たぬきマンアメリカ激闘編の巻


第4回THE SIDEWINDER



朝3時に起きてしまった。
たぬきマンは時差に弱い。たぬきマンの体形は、たて、横、ななめ全て同寸で、ヒトには丈夫だと思われているが
実はすごくナイーブで(ココが大事!)神経質でプレッシャーに弱い。
海外旅行に行くといつも2〜3日は変な時間に起きてしまう。
だから短い旅行だと日本に帰ってから海外時間に適応して1週間は辛い思いをする。
とにかく寝られないので、今日の路上篆刻の準備と衣装を用意し始める。


今回日本を代表する書道の篆刻(てんこく)のパフォーマンスなので、高崎本町(家の町内です)の法被を用意した。
高崎には町内ごとに山車があり、お祭りにはいつもたくさんの山車でにぎわうのだけれど、山車には人形がシンボルとして乗っていて、本町は弁財天(弁天様)だ。だから法被の後ろは「辨財天」と入っていてなかなかカッコが良い。
この法被は作り替える時たぬきマンがデザインしたものなので今回のアメリカ旅行にはず〜とコート代わりに着ていた。
アメリカは漢字ブームだけれどやはり本物は人目を惹いてニューヨークはかなり面白い思いをしたのだけれど、それはまた明日のココロダ!
頭には神輿の喧嘩絞りで手拭いを巻く。
首に三社の身替わり札をかけ、足には雪駄を履いて出来上がりだ。もし人が集まらない時の事を思って篠笛を持つ。
彫るものが小さいものなので、遠くから見ると何をやっているのかわからないので
横笛を吹いて人集めをしてからはじめようと、日本から持ってきたものだ。
準備は10分程で終わってしまった。しょうがないのでコーヒーを入れて時間まで寝転がって待つ事にする。

時間になったのでロビーに集合する。今回高崎から来た人は高崎市長など関係者の人たちでバトルクリークに寄贈した高崎公園の開会式に参加する人ばかりだ。みんなたぬきマンを見て、ナンでこんなやつがココにいるんだ?みたいな顔をしている。ハイそのとうりです。私だけ公園とはなんの関係もありません。
現地にいって驚いた。かなり大きい公園の一角に、かなり小さい日本庭園が造られている。(スンマセン。バトルクリークの公園が巨大で森のようなのでホントにそう見えました)
なんでも最初に姉妹都市提携をしたときに記念に造った高崎公園が、何年も経つうちにいろいろ修復されて中国だかインドだかわからない公園になってしまったので、現地の日本人会の皆さんが働きかけて今回の新規造成になったらしい。
だから完成記念レセプションパーティーには錚々たるメンバーが来ていて、ミシガン州日本総領事や日本人会の会長さん、両市の市長はもちろんのこと政財界人など、たくさんのVIPがいる。


現場を仕切っている眼鏡をかけてコートを着て、いかにも私は才能があるのよ、といっているようなテキパキした動きのオバサン、失礼レディーに声をかけた。
「アノデシュネー、ワタチニホンカラキタ、アーチストデス。キョウミンナニはんこホリニキマシタ。」
無視。
もう一回いろいろ動き回っている前にまわって、今までの人生で初めてつくった素晴らしい笑顔を浮かべて聞いた。
「アノーキイテナイデシュカ?ワタシキョウキテハンコホルノコト?」
無視。
あたまにきた!もともと気が長いほうでなくて、若い時粋がってぼこぼこにされた経験は数しれず。それでもこの頃年なので、おとなしくなったな〜と自分で思っていたのだが、これには憤慨した!
しかし年の功。ココで怒っちゃ、国際問題になりかねんと思い直し(それでも良いかなとも思ったが)今度は現場で仕切っているウエストまわり140cmのおじさん(若いのかも知れないがどう見ても50才ぐらいに見えた)に声をかける。「コンニチハ!」ん?というような顔でこっちを見る。目が疑っている。すこし戦法を変えた。「ワタチ、テッド市長にオネガイサレテキタ、ニホンノアーチストデス」大嘘。
これが意外に効いた。しょうがないな、みたいな顔をして何が欲しいと聞いてくれた。「アノネ、イストテーブルヲヨウイシテクレレバ、アトハナンニモイリマセン」意外に親切な人でテントまで用意してくれた。感謝!なんだ怒らなくて良かった。いいひといるじゃん。外国は1人のヒトで判断してはいけません。

早速印材を並べ印刀をだして準備をはじめる。遠くでみんなが何するんだろうと恐る恐る見ている。
今回現地の日本人会の方々が日本を演出しょうと、和服を着て野点や高崎だるまなどを配ったりしてお世話になったのだけれど、私の篆刻はかなり異質で日本人も実際に彫っている姿を見た事が無い、
というぐらいの物なのでとにかく今まで外国にいって彫るといつも黒山の人だかりとなる。


日本人会の一番偉いヒトが「スマコ」さんで(私が勝手にそう思っている)アメリカ暮しがもう何十年という方で、だんなはアメリカ人で地位も名誉もある方なのに気さくで、たぬきマンは肝っ玉母さんと密かに呼んでいた。
スマコさんがたぬきマンを見て、「What are you doing?」と聞くので「オネガイデゴザイマスルカラ、ニホンゴデシャベッテネ」と言うとたぬきマンの流暢な英語のような日本語で答えてくれた。

スマコ「あなーた、なにやってるの」
たぬきマン「(あ−日本語だ、よかった!)私は高崎から来たテンコクマン。アメリカ人をびっくりさせるためにきたこころよ(少し日本語がおかしい)」
「え?はんこ?なつかしいわね〜じゃあ娘、わたし、いるから早く彫って」
最初のお客さんになってくれた。


ミたぬきマンとスマコさん。アメリカで蛇の目の相相笠は粋でしょう!

スマコさん御注文の篆刻を彫り出した。
日本でも外国でも同じだけれど、実際に石を彫り出すと何やってるのだろうとヒトが集まってくる。
外国の場合まず名前を書いてもらって、それをたぬきマンが当て字で日本語に直す。
その時日本語は意味があるのでなるべく良い字を当てて説明する。例えばバトルクリークのテッド市長には「哲度」と書いて、この名前は日本語で「哲学を行う人」の意味がある。あなたの名前はアリストテレスのような、人を導く素晴らしい名前だ、というとたいがいの外国人はウヒョウヒョ!と喜ぶのだ。
まず石の表面をやすりですって平にする。その面に朱墨をうって(墨をつける事をこう言います)そこに黒墨で篆書(てんしょ)の名前をさかさまに書いていく。字ができたら、鉄筆(てっぴつ)と呼ばれる刀で印を彫っていく。篆書を彫るので篆刻というのだ。石を彫りだしたらだんだん人が集まってきて、とうとう長蛇の列になってしまった。おかげで、レセプションパーティーは何も見られず、昼飯たべずトイレも行けず只ひたすら石を彫りまくっていた。2時にパーティーは終わったがたぬきマンの前から人が去らず、3時になっても終わらないので会場の都合上それ以上居る訳に行かず、日本に帰ってから送る約束をしてやっと、たぬきマン海外路上支店は店じまいとなった。
続きはあしたのココロだ!

アメリカ豆知識
バトルクリークには何も無いと前回書いたが、有りました、ありましたよ!
え、なにが?って?×××××ですよ!
街のはずれにこっそり建っていて、週末になるとバトルクリークの”紳士”が集まってすんばらしい社交場になるらしいです。
詳しい事がかけないのが、う〜〜つらい!

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第2回はここ!

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