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■15-5:法制度と偽善団体■

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無意味な法律の意義が消えた日本と無神経な白痴愚民の群れが被害者を苦しめる。

『法律の意義』

法律…教育…。日本人は何を理解し、何を学び、そして生きているのか。

この国の『教育』とは何を指しているのか。『犯罪の定義』とは何か。

北九州市八幡東区の『市立小学校』で、5年生の女子児童(10歳)が同級生など8人から、いじめの末に現金12〜15万円を脅し取られるという重大かつ深刻な事件が発生していたにもかかわらず、『この学校』は「市の教育委員会」へ「単なる金銭トラブル」だという『欺まん・デタラメ・クソまみれ報告』を行っていた。
「10歳」のガキ共が、しかも「女児6人・男児2人」の小学生が、『ヤクザと全く同じ犯罪を繰り返している』という現実を事もあろうに『ほったらかし』とは、一体どうなっているのか。これは、とんでもない行為であると共に、政府が行っている数々の犯罪行為と同等の大きな問題である。
被害者は、ほかにも存在しており、5年生の女子児童(11歳)も約3万円を脅し取られている。
この学校の「職員」も「金銭トラブル」という報告に突っ込みを入れられない「市の教育委員会」も『全員クビ』にしなければならない。特にこの学校の職員は、犯罪を隠ぺいした罪で徹底的に裁く必要がある。もちろんこの犯罪を行ったクソガキ共にも容赦など全く必要ではない。
このような環境で、日々子供達は「自殺」へと追い込まれているのである。このような環境で子供達が、明日への希望などつかめる訳がない。
更には、文部科学相の伊吹君などは、「命を守るために、本当に困っている人は学校や両親に相談してほしい」と言い放っているのだから話にもならない。
無責任と放置対応の固まりである『気狂い学校』と、親の資格などみじんもない『ばか親』に追い詰められ、絶望に打ちひしがれて『自殺している』子供達。その子供達に向かって、『学校と親に相談してほしい』と言った瞬間に、『己が、更なる絶望感を与えている』ことになっているとは、死んでもこのばかには分からないだろう。
この国を『正常な人間達』で、建て替えようではないか。

「2006-11-13:追記」
「最後のそして唯一のメッセージとしての自殺」と「意味なき自殺」。

友人、知人、同僚、親、兄弟、家族、先生、公務員、政治家、学校、行政機関、政府、国……すべてに絶望し、自殺を選んでいる人々。「数百日、または数年間」の忍耐…そして限界の末に死を選んでいる者達。
一方、不正が発覚し、その現実を前にして「1日、または数日間」で忍耐力が消え…死を選んでいる者達。
小学女児などによる恐喝事件の隠ぺいが発覚した小学校長、裏金問題や談合問題での責任者達…相次ぐ自殺。
いじめられ、だれにも「その苦痛」を「理解」してもらえずに、自殺している子供達。一方では、「不正を行い、そして発覚し、『1日、または数日後』に自殺している」大人達。その『苦痛の度合』の違いは『天と地の差』がある。
同じ「自殺の意味」でもなければ、同じ「命の価値」でもない。
子供達を救うために、何を考え、何を行ったのか。不正を止めるべく、何を考え、何を行ったのか。あるいは何も考えずに、不正に手を染めたのか。
『信念と決意』があれば、形だけが大人であった者達の無意味な自殺という死は、決して派生することなどない。
敵が何者であろうが、問題がどれだけ大きかろうが、『立ち向かう』という「基本理念」がない者には、始めからその存在に「意味」などない。
状況に流され、人に流され、善悪の判断もできない者が生きていく意味や価値などみじんもありはしない。
できることと言えば、それまでの人生と同じく『無責任』に死を選ぶことしかない。
そこに反省だの、後悔だの、同情だの、一切発生することなどない。
死んで逝った子供達や被害者の地獄のような苦しみと悲しみに比べたら、問題になどなりはしない。
死んで逝った子供達や被害者達が……『なめるな』……そう言っている。
「『秩序』も『モラル』も『命懸けで確立するもの』である」ということを『この世の本当の地獄』を知らない愚かな者達は、夢にも思わないまま死んで逝くだけなのだろう。

「2006-11-14:追記」
愛情とは何か。子供を持つ親達へ。そして、子供達へ。

最近、目にする言葉として……「大丈夫か?」「大丈夫?」「大丈夫なの?」というものがある。そして、メディアではいつもながら「心に響くコメント」など『皆無』である。
いじめられながらも必死にこらえてきた子供達が、心の内をだれにも言えずに、やっと親に口を開く。どれだけつらかったのかを…だれにも理解してもらえなかったことを…。
しかし、子供ながらに親に対して「心配させたくない」という気持ちが出てしまう『けなげ』さ。その気持ちが『大丈夫だから』『心配ないよ』という言葉を投げかけさせる。
その言葉を「真に受けて」しまい、「大丈夫か?」「大丈夫?」「大丈夫なの?」という言葉を吐き出してしまう浅はかなばか親共。
散々に追い詰められた子供達が、精神的な限界に達しているからこそ、親に伝えているのである。
『助けてほしい』という『一念』で、『気持ち』を『伝えている』のである。
それが分からない親は、親の資格などみじんもありはしない。子供の代わりにとっとと死んでしまえと言いたい。
以前から明記しているように、自分の愛する子供達の環境が、『死を強要される空間』になっているということを頭にたたき込め!
子供達が求めていることはただ1つだけ。それは『本当に真剣な愛情』である。
「大丈夫か?」「大丈夫?」「大丈夫なの?」という言葉は……例えば、だれかが倒れた時などに問いかける「言葉」として認識すべきである。すべてがすべてとは言えないが、往々にしてそういう時の『意味合い』で使われるということである。
その言葉は、相手(この場合は、精神的な限界に達している子供達)に対して、『問題を自分で解決することを強いていることになる』のである。
相手に「問いかける」言葉は、相手に「ゆだねている」ことを指し示す。
この場合、本当に真剣な愛情を持っている者(親など)が、行わなければならないことはただ1つ。
『もう大丈夫だぞ』『もう大丈夫』という『断定した言葉』である。その言葉は、己の愛する子供達を『命懸けで守る』という『確固たる意思表示』である。
『今まで気付かなかったことを許してほしい』『つらい思いをさせてすまなかった』と言えない親は親ではない。
そして、『いじめた連中は決して許さない』『いじめは人間として最も卑怯な行いだ』ということを伝えることが必要である。
それから、これまで「たえ忍んできた」ことを『目一杯にほめること』が必要である。
最後に、「友達も学校の教師も力になってもらえなくても『私(または、俺…私達…お父さん…お母さん…)がついている』から何も心配はないぞ」という『決意の言葉』である。
必要であれば、肩を強く抱き締めてあげればいい。何も遠慮はいらない。己の『愛する子供達』であり、『掛け替えのない命』である。
それらのことを『本当に真剣な愛情』によって行えた場合に、親によって子供達の自殺を食い止めることができる。
ほかでも言えることだが、「できるか・できないか」ということだけを考えている者は、決して何1つ成し遂げられることなどない。
物事には、『結果を考えてはならないこと』や『それをやるだけしかない…という選択肢がほかに全くないこと』があるのだ。
そういうことも頭にたたき込んで、子供に接する必要があるのだ。
ほかに伝えたいこととしては、「ガキが子供を持つな」ということ。それから、「親として子供を持ったからには命懸けで守れ」ということだ。『過保護』の意味とは全く違うことは当たり前だが、「単なる過保護のばか親」には何を言っても伝わることなどないだろうから捨て置く。
何よりも、子供の気持ちを理解できない者は、親の資格などみじんもない。
このくさり切った世の中で……秩序もモラルも治安もクソもないクソまみれの世の中で……親が子供に対する『本当の愛情』だけは決してなくしてはならない。
くさり切った世の中の価値観などすべて破壊してしまえ。己の家族を守ることを最重要課題にしろ。意味のない学校など行かせる必要など全くない。
そして、子供達へ。
世の中はくさり果ててしまっているし、絶望しても一向に構わないが、『決して意志を捨てるな(新たな希望を持つことでもいい)』。どのような状況でも『生きる』ことを捨てるな。絶対に『命』を捨ててはならない。
「生き方」などいくらでもある。「価値観」も無限にある。その中で、必ず「自分にしかできないこと」がある。人生は『自分だけのそれ』をさがすためにある。たとえ見つけることができなくても、それも1つの人生である。
現状、『いじめられている子供達』は、学校に行くことはない。そのことを親や先生に伝え、環境が改善されるまでは決して行くことはない。必要であれば辞めてしまえ。その代わりに、後悔は絶対にするな。「何十年先でも後悔をしないという決心」と共に自分の行動を決めろ。
親や周りの大人達がばかであれば、自分自身で人生を選択しろ。
それから、自分を「叱咤激励」するために考えてほしいことがある。それは、両親や兄弟がだれ1人いない人々がいるということである。だれにも相談できずに歯を食いしばって生きている人々がいることである。
今、目の前にある自分の困難を乗り越え…その後に、身寄りのない人々のために自分が相談相手になるという1つの選択としての目標もある。
世界に目を向けて、現実を見てみることが必要である。苦しんでいる人々はほかにもいる。だから、勇気を持って生きろ。自分自身の気持ちに対して、決して負けてはならない。
それを乗り越えられた時、本当に強い人間の仲間になれる。微力ながら、我々もここにいる。いつでも相談してくるといい。

「2006-11-15:追記」
犯罪とうまみ。ばか共と問題の根底。

政府の犯罪…。「小泉欺まんデタラメ売国政策改革」から続いて、気狂いカルト宗教に『心酔』しているお子ちゃま首相安倍君の『日本国民を極右思(死)想へ教育改革するぞタウンミーティング』の「やらせデタラメ問題」。
「改革するぞ、改革するぞ」これではオウムと変わりがない。
報酬(今回の協力者には5000円など)が支払われていることは、ごく当たり前のことである。『不正』が発生しているところには、必ず『お金といううまみ』が付きまとっている。だからこそ、『加担する者』が存在しているのだ。
それがなければ、何のメリットもないのだから『加担する者』など発生することなどない。しかも、質問者の中には『職員』までいたのである。今回、加担し、報酬といううまみを手にした者達も『顔・氏名・年齢』を明らかにした上で、厳罰に処せばいい。でなければ、この先もなくなりはしない。
詐欺にしても、ひき逃げにしても、レイプにしても、殺人にしても…あらゆる犯罪に関する処罰が甘過ぎることが非常に大きな問題である。
いじめの問題にしても、いじめているクソガキ共に一体どのような『処罰』が行われているのか。皆目分かりはしない。ほとんど口頭注意やら、自宅謹慎程度ではないのか。これで『凶悪な犯罪』がなくなるとでも思っているのか。
そもそも『凶悪な犯罪』であるという認識がないこと、認識すらできないことにとてつもなく大きな問題を抱えていると言える。そのすべての責任は、『本当にばかな大人共』にある。
学校に通っている子供達には、ある場面に関しては絶対に『体罰』が必要である。その場面の『違い』を認識できないばかな教師(狂師)しかいなかったからこそ、「人権蹂躙」として『全面禁止』になってしまったのである。そして、学校は『無法地帯』に成り下がったのだ。
何をしても口頭注意だけ。身体に触れると『大問題』に発展する。ゆえに何もできなくなった教師共。
いじめて同級生を殺す。人を殺しているクソガキ共。しかし何もない…何も起こらない…怒られもしない。そして、直後に次の被害者が発生する。その繰り返し…。
もちろん『闇雲』に体罰反対を主張してきたばか親共にも大きな責任がある。人には、人として絶対に行ってはならないことがある。その一線を越えた者は、まずあごの骨が折れるほどの力で殴り倒せばいい。その後に厳罰に処せばいい。そこに男女の区別など必要ではない。『人が死んでいる』ということを『最重要視』しなければならない。
これはすべての犯罪者共に行う必要がある。『痛み』というものを思い知らせることは『絶対に必要』である。痛みや悲しみを知らぬ者が、他者を犠牲にしているのである。これは古今東西共通の事実である。
『少年法』にしても必要性など全くないと言い切れる。もし、どうしても情状酌量が必要なケースが発生した場合は、その都度「単純に、情状酌量を考えればいい」だけのことである。『少年法』の意味を利用して、悪事に手を染めている犯罪者が派生している問題を根本から見直して対処しなければならない。
しかしながら、現実の学校関係者や教師共の『知能程度』は……例えば、『いじめの問題の場合』→→→『継続性が認められなかった』という「とてつもない言い訳」を繰り返しているばかりである。
継続性を判断するためには、『最低でも24時間3日間の完璧な監視が必要』になるのだが、行っているのか?いじめられている被害者も犯罪者の加害者も両方に対してである。
ほとんどのいじめは『一瞬で終わる』ことを分かっていないのか。時間的に長くいじめることが「学校内」ではほとんど起きないことなど容易に考えられる。中でも、「一言(単語)による言葉のいじめ」が圧倒的に多いのだ。そして「無視」やスポーツなどでの「集中的な攻撃」、メールや掲示板などでの「誹謗中傷」、肉体的な「暴力」など。
その判断などできない状況で、『継続性が認められなかった』とほざくことが『いかに本物のばか』であるのかを証明している。こういうクソまみれの判断からほざいている『言葉』が『被害者の絶望感を後押ししている』のである。
この国は、どこを見ても『本物のばか』しか存在していない。至る所にばかしかいない。このような現実を変えられるのは、国民だけなのだ。我々国民が声を上げて、行動しない限り、何も変わることがないのである。
我々国民は、命懸けで戦う局面に、今『直面』している。

「2006-11-16:追記」
教育基本法改正案が衆院を素通り。

対アメリカのためでもなく、日本の平和のためでもなく、世界平和のためでもない。ただひたすら、日本人ではないお子ちゃま首相安倍君の爺であるA級戦犯が発狂していたことを、上辺だけまねしたいという単なる『個人的な願望』でしかない。
そのためだけに首相の座を狙い、その椅子におしゃぶりをくわえながらふんぞり返っているだけのお子ちゃま外国人である。なぜ、その外国人が日本の首相になっているのかが分からない。
創価学会の池田大作君、統一教会、心酔しているカルト宗教…これらはすべて日本人ではない。トヨタ関係、オリックス関係もそうである。日本人に苦痛だけを与えている『極悪人共』は、そのほとんどが日本人ではない。
日本人ではない連中が、日本人が執り行うべき国会にもくさるほど侵入している。人種差別の気持ちなど毛頭持ってなどいないが、普通におかしいことではないのか。
ましてや、この国のために正常に働いているのであれば文句はないが、この国の人々を地獄に突き落とすことしか行っていない『鬼畜共』は駆除しなければならない。
今回の改正案は、1947年の法制定以来の一大事である。

「2006-11-19:追記」
この項目で、「2006-11-13」に取り上げた「校長の自殺」について。

昨日、クズ当然のTBSでのニュース関連番組で、自殺した校長を擁護し、名誉を回復するために躍起になっている情報垂れ流しシーンを目にした。
理由として、「校長は子供達とスキンシップを取っていた」というもの。
それがどうしたというのか。スキンシップと自殺した子供…スキンシップといじめ殺したクソガキ共…スキンシップと情報隠ぺい…。それらに何の関係があるというのか。
スキンシップそのものはいいことであるが、子供が自殺したことやいじめ殺したクソガキ共がいる事実に変わりはない。本人が認めた情報隠ぺいに関してもくつがえることなどない。
そして、無能であることに何ら変わりはない。「子供に優しく接すること」と「いじめの原因を追求し、徹底した予防対策を行うこと」「自殺を考えている子供達を救うこと」とは、問題も話も次元も全く『別のもの』である。
最後まで無責任を押し通した1人の大人の死を取り上げる『暇』があるのであれば、『苦しみ続けた挙げ句に死を選んだ子供達の無念の気持ち』を取り上げたらどうなんだ。
子供達が「どれだけ苦しんだのか、どれだけ無念だったのか」を徹底的に深く広く考察し、記事に書いたらどうなのか。
そして、「なぜ『いじめ』という残酷きわまりない凶悪犯罪が発生するのか」を追い求めてみたらどうなのか。
所詮、20〜30歳代くらいのボンクラである自称ジャーナリストのたぐいが書いているのだろうが、ジャーナリストの資格などこれっぽっちもない。
物事には、見なければならない「視点」と、かぎつけなければならない「問題点」が必ず存在する。それさえも備わっていないボンクラが何かを書き記そうなどとは100年早い。田舎があるのであればとっとと帰るがいい。
以前にも明記しているが、この「いじめ」の問題は非常に広範囲の分野にまたがっており、幼稚な思考しか持っていない愚か者共では、とうてい太刀打ちなどできはしない。

「2006-11-24:追記」
「お子ちゃまカルト宗教心酔首相の安倍君」とその安倍君に献金し続けた「犯罪企業」の癒着関係問題。

愛媛県四国中央市の『食肉卸大手の協(鬼)畜』が、2004年秋までの数年間で、豚肉輸入時に課される「差額関税」を免れていた「関税法違反(脱税)」。脱税額は「100億円」を超えるとされる。
東京税関が2004年11月までに把握して、約2年間という長い期間の執念(?)…(いや、遅過ぎたか)
これまでに、脱税や違法輸入などで摘発された企業は、愛知県名古屋市の「フジ(キ)チクグループ」(脱税額は「約63億円」)/兵庫県西宮市の「伊藤ハム」など。
その後、更に「豚肉の差額関税脱税事件」で、山口県下関市の食肉輸入会社「山水物産」/同ルートである東京の「グローバルフーズトレーディング」(脱税額は「約100億円以上」)についても立件に向けて捜査している。
これらの犯罪は、豚肉をデンマークなどから輸入する中で行われていた。「数カ国」から輸入したように見せかけるための偽装や、更には国内においても「数社」を経由させることで「輸入元」が分からないように偽装していた。今のところ、2002年から始められていたことが分かっている。
そして、この「山口県下関市」の『食肉卸大手の協畜』は、お子ちゃまカルト宗心酔首相安倍君の『地元』である。
この「犯罪企業」から、『1995年〜2006年』の「今の今」まで『貢ぎ金』が運び込まれていたのだ。これまでに発覚しているだけでも、この「犯罪企業」からの『献金』が『約600万円』に達していたことが分かっている。
安倍君が代表を務める「政治資金団体『晋和会』」と、同じく安倍君が支部長を務める「自民党山口県第4選挙区支部」への『貢ぎ金』。
そしていつものように、問題が発覚してからのお決まりコースである「全額返却」という見え透いた行為。
これでいいのか国民達よ。これで済むと思っているのか鬼畜自・公連立共よ。

「2006-12-13:追記」
イギリスで女性連続殺人事件発生。11日間で5人の犠牲者。

イギリス南東部イプスウィッチ郊外。今月の12月10日までに3人の女性が全裸他殺体で見つかり、先日の12月12日に更に2人の女性が他殺体で見つかっている。いずれも若い女性で売春婦と見られ、5人の内4人の年齢が判明している。名前は省略すると共に、発見された順番に記述する…25歳、19歳、24歳、29歳。(その後、5人目の被害者は24歳であることが判明)
イギリスでは、その昔の1888年:ロンドンを震撼させていた「切り裂きジャック」事件がある。この時の犠牲者も売春婦であり、少なくとも5人が刃物によって殺害されている。ほかにも犠牲者がいたと見られているが、犯人を含めて「未解決」のままである。
一時期、ある1人の「アメリカ人犯人説」が浮上したのだが、いまだに決定的な答えとしては認識されていない。しかし、今現在も犯人の調査を続けている人々が存在している。
また、1975年から1980年には、「ヨークシャーの切り裂き魔」としてピーター・サトクリフが13人の売春婦を殺害した事件もあった。
今回の事件では、他殺体が比較的近く(2〜3キロ以内)で見つかっているケースもあり、殺害方法に関しても「明確な類似性がある」とされているため、同一犯(または同一グループ)による『連続殺人事件』として断定されている。
また、12月12日に発見された2人の女性他殺体に関しては、性的暴行の痕跡はないとされている。が、いずれの場合も殺害方法については明らかにされていない。
日本でも途絶えることがない「凶悪なレイプ殺人事件」の数々。
この日本では特に、司法や人々の認識が異様なくらいに甘過ぎることが最大の問題点の1つでもある。
レイプ、殺人、ひき逃げなどの場合は、問答無用で『極刑』に処せばいい。詐欺、ヤミ金の取り立てなどで自殺者が出た場合にも、問答無用で『極刑』に処せばいい。それ以外は仮釈放無しの禁固30年以上などの重刑に処せばいい。全く犠牲者を出さなかった飲酒運転などの場合は、永久に免許取り消し。その後、その者が無免許運転で検挙された場合には、10年、20年、30年と刑務所にたたき込めばいい。死亡者などを出した場合には、問答無用で『極刑』に処せばいい。
今、この国の現実は、悲惨そのものである。人間としての尊厳、道徳感……何もかもが消えうせている。このような破壊的な行為をもたらしているのは、現状の政治そのものに全責任がある。国民の命をへとも思ってなどいない『官僚・自民党・公明党』などの気狂い共を一掃しない限り、モラルも治安も平和も愛も…慈しむ心も…根絶やしになるばかりである。
何も考えずに生きてきたすべての人々。押し流されて投票してきた多くの人々。世界中で猛威をふるう貧困と犯罪。まず、我々日本人は自国の秩序を取りもどす必要がある。その秩序の確立を邪魔している『官僚・自民党・公明党・カルト宗教・アメリカ軍・アメリカ政府…など』をたたき出し、排除するという『強い意志』を持つと共に、本当の運動を始めなければならない。
特に、アングロサクソンであるアメリカという国は、他民族を侵略し、植民地にしてきた。そして、「分断し、統治」してきた。その方法の中で、同じ人種間での『二極化』や『争い』を発生させ、そこに駐屯したり、武器を供給してきた。その現実は、世界中の歴史が証明している。今この瞬間にも。そして、それはこの日本でも『61年前』から続けられている。
『まじめに生きてきたすべての人々』が、それぞれの人生において必ず報われるように。その真の社会を多くの国民の手で打ち立てられるように。
国民が認識し、運動を展開し始める。すべてのスタートはそこから始まる。

「2006-12-18:追記」
いまだに「無関心」が支配しているサラリーマンの世界。

労働規制緩和「ホワイトカラー・エグゼンプション」。大企業だけが減税に次ぐ減税の大サービスによって史上最高の利益を得ている反面で、全国で問題になっている「サービス残業」の問題。働けど働けど、会社の利益は労働者に対して全く還元されないばかりか、無料で仕事をさせられているという気狂い資本主義社会。これは、アングロサクソンの民主主義そのものがデタラメのものであるということの証明でもある。
日本国民は、民主主義という『言葉』や『イメージ』だけを頼りに生きてきたが、単純に洗脳されているに過ぎない。全くばかげている国民である。実に恥ずかしい国民である。
先ごろ、その「ホワイトカラー・エグゼンプション」について『知っていますか』というアンケートを実施したらしい。対象者は、全国の20〜40代の男女サラリーマン正社員1000人。
これは、厚生労働省がたくらんでいる「一定の年収などを条件に、『1日8時間・週40時間』の労働時間規制を撤廃する」というものである。来年の通常国会で、法改正を目指しているという「悪法」の「悪報」である。
これまで政府が行った戦術として、まず最初に「小さな切り込みを入れる」というものがある。それが確立できた後には、その「間口」をジワジワ大きくするということを繰り返すのである。これまでの「やり口」をじっくり見回せば、よく理解できると思う。必ずや、その決められた「間口のライン」が、多くの人々の犠牲につながっている。これまでと同じく、多くの該当者を射程距離内に入れるため、強行採決を繰り返すだろう。
日本人は、あまりにも無関心であり、己には「関係ない」と思えることはその後も無関心を続けるという「悪い習性」のようなものがある。これは世界中の人々にも言えることでもあるのだが、日本人の「それ」よりは全然「まし」である。
世界で類のない『生活必需品に対する消費税』。次々に組み込まれた『道路特定財源に関する様々な税』。そして、余剰しても国民へ返還もしなければ、繰り返し上げ続けた税率も下げることすら行わない。
国の財源は、ことごとく盗まれ続け、借金を重ね続ける気狂い政府の悪行ざんまい。
そのヤクザ以下の気狂い政府を支持し続けるという気狂いとばかのオンパレード。

「2006-12-29:追記」
以前、ここの項目で取り上げた「いじめ」に関すること。

昨日、いじめに関してメディアの中で議論していた番組があった。その中で、いじめられている被害者への「メッセージ」として『1人ではない』というものがあった。そういうメッセージの曲をあるミュージシャンなども取り上げているようであった。
これを見た瞬間に……日本人はつくづく『ばかが多い』ということしか感じなかった。非常に残念であり、情けなさも感じる。
「死を選択」している最大の理由は、「苦痛」ではなく『孤独』であることは明白である。だからといって、安直な考えで「あなたは孤独ではないですよ」という上辺だけの言葉で『命』を救えると思ったら大間違いである。その場を取りつくろっても、その後に大きなしっぺ返しがある。
被害者の中には、『1人ではない』という言葉に『救われた』と言っている声もあった。が、残念ながらこの被害者もそのままの状態であれば、いずれ『自殺する』可能性が高い。
理由は『非常に簡単』である。
以前から記述しているように、人間は『孤独』である。家族があろうが、子供が生まれようが…人間は一生涯『孤独』であるからにほかならない。その基本部分を教え、認識させることにこそ『本当に命を救う(Rescue)という意味』がある。
単純に「勇気づける」という目的だけを達することが、『最終的な目標』ではないはずである。なぜなら、『命』に関するとてつもなく大きな問題であるからにほかならない。
『1人ではない』という言葉でその場をしのいだ被害者達が、その後に『人間という生き物は天涯孤独なのだ』という「現実・真実」に直面した時、本当に大きな挫折が立ちはだかるために『死を選択する』のである。
『1人ではない』という言葉を使う時には、『苦しんでいるのは君だけではない』『いじめられているのは君だけではない』……というような意味合いをハッキリさせながら使うべきなのである。
『人間は基本的に孤独な生き物である』という基本を教え、その上で『苦しんでいるのは君だけではない』ということを教えない限り、その後の人生の中で、再び命を断つ可能性が高くなるだけなのである。
なぜ、その程度のことも分からないのか。どのような環境で育ち、どのような人生を経験すれば、そのような「浅はかな知恵」しか持ち合わせられないのだろうか。
救っているつもりになっているだけで、実際にはその『正反対』のことを授けていることに気付くこともない愚か者の生きざま。
日本人…メディア…番組……このような『代物』であれば、全く何もないほうがまだマシである。

Status:2006-11-12〜作成

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