新型コロナウィルスによせて

 現在、世界中で猛威をふるっている「新型コロナウィルス」が世間にては注目されています。TVのコメンテーターや評論家の人たちは、喧々諤々の意見を言って、昨日言っていたことは、どうだったのかさえ、検証せず情報の垂れ流しの状態です。そんなマスコミに踊らされ、世間では、感染者が何人増えた、なにか足りない、検査ができない、パンデミックになると不安を煽り、騒いでおります。

 

 もう少し、落ち着いて考えてみませんか?私達の心は、注意されて怒る心は-(マイナス)、感謝する心は+(プラス)と考えます。ですから、他人に悪くいわれようとも、それを自分に欠点あればこそだと反省して、改善してゆくのは、大きな+(プラス)となって、心体の細胞の一個一個が活気を帯びて、生き還り、蘇るのです。これを+(プラス)と考えた時、反対にその悪口を聞いて腹を立て、又、相手をののしる事は-(マイナス)の感情となって、心体の一個、一個の細胞がしぼんでしまい生きる力を減じてゆくのです。 それ故に+(プラス)の感情は私達の心体に生きる力の生命力を加え、-(マイナス)の感情は私達の心体に生きる力、即ち生命力を減じてゆくのです。

 

 この様に私達の感情、つまり心の持ち方によって人は健康を左右されるのです。つまり、-(マイナス)の感情は地獄、餓鬼、畜生であり、+(プラス)の感情は霊山浄土を作り、肉体を持つこの世に生きる者の幸福は「健康第一」であるので、人は健康である為には、常に+(プラス)の感情を持つ様に心がけねばなりません。その+(プラス)の感情、つまり感謝の心とか歓びの心とか、尊敬の心は、いつもどんな人に対しても拝む心を忘れず、常に自分を省みて、進歩向上を計ってゆく事です。これが「信仰心」であって、相手を仏と思えば、例えどの様な事をされたりしても「自分にそれだけの罪業があればこそ・・」と、懺悔(さんげ)の境地になり、懺悔(さんげ)させて頂いた相手にも感謝する時、この+(プラス)の感情は自分自信を活気付け、「心身健全」と成る事ができます。

 

 昨今は病気と医薬と競走の様な有様で、医薬が進歩すれば又その上をゆく病気が発生して、医薬の手の届かない難病が、起きている時代です。これらの病気の根源は我々、人間の、我欲、我見の我まま、身勝手な他人を思いやる心のなさ、つまり神仏を恐れぬ、ごう慢な心が、この災厄を作っているのです。すべて合理的、便利、自分勝手など自分の事だけを考えている-(マイナス)の感情は、自分の利害に反する者は全て排除する、身勝手さとなって、互いに相手を傷付け合い、いためつけ合う結果となって共倒れの状態となってゆくのです。

 

 いまこそ、私たちは共に栄え、共に歓び合う、分ち合う心となった時、人は相手を思い、自分を謙虚に見つめて、「少欲知足」を心がけてゆく時、互いに尊敬と信頼の温かい心が流れ合うのです。この+(プラス)の感情が冷たい-(マイナス)の世間を温め、地獄を霊山浄土と変えてゆくのです。 この+(プラス)の世界こそ浄土なのです。 他人をけなして、自分も共に滅びてゆく様な、愚かな-(マイナス)の心を+(プラス)の心と変えてゆく事が、本当に自分の身も心も健康となる事なのです。つまり、自分の力ではどうにもならない自分の-(マイナス)の心を仏様にすがり、仏様の御力添えによって、+(プラス)の心に変えて頂く様、努力する事が信仰なのであります。 一心に仏様を拝んでみても、自分の心が+(プラス)にならない限り、霊山浄土の状態とはなりませんから、+(プラス)の心となる様に一生懸命努力する事が即ち修行となります。

 

 その方法として、お彼岸のご供養、お施餓鬼、塔婆建立、お寺の参拝、先祖供養、など、目に見えない大きな仏様の御力が現わされて、知らず知らずに生れながら持っていた処の悪い根性が正され善根となって、+(プラス)の心を呼び起こす様になります。これが、成仏の道でございます。

合掌

令和2年3月彼岸
法華山 顕正寺 吉田本晃