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■今日のコラム4■

更新されたコラムです。

■今日のコラム4■

「2010-08-26:更新」
凶悪犯罪と現実。

最近もこれまで以上に凶悪な犯罪が連続で発生している。欧米のパターンであれば、路地から突然飛び出してきた瞬間に銃を撃ち、そのまま拉致してどこかでレイプし、更に逃走途中の道路周辺に遺棄、または放置する、というような犯罪である。
以前から何度も取り上げてきた凶悪犯罪であるが、全体として日本人の意識そのものはほとんど何も変化がないように思う。特に法廷で裁くという立場の人間がどうしようもない意識のままのケースが変わらずにある。
5年前に広島市で発生した小学1年生木下あいりちゃん(当時7才)のレイプ殺害事件においても、法廷は【ホセ・マヌエル・トレス・ヤギ被告(38歳)に無期懲役を支持した】ことでも理解できる。
自国でも何度も凶悪な性犯罪を繰り返していた凶悪な犯罪者である。このクソ以下の生き物に対し、弁護側は【殺人や強制わいせつ致死について無罪を主張】している。
この事実だけでも腹の底から怒りが収まらないのを感じているのだが、この弁護側や無期懲役を下した裁判官共は、人間の心や意識があるとはとてもではないが考えられない。
凶悪犯罪そのものの意味や凶悪犯罪者の精神分析に関すること、法廷でのあらゆる発言や判決による社会的な影響など何も頭にはない、と言い切れる。
現在までの法に関する在り方は、本当にこのままの状態が継続されるとするならばトテツモナク危険である。
何かと言えば、【殺意があったとするには合理的な疑いが残る】という【狂考】が平然と発言されている極限まで狂った法廷に真実などない。
この【殺意】についても何度も記述してきたが、犯罪者本人を含めてだれもそれを証明することはできない。この重要な事実を正面から検証しないことをいつまで続けるつもりなのか。
こういう部分についても、本来は政権が代わる前の民主党には意識があったはずである。が、今では跡形もない。
この国は、まだ変われない。アメリカには国の中枢と沖縄などを完全に占領されたままであり、ロシアにも北方領土方面を占領されたままである。本当に変われる日が訪れるのか。少なくとも今の政治屋や官僚では無理という言葉しか思い浮かばない。
また、本日の内容とはほとんど関係がないのだが、ついでに記述しておく。先日、小沢前幹事長が出馬するとのこと。その小沢前幹事長は、【僕はアメリカ人は好きですけれども、どうもね、単細胞なところがありまして、えーダメなんですが】という発言をしたとアメリカで騒がれている。
この発言自体の意味するところは、完全に事実であり異論などない。このことは私のアメリカ人の友人や知人もまず基本的に認めている。それは広角な思考や深い考察ができないように計算された教育になっているという部分から導き出されている。それと同じモノが、この日本でも実施されてきたという事実もある。
そういう現実の中で、そういう国の中で、我々国民は何を感じ、何を考え、何をしなければならないのか。

「2010-09-02:更新」
世論への情報による誘導。

昨日から民主党代表選が始まったようだが、党内の議員などに何も言わず【消費税増税だ!】と言い切って参院選を大惨敗し、多くの優秀な議員の人生をも破壊した財務官僚組織のシモベである馬菅(バカン)首相やそのインチキ内閣よりも、暫定のガソリン税廃止の約束を破った現在は豪腕ではなくごう慢小沢前幹事長のほうが、少なくとも政治家と呼べる存在ではある。人間にはどうしても超越できないその人物の器がある。
三国志に出てきそうな名前と化した馬菅首相など、そもそも幼稚なお坊ちゃん政治屋でしかない。過去にしても自分では政治活動の根幹である政治判断すらできないどうしようもない存在である。周辺人物から言われて初めて動き出すような子供でしかない。
どちらかを選択しなければならない局面として、必然的に答えは出てくるだろう。現状として、こればかりは仕方がない。
さて、本日の本題はそのことではない。法務省が公開した死刑場に関することである。
まず第一に、公開してどうするのか?ということだ。それを国民が知って何になると言うのか。コメンテーターや一部の国民の中には、これで死刑判決をしなければならないところで、自分は無期懲役の判決をしてしまうかもしれない、という発言などもあるようだ。
一言で表現すると、バカとしか言いようがない。その程度のことで【なぜ判決に影響が出るのか?】【影響が出ていいと思っているのか?】ということだ。
【惨殺された被害者の存在はどこに消えてしまったのか?】。結局、他人事で終始しているということだ。このようなバカな連中が判決にかかわること自体が異常な現状のシステムなのである。
本当に、国民に対して公開しなければならないことは、【惨殺現場】であり、被害者達の【惨殺遺体】である。
世界中にはびこる死刑廃止論者共は、【現場を見たことがあるのか?】【遺体を見たことがあるのか?】。現場で懸命に捜査を続けている捜査員の心と意志を固くしているものは、現場の凄惨な現実である。
【被害者の苦痛に満ちた表情】と【地獄のような血の海】を見たことがあるのか?
死刑廃止論者共は、凶悪な生き物の命を救う活動をしているようだが、戦場で虐殺されている一般市民のことは何も気にしていない。戦争を本気で反対することなどに興味すらない。
このようなトテツモナイ矛盾しかない間違った主張を繰り返しているバカな輩や人間として存在そのものが矛盾と言える狂った集団など、だれも求めてなどいない。
多くの死刑廃止論者共の主張には、必ず同じことが含まれている。1つには、国際欺まん人権団体のアムネスティ・インターナショナルの存在。もう1つには、死刑制度継続国が廃止・停止している国より少ないということ。更にもう1つには、EU加盟国には死刑廃止を条件としていること。
それがどうしたと言うのか。これらの主張はすべて核心部分からかけ離れた周辺のどうでもいい事情でしかない。物事の本質とは全然離れた場所で強引に主張を繰り返しているだけである。
このような子供だましの誘導ですべての国民がだまされると思ったら大間違いである。死刑廃止論者共は、現実を全く理解などしていない大バカの集団でしかない。次の被害者への責任など夢にも思わないカスの集団である。

「2010-09-18:更新」
判決。

元俳優だか何だか知らないが被告の押尾学(32歳)というチンピラそのものの裁判で判決が言い渡された。被害者とその遺族には申し訳ないのだが、同情する気持ちはない。自ら選んだ行動により結果がある、ということだ。
裁判結果であるが、的を射たものとはとてもではないが言えない。非常に残念な結果である。
論点、争点が適切ではないことが結果に表れている。この極悪なチンピラが行った一連の行動は多くの人々が認識しているものと思う。よって省略させてもらうが、今回の裁判長、裁判官、一般からの裁判員には、判断すべき能力がない。
本来、争点になるべきところは一点。それは被害者が【錯乱状態】になって数分(2〜3分:どのような薬物であっても基本的には1秒でも急ぐ必要がある)の間に、何も考えず反射的に119番通報するという【人間としての根本的な反応があったのかどうか】である。
もうすでに知られているように、このチンピラは数人の人間から何回何十回と119番通報するように言われても、かたくなに拒否し続け、己の保身だけを優先した。被害者の命よりも己の今後の人生や生活が最優先であると考え、行動が終始している非人間性にある。
一言で言えば、本来はその場で射殺しても全く構わない対象であるということだ。外道、鬼畜・・・まず【通常の人間ではない】、と言える。
いい加減な裁判で争点になったことは、119番通報していれは被害者が救命できたのかどうかという実にバカげたものとなっている。
まず、被害者はもう死亡している、ということ。次に、助かったかどうかという未知の可能性についてとやかく問題にすること自体がおかしい、ということ。
2年前からと言われているが、「下着通販会社(ピーチ・ジョン)」タニマチの女社長にあてがわれた六本木ヒルズレジデンスの部屋に居たのは(事実がどうかは別として)チンピラと被害者の2人だけ、ほかにだれが保護者となれるのか?
保護責任者としてその義務を放棄したことはだれもが知っている。命に直結する危険な薬物を使用しているということを認識した上で、119番通報を拒否し続けるということが、どういうことになるのかを理解しながら拒否することを継続した。そして、被害者の呼吸が停止してからもその拒否し続ける行為を最後までずっと継続し続けた。本来この事案は【致死】どころか【殺人】と言っていい。
にもかかわらず、なぜ、【致死】すらないのか。全く理解できないバカげた判決である。
遺棄した時点ですでに致死罪が成立しているという現実がなぜ無視されるのか理解できないメチャクチャな判決である。
過去の裁判では、最高裁で【致死が認められる】という逆転判決の事案もある。最高裁判官には適切な判断を求めたい。

「2010-09-26:更新」
間違った選択と今後。

先だっては、民主党代表選で馬菅(バカン)首相が選ばれてしまった。メディアによる小沢前幹事長に対するネガティブキャンペーンの影響力は絶大だったようだ。
実際には投票数は僅差であり、全取り制度?などにより大差のように見えるだけである。また、民主党内部の会員制度には以前から続いている深刻な問題がいまだに解決されずそのままになっている。今回の代表選択の投票権に関しても、多くの自民党会員に投票権が送られるなどの考えられない問題が全国で発生している。この中には他党会員が故意に重複登録しているケースも少なからずあることが考えられる。
ただし、いずれにしても以前から記述しているように、国民の現実的な問題としては、確実に【政策】で選ばなければならなかったのだが、結局「オツムの弱さ」はいかんともしがたいという結果になった。
以前から、彼ら(菅内閣)を選択する(された)ということがこの国の方向性や国民の生存に関すること全般において、【悪い方向へ決定した】ということを述べている。
その中核となっている人物が【仙谷官房長官】であることはある程度政治を見つめている人々には理解できるものと思う。これまでにも「数々の問題発言」を連発させている非常に問題のある政治屋の1人である。
世界との経済・金融問題や外交問題で悪い手段や発言が多い。具体的に記述することは、もはやバカバカしいので省略させてもらう。この手の「バカで無能な政治屋のこと」はできれば記述したくもないのが本音だ。
現状、日本国民や世界の中でのこの国の存在は、「彼らの悪政&悪制」により非常に危険な状況になりつつあることは間違いない。
中国とのゴタゴタ問題を「那覇地検が決めたこと」などという透け透け度全開のウソをこの仙谷官房長官はイケシャーシャーと公言している。今回の軟弱外交は、過去に日本がテロリストに脅迫されてテロリストメンバーを釈放してしまった世界的に大事件として非難されたものとほとんど変わりがない。
彼らが使っている【国益】とは、経団連所属の大企業の利益のことであり、我々多くの国民、庶民の利益のことではない。
今回の問題とは別の問題でアップアップ状態の検察への圧力には、経団連からも行われていることは一部メディアでも発覚しつつある。
彼らが日本人の生存のために、日本人の生活のために、これまで何をしてきたというのか。そこには何もない。皆無である。【搾取】という文字以外には何もない。
日本人が日本人の心と魂、意識を取り戻すためには、これらの連中を本気で排除しなければならない。そこを通過せずに、問題解決への通り道などありはしない。
この国も他国と同様に、ほんの一部の悪生(あくしょう:悪い生き物の意)とでも呼ぶべき「輩」に支配され、搾取され続けている。
馬菅首相は、国連の場でも「『最小不幸社会』を築くことだ」と強調して発言しているが、この言葉の真意をキチンと理解している者は少ないと思われる。
まず、国民にとって【何(事象)が不幸の対象】なのかが全く示されていないことから大きく欠落した問題がある。国民側には、その対象はいくらでもある。仕事がない不幸、犯罪者の犠牲になった不幸、政治・行政に保障されない生活を強いられている不幸・・・。
この「最小不幸社会」の意味は、【ある程度の犠牲は容認する】という意味が根底になければ、通常の人間は絶対に使用しない表現であるということを通常の理解力を持った全世界の人々は認識していることである。
普通の場合であれば、【不幸のない社会】という表現を使うのであり、現実としてそれが途方もなく大変な作業であるということを踏まえた上で、理解した上で絶対に使用しなければならない表現である。そこに【本当の意味での責任】がある。
彼らは、1万人、10万人、100万人、1000万人のトテツモナイ不幸に苦しむ人々が存在していても、「ここのこの部分でこれだけ努力したから仕方がない」という論理を国会でもどこでも平然と使用し、仕事が終われば帰って風呂かシャワーを浴び、メシを食らって寝るだけの話だ。
それが、「政治屋」という職業であり、「官僚」も同様であり、「国家公務員」の多くも同様なのである。
だれが【自分の責任】において仕事をしている者がいるというのか。かつて存在したか。少なくとも近年の政治家・官僚・国家公務員に【責任】という意味が正常に使用された痕跡など見当たらない。
何も変わらない政治と行政、国のシステム、それらの【根幹】が継続される限り、国民には何もない。更なる不幸しか経験しないことになる。

「2010-10-05:更新」
多発する殺人事件と機能していない法律。

前日の10月4日、薬中殺人者の被告、押尾というチンピラがなぜか保釈された。この国の法の在り方は根本的に狂っている。
他者を死に至らしめても【保釈金】というクソまみれの紙幣があれば、実質的にだれでも自由になれる。こんなバカげたことをいつまで継続させれば気が済むのか。
全国では平日でもほぼ毎日のように数件の殺人事件が発生し、週末ともなれば5〜10件の殺人事件が発生している非常に危険な国になってしまった日本の社会。
人を殺しても、どのような殺し方をしても、どのような目的を持って殺しても、殺害人数が少なければ数年で罪が消え、自由になれる国、日本。
その一方で地の底から本当に発生している遺族の悲しみと怒りは極限にまで高まっている。
今後、懸念されることとしては、被害者遺族の実質的な報復行動が考えられる。これは近い将来に起こる可能性がある。いや、現実的にはすでに発生していると考えられる事案も少なからずある。残念ながら詳細は記述できないのだが、過去にレイプまたは殺人事件を犯した凶悪犯が殺害されたケースを調べてみるといいだろう。
現在、毎日数件の飛び込み自殺が発生し、殺人事件もほぼ毎日のペースでニュースの中に存在している日本社会。警察にしても検察にしてもその【質】が低下していることは否めないことを人々が認識しつつある今。
政治・行政の混乱、狂っている政治屋と官僚の存在、この国の在り方そのものがいかにオカシイのか、世界の国々と比較してもらいたい。あらゆる面で異様な国の実体&実態が理解できるはずである…バカでない限り。

「2010-10-20:更新」
自・公よりも最悪の政治。

国民が望んだ正しい政治・行政が行われる政権交代は、はかなく消滅している現状。そもそもいきなりガソリンの暫定税率廃止を急きょ中止し、説明責任すら放棄したにもかかわらず、国民には理解と了解を得たと平然と勝手に決めて、そのことを公言し続けた時点で、小沢元代表・元幹事長と民主党全体に対する【期待と信頼したいという気持ちは消えた】という現実を多くの民主党議員共はいまだに理解すらしていない。
以前より記述しているように【中堅と若手議員】には正しい意志を持っている者達が大勢残っていることが唯一の望みとしてあるにはある。問題はどこの企業でもどこの組織でも同じだが、その内部において権力を牛耳っている者達を倒し、排除できるかどうかということだ。
己のすべてを懸けてそのことをいかに実行できるのか、その強固な意志を持っている者達がどれだけ存在しているのか、ということが最大のポイントになる。
今現在、表面上では【国民の生活が第一】というスローガンを使ってはいるものの、実質的には全く逆で、かつての狂人小泉君が先頭だった内閣と同様かそれ以上の悪い政治を【様々な場所】で行っている。残念ながら中堅・若手議員にそれを止めることはできていない。
天下り問題も【表下り】を堂々と行えるという方向に決めたことで、状況としては更に悪化していることをどれだけの国民が理解しているのかは分からない。
国民の借金に関する問題も本末転倒どころの話ではなく、最悪の状態へとシフトを変化させたと言える。本来であれば、借金をせずに生活できる環境を作り、貸し手側には強力な規制を与えなければならないのだが、【借金は収入の3分の1まで】というこれまで以上に更に国民を苦しめることを強行している。
そして、自殺と犯罪が増加するという現実を発生させている。先だって、貧困が犯罪を生むというこれまでのデータが一時的にしろくつがえされたという情報がアメリカ発であったのだが、その【わずかな期間の情報】にどれだけ正しい現実が入っているのかは分析すらできないいい加減なものであり、全く評価できるものではない。貧困が90〜95パーセント以上の犯罪を生み、異常凶悪犯罪の発生は数パーセントの脳・精神機能障害によるものであることは、絶対にだれにも変えられないものである。
横道にそれたが、この問題についても数年前に記述していた。【震源地はアメリカとイギリス】である。この人間の世界を支配している銀行と各宗教の存在。その銀行という金を操る巨大な世界規模の組織が中核となり、ここに各国の財務省、大手企業などその利益をむさぼろうとする悪意ある生き物達が集まり、まず一般の人々への物欲・食欲・性欲の3大欲望を刺激する世界的な戦略を実施した。
しかし、これには元となる資金を国民が持っていることが大前提となる。【景気】というクソのような言葉に代表されるモノが、更には何を意味しているのか理解できないが【好調】とされていた期間はそれでも流れていたのだが、人々の財布の中身もそう続くものではない。そこで生活自体を継続するためには【借金をしなければならない】という人々の存在を当たり前にしようという戦略に変えていった。これは今、目の前にある全世界の現実である。
毎年のようにアメリカでは100兆円以上の借金(財務赤字)が発生し、この日本でもその数字が強大化している。国民から搾取されている膨大な税金は一体どこへ消えているのか。それでも借金が増加し続けるのはなぜなのか。もちろんアメリカの属国である日本人の税金は、毎年数十兆円がアメリカに搾取されている。
最近実施された円高への異様に遅く、また意味のない介入における数兆円の日本国民の税金の中には、世界中への悪影響を発生させたアメリカの中古住宅を購入することに使われているものがある。が、ほとんどの日本国民は事実すら知らないままである。
公約など、どこに意味があるのか。民主党が国民への約束としていた公約の内容は、そのほとんどが何も実施されてはいない。現在の政権は、財務省とそこに介在しているアメリカ政府の言われるがまま政権である。

「2010-11-02:更新」
不可解な判決・・・耳かき殺人事件。

今回の無期懲役という判決は決して妥当なモノではない。完全に間違った判決であるということをまず述べておきたい。繰り返すが決してプロの判決ではない。
昨年、被告の林貢二(無職42歳)が客として通っていた耳かき専門店の店員だった江尻美保さん(当時21歳)と祖母の鈴木芳江さん(当時78歳)を被害者自宅へ侵入し、虐殺した事件である。
まず、この判決であるが、裁判の途中経過で発表されていた「裁判員の被告への質問内容などから、『極刑を求められる連中ではない』という判断をしていた」ため、この結果になることは予想していた。
2人の被害者が虐殺されているその凄惨な内容を知りながら、被告に対して「戻れるならどこの地点に戻りたいですか」というようなゲームオタクの発想であるバカげた質問をするオメデタイ連中が、物事や現実を適切に受け止め、かつ分析及び理解し、更に冷静な判断などできる訳がないからである。今回の裁判員には、その手の「変わった質問が多かった」ことから、『無理』だという予想は容易であった。
この裁判員制度であるが、そもそも大きな問題がいくつかあるのだが、その1つに裁判官達がこれまでの経験から判決へつながる判断内容を裁判員達へ提供すること、つまり「誘導」に近い形で進行することにある。これは非常に危険なことであり、その状況を常に客観的な視点で注意しながら作業をすることは、一般市民の素人には無理だという問題がある。
彼らは「適正な判断」「公正な判断」という言葉を使用し、それができたという【勝手な思い込み】をしていることにも大きな問題がある。ハッキリと言っておくが、彼らには【正常な判断などできてはいない】。
何よりも「若園敦雄裁判長」から正常な判断ができていないというのに、全くの素人に適切な判断ができたということが思い込みであることの2番目の証拠である。
被告は自分に都合が悪い内容のことは「すべて記憶にない」と言っている。そのことは裁判長、裁判官、裁判員、傍聴席の市民など全員が知っている。被害者の遺族、友人、職場の同僚達からの率直で正しい意見は、【この裁判でも排除されている】ことを彼らはどのように理解しているのか聞いてみたいものである。
1983年の最高裁判決が示した「永山基準」にしても、この基準というポジションの存在が不適切である。事件の内容はそれぞれが千差万別であり、参考基準にするのであれば、その都度「比較的近い内容の事案を数件提示する」ことがプロの仕事の基本である。その場合でもあくまで参考基準であり、【本来はそのようなモノを必要としてはならない】のである。
各事案に対して、徹底的に分析し、その事件の中に、その加害者の中に、何があったのかを単独のこととして追究しなければならない。これを実施することが当たり前のベースとして、人間社会の中に定着させなければならない。
事件や事象は、似ているケースが存在しているが、決して同一ではないということを忘れてはならない。それができない場合には、逆に「同一犯の連続殺人事件」などを摘発できないことになるという別の問題も発生させてしまうからである。
よって欧米では、連続殺人事件などは、通常の捜査機関の連中とは別の特別な捜査員から編制される部署が置かれている。殺人事件に関しても、通常の殺人事件とは別に猟奇殺人事件だけを捜査する部署もある。
それでは本題に入りたいと思う。
以下が「永山基準」と言われているどうでもいいモノである。
犯罪ばかりではなく、人間そのものの分析においても特に重要で必要なモノは、「1:犯罪の性質」「3:犯行態様、特に殺害方法の執拗性、残虐性」「6:社会的影響」の3点の要素である。もちろん、「4:結果の重大性、特に殺害された被害者の数」の「前半部分にある『結果の重大性』(数は問題ではない)」も重要であり、更に遺族としての「5:遺族の被害感情」は別の要素として非常に重要である。
ほかの項目「2」「7」「8」「9」はどうでもいいどころか全く関係ないと言って差し支えないモノばかりである。加害者が被害者に対して【何をしたのか】ということが重要な部分であり、その部分を分析及び理解するために必要かどうかという判断こそが必要なのである。
が、今回の無期懲役になった理由には、判決文から「2:犯行の動機」「8:前科」「9:犯行後の情状」が思い切り【混入】されていることが理解できる。
判決文の要旨。
単純にどれだけバカバカしい内容か理解できると思うのだが・・・。
1つ目の「極刑に値するほど悪質な動機ではない」という理由。「何人虐殺しても、動機が『金銭目的』などでなければ極刑にはならない」というトンデモナイ【林基準】を作ったことになる。これは今後の裁判員制度と日本社会の凶悪犯罪、ひいては人間社会に対して、トテツモナク大きな悪影響を確立したと言える。問題は被害者が殺害されたということであり、動機(理由)は関係ないのである。考慮すべき点があるとすれば、加害者が被害者から暴力を受けていたとか、殺されそうになったというような正当な状況があったのかどうかということである。
2つ目の「(祖母の)芳江さん殺害は偶発的」という理由。被害者自宅へ江尻美保さんを殺す目的で行くことを考えた時点、決めた段階で、自宅にはほかの家族がいるということは【小学1年生】でも理解できることであり、決して偶発的なものではない、ということだ。例えば、だれか友達の家に行ってみようと考えた時に家族がいるかもしれないということは小学生でもごく自然と考える程度の非常に当たり前なことである。よって、「計画性がなく、被告にも想定外」という判決内容、判断内容は根本的に間違っているということだ。
3つ目の「前科もなく、まじめに生活してきた」という理由。まず、過去の犯罪について国家機関に記録があるかないかということと、実際に犯罪を犯したことがあるのかないのかということは別であるということだ。更には、初犯であろうがなかろうが、その残虐性と殺人しかも複数の被害者が突然犠牲になったということが重要であるということだ。
4つ目の「深く後悔し、被告人なりに反省が認められる」という理由。法廷や留置場でそれなりに反省しているような態度が見受けられれば、複数の人間を虐殺しても極刑にはならないという、これまたトンデモナイ【前例】を作ったと言える。これも非常に大きな悪影響を確立したと言える。
これらの判決内容からして、今回の「若園敦雄裁判長」や極刑を支持しなかったほかの裁判官や裁判員達には、【心の内面に2つのドアがある】ことが容易に理解できる。
人間には、一般的にほとんどの場合、2つの考え、要するに両サイドの考えがある。今回の場合、「極刑か」、それとも「極刑ではなく無期懲役か」というドアである。この2つのドアがある連中は、【素人】であるということを証明していることになる。
この判決においても、本来は【何もない心と精神で事件と対峙しなければならない】のだが、最初から2つのドアが用意されていたことに問題がある。目の前に2つのドアがあれば、裁判員達の心のドアも必然的に2つになる。
この場合、発生することが【死刑決断への躊躇】である。判決後の裁判員からのコメントでもそのことがあちこちで理解できる。何よりも「自身で死刑への決断をすることへの恐怖」や、「その後の生活・人生でトラウマになるのではないか」という懸念に関することが起点となっている発言が見受けられたことから、犯罪者への判断から、自分自身に対する思いへと判断基準の重要度が変化したことが露呈している。
今回伝えたかったことは、本物のプロは【心にドアそのものがない】ということである。目の前の事案・事象とまっさらな状態で純粋に対峙することが基本であるということだ。
これは、【当事者】であれば当たり前のことになる。戦場でも一般の環境でも何も変わりはしない。決断とはそういうものであり、ドアがある者達は、極限状態では、まず生き残れはしない、絶対に。正しい判断とは、的確な決断とは、決して周辺から影響されるものではない。
影響されたり、躊躇する者達は決して生き残れはしない。判断するための基準を自分自身の感性と人生経験から確立していなければならない。それはそれぞれが自分自身と向き合い、日常的に努力するしか方法はないのである。
優秀な特殊部隊や諜報部員、戦士と呼べる戦闘員達において、その努力を怠る者は存在しない。それは、一般の市民でも同じ事である。
日常は、「あれがほしいこれがほしい」「あれがみたいこれがみたい」という欲望ばかりを追い求める内面しかない者達が突然重要な決断などできる訳がない。
数年前に一度だけ記述したと思うのだが、特殊部隊や諜報部員の世界では、「哲学的に一般市民には生きる価値がない」という考えがあるのだが、その考えを形成している要素の1つに「それ」が入っているということを記述しておく。

「2010-11-03:更新」
ジャーナリスト黒木昭雄氏の不審死。

ほとんどのメディアが無視している元警察官のジャーナリストで精力的に活動をしていた黒木昭雄氏(52歳)の不審死。11月2日の午前11時5〜10分ごろに、父親の墓がある千葉県市原市今富の寺の敷地内において、ステーションワゴンの後部座席に練炭を置き、【助手席】側で死亡しているのを息子に発見された。
メディアによっては、【遺書があった】と記述していたり、【遺書は発見されていない】と記述しているところが複数あったりしている。また、asahi.com(朝日新聞)の第一報には「ここ数日、所在が分からず、家族が探していたという」記事が掲載されたもののなぜかすぐさま削除されたという不可解な点もある。情報自体は、昔から繰り返している不祥事と権力暴走中の警察からリークされることはだれでも把握しており、なぜデタラメな情報がリークされたのかを追及することは可能である。それにはご遺族の行動が必要となる。朝日新聞と警察に対して行動するということになる。
黒木氏は前日の11月1日、家族に『仕事の打ち合わせに行く』『東京都内に泊まる。墓参りをしてから帰る』と伝えてから外出し、当日は帰宅しなかった。この1日の午前・午後にはブログやツイッターを更新したり利用している。これまでの更新内容や発言内容からは自殺する兆候は見られない。
最近の活動内容から個人的にその身辺を危惧していたジャーナリストの1人であった。過去においてはメディアに出演していたこともあり、分析能力に関しては、題材により的確な場合とそうではない場合もあったものの、【権力の闇】に対する正義感を心に持ちながら活動をしていた人物である。
初報からイキナリ【自殺の可能性】を強く示す報道にはいつもながら驚かされる。助手席側で練炭自殺という状況からは、いくらでも【他殺の事例】が浮かび上がるのが自然な人間の反応であるはずなのだが、どこのメディアもジャーナリストも「素通り」状態であることが、この国の闇の深さを物語っている。
不可解な点があることを無視するということは、真実そのものを無視することと同じことであり、生きている現在進行中の己の命でさえも否定することになる。メディアやジャーナリストが平然と無視をするのであれば、その存在に意味など皆無であり、この世から消え失せるべきである。
自殺の可能性が完全にゼロとは言えないが、遺体や死因を徹底的に調べてもいない段階で、勝手に自殺の可能性を強調する権利はだれにもない。そのような無責任なことをテレビ会社や番組の顔として、更にはジャーナリストとして平気で行える神経は並ではない。クソのような輩と言っていい。
黒木氏の活動は、「栃木リンチ殺人事件」「記者クラブの独占」「岩手17歳少女殺害事件」など様々なケースについて調査をしていた。いずれも深刻な警察の汚職に関するものや政治家・官僚などが関与していると示唆される事案が多かった。しかもそれらは今現在において進行中のものである。
いろいろと調査のポイントになる項目はある。
また、家族には心配させないようにという思いから、周辺での異変について伏せていた可能性が高いと考えられるが、もし何かをご遺族が聞いているのであれば、勇気を持って公表していただきたい。
それから、ご遺族が弁護士などと協力して何ができるのかについて話し合いを持たれ、可能であれば行動することを願うばかりである。しかも早い段階での行動が望ましいと考えられる。残されているであろう【証拠】が次々に消される可能性が高いからである。

Status:2010-08-26〜作成

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