>お問合せはこちらの掲示板へ<
◇コラム
『未だ奥座敷にいたらずの精神』
 渋沢榮一の論語講義を改めて読み返しました。素晴らしい文章なので私のホームページのコラムで紹介致します。

 家語に載す「子路シツ(楽器の1種字の変換不能)を鼓す。孔子その北ひ殺伐の声あるを聞き(按ずるに子路は久しく衛の太夫,孔ぎょ・孔がいにつかえ,又その妻も衛の人なり。衛は魯の西側にあり。故に北ひといふか。)その強勇まさに天年をヨウせんとするを知る。( )有に語りてもってこれを戒む。子路これを聞き、懼れて自ら悔いゆ。静思食はず、以骨立に至る云々」。それ一声の鳳管秋秦嶺の雲を驚かせば、鳳凰その屋根に来たり止まり、立呂の声声に情声に発し声文を成すとや。蓋し子路の人となり、剛強なるが故に、シツを鼓するその心自ら北ひ殺伐の声となりて発し、中和なる能わず。孔子このことを有にかたりて以ってこれを以ってこれを戒む。子路をして中和に進ましめんと欲するなり。即ち孔子は、「吾が門の学は中和を手とするに、由のシツをこするは殺伐の声ありて、吾が学の中和を旨とする主義に副わず。何ぞ吾が門下においてなすべきものならんや。」と仰せられしなり。子路素より正直の君子人なるが故に、これを聞き、大いに心配して、食事もなさず身体疲痩して骨立するに至れりとなん。しかして同門の人々これを聞き、子路は孔子に斥けられたりとなし。遂に孔門の年長者、子路を敬せずに至れり。此れは薬が少し利き過ぎたやうであるから、孔子はこれを緩和するために更に左のごとく釈明せられた。

 曰く「子路の学は、これを譬ふれば、すでに家の座敷に上りたり。ただ未だ奥座敷に入らざるのみ。子路の学は固より尊敬すべし。決して軽んずべからず。」と。孔子が白の短所はあえて回護せず。しかして又その長所をおほわず。人を論ずる、きわめて公平なるを見るべし。」

 私はこの文章を読んで感じたことは一つは片寄りの無い中和の精神の大切さと、未だ奥座敷に至らざるの精神でした。ここより学識や技芸が深いことを奥座敷に入る(入室)と言います。武道でもある程度のところまで進むと[俺はかなりのところまでいった。(入室)」などと思ってしまうことがしばしばありますが、そういうときは自分はまだまだだ【未入室)と言い聞かせ更なる境地に進んでいくよう努力をしようと思っております。ともすれば怠けがちな私ですが、多くの仲間を得ることが出来ましたので共に頑張っていきたいと思います。

                                         河野義勝

                                         2005年5月2日

>>コラム1地山謙の精神(新井白蛾師の書物を読んで)
>>コラム2火天大有について
>>コラム3山澤損について
>>コラム4未だ奥座敷にいたらずの精神
>>コラム5「闇乃あけぼの」読書要語について
トップページ八卦掌とは王樹金先生練習の手引き道場案内|コラム|アルバムリンク
当サイト掲載の文章・写真・イラストなどの無断転載を禁じます。
Copyright (C) 2004〜2007 giseikokujutsukan. All Rights Reserved.