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■22:法制度と偽善団体2■

◆22:法制度と偽善団体2◆初期のファイル:22-1

ムダな法律。勝手気ままなの山。

『法律の意義』

司法制度、法律とは何のために存在するのか。

再び、狂い咲きの判断と判決。

昨年の2008年4月18日に東京都江東区で発生していた女性会社員殺害事件。この事件は、「非常にむごい『殺人・遺体損壊(死体損壊)・遺体遺棄(死体遺棄)』事件の1つとして社会を震撼させた」おぞましい事件であり、個人的には事件当時に「犯人は同じ階にいる」ということを感じ、そのことを知り合いの刑事に話していたことでも記憶している事件の1つである。その判決が昨日の2月18日に言い渡された。残念ながら『無期懲役』という間違った判決であった。
当サイトでは、これまでにも度々現在の狂った司法制度やイカレタ裁判官、気狂いと化している弁護士、また官僚や政治家、警察機関などによって仕組まれた判決について記述してきた。
正しい判断。正常な、という意味での平均的な見解。的確な判決。本来は、まじめに生きている人間の尊厳を守るべく存在しているはずの司法制度、法律。現在、日本に君臨しているその司法制度や法律は、国民を守るためではなく、被害者や遺族のためでもなく、『ただひたすら凶悪な犯罪者の命をつなぐためのモノ』と化している。『生きる権利などみじんもないケダモノのために存在している無意味なモノ』と化している。
狂い咲きしている「裁判長の平出喜一君」は:「殺害に計画性はなく、前科もない。罪を認めて反省しており、死刑をもって臨むのは重きに過ぎる」と言い放った。
一方、動機について:「性的に乱暴し続けて思い通りの人格を作り上げようとした(性奴隷にしようとした)」「ひたすら自己中心的で卑劣というほかなく、しゃく量の余地は全くない」と。遺体損壊について:「戦りつすら覚える行為である」と。
しかしながら結論は:「被害者が1人の事案で死刑を選択するには、動機や犯行の手段、残虐性、犯行後の情状などの点で相当強度の悪質性が必要である」と。「殺害の態様は残虐極まりないとは言えず、当初から計画していたとは認められない」とし、遺体損壊についても「殺害よりも過大に評価することはできない」と。
この裁判長だけではなく、一緒に同じ結論を出したほかの裁判官も同様に「狂っている」としか言い様がない。
「殺害の態様は残虐極まりないとは言えず(?)」とは一体どういうことなのか。これほどまでの残虐行為を「一方では何度も認めて」おきながら、「極刑にするかどうかの瀬戸際」になったとたん、「その残虐性がほとんど全く認められていない」という真逆のイカレタ感覚はどこから発生しているのか。
犯行に関する当初の計画、目的、手段、経緯、経過、殺害への決意、殺害方法、遺体損壊(死体損壊)方法、遺体遺棄(死体遺棄)方法、自己存在の保存に関する周辺へのごまかしや演技、発覚後の現実逃避からなる発言…。
被害者が監禁されていた3〜4時間という時間は、尋常ならざる恐怖と苦痛、屈辱、更に殺害された時の想像を絶する絶望と悲しみは、なかったとでも言うのか。なぜ、そういうことが理解できないのか。
強姦する目的に関しても、わいせつ行為を行っていることは認めており、また強姦という目的を果たすために拉致してきた被害者を横にしながらアダルトビデオなどを見たりなど、完全に『極限の狂人・凶悪犯罪者』と化している。しかし、裁判長は「強姦はしていないから」という狂った判断を平然と言い放っている。拉致する時に被害者にけがを負わせ、暴力で支配し、自分の部屋に監禁した後にわいせつ行為を行ったことは「強姦」そのものと言って差し支えない。
そして、犯行を隠す目的で殺害した後に遺体を細かくバラバラにしてトイレなどに流すという行為が、凶悪でもなく異常でもないという根拠や判断はどこからきているのか。殺害の翌日には、笑いながらインタビューにも答えている。「この部分だけ」でも十分に戦りつの瞬間である。
もし、殺害と遺体損壊、遺体遺棄が発覚しなかったら、この凶悪な犯罪者は「今ものうのうと会社に通勤していたであろう」ということはだれにでも想像できるはずである。
殺害に関しても「当初から計画していたとは認められない(?)」とはこれまたどういうことなのか。計画に、当初もクソもない。「発覚しそうになったから殺そうと思った」というこの瞬間こそが『殺害計画』の始まりであり、殺害計画そのものと言える。途中から計画が変わろうが何をしようが、実際に殺害計画を実行した事実は歴然としており、被害者は殺されている。その犯罪に関するあらゆる経過における事象についての正しい理解ができていないバカ者が、なぜ裁判長や裁判官になれるのかが理解できない。更に言えば、「計画があろうがなかろうがどうでもいい」と言える。「犯罪における計画そのものが、罪の大小に多大な影響を及ぼす」という論理や考えは、見直さなければならないこととして認識しなければならない。
遺体損壊に関しても上記しているように、この裁判長は「殺害よりも過大に評価することはできない」と言い放っている。この「過大に評価」という言葉の使い方や表現自体もおかしいのではないのか。遺体損壊の罪自体が「最高3年の刑のまま」であるという問題も深刻と言える。何よりも、被害者が殺されているという絶対的に許せない究極に重い凶悪犯罪の中で、「その殺害行為よりも遺体損壊はどうだのこうだの」という論理そのものが理解できない。通常であれば、その凶悪な殺害行為の大罪に「加えて考える」ことこそがマトモな人間社会で生きる者達の正常な感覚と言える。そして、「被害者が1人」ということが判決に変化を与えるという実にバカげた論理も抹消しなければならない。そういうことも踏まえて、この日本の司法制度を根底から見直すことが求められている。
日本では少なくとも毎年百数十万人の人々が死亡しているが、死因特定できているのは「わずか2パーセント未満」という数字すら、今ではメディアで取り扱われている。そんな中で、警察機関は相変わらず「犯罪は減少している」と言い放ち、自殺者のデータも「今年から毎月発表する」とのたまっている。確実な殺人事件のケースを一方的に自殺と断定したり、死因特定すらほとんどできていない現在の状態で、「どのようにして」毎月発表すると言い放っているのか。
我々国民は、この腐り切った日本社会を本気で見直す時に直面している。

「2009-03-19:追記」
凶悪犯罪と判決基準。

2007年8月の夏、愛知県名古屋市で会社員の磯谷利恵さん(当時31歳)が帰宅途中に拉致、殺害され、死体を遺棄された凶悪な殺人事件。犯行内容は残虐この上ないむごたらしい殺害方法であり、もはや人間の所業ではない。
この日本では、非常に残虐な殺人事件が多発している。欧米で多い、銃器使用による殺人事件と比べるまでもなく、その犯行は異質である。殺人そのものを試しているかのような事件も少なくない。
銃器を使用し、1〜2発の弾丸を被害者に撃ち込み、その場を立ち去るような殺人事件とは全く異なる猟奇殺人事件。これらの猟奇殺人事件に関するものは、プロファイリング上でも最も異質なものとなる。
この種の犯罪は、通常の一般的な裁判官などに分析はできない。不可能と言っても過言ではない。それほど犯罪の中でも突出した「異次元の空間」で発生しているものである。
犯罪者や犯罪そのもののプロファイリングも多種多様であり、このことは「心理分析」においても全く異なってくるということについて以前から記述している。また、同じ殺人事件でも「その殺害方法が違う場合のプロファイリングは必然的に異なる」ものであり、ケースによっては「同種の殺人事件」でもアプローチが異なることが度々ある。一言で『(犯罪に関する)分析』と言ってもその内容は非常に複雑なものであり、メディアで浅はかに生きているコメンテーターが口にできるほど「簡単でもなければ生易しい『世界のもの』ではない」。
その複雑な凶悪犯罪の世界に関する全体像を把握し、そこから奥深く個別の内容に接していくことで、少しずつ理解していくことが可能となり始める。これは逆のアプローチでも可能であるが、全体像への理解が遅くなることは否めない。この分野を独学でやっていくということがどれほどの労力・努力を必要とするのか…言葉では中々表現できない…としか言い様がない。
話をもとにもどす。この事件の加害者は3人であり、接点として『闇サイト』と呼ばれている「インターネット上の掲示板」が存在している。
この「掲示板」であるが、以前から再三記述したいと考えていたことの1つでもある。なぜ、管理する責任がある側がしっかりと管理できないという実態があるにもかかわらず、「客寄せ」のために、その無秩序なエリアが次々に利用できるのか。なぜ、そのことが法律で許されているのか。ここにこそ、大きな問題がある。これは世界規模で「根本的な対応」が必要とされている深刻な問題である。
その「違法で無秩序なエリア」と言える闇サイトで、凶悪な犯罪者共が「文字を書き込み」、そして「集まり」、極悪非道の「犯行」を重ねている。
闇サイトを利用した犯罪自体が発覚している実数は「少ない」という可能性も非常に高い。それはレイプ事件などをかんがみれば分かりやすいと思う。そのほとんどが泣き寝入りで被害者の多くは絶望感の中を懸命に生きている。それと同時に被害者が自殺をしているケースも決して少なくはない。
そういう現実の中で、「神田司被告(38歳)・堀慶末被告(33歳)」の2人に対して「死刑」判決、最初に仲間を集う書き込みをした「川岸健治被告(42歳)」の1人が「無期懲役」の判決。
無期懲役の理由としては、犯罪の発覚が難しい闇サイト利用の犯行において「自首」をしたということが大きなものとして挙げられている。
しかしである。自首そのものはいいとしても、残虐行為の末に人を殺したというとてつもなく重大な罪が『軽く』なるということにはならない。また、そこに『本当の反省』があるのかと言えば、そのようなことはないと言い切れる実態がある。
これは世界的に言えることでもあるのだが、特に殺人などの凶悪な犯罪者は、刑務所の中で反省などしてはいない。95パーセント以上の犯罪者は、『反省などしていない』という現実がある。これは世界中の各刑務所内での各犯罪者の「発言」や「振る舞い」を調査すれば一目りょう然となる。実態を知らないのは、一般市民だけであり、政府関係者や特に刑務所で働いている者達は「口外できない実態に関する情報」を把握しているはずである。
以前から明記しているように、「可能性がある者達はまず凶悪な犯罪は犯さない」ということが挙げられる。犯罪という一言で、人間の行為のすべてを集約できるほどたやすいものではない。規模が小さい単なる窃盗犯と、凶悪な殺人を犯した殺人犯は、全く異なる「生き物」であるということを認識しなければならない。
人間性としての可能性が残されている者達は、これから己が行おうとしている行為について「最初から重大な犯罪だけは避ける」という実態を分析した上でしっかりと理解する必要がある。
よって、自首などは「当たり前の行為」であり、そのことによって「罪が軽くなる」ということに直結してはならない。その部分を「大前提として考える」ことが必要であり、そういう状況の中でも場合によっては「何らかのしゃく量が考慮される可能性もある」ということにしなければならない。
無期懲役の判決を受けた首謀者は、今回の事件で少なくとも「2回レイプを行おう」として止められている事実もある凶悪な犯罪者であり、『これまでに発覚していない重大な犯罪の可能性』についても考察が必要と言える。もちろん、ほかの2人についても同様に考察が必要である。
現行の日本の司法制度ははるか大昔の時代に考え出され、そして設定されているモノであり、今現在の社会やそこで生きる人間の特性などは、全く考慮されていない『代物』である。その多くが『真の意味などない形だけのモノ』と化している。
「話を聞いて」「殺さないって言ったじゃない」と全身全霊で訴えた磯谷利恵さんは、金づち(またはハンマー)で頭部を数十回殴られ、ガムテープで顔をグルグル巻きにされ、ビニール袋を頭からかぶせられ、ロープで首を絞められ、絶望の中で殺された。
その被害者の無念と遺族の思いをだれが受け止めるのか。だれが受け止めなければならないのか。それは社会のすべてであり、今生きている我々すべての国民ではないのか。一体、だれが『命』と『人間の尊厳』を被害者の代わりに訴えられると言うのか。本来は、国がその責任を全面的に負い、犯罪が発生しない社会を可能な限り構築しなければならないのだ。にもかかわらず、この日本の社会は完全に腐敗の中にある。

「2009-06-10:追記」
原爆症基準見直し。

政治と行政は何のためにあるのか。法とは何か。これまで幾度となく取り上げてきた題材。
日本は過去の戦争において、正に死にかけている状態の時に、「アメリカの『実験・力の誇示・とどめ』の目的」により、原子爆弾を落とされた。史上最悪の地獄を強要された国、日本。
「その被害者はいまだに救われていない」という鬼畜のごとき現実を平然と続けてきた政府与党、自・公連立。
原爆における日米の秘密協定などを深くかんがみるまでもなく、ただただデータを採取され、虫けらのように死んで逝った数十万〜数百万の人々。その死者の実数は誰にも分からない、永遠に。
戦後64年間ずっとデタラメな科学的データを振りかざし、死に逝く人々を切り捨て続けた鬼畜共の所業は、それにかかわった者達の1人残らずを引きずり出して極刑に処すべきと言える。その裁きは今からでも全く遅くはない。徹底的に行うべき正義の裁きである。
このような状況の中でも、バカとアホを兼ね備えた暫定首相の麻生君は、「一括救済は難しい」とほざく。「なかなか法的には難しいと思う」とほざく。
被害者とは何か。なぜ被害者になったのか。法とは何か。何のためにあるのか。
今現在におけるこの国の代表者である首相が、このようなキチガイじみた発言しかできないという日本社会の現実。国民は何を感じ、何を考え、生きていくのか。

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Status:2009-02-19〜作成

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