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別冊 読書ノート


〜 a separate volume 〜

心をひかれた本について、これまで書いてきた文章を掲げてみました。
シリーズものの刊行状況は書いた当時のものです。

『炎のように鳥のように』
皆川博子著(偕成社)

 射止めた鹿を――鹿に命中した鉄の鏃を失うまいと、川の流れを追って少年が走る。鏃はとぎなおして、いくども使うのだ。鉄がどんなに手に入れ難いものであるか……。
 壬申の乱の前後の時代を背景にした壮大な叙事詩は、こんな具体的な情景から始まっている。
 やがて少年は色とりどりの布をまとった人たちがいる館にたどりつく。それが、身分の違いを超えた友となる草壁王子(天武天皇の子)との出会いだった。
 生活のこまごまとした描写を積み重ね、歴史上の人物を生きた人間として描き出し、大きな時代のうねりを感じさせる書きぶり――。学生時代に熱中したイギリスの歴史作家サトクリフの手法を思わせ、日本人にもこんな迫力のある歴史小説を書く人がいるのか、と驚いた(このときは作者が直木賞作家だとはまだ知らなかった)。
 この時代を描いた物語のヒーローといえばたいてい悲劇的な最期をとげた大津王子で、草壁王子はさえない敵役としておとしめられることが多い。その草壁を作者は主人公の一人にすえた。あとがきに「強烈な個性をもった英雄たちがからみあい、天武が権力を奪取し、律令国家をつくりあげてゆく怒濤の時代に、無力な草壁は、弱い人間の目にしか見えないものを見ていたのではないか」とある。この着眼は、少なくとも私には、とても共感できるものだった。
 この本を読んでからというもの、大津王子を英雄視するついでに草壁王子を悪者のように書いた作品は、違和感を覚えて読めなくなってしまった。
 草壁王子の優しさはせつないが、もう一人の主人公〈小鹿〉の誇り高さがすがすがしい。この二人による交互の語りが、ドラマを立体的に見せてくれる。
  (一九八二年出版、現在は偕成社文庫)

「大人も楽しむ児童文学案内」掲載:1999年7月
読書サークル「子どもの本を読む会」(防府市)刊行

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エミリー・ロッダ作
『ローワンと魔法の地図』
『ローワンと黄金の谷の謎』
『ローワンと伝説の水晶』(あすなろ書房)

 昨今、書店の平積みコーナーをにぎわしている翻訳ファンタジーのあれこれについては語りたいことがたくさんある。そんな中で、一番にお薦めしたい本ということになると、リンの谷のローワンのシリーズ、とくに三作目の『ローワンと伝説の水晶』がいい。
 一作目から気に入っていた。物語がおもしろくて、後味がさわやかで、登場人物の描き方にも共感できる。オーストラリアの作家だからか、欧米文学にありがちな善悪二元論の世界観に染まっていない。
 ただし、一作目について言えば、展開が早い段階で読めてしまった。予言されていることの意味が、大人の読者には予想しやすい。それでも細部がよく描かれているため、彼らの冒険をじゅうぶんに楽しむことができた。ストロング・ジョンやアランなど、続く巻でも重要な役割を演ずる大人たちが、個性をくっきりと見せながら、ローワンと旅をともにする。
 二作目からは、結末に待っているものが何なのか、簡単には見抜けなくなった。「敵」の正体の思いがけなさ、伝説の裏の意味、価値観の違う二つの民族の描きわけなど、みごとだと思う。
 しかし、ここまでは円満に閉じられた「行きて帰りし物語」だ。ハッピーエンドを期待して、読み進めることができた。ところが、三作目になると、最後の最後まで気を抜けなかった。巻を追うごとに、ローワンはたくましく成長する。が、次は「成長」では済まされない変化を背負って、私たちの前に現れるのではないだろうか。三作目の結びは、そんな淡い恐れを抱かせる。
 リンの人々を描くことで始まったこのシリーズも、二作目で〈旅の人〉、三作目で水辺の民マリスが登場し、語られる世界が広がってきた。やがては悪役のゼバックも本格的に登場するだろう。この作者ならきっと敵のゼバックのことも、感情を持ったふつうの人間として描いてくれると期待している(その片鱗はすでに見えているようだ)。
 冒頭に述べた翻訳ファンタジーの中には、作品の完成度としては高く評価するけれども、読むのが不快で好きになれない作品群があった。一方で、読後感は悪くないけれども、味が薄くて新鮮さにかける作品群もあった。
 そんな中で「ローワン」は、手元に置いて読み返したくなる作品だった。惜しむらくは『ゲド戦記』や『クラバート』のような胸にずしりと響く感動に欠ける……と思っていたのだが、シリーズはまだ続いている。新作が出るたびに味わいが深まっている。ずしりとした感動が生まれそうな予感がする。

「大人も楽しむ児童文学案内2」掲載:2002年7月
読書サークル「子どもの本を読む会」(防府市)刊行

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あさのあつこ作
『バッテリー』〜4(教育画劇)

 今、注目して読んでいるスポーツ物の連作児童文学が二つある。一つは森絵都の「ダイブ」四部作。もう一つが、この「バッテリー」(現在、四巻まで)だ。
 こんな個性的な主人公は、日本の児童文学の中ではなかなかお目にかかれない。原田巧を「性格の悪い主人公」と評した人があったが、そういう批評が出てくるくらいに、よくある主人公タイプは心に傷を抱えた「被害者」が多い。うじうじとしゃがみこんで、「だるい」、「うざい」とつぶやく主人公たちには、いい加減うんざりしていた。
 一方、自分のやりたいことに向かって、傍若無人(?)に突き進むのが、「バッテリー」の主人公原田巧である。大人たちの抑圧にすねているひまはない。自分の望むように野球をするためなら、他人の気持ちにはおかまいなし。これを評者は「性格が悪い」と言うのだろう。
 この子は見かけほど自信たっぷりなわけではないな、と読んでいくうちに感じた。傲慢とも思える態度は、十二歳で特別な才能を背負うことの、しんどさの裏返しだろう。才能ある者のすべてが花開くわけではない。巧は直感的にそれを嗅ぎつけていて、ぴりぴりと神経をとがらせている。
 バッテリーを組んだ永倉豪。副主人公の彼は巧と対照的だ。巧の速球を受けられるほどの捕手でありながら、のびのびと野球を楽しみ、周囲への気遣いも忘れない。
 豪の幼友達だった沢口や東谷を始め、二巻以降で登場する吉貞、海音寺、野々村など、多彩な野球少年たちが書き込まれ、それぞれに味を出している。
 巧は友人との交流で、少しずつ違った顔を見せる。自分自身の弱さも思い知る。これで彼は才能に押し潰されることなく、一回り大きくなれるのではないかな、と二巻を読み終えたとき、そう思った。
 「ダイブ」(森絵都)の場合は、初めから全四巻と予告されていたし、オリンピック代表という、わかりやすい目標が設定されていた。三人の少年が一作ごとに主人公を交替して、最終巻になだれこんでいくというあざやかな組み立てだ。
 ところで、「バッテリー」のほうは、どこまで続くか、だれにもわからない。物語はゆるやかにうねりながら展開している。完結を待ちつつ、もっと彼らの野球を見ていたい気もする。

「大人も楽しむ児童文学案内2」掲載:2002年7月
読書サークル「子どもの本を読む会」(防府市)刊行

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『エルフギフト』上・下
スーザン・プライス・作/金原瑞人・訳(ポプラ社)

 児童文学やファンタジーに甘い錯覚を持っている人がこの本を読んだら、めまいがするかもしれない。
 ゲルマンの神々が人間たちと同じ地平に現れ、キリスト教がイングランドの新興宗教であった時代  。
 主人公はエルフの血を引く王の私生児エルフギフト。王の遺言で後継者に指名されたことから、異母兄弟や叔父たちの確執に引きずり込まれることになる。
 この本の魅力は、大きく分けて三つの点にあると思う。
 まず、主人公エルフギフトの特異さ。冷酷でも非情でもないが、人並みの優しさや温かさは示さない。あまりに高い視座からこの世の根源的な悲しみを見てしまい、目先の人の悲しみに心を動かされることはない。まるで異次元の人物のようだ。
 次には、予想を裏切り続ける物語の展開がある。とくに下巻の後半はすごい。これほどの力量をもった作者でなければ、こんな常識を超越した物語を紡いでも、破綻するだけだろう。
 三つ目は文章。冒頭から力強い描写力で読者を引きつけて離さない。翻訳でも、作者の筆力はじゅうぶんに伝わってくる。エルフギフトの住まいの描き方では、むっとするような生活の臭いまで漂ってくる。
 この作品は、月並みな教育的配慮からは遠い。欧米のファンタジーにありがちな「善悪二元論」からは最も遠い。
 現世での憎しみも悲しみも脱ぎ捨てて、宿敵だった者同士が隣り合わせに集う「ユルの祝宴」(下巻参照)が、この作品の全体を象徴しているような気がする。

「大人も楽しむ児童文学案内3」掲載:2004年8月
読書サークル「子どもの本を読む会」(防府市)刊行

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『盗神伝』1・2・3
メーガン・ウェイレン・ターナー・作
金原瑞人/宮坂宏美・訳(あかね書房)

 主人公は天才的な盗人(人殺しは嫌い)の少年である。「おれに盗めないものはない」と豪語して、冒頭から牢獄に囚われている。
 主人公のキャラクター設定が秀逸だ。読み終えると、もう一度はじめから読み直して、伏線の張り方を確かめたくなった。
 この作品の舞台は中世のギリシアを思わせる架空の国々。直接の舞台は架空でも、当時の時代背景は踏まえてある。主人公の祖国をふくめた近隣諸国の政治的な関係や、あちこちで語られる独自の神話も、この物語の重要な要素となっている。
 主としてストーリー展開で読ませる作品だと思うが、きめ細かい情景描写に支えられ、二度、三度と読んでも楽しい。
 第一巻は独立した話で、この部分だけで完結している。まずは、一巻だけを読んでみるのもいいと思う。

「大人も楽しむ児童文学案内3」掲載:2004年8月
読書サークル「子どもの本を読む会」(防府市)刊行

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『炎の秘密』(講談社)
ヘニング・マンケル・作/オスターグレン晴子・訳

 作者はモザンビーク在住のスウェーデン人です。
 十二歳の少女ソフィアは地雷を踏み、姉のマリアと、彼女自身の両足を失います。強い意志と生命力を持つソフィアは、やがて義足で歩く訓練をし、縫い物を習い、生活を立て直していきます。モザンビークの少女の実話に基づいた物語。
 重いテーマにもかかわらず、読み終えたあと、すがすがしい気分になれる本です。

(「本が好きだもん」創刊号から転載)

「大人も楽しむ児童文学案内3」掲載:2004年8月
読書サークル「子どもの本を読む会」(防府市)刊行

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『ねこぐち村のこどもたち』(廣済堂出版)
金重美(キム・ジュンミ)作/吉川凪・訳

 収蔵する図書館によっては、児童書ではなく一般図書に分類されているようです。
 「ねこぐち村」というのは、正式の地名ではなく、韓国に実在する極貧の地域の呼び名です。
 題材から往時の『ユンボギの日記』に比べられることが多いですが、ユンボギ少年が基本的に独りであったのに対し、「ねこぐち村」のこどもたちには仲間がおり、全編に力強く明るい印象をもちました。
 彼らに手を差し伸べる青年たちの心のありようも、慈善や偽善とは無縁で、さわやかです。

(「本が好きだもん」第5号から転載)

「大人も楽しむ児童文学案内3」掲載:2004年8月
読書サークル「子どもの本を読む会」(防府市)刊行

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『人形の旅立ち』(福音館書店)
長谷川 摂子・作/金井田 英津子・画

 五つの短編がゆるやかに連なり、一つの長編となっている、そんな構成の本です。
 作中人物たちによって語られる出雲弁が、いい味わいを出しています。
 おそらく作者の幼年時代だろうと思われる感性の豊かな少女の視点を通し、周りの人たちが展開するあたりまえの暮らしが、不思議さを帯びて物語られていきます。
 おそらく、この本を評価するのに「良質な作品だけれども、果たして今の子どもたちに受けるだろうか」という言い方が、繰り返しされることだろうと想像しています。
 確かに「ハリ・ポタ」のような受け方はしないでしょう。けれども、主人公と同じような感性を持った何人かの子どもたちは、この本のいくつかの場面に強烈な印象を覚え、数十年後、「子どものころにこんな場面を読んだのだが、あれは何の本だったのだろう」と、あざやかに詳しくその情景をそらんじて、図書館を探し回ることでしょう。
 ふだんは文章ばかりに気を取られている私ですが、今回は、挿し絵との組み合わせにも興味をそられました。

(「本が好きだもん」第9号から転載)

「大人も楽しむ児童文学案内3」掲載:2004年8月
読書サークル「子どもの本を読む会」(防府市)刊行

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『「ネルソンさん、あなたは人を殺しましたか」 〜ベトナム帰還兵が語る「ほんとうの戦争」〜』
アレン・ネルソン・著
(講談社)

 これはノンフィクションです。
 本書の題名は、著者のネルソンが戦争後遺症に悩んでいたころ、小学校でベトナム戦争の体験を講演したときに、ある女の子が発した質問です。この質問に「YES」と答えたときから、ネルソンは自らの人生を変えていきます。
 ジャングルの虫たちの様子や戦闘の情景など、リアルでみごとな描写の一方、黒人兵の死亡率の高さに対する疑問など、社会的な視野からも、幅広く戦争が語られています。
 ネルソン氏は沖縄の米軍基地にもいたそうで、返還前の沖縄の現実(今も変わっていない)にも、触れられていました。

(「本が好きだもん」第10号から転載)

「大人も楽しむ児童文学案内3」掲載:2004年8月
読書サークル「子どもの本を読む会」(防府市)刊行

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