お弁当・・・って、
誰でも、必ず思い出にまつわるエピソードがあるものですよね。
私の幼い頃、勿論、小学校時代から給食でしたが、土曜日だけはお弁当持参だったように記憶しております。
アルマイトのお弁当箱に、ご飯が染まるほど真っ赤なウィンナーが入っているのが、あの頃の流行でした。
小学校の運動会といったら、地域をあげての大イベントのひとつでした。
(敢えて、言わせて頂きますが)子供たちの成長を、地域がらみで応援していた・・・そんな時代でした。
運動会の早朝、母親の作るお弁当は、
米俵のようにゴロンゴロンしたお稲荷さんが、重箱にぎっしりと詰め込まれていました。
煮物や焼き物、漬物、ゆで栗や梨、青みかん・・・
子供は、兄と二人なのに、何故こんなに沢山作るのだろうかと不思議でした。
さてランチタイムになり、両親のところに直行すると…
あちこちのシートが繋がり、ご近所の人達が集まっての大宴会になっていたものです。
あんなにあったお稲荷さんは、あっという間になくなっておりました。
大人になって、お弁当を自分で作るようになると、朝昼晩、3食とも同じものを食べていました。
誰かと一緒に食べたいな・・・、ちょっぴり人恋しさも味わいました。
そんな寂しかった思いから、、私の胸の中に、何か執念の種みたいなものが蒔かれたのでしょうね。
家庭を持ち、今度は夫の為に、そして歳月と共に、子供の分も加わってまいりました。
お弁当作りは、なるべく季節感のある食材を取り入れたり、
味が染込む時間を考慮したり、冷えても美味しいと感じる調理の工夫をする楽しみが有ります。
蓋を開けた時の顔や友達とどんな会話が弾むのだろうかと、想像しながら作る楽しみがあります。
でも、夫は違っていたようです。(最近、知ったのですが)昼食に対しての思い入れは無いそうです。
・・・がっかり・・・、
私は、自分で作ったお弁当でも、皆とお喋りしながら食べる時間が楽しみだったのですが。。。
長い歴史の中には、思いっきり失敗したお弁当もありました。
愛情が感じられないものや、寝坊して、冷蔵庫に残った物を無造作に詰め込んだだけの時もありました。
でも、そろそろ、私のお弁当作りもお役御免になる頃ですね。