは「ボールが転がっていっても、追いかけて飛び出してはいけません」と小さいころから何度も言い聞かせてもらいました。ひろこちゃんもそのことはよく知っていました。ひろこちゃんは慎重で臆病で神経質な子どもでしたから、自分から危ないことをすることは、先ずありませんでした。

けれども、ボールのたとえ話は飽きるほど聞いていても、「飛んでいった画用紙を追いかけては危ないですよ」という話は一度も聞いていませんでした。もちろん、ボールが画用紙になったからといって追いかけてもいいのだと勘違いするほど、ばかな小学生はいないでしょう。でも、とっさのときに「画用紙を追いかけて飛び出してはいけないのだ」ということが体に染みついてませんでした。

とつぜん強い風が吹き、ゆるやかに画用紙を持っていたひろこちゃんの手から、画用紙を奪い取りました。あわてて、ひろこちゃんが画用紙を拾おうとしたとき、さらに風が吹いて、画用紙を車道の方に追いやりました。
そのときには、手を伸ばせばすぐに届くところにあったのです。ひろこちゃんは手を伸ばしました。けれども、風でまた少し画用紙は車道の方に追いやられました。

ひろこちゃんは画用紙を追いかけて車道に踏み出しました。風が吹いて、画用紙はころころと転がっていきました。ひろこちゃんは必死で追いました。追いかけているのは「画用紙」ではありません。描きかけの絵なのです。作品なのです。一つしかない取り返しの付かないものなのです。

どんどん踏み出して、車道の真ん中まで絵を追いかけていきました。危ないことをしている、だめだ、という感覚が頭の隅にありました。歩道の方から友達がひろこちゃんの名前を呼んでいるのが分かりました。けれども、それを遠いことのように聞きながら、ひろこちゃんは画用紙だけを見て腰を屈めて追い続けました。

すぐそばを何台もの車が通りすぎていきます。ボールを追いかけて真っ直ぐに走る子どもならまだしも、風に舞う画用紙を追いかけて不規則に走る子どもは、ドライバーにとってどんなにか迷惑で恐ろしかったことでしょう。(あのとき安全運転をしてくださった皆さん、有り難うございます。ごめんなさい)

気がついたときにはひろこちゃんは反対側の歩道に立っていました。そして、手には画用紙をつかんでいました。

(つづく)