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■15:法制度と偽善団体■

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意味のない法律。都合のいいの数々。

『法律の意義』

政府与党が犯罪組織として君臨している現実。

多発する凶悪犯罪とその周辺。

連日、発生している凶悪な犯罪の数々。メディアで取り上げられるものだけでも1日に数件の重犯罪というパターンが続いている。
アメリカ海軍(海兵隊という情報もある)脱走兵によるタクシー運転手強殺、殺人逃亡犯による無差別殺傷、通り魔による殺傷、ストーカーによる殺傷…。
昨日の連続殺傷事件においても、国家警察の看板を背負っている茨城県の殺人事件担当捜査機関による『危機感のない』なめた捜査態勢と、その後に開かれた記者会見での『問題はない』という暴言と横柄な態度には吐き気すら込み上げてくるものがあった。まるで悪夢のような現実がそこにはある。そのような光景には、単純に問答無用で打ちのめしたいほどの怒りがある。が、こらえるしかない。
これまでに全国で発生している凶悪犯罪事件に対する「警察機関の対応」は、『大失態の連続』と言える。それにもまして『法律の不備』や『狂った弁護側の主張』も相変わらずの無法ぶりと化している。
この国の無法ぶりや数々の凶悪事件、狂った弁護側の主張など…これまでにも散々記述してきたが、日増しに悪化する傾向にある。精神分析や精神鑑定などについてもいろいろと明記してきた。残念ながら、現在もなお「欧米のレベルからは『数十年』遅れたまま」と言わざるを得ない。
現場の捜査態勢に関しても、逃亡中の殺人犯に対するモノとは言い難いレベルである。「捜査官達が『無線機』すら持ち合わせていない状況にある」ということは、国民には理解し難いものがある。「それで国家機関による捜査と言えるのか」と。周辺住民はおろか、駅員にも告知すらせず、ただばく然と各自「捜査上のポジション」につく。
殺人逃亡犯の写真も「2年前のもの」が『わずかに1種類だけ』という『非常に念入りな仕事ぶり』には、これまた圧巻と言えるほどすさまじいものがある。そして、「万一」殺人逃亡犯に出くわした時、「各自がどうするつもりでいたのか」ということが判然としない。記者会見でも梨のつぶて。ただただ「問題はない」というばかげた主張を繰り返すのみ。
このような連中は『即刻クビ』にしなければならない。これは政治と行政全般に言えることであるが、「国民はバカをのさばらせるために『税金を絞り取られている』訳ではない」ということである。
今回の死亡者は、『最後に襲撃された被害者』であるという事実は許し難いものであり、また決して忘れてはならないことである。
狂気が荒れ狂った最初の段階で『捜査官』が接触し、また負傷もしている訳だが、この時点で『銃撃』していれば、少なくとも通路の2名(6人目・7人目)の被害者と死亡した1名(8人目)の被害者は、標的にされることはなかったと言える。最悪の場合、3名が死亡していた可能性もあり、それ以上の可能性もあった。
これはそこら辺のアルバイトの警備員の仕事ではない。殺人逃亡犯に対する捜査機関の警戒態勢も含まれる重要な仕事である。
なぜ『撃つべき時に撃てない』のか。もし周辺の人々が妨げになった場合、1発目に「空砲が仕込まれている仕込まれていない」にかかわらず「周辺の人間をしゃがみ込ませる(あるいはよけさせる)ため」に大声で危険を知らせながら、それと同時に上に向かって発砲すればいい。そして、2発目以降で銃撃することが望ましい。
背中を向けて逃亡していようがいまいがそんなことはどうでもいいことである。逃走途中で出くわす人々が殺傷される可能性に『最大の注意点と危機感』がない現行の法律はクソと言える。
殺人犯やその可能性がある逃亡犯などの最重要犯罪者に対しては、取り逃がさず、また新たな犠牲者を出さないために全力で対応することが必要不可欠となる。みすみす取り逃がすことなど絶対に許されはしない。
何よりも、一般市民の命と殺人犯の命を同等に扱う現在の風潮は完全に狂っている。『権利』とは『正常に、普通に生きている人々のみに与えられる』ものでなければならない。
己の欲望を満たすために人を殺し、更にはバラバラにした遺体をゴミ袋に入れ、町中に捨てても、「犯行当時には精神に異常があった」という狂っている弁護側の狂った主張で無罪放免になるという現在の日本社会は、それこそ核ミサイルで破壊しても構わないほどに存在価値などみじんもない。
我々国民が望んでいる社会とはあまりにもかけ離れ過ぎている。この国に生きている人々にとっての正義や権利とは何であるのか。そして、国の在り方やそこに発生する法律や行政の在り方はどうあるべきなのか。日本国内のみならず、全世界へと訴えていく姿勢が必要となっている。
なぜなのか「世界的に犯罪者を擁護する風潮が大きくなりつつある」現状のメチャクチャな流れを断ち切る信念と勇気が、我々人類には求められている。死刑廃止など言語道断である。精神鑑定など、凶悪犯罪者を生き長らえさせるためであれば『無用』である。この問題こそ、即時『廃止』にしなければならない。
人間は「ある意味『生涯』未熟なままで終わる生命体」と言えるかもしれないが、マトモな教育が受けられなくても、両親などの家族がいない幼年期を過ごしたとしても、『最低限の人間としてのモラルが備わっている』という状態が普通であり、ごく当たり前のことであると言える。
凶悪犯罪者とは、どのような理由や要因があろうとも『認められない重大な犯罪を犯した者』のことを指す。その凶悪な犯罪を犯した者を擁護する法律など、決して存在してはならない。それと同時に「犯罪そのものを犯したのかどうかについて間違いなく徹底的に判定する方法」が存在しなければならない。
死刑廃止論からにじみ出ている『ゆがんだ価値観』など、正常な人間であればだれもお呼びではない。

「2008-04-22:追記」
司法制度と判決。

法の世界においても過去から永遠と続いてきた「風潮」「しきたり」「習わし」が横行し、そして「判例」という『ガイドブック』によって、本来であれば「それぞれ個別に厳密な分析と決断」という判決がなされなければならないという『最大のポイント』において、残念ながら『正常な仕事』が行われていなかった。
日本では「1人でも殺害した場合、死刑が執行される」ことが認められている。しかし、各裁判官によってあらゆる事案の中でほぼ同様の犯罪ケースであったとしても「判決自体」が全く異なってしまうことが続発していた。たとえ「同じ事案」でも各裁判官の判断は変わってしまうという実態があった。
最悪のケースでは様々な状況や横やりなどから良からぬ方向へと判断が動き、『明らかな殺人事件』が『自殺や事故』という形に変ぼうしていった。その中には「諜報機関などによる工作」も含まれ、また「10パーセント未満の司法解剖率」というどん底のシステムが後押しをしていた。これらのことについてはこれまでにも記述している。
そして、死刑廃止論がうごめいている現在の社会において、幾度か取り上げさせてもらった『9年前』に発生した凶悪な殺人事件である「山口県光市の母子殺害事件」に関する判決(差し戻し控訴審判決)が、本日の4月22日に広島高裁から言い渡された。
殺人と強姦致死を犯した犯行時の「18歳1カ月」という年齢に対し、「楢崎康英裁判長:死刑を回避すべき理由にはならない」と指摘。
差し戻し審での殺意否定に関する新供述についても:「事実と違うのなら、起訴後6年半に渡り黙っていたのは不自然で不合理だ」と指摘。
更に:「甘えたいと抱きついた。想定外の反撃に無我夢中で首を押さえた」「泣きやんでほしい一心でひもで緩くしばった」とする妻子殺害の弁護側の主張について「変遷があり、信用できない。死体所見とも整合しない」などと指摘。
それから、犯行当時に「乱暴目的でアパートの部屋を訪問して回っていたこと」も認定している。
弁護側主張の殺害まで計画していなかったことなど、いずれに関しても:「死刑回避の理由にはならない」と結論を言い渡した。
今回の正常かつ厳密に「熟考・熟慮」された判決は、これまで行われてきた日本の司法制度に対しても、そして今後の凶悪犯罪や様々な事案への判決に到達するまでのアプローチに対しても、『正しい衝撃』となる可能性がある。
被害者遺族の記者会見での姿に関しても、いつもながらにすばらしいものであった。感心させられるところが多く見受けられた。
ただ、凶悪犯罪者への『人権』に関しては、これまで記述してきたように「解釈が異なる」部分でもある。正常と異常の厳格な違い、凶悪犯罪者の脳と精神の実体&実態及び本物のテロリストへの考察と軍部・諜報機関による数十年の徹底的な分析と結論など…様々な分野において研究されて導き出された答えは、「人権はない」という非常に厳しいものである。
その結論は、手前味噌になるが個人的にも到達しているものでもあり、これまでにも幾度となく記述してきている部分でもある。しかし、一般社会や一般の人々の世界では中々そこまでは達し得ない領域なのかもしれない。
また、これから始まる「裁判員制度」に与える影響も、そのシステムを全般的かつ真剣に考えている人々にとっては「大きい」ものであると思う。
ほかの部分では、超党派の「死刑廃止を推進する議員連盟(会長:国民新党代表代行の亀井静香君)」が「死刑は裁判官と裁判員の全員が一致した場合に限定する法案」を決め、全員一致しなかった場合には「仮釈放のない重無期刑(終身刑)」を創設するという動きを見せている。今国会に議員立法で提出し、そして成立を目指す動き。この動きは、死刑在続を熱望する過半数以上の国民の意識を計算に入れたものと考えられる。また、この方法論を水面下において最初から組み込んだ上での「裁判員制度」だった可能性もある。
もう1つは、せんだっての『自衛隊イラク派遣は憲法違反』という「青山邦夫裁判長(異動のため高田健一裁判長代読)」の判断にしても、「大きな意味がある」とてつもなくすばらしいものと言える。
「戦場国には戦闘地域も非戦闘地域もない」ということについても、ずいぶんと以前に記述していたと思う。
今回の判断内容についての詳細は省略させてもらうが、『武装兵員の輸送』が重要な戦闘の一環になっていることは世界的に見ても明らかであり、常識である。「燃料と水」と言いながらの暴挙である。燃料に関しても、「戦闘・戦争そのものである」ということは以前に記述している。
しかしながら、現在の政府与党内部における狂人(凶人)の1人である「官房長官の町村信孝君」:「バグダッド飛行場などは非戦闘地域の要件を満たしており、納得できない。自衛隊の活動は継続する」と。
この「非戦闘地域の要件」というものが『そもそもの巨悪正当化の根元』である。いろいろと記述したいことを省略させてもらうが、納得できないのは町村君などの「悪しき存在」そのものと言える。
これに対して、「青山裁判長」:空自の空輸活動は「多国籍軍の戦闘行為にとって必要不可欠な軍事上の後方支援を行っている」として、空輸が行われているバグダッドについて「戦闘地域」としている。
これは全世界で通用する正論であり、正常な認識である。
当時の小泉君という狂人(凶人)による:『自衛隊がいるところが非戦闘地域だ』という発言などがいろいろと噴出してくる。そして、どれほど深刻に「日本の政治と行政における根本的な破壊」をもたらしたのかが再確認できる。
亡国と化しているこの日本。その中で正常な意見や判決がより輝いて見える。

「2008-05-28:追記」
凶悪犯罪とイカレタ判決。

近年この日本は凶悪犯罪大国と成り下がり、ますます国家治安は急降下し続けている。最大の問題は政府という官僚と、与党という自・公連立による「無秩序(Disorder)」と「無関心」による悪政が引き起こしているということに尽きる。
これまでも明記し続けてきたが、『自殺』と『犯罪』、『経済的混乱』と『貧困』、『差別』と『いじめ』…などの『人間の生存』に関する深刻な問題の全責任は「国家」という巨大な組織にある。
本来であれば犯罪被害者への手厚い保護は、政府によって全面的かつ徹底的に行われなければならない。国には、生活全般の負担金や精神的な支えを継続的に実行する責任がある。EU諸国の中にはその政策を実行している国があることも以前に記述している。
なぜ、官僚や政治家は無関心なのか。毎日、確実に国民が自殺し、凶悪犯罪の犠牲になってざん殺されても『何もしない』のはなぜなのか。
彼らは各自「数億から数十億」という財産を保有している。もちろん「我々国民から盗んでいることによってかき集められたものが大半である」といっても差し支えない。彼らは非常に立派な住居を所有し、セキュリティー設備も万全な状態にある。移動は数億円の防弾車両、SPも引き連れている。余談だが、それでも「生命体として完全かつ永遠に倒す」ことは可能であり、方法にも事欠かず、非常にたやすい作業となる。
いずれにしても、そういう環境の中でぬくぬくと生きてきた『欲望の固まり生命群』の中には、苦しみ続けている国民のことを本気で考えている者など皆無であるという答えしかない。
連日のように報道されている幼女や少女の虐殺事件や行方不明事件。そのほとんどが未解決という国家警察の実力低下にしても、我々国民には非常に深刻かつ大きな問題である。12〜13件中2〜3件が解決できればマシという現実はとうてい受け入れ難いものがある。
その大半が『わいせつ・レイプ』目的であり、その後『殺害』されるという凶悪な犯罪が横行している。小学生・中学生・高校生・大学生・OL…これまでに一体どれだけの人々がざん殺されたのか。
その遺族に襲い掛かる地獄のような苦しみと地の底からわいてくる悲しみは生涯消えることはない。「人の痛み」が無視されるという社会は、根本的な土台がすべて腐敗している結果である。
更に大問題なのが、当サイトで幾度となく取り上げてきた『ムチャクチャな司法制度と判決』である。ほとんど『意味のない日本の精神鑑定』と『その利用の在り方』はくさり切っているとしか言い様がない。
以前に何度か記述していた「東京都渋谷区の妹バラバラ殺害事件」であるが、とんでもない判決が言い渡された。それは「殺人罪のみの認定」であり、「死体損壊は無罪」という完璧に狂った判決である。このような判決は、まず聞いたことがなければ、世界的に見ても中々お目にかかれないものである。
そして、『懲役7年(求刑懲役17年)』というもの。求刑自体にしても軽過ぎる。この事件は、単なる殺人事件ではない。そのことについては以前にも記述していたと思う。このケースは、日本の殺人事件の中でも『その無限に広がる異常性において歴史に残る1つ』の事件である。世界的にもピックアップされるものとして残る殺人事件の1つである。「この凶悪な犯罪者が『正常にもどることは絶対にない』と言い切れる」ということについても以前に記述していたと思う。
更には、考えられないことに家族が「ざん殺された被害者(妹の亜澄さん:当時20歳)に対して『悪い存在だった』という発言を繰り返し、加害者(兄)を全面的に擁護しているという『おぞましい関係』にも深刻な問題がある。
また、その当時に家族が知り合いの官僚か政治家に対して何らかの工作を頼んだという情報などもあったと記憶している。
今回、引っ張り出された『精神鑑定』であるが、「殺害時は心神耗弱で、遺体の切断時は『別人格』が現れて心神喪失の状態」という通常ではおよそ考えられない部分が最大の争点となっていた。
このことからしても、何らかの力がうごめいた可能性が高いと考えざるを得ない。
結局、判決では「死体損壊時を多重人格状態」と結論付けた。そして、「別の人格だった可能性が非常に高い」とした。
これには『捜査段階での供述』などがその鑑定資料から『除外』されているという『工作』がまかり通っている。しかも、「別の人格だった可能性が非常に高い」という『結論』からも分かるように、まれに見る異常な凶悪殺人者に対する判決の理由として、『可能性』という「非常にあいまいな理由」をゴーサインのスイッチとしている。
殺害時には正気かつ核心的に凶行し、その後に行った「ある一定の正確な規則」によってバラバラにした死体損壊に関しては、『規則的に実行している』にもかかわらず、『どう猛な別人格状態』として『無罪放免』という論理や理屈や精神鑑定などこの世には存在しないし、決してあってはならない。
この判決を言い渡した『裁判長の秋葉康弘君』やその判決を支持した者達は、まず己の『脳波鑑定』からやる必要がある。この連中は、とてもではないが『正気』ではない。『異常』である。
何らかの力がうごめいた結果なのかもしれないが、残念ながらこのような事例はこれが初めてではない。以前にも触れているが、「殺人事件が自殺になったケースなど」はくさるほどある。その多くの場合、加害者側の親が創価学会や統一教会などの幹部や信者であったり、財界や政治家がからんでいたり…というケースが多いということである。
日本全国で発生した殺人事件や自動車などの死亡事故を調べてみれば、そのケースに必ず突き当たる。詳しくは記述できないが、「刑事課」にも単独で調査している者達が存在している。被害者の近親者であったりした場合など…日々の捜査上で信じられない場面に出くわした時、『なぜだ』という人としての疑問が思考を支配する。すべてはそこから始まる。
とにかく、このような「不正義」と「異常以外の何ものでもない判決」が堂々と動き回る司法制度などに意味はない。ましてや、その価値など「へ(Gas)」のようなものでしかない。
このような状況で、一般市民に対して『何の準備もない状態』であるにもかかわらず、「悪名高い裁判員制度」を強行(凶行)しようとする「日本最大の凶悪な犯罪組織:政府与党」は何をたくらんでいるのか。
裁判長や裁判官、精神鑑定員まで『指折りのバカ』がそろっているこの日本で、『何の知識もない一般市民』がどのようにして、各犯罪事案の判断ができるというのか。これほど狂っている国も珍しい。
それからもう1つ…(事件そのもののことではないので御了承願いたい)…東京都江東区のマンションで会社員女性(23歳)がこつ然と消え、その後殺害されている可能性が確定しつつある事件。当初は、非常階段にある死角部分から連れ去られた可能性が持ち上げられていたが…実は第一報のニュースを耳にした時、『犯人は同じ階の者だと思う』ということを知人の刑事に話していた。昨日「また当たりましたね」と連絡があった。
ほかの項目で記述したことがあるのだが、『根拠はなく、ただ感じる』のである。通常、記述しているものは「それなりの分析を重ねた上で答えを導き出している」のだが、『時々』何も考えない状態で「答えを感じる」ことがある。また、何も答えを求めていない時に感じる場合と、何らかの答えを求めている時に感じる場合がある。こういう感覚がいつまで続くのかは分からない。失う時は命が途絶える時かもしれない。

「2008-06-10:追記」
再びの凶行、秋葉原無差別大量殺人(殺傷)事件。

世界的に「日本のアニメ」や「メイド(めい土)喫茶」などで多少の脚光を浴びながら不思議な空間に変ぼうしている電気街秋葉原。銀座などと同様に「歩行者天国」のエリアも設けられ、多くの人々が行き交っている。
2日前の6月8日(日曜日)正午12時30分ごろ、その場所で悲惨な通り魔事件が発生した。連日、日本全国で女子児童や女子中学生などが突然ナイフで刺される事件が相次いでいる中での凶悪な事件である。恐らく、これまでの中でも「最悪の通り魔事件」となるだろう。
また、世界各国のメジャーなメディアが速報などで取り扱った事件の1つとなった。アメリカでは主に「様々な銃器」の使用による無差別な事件。日本では「車」「ナイフ」「銃」「猟銃」などを使用した無差別な事件が多発している。
現在、秋葉原にはオタクと呼ばれる「現実逃避」した人々が群れをなしている。現実をしっかりと見つめながらの「一時的な趣味」とする位置付けであれば理解できなくもないが、その域をはるかに超えた者達が集まっていることに関しては、問題とする必要がある。
「日本アニメ」の完成度や、モノによってはその内容に関する「社会的な訴えなどの構成」が賞賛されるものもある。そういったことも含めて「日本文化の1つ」と言えるのかもしれないが、「メイド(めい土)喫茶」のようなものを「日本文化」と言い放つメディアは「脳みそが崩れている」としか言い様がない。
人の趣味は個人の自由だが、「責任が伴うことが自由の根本」であるという骨格が無視されてはならない。そして、人間としての趣味には「許容範囲」というものがある。
三次元という本当の現実をきらい、二次元などの世界(以下、異空間)に現実逃避している場合、現実の世界で気に入らないことがあるたびにその異空間などへ現実逃避を繰り返すことになる。やがては、その異空間に『入り浸り』となる。そして、その異空間などで現実世界の憎悪をドンドンふくらませながら、そのストレス発散の場所を求めてさまよい続ける。異空間でストレスが発散されている、あるいは解消されている間は、現実世界に関する実害としての問題はまだそれほど深刻ではないのだが……どうしても「発散・解消されない輩」が出てくる。その場合、結局は「現実世界へもどってきた上で『発散・解消』に直結する」ということになる。その時にはもはや『手遅れ』となる。今回の事件もそのパターンに合致している。
人間の内面は「非常に複雑」でもあり、また「非常に簡単な構造」としてもとらえることが可能である。
福田君は:「『社会的背景』を含めて、しっかり調べ、対応してほしい」という発言を『意味も知らず』に言い放っているようだが、日本の政府与党やこの種の問題に従事している者達の知識や認識、読解力では遠く及ばない可能性が高い。
「社会的背景」としては、圧制と暴政、悪政がその一因であるということは確実に言えることだが、家庭の教育こそが大きな要因であることは避けれらない。また、先天性の脳疾患や精神的疾患なども要因として考察する必要があることは言うまでもない。
今回の場合、『家庭内暴力』が発生していたという『大きなサイン』があった。危機感のある国家であれば、そのサインに対する『分析されたしかるべき対応と処置』を実行している。だが、この国にあるのは『無能・無策』という実態しか浮かんでこない。
物事を把握し、どれほどの重要性を秘めているのかというたゆまぬ意識と努力がなければ、その領域に達することも、その領域で何らかの成果を収めることもできはしない。
最近、ことあるごとに手前勝手で非常に調子のいい傍若無人な発言や横柄な態度で悪名をとどろかせている「官僚そのものでもある官房長官の町村信孝君」。:「銃刀法では刃渡り6センチを超えるものは正当な理由なしに携帯してはいけない。(容疑者は)正当な理由なく持っていた。規制強化(の在り方)について考えなければいけない」と。
彼らのような幼稚なオツムでは、このような小学生程度の見方から発せられる言葉しか、口から出てくることがない。
多くの人々が残虐な方法で殺され、その遺族の悲しみと苦しみは生涯消えることがないといういかんともしがたい現実を目の前にしても、「ナイフの刃渡り」について終始する「ばかのきわみ」である官房長官の存在。国民はそこに何を見いだすのか。
事件そのものについてはほとんどの部分を省略させてもらうが……その中でも、もしも犯人が『両手にナイフ(今回の事件で使用されたナイフは格闘専用のダガーナイフ)』を持っていた場合、被害は更に拡大していたことは間違いないと言える。また、上着の内ポケットに折り畳み式のナイフを忍ばせていたらしいが、1:取り出して、2:開閉させる…という『手間』が使用する意志をちゅうちょさせ、みぞうの不幸の中で幸いしたとも言える。
レンタルした2トントラックの中には、同時購入していたほかのナイフもあったらしいが、犯人が『激情型で冷静さを失うタイプ』であったことも幸いしたと言える。これが、冷静に凶行をこなすタイプであった場合、やはり被害は更に増えていたことが考えられる。
こういう惨劇の中で、『逃げろ』という「今、正に人々が行き交っているその場所で『緊急事態(Emergency)』が発生していることを周辺に知らせた人物達の存在」も忘れてはならない。その人物達が危険を知らせたことによって、多くの人々がその場から逃げることが可能となり、必然的に犠牲者の数を抑えられた大きな要因の1つになったと言える。これは警察機関としてキチンと表彰しなければならない。また、もちろんのこととして「『人工呼吸や心肺そ生、止血行為』を行った勇敢な人々」も同様である。特に、止血行為などの場合には、『感染症の危険』があるにもかかわらず、自らの身の危険を犠牲にして救助活動を行っているからである。
もう1つ、記述しておきたいことがある。最近、発生していたいくつかの殺人事件の中の1つに関する報道についてである。最近、その殺人事件について報道していた『フジテレビ』の女性ニュースキャスターであるが、「その悲惨なニュースの直後」に「『ニュースでした』と『ニタニタ』しながら言い放っていた『滝川クリステル』」という存在。フジテレビには「人間の心を持ち合わせていない最悪のメス共」がそろっている。この輩が「今回の無差別通り魔事件」を取り扱っても、そこに「何の意味」もなければ、「社会的価値」などみじんも存在しない。
このフジテレビとそこに所属している女性キャスター共は、実際問題として「企業として」も「人として」も「女性として」も確実に狂っている。通常、一般的には、これを『社会悪』という。この「輩」の脳みそは「理解し難い」ものがある。女性全般的に言えることでもあるが、「美しさ」とは『人間性そのもの』のことを指し示す。それが理解できていない者達がテレビのキャスターなどを始めとして無尽蔵にあふれている。バカな男を引き寄せられても、『本物の男』を引き寄せることなど永遠に無理であるということを知る必要がある。何よりも、「『その仕事の意義』を理解してから、まじめに黙々と働け」と言っておく。

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Status:2008-03-25〜作成

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