研修医宿題
酸素中毒
山本有祐
はじめに
「呼吸不全がなかなか改善せず、いつまでも酸素を続けなければならなければならない」このような時、どれぐらいの濃度の吸入酸素をどれぐらいの期間ならば安全に投与できるのであろうか。今回私は酸素中毒について調査したため、ここに報告する。
一般的に酸素による肺障害は100%酸素を24時間以上吸入すると発生する。酸素中毒には種々の因子が影響し、個々の患者で同じ濃度、同じ期間でも酸素による肺障害は異なる。もちろん、大気の20.9%により近い方がより酸素中毒は少ないが、患者を不用意に低酸素状態に曝すことは避けなければならない。症状胸部症状としては胸骨下の疼痛、咳嗽、胸やけなどからはじまり、肺水腫、肺出血などから呼吸困難が現われる。また中枢神経症状としては、顔面筋の攣縮、悪心嘔吐、視野狭窄(トンネル視)不安、幻聴(ごうごう、りんりん鳴る)、錯乱などの兆候の後に痙攣を誘発する。このような症状は健常肺に高濃度酸素を投与した場合には典型的な症状として現われるが、酸素中毒の中枢神経症状は、肺病変が存在して酸素化が悪化している場合には現われない。したがって中枢神経症状は高圧酸素療法中によく認められる。酸素投与にあたっては酸素中毒は吸入酸素分圧と暴露時間の積が大きくなればなるほど発生しやすくなるが、臨床現場では肺障害の発生を修飾する因子が多く存在する。たとえば未熟児網膜症と同様に新生児肺は障害されやすく、逆にVit.Eやグルタチオンは酸素中毒に抑制的に働く。
ARDSでは?
ARDSなどの重篤な低酸素血症で、酸素中毒を危惧し100%酸素を24時間以上投与することに躊躇する場面にときどき遭遇する。また,100%でなくても80%〜90%の曝露時間が48時間を越えているような場合に酸素濃度を下げるべきか悩む場面もよく見かける。24時間、このような患者にこのまま100%酸素を投与した場合、酸素中毒が発生するであろうか? したがって、低酸素の危険を冒してでも吸入酸素濃度を下げるべきであろうか?
高濃度酸素による肺障害のおもな原因は、肺で発生したフリーラジカル(スーパーオキサイド)が肺血管内皮を障害することである。しかし換気不全がある肺胞では、肺胞酸素分圧および肺毛細血管酸素分圧が上昇せず、したがって過剰なフリーラジカルの産生も起きないと考えられる。100%酸素を吸入しなければならない患者さんの肺はその大きな部分が換気不全をおこしている。たとえば無気肺の部分は100%酸素を吸入し続けても換気されないために、酸素障害を受けず残ることになる。無気肺が改善するにしたがって速やかに吸入酸素濃度を低減することで、低酸素状態に暴露される危険性も少なくなる。
びまん性肺障害では?
改善不可能な肺障害の場合やびまん性の障害では低酸素の危険性と酸素中毒の危険性を天秤に掛けなければならないが,健常肺の場合と同じように考えて、不必要に低酸素状態に患者を置くべきではない。
酸素中毒には耐性が存在する。ラットに100%酸素を吸入させると72時間以上になるとほとんどが死亡する。しかしあらかじめ85%の酸素に暴露させておくと死亡率が減少する「慣れ」の現象が生じる。これには肺胞上皮細胞でフリーラジカルを取り除く酵素(SOD)が産生されることが関与していると考えられる。炎症が起きている肺においてもフリーラジカルのみならず、これを取り除く酵素の多く産生されている。
考えてみよう!
気管内挿管下に人工呼吸中の患者、FiO2=0.4でPaO2が85mmHgである場合、このままの酸素濃度で良いのであろうか。
人工呼吸中は気管内吸引やPEEPの欠如(回路の脱着など)によって一時的に酸素化が悪化することがある。提示した症例には詳細が無いため断定できないが、低酸素状態が患者にとって危険と判断されるならば、FiO2を0.5〜0.6に上げることで安全圏を大きくして低酸素状態を回避したい。たとえば気管支鏡検査では処置が長引き低酸素状態になる可能性があるためFiO2を予め1.0にする。処置が終われば,元に戻すことを忘れれてはいけない.
人工呼吸中の患者はその大部分が急性呼吸不全であり、上記対処でよいと思われる。慢性呼吸不全とは酸素を必要とする時間経過が大きく異なり、慢性呼吸不全ではFiO2が0.4でPaO2が85mmHgでも十分と考えて、さらにFiO2を下げていくこともある。どれくらいなら許容範囲?どれぐらいの酸素濃度を投与できるか、下におおまかな目安を掲げる。
1.100%酸素吸入
線毛や肺胞貪食細胞の機能は低下するが、24時間以内であれば臨床的な危険性はない。
2.60%酸素吸入
形態学的な変化がおきる可能性はあるが、1週間以内であれば呼吸機能に影響はない。
3.24〜28%酸素吸入
数ヶ月の吸入で軽度の組織学的変化は起きるが、酸素吸入に特異的とは言えない。
April 20, 2003
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