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■今日のコラム2■

更新されたコラムです。

■今日のコラム2■

「2009-10-06:更新」
被害者と法、そして死刑廃止論者。

これまでいくつかの凶悪事件について何度も記述してきた。凄惨な事件が多発している日本社会。殺されている被害者の正確な数字はだれにも分からない。行方不明者の中に入っている被害者やその中にさえ入っていない被害者も存在する。また、何とか命をつないで懸命に生きている被害者の方々も存在する。
不安定な土台である社会環境の上で揺らいでいる法律は、人間が作った単なる1つの決まりごと。そのことについても以前から記述しているのだが、現実の社会において、本当の「法律の意味」や「その在り方」が正面から議論されることもなく、また正しく理解している者も少ない。
犯罪の種類・種別・分析(犯罪者の内面・生活環境などの分析も含む)など、その作業は並み大抵のものではない。だからこそ、法にかかわる仕事に従事している者達は、たゆまぬ努力が必要になる。それすらクリアーできていない日本社会。
最高裁判官になる資格が全くない者達がそのポジションに存在している現実。総選挙の時に同時に行われた「最高裁判官の信任・不信任」は形骸化していることも事実。今回は少なくとも「3人の不信任」を行う必要があった。もちろん、当日「×印」を書いてきたことは言うまでもないが、一般市民のだれもが認識できる情報を全く開示しないという愚行を続ける日本政府。更には、「国会議員の信任・不信任」も行うべきであるのだが、どのような問題を発生させても比例で復活してしまうシステムも根本的に正す必要がある。
そして、今回の新政権によるポジションの割り振りでも少なからず問題があった。例えば、『法相』である。これは多くの人々が疑問に思っていることではないだろうか。どの政党を支持したのかとか、支持しているか支持していないか、などということは関係なく、問題だと考えているものと思う。
絶対的に「凶悪な犯罪者」であるという確固たる証拠と分析結果があれば、仕事として「死刑執行にサイン」をしなければならない最高責任者が、『死刑廃止論者』では話にもならない。これでは、以前の自・公連立と同じである。
民主党は慌てて、その最高責任者である「法相の千葉景子君」というおばさんを指導し、『死刑廃止を推進する議員連盟のメンバー』からはずれてもらい、『事務局長を務める欺まん団体のアムネスティ議員連盟』からもはずれてもらうことになった。
しかしながら、議員である前に「人として死刑廃止論者」であるおばさんが、何の影響もなく重大な責任のある仕事をこなせるとは到底考えられない。結局、民主党にしても「判断が甘い」「浅い判断」などが見受けられる。
ほかにも、死刑廃止論者は与野党の中に散在している。この輩に共通していることはいくつかある。この共通点については一般市民も含まれることになる。
例えば、『凶悪な犯罪の犠牲になったことがない』ということや『殺されることもなく生きている』ということである。彼らは『本当の地獄』を知らない。被害者の『絶望的恐怖』や『永遠に続く果てしない苦痛』を知らない。社会に生きているすべての人々が自分のこととして理解しなければならないことを全く理解していないばかりか、理解しようともしていない。根本的に理解する能力や思いがないというところにすさまじく大きな問題がある。
世界中の死刑廃止論者の中には、何らかの犯罪の犠牲になった者も数人くらいはいるだろうが、まず「彼らは生きている」ということである。そして、「命があることに感謝し、それと同時に凶悪犯罪者も許す」という『都合のいい勝手な解釈』によって、現実逃避をしているだけでしかない。多くの者が『何らかの宗教』にすがりつき、ばかげたお布施を続けている。祈りなどどこにも届くことはない。
そして、「だれか1人のため」に己の命を懸けて闘った(戦った)ことも全くない。闘うと言っても、それ以前に準備をしなければならない。内面的なこと、技術面、知識、分析、判断…、そのほかいろいろと必要になる。闘いたくても「はい、どうぞ」と簡単にはいかないことが多い。
もう1つ重要なこととして、彼らは『未来の被害者について』考察したことなど皆無であるということが挙げられる。自分自身の発言をだれも責任など感じないままに言いたいことを言って終わっているだけである。たとえ、己が関与したことで社会に解き放たれた凶悪犯罪者によって、目の前で未来の犠牲者がレイプされて殺されても「私の責任じゃない」と発言するだろう。「あの時はあの時、今は今」と発言するだろう。「だれにも未来を予測することはできない」と発言するだろう。残念ながら、凶悪犯罪に関しては『ある程度は予測可能である』という現実すら把握していないバカな生き物としか言いようがない。
未来の被害者が送るであったろう「家族との笑顔のやり取り」などを考えても、その重要性がいかに大きいか理解できるものと思う。それらのすべてが消えてなくなることを防ぐために、今生きている人間が考えなければならないことや徹底的に行われなければならない様々な分析、そして本当の決断の意味がそこにある。
本来、法律や弁護士が存在する意味は、『基本的人権の擁護』や『社会正義の実現』にあるはず。それは、「被害者の擁護」であり、「被害者を正義によって救うことと同時に悪を裁くことで社会の正義を回復させること」にあるはず。
現行の法律はあまりにも幼稚に決められている。根本的な見直しが絶対に必要である。人々が生きるために。そして、「身勝手に法律を使っているバカな弁護士や裁判官」などこの世に必要ではない。

「2009-10-21:更新」
政治の意味と方向性。

せんだって、「相対的貧困率」が発表された。過去、これまでの政府与党、自・公連立政権からは、『目的』を持った上で公表されることがなかった数字の1つである。
今回、「経済協力開発機構:OECD」が採用している計算方式で算出されているが、ほかの問題の数字と同様に、すべての国民から正確に集められて計算されたものではないことからも、本当の数字はそれ以上にすさまじいだろうということが多少は理解できるものと思う。
その順位はワースト4位で、3位アメリカの次になる。2007年度で15.7パーセントであり、各調査年度の数字は毎回急速に悪化し続けている。その数字が悪化していることは非常に問題が大きくかつ深刻なのだが、そういう現実がバブル崩壊後、継続して発生していた事実があったということと、その事実を政府与党が隠し続けていたことが最大の問題である。
もちろんのこととして「子供の貧困率」も高い。これらの数字に関する情報は、以前からインターネット上では運がよければ目にする事が可能でもあった。
そういう実態を国民に公表する民主党などによる現政権の姿勢は非常に意味があり、問題提起としても重要と言える。
しかしながらである。二転三転している「子供手当」についてはどうか。こういう具体的な数字が出された切迫している多くの人々の存在や、その社会を懸命に生きている中で、自殺者も増加し続けている緊急事態の現実。
これ以上、苦しんでいる人々に「増税」「負担増」という政策は絶対に行ってはならない。その意味は政権交代する以前から確固たる理念として持っていなければならなかった当たり前のことの1つである。
が、実際には、「扶養控除」「配偶者控除」ばかりか、更に「住民税」も…という方向性になっている。これは、『国民の生活が第一』と言っていた民主党の姿勢とは違うものとなっている。当初は「扶養控除はありません」という方向性でもあったはず。それが、「財源がない」という現実の中で、「安易な負担増」という行為に走っているようにしか見えない。
増税、負担増の意味を正当化するために、「過去の悪しき男尊女卑の象徴だったモノ」という『理屈』を説明しても意味はない。
我々国民は、理屈を生きている訳ではない。現実を生きているのだ。「控除」の意味や理屈などどうでもいいのである。
現実問題として、控除があるにもかかわらず、「生活が苦しい」という人々が増加し続けているという実態がある。だから、子供が持てないという人々や、身体的理由などから持てないという人々もいる。
その現実にある国民生活を理解していないからこそ、『一部の負担増は仕方がない』という身勝手な発想になるのだ。
そもそも、現金支給するのであれば、その税金を減税しろということになる。また、学費や給食費、教材費などを無料にしろということになる。それから、所得制限や年齢制限に関することも問題としてある。
なぜ、お金がないところに負担増となるのか。持っている者への負担増であれば当然とも言えるのだが、なぜ持っていない者達から取ろうとしているのか。
このままでは、自・公連立の愚かな「圧制と暴政」と何も変わらなくなってしまう。
政治と行政の本当の意味とはどこにあるのか。その核心部分を理解していないのであれば、国は崩壊することになる。
政策を実施する意味は、苦しんでいる人々をその苦しみから助けることにある。それが政治であり行政である。問題を排除すること。可能な限り排除すること。そこには不平等などという言葉はない。
少しだけ言い方を変えるならば、すべての人々が幸福になることを目指すのではなく、人々が生きるために問題(障害)となっていることを可能な限り排除するということが最重要課題となる。当然、本来としてはすべての人々が幸せになることが目標となるべきであり、そのことが無視されてはならない。
民主党や連立の議員達に、国民の苦しみが本当に理解できているのかどうか。政治と行政の意味が本当に理解できているのかどうか。ここが最大の問題となる。

「2009-11-06:更新」
判断。

最近、思うように更新ができていないことに関して、当サイトに訪れている方々には大変申し訳ない気持ちでいっぱいです。ご容赦願いたいと思います。
しかしながら、この5〜6年の期間でインターネットの世界も大きく変わったと感じています。1年間の中で、どこかのサイトを積極的に訪れるというようなことはほとんどないという状態をここ数年継続していますが、時折「真剣に政治や行政、世界情勢などについて『的を射た』発言をしている人々が大幅に増加した」と感じています。
おかしいと思える事案に対して、正面から思っていることを記述して、その記事を目にすると考えられる人々へ何かを伝える。こういう作業を真剣に行っている人々が多くなったと思います。これらの作業は、非常に小さな行動の1つになるのかもしれませんが、その意味においてはとても重要なことだと考えています。
これまで日本人は、そういった行動をしない傾向が非常に強かったのですが、「それではダメだ」「それは危険につながる可能性がある」…など、ある種の危機感が生まれ、その危機感が行動するエネルギーになっていると感じています。
まず、人々には本当の情報が与えられないという腐り切った現実があり、その現実を何とか破壊しなければならないと考えている人々の存在があった。それは、ずっと遠い過去から続いてきたことであり、その間には人知れず命を落としている人々も多く存在している。そういった意味では、ニュースで扱われる人々はまだマシなほうなのかもしれない。扱われている内容が真意かどうかは別として…。
問題は、今生きている人間もいずれ死が訪れるということであり、であるならば今生きているこの瞬間、この時間を「何かに対して」有効に使うほうがいいのではないのか?という己に対する問いかけが「前向き」にできるのか、またはできないのか、ということではないだろうか。
自殺者も増加し続けている事実もある。日本政府、警察庁が発表している自殺者数は絶対に少ない数字であることは間違いないという現実の大きくかつ深刻な問題もある。
1つには、「遺書」がなければ断定されないという項目があること自体が非常におかしなことである。自殺者のほとんどは、「遺書を書く信念はない」という実態を理解していない。昔の武士や現在の本物の戦士のように、己の死と正面から向き合えるようなそこまでの覚悟を持つ者は非常に少ないのである。その多くは「突発的に実行した」という範囲に入ると考えられる。
多くの人々に共通していることは、「社会に絶望して…」ということが1つ挙げられる。「何かを求めたが、手にできずに…」ということなどが多かれ少なかれある。
そういう精神状態になった場合、まず「なぜ、それを求めているのか」という己に対する前向きな問いかけが必要である。ほとんどの場合、生きている意味、生まれた意味について答を見いだそうとしたものの結論が出せなかったというパターンが多い。
それらの意味については、「ただ己が生きていることを感じることにある」というところまで突きつめることができれば、ほぼ解決へと方向が変化する。そこに意味があるんだ…ということを知れば、外へ向かって何かを求めなくなるからである。要するに、セルフコントロールの1つである。
「己の存在」や「命」の意味、「人生」や「広大で複雑な自然」の意味、「社会」や「政治・行政」の意味など、それらに対する自分なりのスタンスの在り方。
現実の世界で垂れ流されている「物欲満載のCM」で洗脳されないように自己の内面を管理できるかどうかなど…、絶え間なく自分を守ることも必要となる。
死を考えることは重要なことだが、一般市民においては死ぬことを前提にした取り組みの方法は間違っているということを己の頭に叩き込むことが必要である。
最後に、「己が生きていることを感じてどうなるのか」…という問いに関しては、「ある意味において、究極的にはその意味はない」としか言いようがない。つまり、「どれほど追究しても答が見つけられないモノもある」ということを知ることに「本当の意味がある」ということだ。

「2009-12-17:更新」
対岸へ渡った民主党。

お待たせが続いておりましたが久しぶりの更新です。今現在の政治状況を国民はそれぞれどのように感じているのだろうか。
「政権公約」という言葉と「約束」という言葉の存在、そして腐敗のどん底にあったこの国の政治と行政及びその元凶であった自・公連立政権を打倒するためには、非常に限られた選択肢しかなかったということによって、民主党やほかの政党に投票をした多くの国民。
「信じる」というよりも「信じたい」という気持ち、「期待できる」というよりも「期待したい」という気持ち、「何とかしてくれるのではないか」「少しでも改善してくれるのではないか」…というような気持ちが多くの国民の心にあったと思う。
それは「ある種の願い」のようなものであったと感じている。
とにかく選択肢はないのだ…と、まずはそこを踏んでいくしかないのだ…と。国民は自らの決意で一歩前進した。そして政権交代という結果が実現した。
だがしかし、現状は少しずつ好ましくない変化を見せている。
『国民の生活が第一』と連呼していた多くの民主党閣僚議員達が、まだ小さなものではあるものの「小川を渡ってしまった」という光景がある。自・公連立の場合は、大きな船でなければ向こう側へはたどり着けない大河の向こう岸に、国民の税金を湯水のごとく使いながら居続けたという事実がある。
民主党の場合は、現在のところ国民が自力で飛び越えられる程度の小さな小川なのだが、閣僚の大半が渡ってしまったという現実がある。頑強に拒んでいる閣僚や中堅議員、多くの新人議員達もいる。
見えていることの1つには、全国民に対するいくつかの増税政策がある。「増税しなくても財源はある」「特別会計やあちこちに埋蔵金がある」…と国民を説得していたことが消えているという実態。
現在、政権与党の中でも『言っていることが違うじゃないか』と猛反発している議員達が多い。実は総選挙の最中からも、「本部は今こう言っているが、選挙後はこういうことになる事案もあるかもしれない」ということで、『詐欺ではないか』と本部に対して抗議していた議員も少なからず存在していた。その議員などは現在もなお本部に対して猛抗議している。
米軍再編という基地問題にしても、「日米同盟・基地問題は難しい」という『入口』から入ってモノを言っている議員達には、問題を解決する能力も一切なければその意志など全くない。
「日米の構図」は「世界の構図」であり、地球規模で物事を考えられない者達には、絶対に前進させることはできない。「日米同盟・基地問題を何としてでも解決する方向性を考えて実行する」という『入口』から入ってモノを言わなければ、変化など皆無となる。必ず方法はある。その方法の一部については以前にも明記している。いずれも現実で実行できる対処法であり、必要なことは『強固な意志と人間としての意思』だけである。
白い色だった心を持つ人間が黒い色だらけの空間に入り、その結果灰色になったという状況が現在の民主党議員に垣間見える。
人間はどのような状況であっても、強固な意志・意思があれば白い色のままで存在することがだれにでも可能である。なぜ、それができないのか。弱さと恐怖が挙げられるが、それがどうしたというのか。己の中で処理をする小さなことである。
国民は今の灰色になっている民主党を支持した覚えはない。

「2009-12-31:更新」
年末。

本日は2009年の最終日。今年は政権交代という大きな動きがあった。しかしながらハッキリと言ってしまえば、「いい意味において国民にはほとんど何もなかった」となってしまう。非常に残念な3〜4カ月だったと言えるだろう。
「絶対にやります」「必ずやります」という『約束・政権公約』がいともたやすく守られなかった目の前の現実は、非常に深刻な失望のくいを打ち込まれる結果となってしまったものと思う。
急に「財源がない」と言い出した民主党をバックアップしている業界団体への増税政策はまだ何もない。例えば、パチンコ業界などがそれに該当する。10パーセントの数字を決めたとしても3〜5兆円規模の税収があるというのに…。
来年から「国民の生活を第一とする政治」「人の命を大切にする行政」は、根本的なレベルではやはり変化はないものと思われる。
もし変われるとするならば、すでに最悪の自殺者数に対して全力で動いているはずなのだが、残念ながらそれは見受けられない。
それぞれの議員単体で考えた場合には、「命の大切さ」を考えながら懸命に働いている人物も存在しているものの、国家全体という視点からは「焼け石に水」という感じは否めない。
だからと言って、「何もしない国民であってはならない」という気持ちを忘れてはならない。どこでどうなろうとも、国民が人間としての思いと意志を絶対に見失ってはならない。

「2010-01-03:更新」
新年。

明けましておめでとうございます。本年度もよろしくお願いします。
これまでと同様に、苦しんでいる国民の苦痛が少しでも和らぐような本当に正しい流れが発生することを願っております。

「2010-02-20:更新」
国内と海外。

更新が遅くなりました。さて、ここ最近の様々な国内外の動きはどうでしょうか。
国内では凶悪な犯罪が多発し、犯人が逃亡したままの事件も増加傾向にあり、被害者と遺族の苦痛も増大している状況です。
死刑廃止論やその制度を推進しているEU諸国からの圧力も大きく、先だっては国内からEU諸国内へ逃亡した犯人に対する死刑適用は行わないというような一方的な取り決めで交渉を終えたと聞く民主党。
それが最終的に決まったとするならば、被害者の地獄のような思いを一体だれが代弁し、またその報いをどのように徹底していくのか。これでは、凶悪な殺人者はEU諸国へ逃亡しさえすれば死刑にはならないという恩恵にしかならない。
また、EU諸国の中にも絶対に死刑の継続を求めている被害者達を含めた数多くの人々が存在している。その遺族や知人にしても、もし他国から殺人者が逃亡してくるというような可能性を考えた場合、心中はいかばかりか。
ここのところ、民主党は支持率を落とすだけで、何も行ってはいない。議員達の給与は全くそのままであり、真剣に国民の苦痛を理解しようとはしていない。
実際に、中堅議員と若手議員の中には相当な部分で反発している者達がいる。個人的に連絡を取り合っている者もいる。内側から行動を起こすようにいろいろとアドバイスもしている。
メディアでは、いまだに小泉改革とやらを「よかった」という方向で擁護している完全に狂ったコメンテーターなどが存在しているが、民主党もこのまま本道を進めないのであれば、やがては以前の自・公連立やその手のコメンテーターと変わらない存在となるだろう。
凍結したコンクリート事業も60パーセントは復活という体たらく。現実に公約は守らない。しかし、「公約実行」というスローガン。これで国民が信用すると思っているのか。
残念ながら、「豪腕小沢」は「ごう慢小沢」になったという印象も、かつては民主党を支持していた国民の半数から消えることはないだろう。

「2010-03-21:更新」
暗雲の政治。

日が経つにつれ、悲痛な願いを新政権にぶつけていた多くの国民の心が、ドンドン失望の暗雲に支配されつつある。
外交は前政権のように全般的に後手となり、その内容もアメリカなどの狂国に抑圧されたものとなっている。密約にしても「中途半端」な発言と対応ばかりが目立ち、「この連中ではやはりダメだ」という気持ちを人々の心に抱かせている。
政策にしても「説明責任」はどこかへと捨て置かれたままの状態で、国民が納得のいかない内容のまま狂進している現実が噴出している。
政権内でも執行部の強硬手段が支配範囲を拡大し、「民主主義的」な空気はもはやないと言える。この今の姿を政権奪取前の民主党の姿と比較してもらいたい。じっくりと比較すれば、異様な状況であるということはだれにでも理解できるはずである。
かつての政権交代前に国民から支持された民主党などその当時の野党は、「国民の悲惨な現状を何とか改善してほしい」という切実な気持ちを「少なくとも自・公連立よりは多少ではあっても理解している『はず』と思われていた」あの時の姿は、どこで激変し始めたのか。
「権力」という「甘味料」を1日1日食することによって、その「感覚」はマヒしていき、その積み重ねが現状を構成していると考えられる。
「それではダメだ」と考えている中堅議員や新人議員の多くは、意見すら発言できない現状に対して、「何とかしなければならない」という気持ちで行動を開始している。
メディアでは、「決して厳密ではない国内外の様々な数字」をまるで「絶対的な基本」としながら、消費税の話などを垂れ流している。
このままでは、ある意味において以前よりも悲惨な結果が国民を待ち構えているであろうということはほぼ間違いないと考えられる。まずは、結果的に現状よりも悲惨な増税政策がいくつも襲い掛かってくることが考えられる。
『国民の命が、人々の命が何よりも大事』ではなかったのか。薬害にしても、法的結果が出されてから、初めて「それでいいのではないでしょうか」というような「だれにでも言えることをのうのうと発言している」鳩山首相には怒りすら感じない。
人の命のための政治主導とは、法的結果が出されるかどうかとか、結果がどうだとか、そんなものに関係なく、本当に必要なことを確実に実行する命令指揮系統の遂行能力にある。法律がじゃまをするならば即刻法律を変えればいいことであり、またその法改正を待つ必要などどこにもない。我々人類は、クソまみれの法律や規定のために生きているのではない。
生きる意味において「優先順位」を明確にできない者達に、国民の痛みなど理解できる訳がない。

「2010-04-16:更新」
地に落ちていく民主党。

【政権を取ったらすぐにやります!】と、メディアで散々公言していた民主党の発言と態度は、現在跡形すら消滅している。
これは一体どういうことなのか。
【政権公約は国民との固い約束です!】と、繰り返していた民主党の言動は完全に消滅してしまった。
「政策を実行するため」に「政権」というものがあり、その作業(国家プロジェクト)を実行させるために、国民による「選挙」がある。
暫定税率廃止、高速道路無料化…看板の変更や長期計画化は、全腐敗の前政権と何も変わりはしない。
即刻、実現へ向けて行動できないのであれば、とっとと辞めてもらうしかない。平然と「ウソ」を繰り返す「輩」は、国民の敵でしかない。
【高速道路無料化についてのデータ収集に最初のこの4年間を使う】と言い放つ姿勢は、まるで自・公連立と同じである。
そもそもそんなクソのようなデータに一体何の意味があるのか。データ収集方法にしても種類はいくらでもある。交通量も少ない小さなエリアを選び、4年間チマチマしながらデータを集めるという作業に、どれだけ正当性の意味がある政策だと言えるのか。やり方などいくらでもある。日本全土を一気に無料化してデータを収集する方法もある。
何よりも一番批判・苦情が多いのは、首都高速などであり、しかもこれらは高速道路ではない「高速名」の有料道路である。そういうエリアが最初から除外されていることにも大きな問題がある。
【改革には国民の犠牲が当たり前!】と満面の笑顔で得意気に言い放ったレンホウ議員などが行っている事業仕分けにおいても、民主党と関係のある人物が所属する事業内容については完全にスルーという許されない不正を普通に行っている実態。
彼ら(政権与党)に何ができるのか。過去、この日本と日本人、この日本に住む人々を犠牲にしてきた「政治屋」「官僚」「弁護屋」など、悪事を遂行した者達になぜ責任を取らせないのか。なぜ、野放しのままなのか。
凶悪犯罪者や殺人者を野放しにしながら、「平和で安全な環境にしましょう!」と言っているのと全く同じで、「これでは絶対に平和や安全はない」と言い切れる状態である。
異常犯罪者や凶悪な性犯罪者が自由に犯罪を繰り返している社会の中で、「本当の治安がある」「安全だ」と思っている者はだれもいない。
根底にあるガンを表面に引きずり出し、今後は二度と悪さをしないように最先端の更生施設やプログラム、終身刑や極刑を含むすべての対策で、完全を目標とした決死の対応をしないままで、社会に平和など訪れはしない。ましてや懸命に生きている国民の苦痛など消える訳がない。

「2010-04-20:更新」
暴走中の民主党。

あれもこれも約束を守らない民主党。
【予算の組み替えとむだ遣いの洗い出しで財源は大丈夫です!増税しなくてもやって行けるんです!】と、日本全土で公言した民主党。現執行部、中堅議員、若手議員まで同様のことをこれでもかと繰り返し、国民からの支持を得られていた民主党とその連合政党。
トップからの指示でそう公言していたはずであり、それらの発言内容はほとんどの国民だれもが1〜2回は聞いているはずである。
その予算の組み替えなど全くやっていないばかりか、議員数の削減もこれまたやらず、議員報酬や公務員給与も何もかも手付かずのままであるにもかかわらず、【最悪のフジテレビと結託しながら、消費税増税は当たり前!増税する!】というキャンペーンを打ち出した民主党。
消費税についても以前から記述しているが、この日本は消費税大国のイギリスと現時点で自国民から奪い取っているその消費税の総額はほぼ同額なのである。
メディアではただただ何パーセントという【数字だけ】を取り上げ、【日本も上げるのは当たり前だ!】という宣伝文句のオンパレード。
人口も違い、消費税が取られている内容も違い、そのほかの税金も違い、さらにはイギリスなどほとんど無料で手術が受けられる国の制度そのものが違う状態で、【数字だけを比較して少ないから上げるという強制執行で取り上げる】とは言語道断である。
この現在の民主党や連合政党は、前政権の自・公連立よりも腐り果てていると言っても過言ではない。
最初にやらなければならない自らの給料体系の見直しなど完全に無視したままで、【予算がない!】を連呼し、いろいろと増税の方向性を正当化し始めている民主党は、完全に国民を裏切っている。
高速道路の増税制度で集められる税金も民主党を支持している都道府県だけ新しい高速道路や補修工事に使うと決めている民主党。
これまで「財源がない」という理由で様々な増税が日本国民を苦しめてきたが、それらの政策で何も改善などしていない現実。取ったら取っただけ遣い倒し、途方もない借金だけが国民に残っている実態。
増税して取るモノを取り、使うだけ使い、さらには借金までも残っているというこれは確実にキチガイ国家のAクラスである。
新政党も乱発しているが、今のところ国民には、どこにも投票できる政党がない状態である。しかし、投票日には足を運び【白票】を入れる選択肢が残されている。これほど国民を正面から何度も裏切るとは中々やってくれるな民主党。

「2010-05-01:更新」
現実と非現実。

本日の5月1日はアイルトン・セナの命日。1994年の悪年から16年にもなる。日本社会も世界各国も混乱の中に埋もれたまま。
今から約3年前、中国産冷凍毒入りギョーザが日本中で販売されていた。当時のメディアでは、【工場の生産ラインでなければ毒物混入は不可能】という主張をするコメンテーターだけだった。テレビ各局もこれらの放送を繰り返していた。
だからこそ、我々は当サイト上でも、【餃子がパッケージされたダンボールの外側から、餃子の場所を推測して注射針で混入することはだれにでもできる】と明記している。
現在、その行為が可能であったことを逮捕された犯人が証言している。ただし、すべての犯行が【単独犯】なのか、【その方法だけ】だったのかということに関しては、あくまでも断定することは危険であることに変わりはない。
それから、水俣病に関しても、【少し金をやるから静かに死んで逝け】という自・公連立と同じ対処方法を行っている【裏切りの民主党】。金を手にするためには裁判、訴えを止めることが条件である。
何よりも、罪を認めず、病状を認めず、ただ黙らせるという手法。何をやっているんだ長妻大臣。上から言われると黙り込むクセは中々抜けそうにない。暗殺された故石井議員のように闘う意志がそこにはない。
ついでに少しだけ映画の話でも。日本イジメの【イルカの映画】や【デタラメに美化している爆弾処理班の映画】などが、【何の意味もないチンケなアカデミー賞】を取って喜んでいるようだ。
住民にウソを提供して撮影し、盗撮を繰り返して撮られた映画や、根底から間違った戦争、いや一方的な虐殺であるにもかかわらず、人々の視点を真実からそらすために都合のいい方向へと誘導する映画が賞を取るようなクダラナイ世界の現実。
【ハート・ロッカー】について少々明記しておきたい。以前から、尊敬できる職業の人物は爆弾処理班や医療関係者と記述してきた。そのことについては、今後も変わることなどない。
この映画については大きな問題が2つある。1つは、一方的な侵略戦争であり、戦場では無差別な虐殺が今も継続されているという事実が全く触れられていないということ。もう1つは、男女に関係なく現実を知らない監督が映画を制作するとこうなるという部分。
映画の中のシーンで、1つの爆弾に数本のコードで何個も爆弾がつながっており、そのコードをドンドン引っ張ってほかの爆弾をあらわにするというものがある。
が、このような【バカな爆弾処理班は世界中にただの1人も存在しない】ということだ。少なくとも我々は、見たこともなければ聞いたことなどない。
以前に少々記述していたと思うのだが、見せ掛けの爆弾に二重三重に【仕掛ける】方法があり、これは基本中の基本であるということ。
現実の戦場では、爆弾に限らず、武器や負傷者、遺体などは、たやすく動かしてはならない。その場所が砂漠の中心部で、ほかにだれもいないと同時に、何らかの任務を遂行している戦闘員やエージェントでなければ、思うように動かし、死んでもらっても構わない。
しかし、【本当の戦場】ではそうはいかない。周辺の自分以外の存在の命を巻き込む危険性が非常に高いからである。
ましてや、コードを使わずに、その物体(爆弾など)を1ミリ動かせばほかの爆弾が爆発するような仕掛けもある。もちろん、これは仕掛ける側もその作業上では非常にリスクが高い。が、【見せ掛けの爆弾に仕掛け、確実に爆発させるという目的のみ】の場合、間違いなくその方法を選択する。遠隔操作という方法もあるが、遠隔操作が稼動しないようにする対処方法も大きく分けると2種類はあるので、もっとも確実な方法としては、【それ】が選択の第一候補になる。あくまでも私であればということと、絶対にターゲット以外には犠牲者が出ないという確実な条件下で、という架空の話だが。
一般社会の中では、【物をむやみに動かしてはならない】という意識すらない。更に、その仕掛け爆弾の近くをトラックやらバスやら走ると、よからぬ振動で勝手に作動してしまう可能性も高い。よって、一般社会の中では、よほど条件が良好でなければ、まず選択しない方法でもある。
いずれにしても、あのような【現実ではないモノ】をあたかも現実の1つとして放映し、それがデタラメな賞を取り、更にはマスコミやらが取り上げ、【いい映画だ】と垂れ流していることに、怒りを覚えるということである。

Status:2009-10-06〜作成

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