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■15-9:法制度と偽善団体■

15:法制度と偽善団体◆初期のファイル:15-10/15-9/15-815-715-615-515-415-315-215-1

この国のゆがんだ法律。無意味でクダラナイことが多いという名の決まりごと。

『法律の意義』

国の中枢部が無法地帯であるのに、社会治安が向上する訳がない。

この国の裁判官と弁護士。正義(Justice)とは。

以前、この項目で取り上げた『凶悪なレイプ犯罪』に関して、「情状鑑定が実施される」という信じ難いジャッジが下された。
昨年の2006年8月3日夜、JR北陸線の富山発大阪行きのサンダーバード車内で、多くの乗客が気付く中、その極悪行為が平然と行われた。
強姦魔である解体工の男(36歳:滋賀県湖南市)。昨日の7月20日、大津地裁での公判。『裁判長の長井秀典君』は、「脳の障害が犯行に影響した」とする弁護側の請求を簡単に受け入れた。そして、10月末までに被告の情状鑑定を実施すると決めてしまった。
これまでの言動から判断した上で言えることは、『正常な凶悪犯罪者』であるということ。絶対的に断言できる。
この日、検察側から次の質問がなされた:「自分の家族が同じ被害に遭ったらどうするか」と、それに対しての凶悪犯罪者:「自分に引け目はあるが、相手をぶち殺す」と答えている。
また、車内での犯行時に被害者女性に対し、「殺すぞ。ストーカーになるで」と脅したことについて:「あまり記憶にない。冗談ぽく言ったつもり」と答えた。犯行時には:「大声出すな」などと脅しながら、胸や下半身を執ようなまでに触り:「気持ちいいか」などと言い放ち、その後に男子トイレに連れて行き、そして乱暴の限りを尽くしている。その間、異変に気付いた乗客に対しても:「何を見ている」などと脅している。これらの凶悪な犯行を何度も繰り返してきた『常習者』である。
イカレタ弁護士共は:「男は16歳の時に起こした交通事故で脳に障害があり、犯行はその影響がある」と主張していた。
が、脳に障害があった場合、「被害者や周辺に対する『このような言動は行えない』のが当たり前」という判断でなければならない。本当に障害がある場合、その部分が特に『脳』であれば、このような周辺状況への対応は『不可能』である。それは、『精神』などに障害がある場合も同様である。
判断を下しているポジションの「輩」が、『的確な判断基準も知識もない』状態で、仕事をしているということ自体が、非常に深刻な問題である。
このような、完全なる正常な凶悪犯罪者は、『即刻』射殺すべき対象である。国民には、有害でしかない弁護士と裁判官の存在も、『百害あって一利なし』である。

「2007-08-21:追記」
世界的に大きな問題の1つである異常な性犯罪。

今月の8月15日、フランス北部ルーベで、幼児へのレイプや暴行などの罪で「18年間」収監されていた男が、刑務所を出所した直後に、再び「誘拐・レイプ」をして逮捕される事件が発生した。被害者は、『5歳の男の子』である。
この犯罪者は、『性犯罪の常習者』であり、「禁固27年の判決」を受けていた「61歳の男」であるが、刑期が「18年」に短縮されていた。
以前から記述しているが、「性犯罪」は『脳の機能に密接な関係』があり、その多くの場合において、本人が制御するしないのレベルの問題ではない。要するに、防ぐこともできなければ、更正させることなど夢物語。
それを知ってか知らずか分からないのだが、強硬派の大統領サルコジが、「マトモ」なことを主張し、発言している。問題発言も多いのだが、もともとサルコジは「強硬な犯罪対策論者」として知られている一面がある。
昨日の20日、子供への性的虐待などに関する「性犯罪対策の関係閣僚会議」を開催した。そして、サルコジは:「再犯の恐れがある性犯罪者には、ホルモン療法による『去勢措置』や『隔離施設への収容』を行い、刑期を終えた後も社会復帰を許すべきではない」との考えを強調した。
この見解に間違いはない。まず、通常の更正可能な軽犯罪とは訳が違うこと。更に、制御不能であること。そして、重犯罪者には砂粒ほどの『権利』『人権』でさえ皆無であること。
本来であれば、「性犯罪者」や「殺人者」は、即刻・即時『射殺すべき対象』であることは絶対に動かせないことである。それとほぼ同罪であるのが、「いじめ」や「差別」である。
世の中には、何も知らぬまま……「被害者の無念とその後の人生への計り知れない悪影響、遺族の怒りと悲しみ、社会全体への悪影響など」……極悪犯罪者の人権を叫ぶイカレタ生命体が存在している。「同じ人間だから権利がある」と言い放ってはばからない「輩」が。
考えなければならないことを考えず、または考えた振りをする。感じなければならないことを感じようともせず、または感じた振りをする。そういう非常にいい加減で、身勝手で、都合のいい解釈だけで生きている生命体が増え過ぎてしまったこの日本社会。この傾向は、今後ますます増えていくことが懸念される。残念ながら、それは若い世代を見ているとそういう部分が非常に多く垣間見える。この問題の大きな要因は、『教育』そのものにあり、社会の在り方や家庭でのモラルに関することまで、様々なことが関与している。
存在に疑問符がつく「人権団体」というあやふやな存在もある。なぜか、「人として受け入れ難い主張をする場合がある」ことで、すべての人々からの納得を得られない人権団体。フランス国内でも様々な反発が考えられる。が、極悪犯罪者の人権を叫ぶ前に、母国フランスが大平洋海域での核実験を乱発し、ガン死亡者などが続出していることに対して全力を尽くしてみてもいいのではないのか。
日本、フランス、アメリカ、イギリス、アフリカ…どこの国でも同じことだが、被害者は「自分自身の存在そのものを否定され、人格を否定され、すべてを否定された」という精神状態へといやおうなしに突き落とされた人々である。その苛酷な状況の中から、生きていくことを見いだし、一歩ずつ前に進んでいくことがどれほどの苦痛を伴うのか…犯罪者の人権を声高らかに叫ぶイカレタ生命体には、死んでも理解などできはしない。
サルコジは、基本的にその存在すら認めていない各国首脳の1人であるが、今回の主張は認められるべきものであると考えている。しかも譲歩している部分もある。
サルコジ:刑期短縮を認めない考えを示した上で、「幼児性愛者など、子供の生命を奪いかねない病の人々を自由にさせることはできない」「刑期終了後は、医師が診察して、再犯の危険が認められる場合には隔離施設に入れる」「本人が同意すれば、ホルモン療法による『化学的去勢』を行うべきだ」と主張している。
『同意』など必要もないのだが、サルコジは極悪犯罪者の同意があれば…と譲歩している。
また、この事件の問題の中には、その刑務所の体制にも不備があった。この極悪犯罪者が出所する前に、刑務所の医師から「バイアグラ:勃起不全治療薬」の処方を受けて服用していたことが発覚している。その医師は、男の『罪名』『罪状』を知らされていなかったという体たらく。こういう部分に、侵略国&地球破壊国「ベスト5」に入るフランスの間抜けさ加減が露呈している。

「2007-08-26:追記」
痛ましい、凶悪事件。

岐阜県瑞浪市稲津町の山林で30歳くらい(その後、31歳と判明)の女性の遺体が埋められている状態で発見された。調べでは、「住所不定、無職:川岸健治(40歳)」「愛知県豊明市栄町西大根、新聞拡張員:神田司(36歳)」「名古屋市東区泉、無職:堀慶末(32歳)」の3容疑者が、『携帯電話の犯罪者仲間を募るサイト』で知り合い、犯行を計画。その後、3人の中の1人(神田、その後の情報で川岸)が供述したことで事件が発覚。
被害者は千種区に住む女性で、名古屋市千種区の路上で車(乗用車)の中に引きずり込まれ、そのまま連れ去られた。被害者の女性とは面識もなく、運悪く「凶悪犯罪者達の視界に入った」だけである。それだけでターゲットにされた。
現金7万円を奪われ、拉致から約2時間後に愛知県愛西市の駐車場でハンマーのような鈍器で撲殺された。「顔を見られたので、発覚するのが怖かった」と供述している。恐らく、強姦している可能性も高いと言える。
アメリカや韓国、世界中で起きている『最悪の犯罪』である。凶悪犯罪者共が、1つの共通する目的を持ち、犯行を計画し、実行に移す。これまでに世界中でどれだけの女性達が凶悪犯罪の犠牲者にされてきたのか。体力的に弱い女性や子供を狙う卑劣きわまる犯行。複数の凶悪犯罪者共が1人の女性を標的にするという許されざる行為。
2人は無職だが、1人は翌日も職場で平然と話し、いつもと何も変わらなかったということを職場の同僚がその態度への驚きと共に述べている。(その後の情報で、犯行から9時間後に携帯電話で会社へ連絡し、「休みたい」という会話の中でのことであったという)
問題はいくつもある…その中の1つとして、無職の2人が過去にも同様の強盗やレイプ、殺人を犯している可能性があるということ。無職である以上は、生活費に困っていたはずであり、だからこそ今回の凶悪事件を引き起こしているということが考えられる。
『良心の呵責』というものが存在しない生き物達。まじめに生きている人々を何のちゅうちょもなく簡単に犯罪の標的にしてしまう思考回路。己の「心・精神・考え方」を全くかえりみない生き物達。
社会というたった1つのコミュニティーの中で、いやおうなしに共存しなければならない現実。国、市町村、各自治体、そして地域の人々が心を1つにして立ち向かわなければならない深刻な問題の1つである。それを『危機感』や『国民の生命』のことなど全く頭にはない国、政府与党に現状は完璧に期待などできはしない。野党が政権を取った場合には、国民から働き掛けることで改善する可能性は残されている。
現状では、『地域の大人達』が立ち上がり、行動し、それを継続していくことが最低限望まれていることだと考える。教育やモラルを破壊し、その姿を子供達に見せているのは多くの大人と言われている生き物である。常にだれかが、どこかの子供達が己の姿を、その行動を、その言葉を見たり聞いたりしていると言い聞かせながら生きていく必要がある。己を『客観的に修正する』方法の1つである。

「2007-09-21:追記」
どのメディアもその支配下にある。それを証明している安倍君の脱税問題。

以前、一言程度だけ触れていた安倍君の『相続税に関する脱税』の問題である。なぜか、どこのテレビ局も「一切ノータッチ」という状態が継続されている。あるいは、どこかのテレビ局で取り扱ったことを見逃した可能性もあるのだが……しかしながら、この状態が「何を指し示しているのか」ということを客観的にながめてみると実におもしろいことが浮上する。
それは確実に政府与党の支配下に置かれている「各テレビ局」という存在である。その一言に尽きる。この安倍君の疑惑は、『確実な証拠と証言』によって、間違いなく『犯罪』が成立すると言っても差し支えない。現実的には、「社会保険庁職員の犯罪」と同様に『7年という時効』のイカレタ特法によって、『無罪放免』であるのだが。
しかし、罪そのものは時効によって消えたとしても、それ自体が非常に大きな問題であり、多大な影響を国内外に対して与えることに変わりはない。
この問題を追究していた「週刊現代」の姿勢と、実際に情報収集に従事していた記者などの仕事ぶりは「賞賛に値する」ものである。
1週間や1カ月で集めたようなチープな情報ではない。恐らく、2〜3年ほど(少なくとも1〜2年)の年月を費やしているのではないかと思えるくらいの情報量であると考えられる。
その中には、「膨大な証拠である公的文書記録(政治資金報告書などの詳細なデータ)」や「財務省の相続税担当官からの証言」なども含まれている。当初、「記事の噂」を聞き付けた安倍君やその事務所は「先制攻撃」に打って出たが、「勝算ゼロ」であることを理解し、最終手段として「安倍君の辞任」と「即刻、長期入院」という対応策しか、選択肢が残されていなかったということが見て取れる。
それは、週刊現代からの「質問状」によって決定的となったと考えられる。数日後には「活字が躍る」であろうその具体的な内容について把握していない安倍君やその事務所。しかし、質問状の内容から推し量れる状態が、安倍君側にとって「いかに深刻なものであるのか」を明らかにしたと考えられる。
そして、その行動は「迅速(国民のことで迅速に動いたことなど皆無だったが)」であった。「取材依頼」を受け取った当日に、いきなりの「首相辞任」という対応。そのまま透かさず、翌日から入院し、更に長期入院になるという流れになった。そもそも、少々胃腸の具合が芳しくない程度で入院すること自体が不自然であり、その上「長期入院」に変更されることが「雲隠れである」ことを証明している。重篤であれば、『首相代行』が設置され、国会の運営を任されるだろう。が、実際には病室でピンピンしており、発言も行っている。もちろん政府与党も問題はないとして、首相代行の設定を否定したばかり。
それらの膨大な「証拠」と「証言」が安倍君を追い詰めたということに間違いはないと考えられる。子である二世三世議員(偽員)が、親の脱税対策に加担しながら、国の中枢部にもぐり込み、暴利と権力をむさぼる構図。やがては、国のトップに上り詰め、ほくそ笑んだのもつかの間、己の無能さ加減、更には物的証拠と発言がすべてを破壊し尽くした。
もし、あのまま安倍君が居座っていたら、トンデモナイことになっていたことは火を見るよりも明らかである。そのこともあり、自らこのまま政治家であることも辞めるのではないかという憶測が飛び交っていると考えられる。いずれにしても、それ以外の道は残されていないだろう。

「2007-10-07:追記」
命と犯罪。

警視庁の「デタラメな犯罪指数」とは裏腹に、毎日『増加』し続ける凶悪な犯罪。警察官、自衛官、公務員、教師、一般市民…による様々な犯罪。せんだっては警察官が勤務中に、己がストーカーし続けた相手を拳銃で射殺するという極悪事件があったばかり。
毎日、発生している『あらゆるパターンの殺人事件』に、もはや国民は感覚がマヒしている状態である。人間の感覚とは、自覚しながらコントロールをし続けなければ、「感覚」が間違いなく「鈍くなる方向」へと変化していく。大ばか者の小泉君という生き物が、以前「鈍感になれ」というイカレタ捨てゼリフを発狂したこともあったが、その発言の意味を「かみ砕くことなく」何となく受け入れてしまわないように注意をしなければならない。
根本的に、『生きている人間』はどのようなことに対しても「『常に敏感であること』が求められる」ということを認識しなければならない。敏感でありながらも、その敏感さに打ちひしがれることがないようにコントロールすることが求められる。それは、一般市民であっても軍人であっても変わりがない。人間として『同一のもの』である。
鈍感であっていいこととしては……政府という官僚や与党という自・公連立の議員(偽員)共が、国民に対して『都合のいいデタラメで説得を試みてきた時』である。そこには、『最初から国民のためという意味や国のためにという意味が存在しない』ということが明らかであるから、国民は『聞く耳を持たなくてもいい』という意味で「鈍感」であって構わない。また、彼らのような『すべてがインチキで形作られた生命体』がくたばった時にも「鈍感」であって構わない。そこには、悲しみなどの感情は一切必要ではない。そもそも、生きているということが「究極的」には許されない生命体なのである。人々や環境に体して『害』しかもたらさない『害虫』でしかないのだから。
犯罪、事件の話にもどしたいと思う。昨日、大阪府寝屋川市のコンビニ店で、店員(27歳)が万引き犯の「19歳」「15歳」ら少年を店外まで追跡。左胸部を刺され、死亡した。刺し傷は心臓にまで達していたとのこと。
万引き犯などを追跡して、刃物で刺され、死亡する事件が後を絶たない。犯罪者を追跡するまでは構わないが、『身体的に接触することは非常に危険である』ということを認識しなければならない。犯罪者は、その多くが弱い生き物であり、ほとんどの場合に「武器」を所持している。武器の中でも大半が「刃物」であり、ナイフや包丁になる。ナイフなどは、サバイバル用や格闘専用のもの、小型の暗殺専用のものまでいくらでも手に入る現実がある。
夜間などの接近戦では、確認し難い「小型のもの」が最も危険である。「黒いモノ」は特に視認が難しくなる。そもそも、認識され難くするためのものでもある。もう1つは、さばきやすくするために「コンパクト」になっている。
以前にも記述しているが、接近戦で最も危険な武器は「ナイフ」である。至近距離で「拳銃」を構えた「ど素人」よりも、「ナイフ」のさばき方を多少は心得て構えている「素人」のほうが危険である。拳銃を構えたど素人の場合、意識しているしていないに関係なく、トリガーを引いてしまう危険性は付きまとうものの、至近距離であればたやすくさばける。ナイフの場合、映画のように簡単には終わらない。通常の打撃だけの戦闘術のやり方もそれほど簡単に通用するものでもない。もっと深いレベルへと全体的な能力を到達させることが必要になり、それこそが望まれる。
理由はどうあれ、万一どこかでだれかと格闘になった時、相手の『両手の動き』を視界から消してはならない。直接見る必要は逆にないのだが、決して目を離してはならない。危険地域や危険な場所で、子供達の存在を視界から離さないようにすることと同様で、絶対に見逃してはならない。また、相手が「複数」の場合には特に、相手1人に体して「接触」し続けることがあってはならない。ほかの相手が襲ってくる可能性が高いからであり、しかも『素手』とは限らないからである。広大な場所で、1人がまっしぐらに地平線に向かって走って逃げているのであれば別だが、市街地では「認識していなかった相手」が突然参戦してくる場合もある。これは「対テロ戦術」では『二重三重』に心得ていなくてはならないことでもあり、基本中の基本の1つである。
ついでに記述しておきたい。よく「どこどこの空手家がアメリカのブロンクスなどで、ナイフを持った黒人を倒した」という逸話などを紹介しているが、それはただ単に『ラッキーだった』ということでしかない。逆に、アメリカで戦場から帰国してナイフを片手に持った兵士に空手家が「5〜10人」殺されたという事件などは全く流れていない。要するに、相手が『経験者』であれば、素手で勝利することなどできないということである。所詮は、プロの戦闘員と素人の格闘家では次元が違うということである。そういった逸話にダマされて、のんきに道場に通っていると『死期を早める』ことにもつながりかねないことを肝に銘じて、それなりの訓練を行えばいい。
とにかく、「正義感」そのものはいいことであり、必要なことでもあるのだが、『勇敢な行動』と『無謀な行動』の違いを知ることが必要である。特に一般の人は、『命』を最優先に考えること。そして、『危機管理』というものを学ぶことである。『殺す』目的で襲ってくる相手を倒すことは『非常に難しい』ということ。更に、『死』を覚悟した相手を倒すことは『至難の業』であること。映画やゲームや逸話のようにはいかない。

「2007-10-17:追記」
卑劣な凶行と法制度。

昨日の10月16日午後6時過ぎ、兵庫県加古川市別府町で市立別府小2年生(7歳:女子)が、何者かに正面から左胸や腹部など数カ所を刺され、搬送先の病院で息を引き取った。約300メートル先の公園から自転車で帰宅し、玄関に入る直前の凶行で命を奪われた。
犯人は徒歩で移動している場合、恐らく2キロメートル以内に住居があるような感じを受ける。それ以上の距離の場合でも3キロメートル以内だと考えられる。自転車の場合には、5キロメートル以内ではないだろうか。とにかく近くに潜伏している可能性が圧倒的に高いと考えている。ほかの移動手段として、状況的に車ではないと考えられる。スクーターなどのバイクの可能性も捨て切れないが、現在のところ近所でそれらしい音を聞いている者がいない。
ニュースからの情報を1度見聞きしただけなので確証はないのだが、現時点ではそういう感じを受けている。
7歳の子供が、しかも女の子が自宅の玄関先でいきなり刃物で何度も刺されるという痛ましい事件はあまりにもむご過ぎる。これまでにも何度も起きている同様の事件が後を絶たない。女児や女子がレイプされた上にざん殺される事件など数多い。アメリカや後進国などで日常的に発生している凶悪な犯罪と全く同じ犯罪が、ここ日本でも連日発生している。もはやはるか昔の日本の姿は、人々の記憶の中からも消えうせようとしている。
まず大きく3つのことが挙げられる。「政治(法律)と行政(被害者・被害者家族への援助・対応)の在り方」「社会と家庭での教育」「犯罪者になるまでの影響に関する様々な要素についての徹底的な分析」の3つである。この問題は、国家として「食糧問題」と双璧をなす『重大な問題』である。
現在の日本のシステムはどうなのか。世界の各国ではどうなのか。日本では、1人や2人の人間をざん殺しても数年や十数年で出所してしまう。これが「己のくさり切った欲望を満たすために他人の命を奪ったことへの罰則」と言えるのか。奪われた命も、その犠牲者の人生も、夢も、心の交流も、何もかも…2度ともどってはこない。しかし、凶行に及んだ犯罪者は再びのうのうと社会復帰できるというシステムは、根本的に道理を逸脱している。
特に日本の弁護システムは狂っているとしか言い様がない。明らかなレイプ目的と殺意を持って凶行に及んだ凶悪犯罪者に対して、刑期を軽くするために弁護しているその内容たるや目も当てられない。狂人が凶人を擁護している様は、この世のものではない。
また、以前から終始一貫して記述しているが、「犯罪者に何らかの精神疾患などがあったとしても、犯罪に対する処罰を左右してはならない」のである。このことについても全世界の国々に当てはめることが可能であり、またそうしなければならない最低限の法規の1つでもある。
弁護人が必ずと言っていいほどに主張する「心神喪失」「心神耗弱状態」という文言は、もはや『武器の1つ』となっており、それによって「無罪」か、「刑の減軽」を求めることが日常的に行われている。
「精神鑑定」を行うことは構わないが、その結果は「犯罪と犯罪者の深層部分への分析」として採用するべきであり、決してその内容を「犯罪者の減刑」に使用してはならない。更に、「責任能力があったのか、なかったのか」などは、証明すること自体が基本的に不可能と言っても差し支えない。実際に病歴があったり、精神科に通院している場合でも、『その犯罪の瞬間に正気だったか異常だったかを厳密に証明することはできない』からである。はっきり言ってしまえば、そのようなことは『100パーセント不可能』なのである。その瞬間のことは、その犯罪者にしか分からないのである。場合によっては、その犯罪者にも分からないのである。その「不毛のエリア」に足を突っ込んで歩き回っても、何も見つかりはしない。
このような条件を「犯罪の刑罰を左右するための項目」として加えた者は、最先端のばかでしかない。どこのだれであろうとも、単なるばかである。これらの条件を導入させたのはアメリカ人かイギリス人だと考えられる。ばかばかしいので確かめることを省略するが、恐らくは身内やまたは利害関係にある人物を何とか救うために「無理矢理」導入したと考えるほうが無理がない。
事件によっては、「時間・場所・方法・準備」などを計画的に行った上で3人をナイフによって確実に殺害しているにもかかわらず、その弁護人は:「計画的に殺したわけではなく、確定的な殺意もなかった。死刑は重過ぎる」として無期懲役を求めている。
また、左足が不自由だったホームレスの男性に対して火炎びん4本などを投げ付けて焼死させた凶悪な事件でも、主犯格が未成年者だったということで、弁護人は:「殺意はなかった」として家裁への移送を求めている。
年齢や病歴など一切関係なく、厳罰に処すことが望まれている。命を奪った者は、必ず同じように命で償う制度が必須である。
もう1つの問題は、「死刑制度廃止」を求める国の存在や人々の無責任な主張である。これほどいまいましい主張もない。犯罪者の分析も行ったことがない「輩」のとてつもなく大きな無責任の言動には怒りを覚える。残念ながらその中には、「えん罪で元死刑囚だった人物」なども加わっている。「えん罪」と「死刑制度」が『別物』であるということが理解できないのであろう。そして「正常な人間の命」と「異常な凶悪犯罪者の命」が『別物』であるということも理解できていないのであろう。
叫ぶのであれば、主張するのであれば「えん罪」に集中するべきであり、『正真正銘の異常者を野放しにして、さらなる犠牲者を出すことに加担している愚考と愚行』を知るべきである。現実は甘くはない。「えん罪に対する被害者意識」「死刑にされそうになった時の恐怖感」と「死刑廃止論」を『混同』した上に『主張』してもらっては、将来の犠牲者になるであろう多くの人々やその家族が大迷惑を被る。国連本部で何を主張しようが、アムネスティ・インターナショナルという偽善団体が主催しようが知ったことではない。
生きていく人々が最も考えなければならないことは、「必要なこと」と「必要ではないこと」の『的確な識別と分別』である。それは『子供達を守る』ということに『直結』する。それが理解できない者達は人様の前で主張する権利などみじんもない。

「2007-11-11:追記」
法の裁きと狂った弁護。

以前、その当時に取り上げさせていただいた2005年の広島で発生した許されざる凶悪犯罪の小学一年生女児レイプ殺人事件。下校途中の木下あいりちゃん(当時:7歳)は動物が好きな心優しい子供だった。犬などを見掛けると駆け寄り、そして触れ合っていたのだろう。
その姿を見ていた凶悪犯罪者のホセ・マヌエル・トレス・ヤギ被告(35歳:ペルー国籍)。以前から帰宅途中の小学生女児に何度も声をかけている姿が目撃されていた。事件当日、その凶悪犯罪者の目の前(または非常に近い場所)を通り掛かってしまった被害女児。そして声をかけられた…「動物は好き?」。「はい」と答えたであろうことは簡単に想像できる。7歳といえば、人間が非常に純粋な心を持った状態で生きている年代である。恐らく、「小犬がいるよ(または子犬が生まれたよ)」などと言葉巧みに言い寄り、そして部屋へと誘い込んだと考えられる。
誘い込んでレイプを繰り返した後に殺害し(レイプ→殺害→再びレイプ…という情報もある)、段ボールの箱に押し込み、遺体を捨てた。
この凶悪犯罪者は、移送中などに度々笑っている顔が撮られている。母国ペルーでも何度も強制わいせつやレイプ事件を繰り返していた。発覚している事件は一部である。これは被害を受けた子供自身が話をしていない事件が圧倒的に多く、その次に事件を知った親が隠すことが多いからである。これはどこの国でも同じ傾向にある。
以前より終始一貫して記述しているのだが、「レイプなどの凶悪な性犯罪者が完治することはない」と言い切れる。最も手の施しようがない犯罪はレイプなどの凶悪な性犯罪者である。この認識は先進国では当たり前のものである。だからこそ、アメリカなどではGPSを使用した『24時間追跡システム』を導入している。出所しても自由も権利もないのが凶悪犯罪者の運命である。何よりも生かされていること自体が奇跡であるのだが。これは性犯罪というものが『脳機能』と密接な関係があり、外部からどのような働きかけをしようとも微動だにしないからである。
今回の事件では、検察側が『再び極刑』を求めている。レイプされ、そして殺された被害者が1人であれば「有期刑」、複数の被害者の場合には「極刑を考える」という『くさり切った風潮』は正さねばならない。以前にも記述しているが「複数人で1人の被害者をレイプし、殺害した場合」などは更に罪が重くなるのがほかの先進国である。だが、この日本ではその責任が分散(?)されるという考えなのかは知らないが、まず極刑などにはならない。そもそも年齢も関係なければ、時効などもないのが当たり前であるが、日本ではばかげたシステムが横行したままである。
「レイプ」「殺人」「いじめなどの差別」「虐待」「詐欺」などは『すべて極刑』で構わない。ばんばんスイッチを押せばいい。殺人はもちろんだが、ほかの4つの犯罪はいずれも『被害者の自殺』につながっているケースが多い。命にかかわっている犯罪(ひき逃げや飲酒運転も含む)は極刑を視野に入れなければならない。財布を盗まれたとか、家に侵入されて物を盗まれたというレベルの犯罪とは訳が違う。何よりも「1つの『犯罪』という言葉」で認識していること自体が間違いのもとである。
ほかにも問題は多い。例えば出身国での「犯罪歴」であったり、過去の入国先での犯罪歴などは、記録自体がない場合も大いに考えられる。出生届にしても、しっかり行われている国はほとんどないと考えて差し支えない。それに関しては日本はましである。これは「人体実験」には欠かせない「基本データ」であることが関与している。
その「犯罪歴」のほうであるが、この日本でも可能な限り他国からの情報を入手し、その情報を裁判の判決などに利用しようという動きもある。その一方で、その情報を「確実なもの」として視野に入れてしまうと「他国での犯罪歴」が「残されている犯罪者」と「残されていない犯罪者」とでは必然的に『判決』が変わってしまうという懸念もある。
しかしながら、これまでの裁判では『この日本で初犯かどうか』という1本のラインがあるという現実にこそ、外国人犯罪の新たな問題が発生していると言える。
これを一気に解決するためにも、犯罪規定の見直しが必要であり、同じく処罰規定も見直す必要があるのだ。まじめに生きている人々が絶対的に最優先事項として守られる法律が必要であり、そういう社会を構築しなければならない。それがなければ社会というコミュニティーの存在する意味は何もない。現状のようなくさり切った社会など、だれも求めてなどいない。求めている者が存在するとすれば、「死刑廃止を求めているばか共」くらいのものだろう。
そしてもう1つの問題は、犯罪者側の弁護士による弁護内容である。この広島での事件でも弁護側は:「殺意はなく、わいせつ目的もなかった。有期懲役にするべきだ」と再び堂々と言い放っている。
この弁護内容に『道徳』など何も感じない。これでいいのか?という問題。これは法廷も被害者も被害者家族も侮辱していることにしかならない。それを法に携わる者が平然と言い放っていることに大きな問題がある。ましてや被害者は小学一年生の女児であり、レイプされ、そして殺され、挙げ句の果てに段ボールに詰め込まれて捨てられているのである。
それにもかかわらず、「殺意はない。わいせつ目的もない。有期懲役でいい」と言い放てる『思考、精神、心、そして仕事ぶり』が正常であるとは、とてもではないが考えられない。まずは「この社会の害毒でしかない弁護士」を先に極刑にするべきであると思うのだが。
ほかのレイプ殺人事件でもそうであるように、必ずその凶悪犯罪者の『目的』そのものを否定する主張を繰り返すのが弁護士である。そして、『被害者が1人である』ことを理由として減刑を求めてくるパターン。
『秩序』とは何か。『命の尊厳』とは何か。この「狂っている弁護士共」に思い知らせてやりたいという怒りが消えることはない。

Status:2007-07-21〜作成

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