花凪日誌

2004年10月1日

咲き始めた菊の花 北海道財務局の公務員宿舎幌北住宅整備事業の実施企業が決まった。同事業(2004−2007年、約52億円)は札幌市北区北24西10の約1万5千平方メートルに416戸の国家公務員宿舎を建てる事業だが、PFI方式(公共工事を施工から運営・維持管理まで民間が受託)や商業施設、地域住民・福祉関連サービス施設などの諸機能も盛り込んで新しいまちをつくるという構想が注目されている。花凪は、A社グループが計画の地域サービス運営体の手法や運営にアドバイザーとしてかかわることになっていた。結果は清水建設ら四社グループとなったが、A社グループ案関係者は「次は花凪方式の実現を」と。花凪は一歩後退でも二歩前進です。ハローワークのヘルパー実習生受け入れ開始。

2004年10月8日

花凪家族のMさん、Tさんの青森のお身内が来訪する。お身内もまた花凪の家族。しばし、楽しく歓談す。

2004年10月9日

この日の「花凪・今日だけ酒場」は武田幸男(ピアノ)、中村俊哉(ベース)、佐藤茂和(アルト・サックス)のジャズ・ライブ付き。3人の演奏はまだ二回目だが、息が合って気持ち良し。それが何よりジャズの気持ち良さ。「枯葉」「A列車で行こう」「マイ・ファニー・バレンタイン」など5曲堪能す。専門学校生や福祉事業をやる予定などという人たち、地域の人12人が訪れ、花凪特性のひょうたんマラカス、ガムテープパーカッションを手にしてのトリオとのセッション(「オクラホマ・ミキサー」)も盛り上がった。

2004年10月13日

十勝からバスで総勢25人、豊頃町社会福祉協議会関係者が視察来訪した。同町でグループホームを新設する計画があり、その機運を盛り上げ、同時につくるものの目指すべき姿を考えるためにとか。花凪の福祉の理念、理念を実現する具体的活動、活動を実施するために欠かせない人材確保や人的ネットワークづくりなどについて理事長が説明した。物事を学ぶことは簡単だが、それを行うのは難しい。

2004年10月14日

ここ平和で魔女人形をつくり続ける"魔女おばさん"こと三角さん、友人でヘルパーの仕事をするという谷口さんが来訪。実際を知り、花凪に一層興味を深めてくれた。

2004年10月16日

NPO「チェルノブイリへのかけはし」主催の活動団体フリーマーケット(中島公園)に参加する。今年最後の開催。販売を花凪会員の鈴木さん親子、佐藤さんに手伝ってもらう。冷え込んだけれど、空は青空、売り上げも上々。塵も積もれば山となる−売り上げは貴重な活動資金に。

2004年10月18日

種まきも苗の移植作業も遅かったのだが、やはり、たくましい。菊の花が咲き始めた。古代中国の風習を受け継いで、日本でも菊の花の露を飲むと長寿を保つとされた。花凪家族に長寿あれ。

2004年10月20日

佐藤純子さんの今年3回目のクッキング教室開く。つくったのはみたらし団子、見事に丸いお団子が出来上がった。

2004年10月23日

音楽グループ「あみゅぜ」の10月コンサート開く。ピアノソロ、ピアノ連弾、クラリネット独奏、ソプラノ独唱、合唱とさまざまなパターンでポピュラー、童謡、クラシック、オペラとさまざまなジャンルを楽しませてくれた。締めくくりの季節にちなんだ日本の唱歌メドレーではみんな一緒に歌った。お年寄りたちはちゃんと歌を覚えている。それだけ音楽はすごいということか。最後に花凪の武田幸男が飛び入りし、ジャズとクラシックの競演となった。「あみゅぜ」の沖中嬢と「A列車で行こう」「星に願いを」をピアノ連弾した。息もぴたりの演奏。やはり音楽はすごいということか。

あみゅぜの10月コンサート ジャズとクラシックの競演:沖中嬢と武田幸男

2004年10月26−31日

福井に開設する花凪3号館、最終段階の整備に入る。もう少しでオープンへ。

2004年10月28日

花凪カンファレンス会議開く。

※札幌は少し降ったみぞれで26日が初雪の日となり、夜からは雪が降り続いて、翌日は銀世界に。降っては消え、降っては消え、積もる雪はまだ先だけれど、冬到来です。台風の上陸が相次ぎ、地震が新潟を襲った。直撃されてしまうのは高齢者や子供たち、被災地で駆け回るのは市民やボランティアたち、視察には駆けつける政治家たち…。支えねばならないものがあり、支えるためにすべきことが問われている今を見るようだ。花凪は、寒い冬にこそぬくもりを−で。

2004年11月3日

手芸品展示即売会 手芸品即売会&フリーマーケットを開く。ランチマット、鍋敷き、コースター、エプロン、食器洗い、小物入れ、人形、写真立て、ペーパーウェイター、壁掛けなどのインテリア、クッキー、ケーキ、パン…。手芸品即売会では花凪や花凪の応援者が縫い物やパッチワークの手技、アイデアなどを駆使してつくった品々を並べた。あいにくの雨模様もなんのその、2号館前にフリーマーケットを出す。あいにくの雨模様に客足はいまひとつだったが、売り上げは貴重な活動費に。

2004年11月6−7日

鵡川のシシャモ&布施旅館お楽しみ一泊旅行行う。今年の参加者は10人。シシャモが旬の鵡川が迎えてくれた。宿泊先の百年旅館・布施旅館は変わらぬ姿でそこにあり、三代目主の布施姉妹も変わらぬ温かさで迎えてくれた。薪ストーブも部屋を木の炎で心地よくさせて待っていた。変えていくことも大事たが、変えずに守ることも大事。一行、その大事を一晩味わう。シシャモを味わったのは町内の叶寿司で。焼き、天ぷら、生寿司と一年ぶりの旬を満喫した。カラオケの店で二次会を開く。7日は宍戸スタッフの誕生日。宴は7日になるまで盛り上がった。帰りの7日昼、千歳のキリンビアパークに寄り、ジンギスカンも楽しむ。

2004年11月10日

光塩短大の前田助教授、来訪。花凪3号館開設の作業ほぼ終わる。福井4丁目の地域パワー、60−80代パワーは素晴らしく、開設作業を手伝ってくれた。お世話になった方々を招き、お礼の会を開いた。みさなん、花凪3号館を喜んでくれ、福井4丁目町内会長からは「よき連携を」の言葉をもらい、お礼の会なのにお祝いをいただいた。花凪3号館はデイサービス事業を行うが、町内の方々にも多目的に活用してもらう。

2004年11月12日

NPO法人地域雇用産業フォーラム主催の第1回ビジネスプランナー倶楽部が開催された。昨年、新しい事業を起こしたい人を支援するビジネスプランナー養成研修が始まった。理事長は今年の講師を務める。同倶楽部は研修終了者が互いを刺激していこうというもの。理事長も出席したが、各人一生懸命で、北海道を変えようとしている人は少なくないことを感じたとか。

2004年11月13日

11月13日能登谷先生の絵手紙教室能登谷千恵子絵手紙教室開く。20人近くが参加し、お正月などをテーマに書いた。能登谷先生は、今や北海道の枠を越えて全国に知られる人。年末にベトナム、年明けにフランスの絵手紙ツアーがあるなど多忙な中、講師を引き受けてくれた。相変わらず元気で明るく、教えるというより一緒に楽しむ感じ。みんなも楽しく筆を走らせ、すてきな絵手紙がたくさん生まれた。夜は、武田幸男(ピアノ)&中村俊哉(ウッドベース)&佐藤茂和(アルトサックス)のジャズ・ライブ付き「今日だけ酒場」を。ジャズ・ライブはスタートして3回目だが、驚いたのは武田氏のプレー。どんどん指が動くようになっている。初めてのお客を4人迎えたが、フルートをやるという女性がいて、彼女のライブ参加も実現しそう。

2004年11月17日

マカロニを使ってのクリスマスリースづくり講習会開く。

2004年11月24日

佐藤純子第4回クッキング教室開く。プロに負けない腕で、つくるお菓子のメニューはいっぱい。今回はチョコチップケーキを伝授してもらった。

2004年11月26日

花凪3号館で行うデイサービス事業について道の認可下りる。12月1日に花凪3号館正式オープンへ。

2004年11月27日

花凪3号館でフリーマーケット&手づくり品即売会開く。福井4丁目町内会の方々が花凪3号館やこの日の案内を町内全戸に告知してくれた。町内にあるグループホームのお年寄りとスタッフも訪れた。花凪2号館で「あみゅぜ」コンサート&今日だけ酒場開く。

2004年11月29日

10月の豊頃町社会福祉協議会に続き、厚真町社会福祉協議会の方々8名が訪れ、花凪を視察した。

2004年11月30日

北海道新聞社(道新)の森川記者、家族問題の取材で来訪。

※日々の仕事に頑張り、行事・お楽しみに頑張り、あれこれがあり、そして花凪3号館開設にこぎつけた11月でした。どんどん日の暮れるのが早くなり、寒くなり、風が厳しくなっています。雪降りが続くようにもなっています。12月。ユキニモマケズ、カゼニモマケズ、で2004年一年の締めくくりを。

2004年12月1日

花凪3号館正式オープンする。初日のデイサービスの利用者は7人。"ラッキーセブン"でのスタートとなった。主役が収まって、3号館に命が吹き込まれた。手づくりの3号館整備が人が暮らした家のぬくもりを壊さず、みんな住み慣れた家にいるような感じでくつろぎ、いつものようにおしゃべりし、遊んだ。「3号館は大正解」の答えをくれたような…。地域の憩いの場、地域づくりの一拠点としても使ってもらう3号館のこれからが楽しみ。お昼に散らし寿司でオープンを祝った。写真・左の一枚は理事長が加わってのおしゃべりの一コマ。写真・中央は近所の方も参加してのお昼の準備の一コマ。写真・右は利用者の皆さん、スタッフそろって「いただきまーす」−昼食の一コマ。

花凪3号館正式オープン 近所の方も参加してお昼の準備 利用者の皆さん、スタッフ揃って昼食

2004年12月2日

北海道長寿社会振興財団、北海道高齢者総合相談センター主催の「相談援助実践セミナー」(かでる2・7)開かれる。理事長、松坂優・千歳障害者総合支援センター長とともに実践報告を行い、パネルディスカッション(テーマ・利用者が求める地域生活の支援を進めるために)でのパネラーを務める。セミナー参加者は約3百人に上った。

2004年12月3日

福祉分野で活動を考えているという札幌市内の人3名が視察訪問。

2004年12月4日

北海道総合研究調査会主催の第5期「ビジネスプランナー研修」がスタート。理事長、4期に続いて講師務める。午後、視察研修として受講者が花凪2号館と3号館を見学す。西野厨房「だんらん」でアコーディオン演奏会があり、花凪家族聴きに行く。

2004年12月8日

佐藤純子クッキング教室開く。寒い冬。5回目の今回は、温かさもうれしい蒸しまんじゅうをつくった。

2004年12月9日

道新が今の若者に焦点を当てる連載記事を企画し、花凪に取材依頼あり。代表で井上スタッフが取材を受けることになる。連載は来年1月中旬から札幌市内版で開始予定とのこと。

2004年12月15日

介護保険センターのヘルパー実習受け入れ開始。

2004年12月18日

あみゅぜクリスマス・コンサート道経済部から一報。道がまとめる「2004年経済白書」に事例として花凪のことを取り上げたいのだとか。白書完成が待たれる。「あみゅぜ」コンサート&今日だけ酒場開く。「ビジネスプランナー研修」の受講者ら4人が来てくれた。今回の「あみゅぜ」のコンサートテーマはクリスマス。正装(ドレス)で登場して「もろびとこぞりて」(クラリネット)、「悲愴ソナタ」(ピアノ)、「Donde Lieta」(独唱)や「ホワイトクリスマス」「アメイジンク・グレイス」(二重奏とクラリネット、ピアノ)…を。この日、一足先に花凪にクリスマスがやってきた。「あみゅぜ」とメンバーの演奏活動は少しずつ広がっている。8日にクラリネットの広瀬理恵さん出演のコンサートがあり、理事長と副理事長が堪能してきた。そのほか今月だけでも6日北広島市北の台小、9日北広島医師会、16日厚生年金会館・喫茶デュエット、20日光ハイツ・ヴェラス月寒…でコンサートを行った。来年の飛躍が楽しみだ。

2004年12月22日

復活ピアニスト・武田幸男のことが新聞記事に。道新の森川記者が取材で来訪す。24日のジャズ・ライブ&クリスマスパーティのときに写真撮影を。年明けの1月5日以降掲載とか。

2004年12月24日

今年最後のお楽しみ行事、ジャズ・ライブ&クリスマスパーティ行う。花凪スタッフ、家族、会員ら入り交じって夜更けまで約30名で盛り上がった。みんな一緒ということだけで十分なのだけれど、2ステージ演奏のジャズ・ライブ(ピアノ・武田幸男、ベース・中村俊哉、アルトサックス・佐藤茂和)、クッキング教室の佐藤純子先生の手づくりピザパイやケーキ、西高定時制の聴講生制度で英語の授業を受けている4人(理事長、副理事長、本間スタッフ、今野同)による英語劇「ピーチ・ボーイ(桃太郎)」、そして恒例になりつつある梶恭典理事脚本・演出の寸劇「暴れん坊将軍&松健サンバ」(出演・渡辺スタッフ、東同、本間同、今野同、井上同)、東スタッフの手品、サンバの女王の乱入ダンス(水野スタッフ)、ビンゴゲーム…。盛り上がらないわけがなかった。そして、楽しむばかりでなし。最後は今年一年の反省と新しい年への抱負を発表し合い、宴を締めくくった。

2004年12月31日

大みそか。三年前の花凪家族は2人だった。それが今は9人。2004年の年越しはその9人と木村家、宍戸スタッフ、酒井スタッフの14人で。よりにぎやかに大みそかの夜を過ごした。それにしても、花凪家族はみんなすごい。すき焼き、カニ、さしみ、オードブルにお菓子と食べ続け、元気に起き続け、そしてしっかり年越しそばまで平らげ、"行く年"を送り、"来る年"を迎えた。どうか新しい1年も同じようにひたすら元気で。

※2004年終わる。2004年もいろいろあった年だったが、前進できたのは花凪家族、スタッフ、会員、協力・応援いただいた方々…みんなの力で。2005年もまた良き一年とするためにみんなで初心を忘れず、夢を膨らまし、進むのみ。

「2004年花凪重大ニュース」「漢字一文字で表す2004年花凪」

アンケートで「2004年花凪重大ニュース」と「漢字一文字で表す2004年花凪」を募った。

その結果、重大ニュースは、[1]デイサービス花凪(3号館)オープン)、[2]富士労連より車いす対応型車両の寄贈受ける、[3]武田幸男ジャズセッションの夢かなう、[4]花凪夏祭り開催、[5]花凪ビール園ツアー(百景園、宮ノ森ガーデン、大通公園、千歳キリンパーク)実施、[6]新たにMさん、Kさん花凪家族に、[7]Rさん、Eさん故郷帰り果たす、[8]月刊誌「訪問看護と介護」は「花凪の人々」の連載始まる、[9]花凪ホームページ開設、[10]Sさん奇跡と感動の生還。

漢字一文字は「動」と「賑」が2票ずつあり、ほかは「楽」「伸」「心」「活」「翔」「躍」「展」「道」「美」…とさまざま。そのさまざまが花凪らしいということか。

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