ホームページ開設趣旨等について

いつの時代にも 生と死は人間にとって重大関心事であり続けてきました。でも誰もが生命の誕生は慶び事として大いに祝福するのですが、死に関しては、例え天寿を全うした人に対しも、一抹の悲哀を込めておくります。
それが当たり前のようになっています。確かに別離の悲しさは人間らしい情愛の発露であり、自然な感情の流れです。そして長い歴史が繰り返してきた心の場景でもあります。しかし只々死を悼み、悲しみに沈むことが死者への礼儀であり、はなむけであるという定まりには、疑問を感じます。喪失というマイナス面だけを強調することは、死を恐れ否定し続けるという結果につながるからです。
古くから 生老病死という言葉には声を潜めてしまうほど、人は病気を恐れ、肉体の老化を厭い、死に対する不安を払拭出来ずにいます。それは、肉体生活の豊かさを至上とする快楽嗜好の裏返しでもあり、今日まで精神的な分野という、目に見えない事がらに対して、考察を深めてこなかった事と無関係ではありません。
それでも、自分あるいは愛する人たちにも、いつの日か必ず死は訪れます。それなのに生から死へという大きなテーマの中で、生の分野だけに焦点が当てられ続けるだけでいいのでしょうか。自分の死という現実から目をそむけつづけても、いつかはその日が訪れるのは皆同じです。
“死”を考察することは、宗教思想を議論することではなく、日々繰りかえされる今をより良く生きるための心がけを考えることでもあります。
私たち自身の肉体は休むことなく24時働き続けています。誕生から大人へと成長する間も生命活動は休むことがなく、有限の時間を先に進めます。でも限りある生命の働きとは肉体の機能のことであり、その機能を働かせている生命の根源があることが認められていません。
でもそれを大生命と表現すれば、私達はその大いなる働きの一筋であり、大生命からうまれた小生命であるといわれています。
ということは小生命である人間は肉体という生命機能の働きを失っても、大生命とのつながりは終わらないという考察が成り立ちます。そうした考察が生命原理として、科学的に解明されるという可能性があるのです。それをそのまま素直に信じることができれば、死に対する不安を描くことはなくなります。
信じる世界が意識の中に生まれるからです。生ある間に死を恐怖しなくてすむ道を自分の中に確立することはは必ず出来ると私は信じています。このホームページでは、そうした明るい死生観や永遠の生命について考えてみたいと想います

お読みいただいたき 有難うございます
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