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草薙列伝八岐の大蛇 聖なる△印裏 話

「どこかの民の言い伝えでは、虹というのは空にかかる大きな蛇なのだそうだな」

               

※ 上の赤い三角形は、クサナギ族の集会所の壁に描かれた「蛇の鱗をかたどった聖なる△印」(第一章)をデザインしたものです。

弥生時代の出雲、肥の川の流域には、もう一つの「八岐の大蛇」伝承があった……

物語の発端

弥生時代の出雲では、肥の川の流域にクサナギ族(製鉄の民)、ナズチ族(農耕の民)、タケハヤ族(海洋の民)の三つの部族が暮らしていた。
クサナギ族の族長が急死し、新しい族長に選ばれたのはわずか16歳のナギヒコ。大陸の事情にも通じたナギヒコは、いつの日か出雲を統一して、漢の皇帝にも認められる王になりたいという大志を抱いていた。
だが、前の族長は生前ほかの二つの部族と合わせて一つの国を造る密約を交わしており、新しい国の王の地位には、タケハヤ族の族長スサノオが就くはずだった。
春、蛇の神の祭りの日に、ナギヒコはナズチ族の姫クシナダと知り合う……。


絶対年代について

「八岐の大蛇」の時代背景は2世紀です。
絶対年代としては、中国の王朝名がでてきますが、漢王朝は長いので、これだけではいつのことかわからないでしょう。韓半島(朝鮮半島)に200年も前から楽浪郡が置かれているという設定なので、年表をひろげてみればだいたい見当がつくと思いますが……。

以前から、絶対年代のある、外国との交渉のある、世界史の中の日本の古代の物語を書いてみたいと思っていました。日本の古代の物語は数多くありますが、歴史上の年代を感じさせない「神代」の物語が多いように思いました。
最後のページに「倭国大乱」を思わせる記述があるので、それをおおざっぱに西暦140年から180年とすると、ナギヒコがクサナギ族の族長をつとめていたのは120年代ころということになります。

クサナギの語源

作中でも書きましたが、「クサ」というのは猛々しく強いということ。「ナギ」は蛇を指す古いことばです。だから、「くさなぎ」とは強い蛇の意味になります。(参考:日本古典文学大系『日本書紀』上、岩波書店)
この物語では、ナギヒコが携えた剣を「猛蛇の剣」と表記して、「くさなぎのつるぎ」と読みました。
日本武尊が草を薙いだから「草薙の剣」だというのは、ずっとあとから付け加えられた伝説です。

製鉄と漢字

作中、クサナギ族の生業として製鉄が語られています。また、限られた人たちの間で漢字が使用されています。これらは、定説からみると、かなり早い設定です。
はっきりとした証拠があがっているのは、6世紀の製鉄ですが、弥生時代の製鉄炉はあったとしても小規模で、遺跡として残りにくいだろうといわれています。現在までに発見されていないからといって、初めから存在しなかったという証明にはなりません。歴史学者だったら絶対に書けないことですが、物語作者の特権で、最大限、製鉄があり得たかも知れない早い時期に、設定しました。

文字の使用についても同様です。「大陸と盛んに交渉していた倭人が、銅鏡などに刻まれた文字に興味を示さなかったはずがない」という推論をたてる人もいるのですが、証拠のないことなので、はっきりしたことは言えません。
発掘された瓦などに文字らしき線が書かれていると、文字だ、いや模様だと大騒ぎになります。
でも、お隣の韓国ではすでに1世紀の筆が発見されているそうです。それなら、日本への伝来もあと一歩。将来の考古学上の発見に期待しています。

登場人物の名まえは

弥生時代の物語なので、人名は発音でしか意識されていなかった(漢字はまだこの国に定着していない)はずだと思い、片仮名で名前を書きました。でも、そのせいで読者にわかりづらい思いをさせてしまったようです。

人物名を漢字で書いたらこうなる、というのを挙げてみます。(意味、及び発音から。)

は男性、は女性)

 ナギヒコ  蛇彦、蛇貴公子、龍、那岐比古
 スサノオ (正しくはスサノヲ)  須佐之男、素戔嗚尊
 ヒナガ  肥長、肥の川の蛇姫、肥那賀
 クシナダ  奇稲田、美しい稲田
 ホギ 〔トヨホギ〕  祝 〔豊祝〕
 ヤツミミ  八耳、八箇耳
 タナメ  手の女、手名椎
 ワカハヤ  若速、速彦の息子
 ハヤヒコ  速彦、速の貴人
 サハヤ  小速、速彦の妹
 アカガネムチ  銅貴、赤金貴、銅の貴人 
 コトシロ  事代、言代、言葉を司る者
 スクナヒコナ  少名彦名、小柄な貴人
 マガネヒコ  真金彦、鉄彦、鉄の貴公子
 ミズチヒコ  蛟彦、蛟(蛇と龍に似た想像上の生き物)の貴人
 アザミ  花の薊 (だけど、「アザ」には製鉄にゆかりの意味もある)

              ……etc.

※ 威厳のある「ヒコ」に比べて、「ムチ」は親しみのもてる貴人

唯一漢字の「韓来」(からき)は、そのまま、「韓の国(辰韓)から来た人」です。

クサナギ族の族長が身につけた勾玉

斐伊川にて

執筆中、作品の主な舞台となった島根県の斐伊川(=肥の川)を見てきました。

島根県大原郡木次町の天ヶ淵というところは、八岐の大蛇が住んでいたという地で、傷を負ってここに逃げこんだ大蛇を退治するために、スサノオは燃えた鉄鉱石や木や草を流し込んだという伝説があります。今でも、ここの地層からは鉄の溶岩や草木が出るそうです。火傷をした大蛇は下流に逃げ、そこで力つきて殺されました。大蛇が死んだ場所にスサノオが八本の杉を植え、今でもその場所は「八本杉」と呼ばれています。現在の杉は、何代め(何十代め?)かの若い杉ですが。

木次町では、駅に八岐の大蛇の絵が描かれ、橋桁も大蛇のデザインでした。
もっと上流の町にも、大蛇伝説は伝えられているようです。
ただ、『草薙列伝・八岐の大蛇』の場合、下流の集落と楽に行き来しなくてはならないので、八岐の大蛇の本拠地をあんまり上流に設定するわけにはいきませんでした。木次町の辺りが限界だろうと思いました。

弥生時代には海に注いでいた斐伊川も、江戸時代に洪水のため東に折れ曲がって、今は宍道湖に流れこんでいます。

出雲市と斐川町の間に架かった神立橋から、斐伊川をながめました。上流の木次町のあたりとはずいぶん違って、幅の広いゆったりした流れでした。これが洪水で人々を悩ませた暴れ川かと思うほど、そのときは水量も少なく、あちこちに泥の州が見えました。
ちょうど白い鳥数羽が飛び交い、そこに舞い降りて何かついばみ、また飛び立っていきました。
このときの景色は、最終章で3人の主要人物が語り合っている場面に使っています。
でも、白い鳥のありさまは、あんまり絵になりすぎていてかえって嘘みたいなので、作者の心の中にだけ留めることにして作品では省略しました。

出雲おろち紀行

さて、この取材旅行のときのことを、このたび別ページにアップしました。 (2005.05.12)

写真が何枚も載せてあるので、ほかのページよりはやや重いです。(181.1KB)
(64Kの回線で、表示に27秒くらいかかる見当です。)
差し支えのないかたは、どうぞ「出雲おろち紀行」へお進みください。

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