児玉教育研究所-中央大学法学部

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中央大学法学部

文化と深層心理参考資料


精神分析関連年表

西暦 年譜 関連事項
1987   アイザック・ニュートン「自然哲学の数学的原理」
1727 ヨハン・ヨーゼフ・ガスナー、オーストラリアの寒村に生まれる。  
1734 フランツ・アントン・メスメル、ドイツのコンスタンツに生まれる。  
1745 フィリップ・ピネル、南仏のサン・タンドレー村に生まれる。  
1751 ピュイゼギュール侯爵、フランスのソワッソン市に生まれる。 ディドロ、「百科全書」
1758 ガスナー、スイスの小村で司祭となり、数年後から「悪魔祓い」の治療を始める。  
1762   ジャン・ジャック・ルソー、「社会契約論」
1766 メスメル、ウィーン大学医学部卒業、「人体疾患に及ぼす惑星の影響について」の論文で医学博士取得。  
1767 メスメル、ボッシュ夫人と結婚、内科医院開業。 ワット、「蒸気機関車」製造
1773 メスメル、「動物磁気療法」(メスメリズム)を始める。  
1774 ガスナー、「悪魔祓い」による治療法の小冊子を出版。  
1775 南ドイツのエルヴァンゲンでガスナーが大規模な「悪魔祓い」による治療を行う。賛否が対立し異端問題に発展バイエルン選帝侯マックス・ヨーゼフに呼ばれたメスメルは、ガスナーの方法は「動物磁気術」と主張。 アメリカ独立戦争
1776 ガスナー、追放される。 アメリカ独立宣言
1777 メスメル、ウィーンを退去。パリで開業  
1781 「動物磁気術」がパリの社会現象となり、「磁気桶」による集団療法を始める。
ルイ16世「動物磁気術」の審査を命ずる。バイイ委員会は「物理的流体」は存在せずと報告
 
1783 この頃からピュイゼギュール「磁気睡眠療法」を自領のビュサンシー村で始める。立木を使った集団療法も行う。  
1785 メスメル、パリを出奔。  
1789   フランス革命
1793 ピネル、ビセートル収容院の医長に就任。「精神病者の鎖からの解放」、精神医療制度の創設に着手。 ルイ16世、ギロチンによる処刑。ロペス・ ピエールなど
1795 ピネル、サルペトリエール収容院の医長に転任。「道徳療法」を行う。  
1804   ナポレオン、皇帝となる。「ナポレオン法典」公布
1805 ピュイゼギュール、革命の混乱後に「磁気睡眠療法」再開。彼の「新メスメリズム」がヨーロッパに普及。  
1809   汽船製造
1814   ナポレオン、退位。ウィーン会議始まる
1825 ジャン・マルタン・シャルコー、パリに生まれる。  
1830   パリ7月革命
1838 フランス「共和国法」成立。精神障害者の入院施設の整備、「同意入院」「措置入院」制度の法文化。  
1842 英国の外科医ジェームス・プレイドが「磁気睡眠」を「催眠」(ヒプノティズム)と命名。主に身体疾患に適用。  
1848   カール・マルクス、「共産党宣言」
1851   ロンドン万国博開催
1856 ジークムント・フロイト、現在チェコ領のフライベルクに生まれる。  
1861   アメリカ南北戦争(~1865年)
1862 シャルコー、サルペトリエール病院の医長に就任。神経病学に取り組み第一人者となる。  
1868   日本の明治維新
1870 シャルコー、ヒステリー患者に対する「催眠療法」を開始する。  
1871   ドイツ統一
1873 フロイト、ウィーン大学医学部に入学。  
1875 ユング、スイスのケスヴィルで生まれる。  
1876 フロイト、ブリュッケの生理学研究室に入る。先輩のヨーゼフ・フロイアーと知り合う。  
1880 ブロイアー、「アンナO嬢」の治療に取りかかる。  
1881 フロイト、ウィーン大学卒業。ブリュッケ研究室に残る。  
1882 フロイト、生理学者への道をあきらめ、ウィーン総合病院勤務。 コッホ、結核菌を発見
1883 フロイト、マイネルトの精神医学教室で精神医学の研修。コカインの研究。  
1885 フロイト、年末から翌年4月まで、パリのシャルコーの許に留学。ヒステリーの催眠療法を習う。  
1886 フロイト、マルタ・ベルナイスと結婚。ウィーンで開業。  
1893 シャルコー、死去。  
1895 ユング、バーゼル大学医学部に入学。
フロイト、ブロイアーと共著で「ヒステリー研究」出版。
 
1900 ユング、チューリッヒ大学のブルクヘルツリ精神病院入局。ブロイラー教授の指導をうける。
フロイト、「夢判断」出版。
プラレク、「量子論」
1903 ユング、エマ・ラウシェンバッハと結婚。 飛行機製造
1905 ユング、「診断的連想研究」出版。
フロイト、「性欲論」出版。小児性欲の発達段階についての考察。
 
1907 ユング、初めて、フロイトをウィーンに訪問。
ユング、「早発性痴呆の心理」出版。
 
1909 ユング、ブルクヘルツリ精神病院をやめ、個人開業医に専念。
フロイト、ユングと共にアメリカのクラーク大学で講演、米国で好評を得る。
 
1910 「国際精神分析学会」創立、ユングが初代会長となる。  
1912 ユング、「リビドーの変容と象徴」出版。  
1913 ユング、フロイトと訣別。大洪水の幻覚をみる。  
1914 ユング、「国際精神分析学会」を脱退。 第一次世界大戦勃発
1916 ユング、最初のマンダラを描く。
ユング、「死者への7つの説教」を書く。
フロイト、ウィーン大学で「精神分析入門」を講義する。
 
1917   ロシア革命
1918 ユング、戦争抑留英国人収容所指揮者(シャトー・ドエ)(~1919) 第一次大戦終結
1921 ユング、「タイプ論」出版。  
1923 ユング、ボーリンゲンに「塔の家」を建てる。 ヒットラー、ミュンヘン暴動
1928 ユング、R・ヴィルヘルムの「黄金の華の秘密」の独訳への注解、出版。  
1929 ユング、「国際心理療法医学会」の会長となる。 大恐慌起こる
1933 ユング、「エラノスの集い」に初めて参加、講義を行なう。(以後、1952年まで、14回の講義を行なう) ヒットラー、独首相となる
日、独、国際連盟脱退
1938 精神分析学「出版所」がナチスにより没収される。アーネスト・ジョーンズの勧めで、フロイトロンドンに亡命。 日・独・伊3国枢軸成立
ドイツ、オーストリア併合
1939 ユング、「国際心理療法医学会」会長を辞任。
ユング、鈴木大拙「禅仏教入門」の独訳に序文を書く。
フロイト、「モーゼと一神教」出版。ガンが再発し、安楽死を申し出る。9月23日死去。
ドイツ、ポーランド進撃
第二次世界大戦勃発
ドイツ軍、パリ占領
独ソ開戦
1940 ユング、「心理学と宗教」ナチスにより発禁にされる。  
1941   日本真珠湾攻撃・日米開戦
1944 ユング、「心理学と錬金術」出版。大病、生死の境をさまよう。  
1945   第二次世界大戦終結
1948 「ユング研究所」設立。  
1952 初の抗精神病薬「クロルプロマジン」開発。以後、薬物療法の急激な進歩。  
1955 ユングの妻エマ死す。  
1956 「結合の神秘」第二巻出版。  
1961 ユング、6月6日死す。  
1962 「思い出・夢・思想」(ユング自伝)出版