本堂再建

完成の慶び

あの日あの時

前坊守 井上五百子

平成19年7月16日10時13分、M6.8の地震発生、聞光寺本堂及び鐘楼全壊す。

盆内会は14日に終ったあとだし、幼稚園は「海の日」の祝日でお休みだったので人身事故なし。

住職は米山台の栗林さん宅の法要に出かけ、坊守は幼稚園へ印刷仕事に行き、孫はまだ2階だ。

松刈職人さんが二人、庭の松の木の手入れをしていた。私は10時になったのでお茶の用意をして「植木やさーん、10時ですよォお茶にして下さい。」といって縁側に置いて台所に戻った所でドーンとすごい音と共に突き上げられたのに何が起きたのか一瞬わからない。

さてはゲンパツが爆発したのかと思った。次にゆらりゆらりと大きくゆれた。地震だァ逃げようにも椅子から立ち上れない、やっと立ったがゆれが激しくて立っていられないので柱と食器棚の角につかまろうとしたら食器棚がぐらっと倒れてきた。あゝ押えなくちゃと思うがそれより逃げなくちゃと思う間にガシャンと倒れて殆どが割れてしまった。座り込んで上を見たら落ちてくるものがないので、ゆれが治まるのを待つ。47秒の出来ごとでした。やっとゆれが治まって我にかえり、この家に誰がいるのかなあ あー石川さんだ、「石川さん大丈夫ですかァ」「奥さん大丈夫ですかァ」「外に逃げて下さあい」といって立上るが 北面の冷蔵庫は一米も歩いて来ているし、東面の冷蔵庫は勝手に戸が開いて中のものは全部ドドドッと外に落ちている。それを乗り越えて台所口へ、外を見る一面霧がかかっているようだ。墨絵の世界のようで木々の緑が見えないのだ。角の岸さんちの近くで青煙が動いた。一瞬火事だと叫びそうになったが、土蔵の土けむりだった。坊守が外から「本堂がつぶれたァー」と叫んでいる。まさかと思ったが本当に本堂は倒壊してしまった。六間半も北側にとんだ、鐘楼は南側に寝てしまった、お墓は213基塔落したりずれたりした。

石川さんが前住職の写真を持って出て来て下さる「ありがとう 自分のことばかりで 忘れていた」電話がなった。東京のいとこが「テレビで見た大丈夫か?」「本堂がつぶれちゃった」と言う。住職にケータイするが通じない。幼稚園の非常電話も通じない。2人の娘の所と実家に電話する、あとは停電全部不通住職の所にはとうとう通じない。

11時頃住職は帰寺する「本尊様は?」「まだ本堂の中見てないョ」

余震がつゞきその度に外へとび出す。昼すぎ小千谷の専正寺さんとつくし幼稚園の先生方が救援物資をもってかけつけて下さる。ありがたくて、うれしくて急に涙が湧いてくる。

住職と専正寺さんの御住職、珍相寺さんの御当院、橋先生、山田さん達が本堂の中にもぐって本尊様さがしをするが、なかなか見つからない。その間にも余震があり、その都度「ヤメテー逃げてー」と叫んでしまう。3時頃震度5位の大きな余震があり生きた心地もしない中、3時半頃やっとご尊顔が見つかり、体も3つに割れて見つかった。

本堂がなくなれば、庫裡の奥座敷を仮御堂にしなければならないのだ。床の間は花瓶が倒れて水浸し、その上香炉がころんで灰だらけの所を大急ぎで片づけ、いつでもよいように準備をする。

三条教務所の所員さんが2人駆けつけて、軸だんすと、法衣だんすを運び出して下さった。

翌17日には、京都の若林さんから、安原宗務総長から電話を貰ってわかったのでと3人駆けつけてきて、すぐに本堂の中にもぐって大事なものを探し出して下さる。本堂の中は材木置場の如く大きな上道具が散乱して山積みという有様である。

「あしたは若い衆が10人応援に来ますよ」という言葉に若林さんとこに若い衆が大勢いるんだなあと変に納得する。

翌18日は朝早くから本堂の中のものを運び出し、ピアノも不二の職人は諦めろといったのを10人がかりで出して貰った。

欄間も7面無傷に近い形で運び出して貰う。あとで聞いたところ関市の亀山さんとこの若い衆だった。1日中休みなく働いて大事な物を見つけ出し、外へ運び出して下さったのです。若林の石垣さんは1週間位通ってきて下さいました。

軸ものは修復できるが真鍮の仏具は殆どがぺっちゃんこにつぶれて修繕は不可能である。私は全く茫然自失の状態であった。庫裡の被害は少なくてすみ助かった。

この庫裡を建て替えるのでも大変だったのに、本堂がつぶれたとあっては、再建はどうなるのだろうか。私の生きているうちには無理だろうなあと思う。全くえらいことになったもんだ。

若林の新谷さんに聞いて見る「本堂を建てるってどの位かかるんでしょうか」「今、富山のお寺を建てている亀山さんに聞いてみたらいゝですよ。明日(19日)社長さんが地震の様子の調査においでになりますよ」翌日亀山社長さんがおいでになり、因縁あって亀山さんおお世話になる初めての出会いとなりました。若林さんが亀山さんは寺社建築ではすごい人ですよと紹介していたゞいたお陰で、亀山さんとは因縁を結ぶ事が出来たのでした。

電話は夜9時頃、電気は12時すぎに、水道は23日、ガスは8月12日復旧した。

全国の有縁の皆様からいろいろの救援物資を送っていただきありがとうございました。

ペットボトルや、食物は檀家さんや近所の人達といただきました。

つかい水に困るといったら赤倉ホテルさんが20リットルボトル8個と夕食を4日間も運んで下さり大助かりしました。

朝から殆ど1日中頭の上をテレビ、ラジオ、新聞社のヘリや飛行機がウアンウアン、ブルブルと話し声も聞えぬ程賑やかだ。

京大、東大、東工大、名工大、富山大、新大の先生方が調査に次々とおいでになる。その度に地震ガイドもどきをしなければならなかった。

―当時のメモより―


あの当時を思い出すと切ない気持ちで一ぱいとなりますが、今こゝに皆様方のお陰様で本堂が立派に再建されましたことは誠に有難く心より感謝申し上げます。ありがとうございました。

合掌