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※ 上の赤い三角形は、クサナギ族の集会所の壁に描かれた「蛇の鱗をかたどった聖なる△印」(第一章)をデザインしたものです。 物語の発端 弥生時代の出雲では、肥の川の流域にクサナギ族(製鉄の民)、ナズチ族(農耕の民)、タケハヤ族(海洋の民)の三つの部族が暮らしていた。 絶対年代について 「八岐の大蛇」の時代背景は2世紀です。 以前から、絶対年代のある、外国との交渉のある、世界史の中の日本の古代の物語を書いてみたいと思っていました。日本の古代の物語は数多くありますが、歴史上の年代を感じさせない「神代」の物語が多いように思いました。 クサナギの語源 作中でも書きましたが、「クサ」というのは猛々しく強いということ。「ナギ」は蛇を指す古いことばです。だから、「くさなぎ」とは強い蛇の意味になります。(参考:日本古典文学大系『日本書紀』上、岩波書店) 製鉄と漢字 作中、クサナギ族の生業として製鉄が語られています。また、限られた人たちの間で漢字が使用されています。これらは、定説からみると、かなり早い設定です。 文字の使用についても同様です。「大陸と盛んに交渉していた倭人が、銅鏡などに刻まれた文字に興味を示さなかったはずがない」という推論をたてる人もいるのですが、証拠のないことなので、はっきりしたことは言えません。 登場人物の名まえは 弥生時代の物語なので、人名は発音でしか意識されていなかった(漢字はまだこの国に定着していない)はずだと思い、片仮名で名前を書きました。でも、そのせいで読者にわかりづらい思いをさせてしまったようです。 人物名を漢字で書いたらこうなる、というのを挙げてみます。(意味、及び発音から。) (は男性、は女性)
……etc. ※ 威厳のある「ヒコ」に比べて、「ムチ」は親しみのもてる貴人 唯一漢字の「韓来」(からき)は、そのまま、「韓の国(辰韓)から来た人」です。
斐伊川にて 執筆中、作品の主な舞台となった島根県の斐伊川(=肥の川)を見てきました。 島根県大原郡木次町の天ヶ淵というところは、八岐の大蛇が住んでいたという地で、傷を負ってここに逃げこんだ大蛇を退治するために、スサノオは燃えた鉄鉱石や木や草を流し込んだという伝説があります。今でも、ここの地層からは鉄の溶岩や草木が出るそうです。火傷をした大蛇は下流に逃げ、そこで力つきて殺されました。大蛇が死んだ場所にスサノオが八本の杉を植え、今でもその場所は「八本杉」と呼ばれています。現在の杉は、何代め(何十代め?)かの若い杉ですが。 木次町では、駅に八岐の大蛇の絵が描かれ、橋桁も大蛇のデザインでした。 弥生時代には海に注いでいた斐伊川も、江戸時代に洪水のため東に折れ曲がって、今は宍道湖に流れこんでいます。 出雲市と斐川町の間に架かった神立橋から、斐伊川をながめました。上流の木次町のあたりとはずいぶん違って、幅の広いゆったりした流れでした。これが洪水で人々を悩ませた暴れ川かと思うほど、そのときは水量も少なく、あちこちに泥の州が見えました。 出雲おろち紀行 さて、この取材旅行のときのことを、このたび別ページにアップしました。 (2005.05.12) 写真が何枚も載せてあるので、ほかのページよりはやや重いです。(181.1KB) |
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